ファントム オブ ラース【小説版】

Life up+α

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第二部【1章】望まぬ再生

04.対峙

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家の中のウォークインクロゼットの奥に丁寧に畳まれた黒いテーラードジャケットとスラックスがある。赤いケープつきのマントとセットになったそれらに腕を通すと、アイロンが効いていて一年経った今でもほとんどシワがない。
身体の変化に伴って服のサイズが合わなくなって上半身がビリビリに破けてしまった。戦いに行くなら防御力は高い方がいい。もう着ないだろうと、施設で着ていた服の大半を処分してしまったのだが、キティがどうしても残しておきたいと言っていたから看守服をワンセットだけ残していた。
俺は物に思い入れなんか持たない質だから別に捨ててもよかったのが、キティからすれば、看守服は俺のイメージぴったりの服らしい。
同じ人型ではあるが、身長が1.5倍近くまで伸びた背丈ではかなり視界が広い。懐中電灯を片手に家の裏手に広がる森へと踏み込んだ。
ガレージの中にあるライフルやテーザーガン、鞭…武器は狩りでもなんでも使い道があるだろうと、当時使っていたものを殆どそのまま残している。
こうして看守服に身を包み武器を手に取ると、昔に戻ったみたいで無性にイライラした。
ありとあらゆる武器をベルトに付けて、足跡を追う。湿気は多少あれど、まだ夏は始まったばかり。日が沈んだ時間帯はそこまで暑くないのが救いだ。
奥へ続く足跡は一つだけ。それも人間サイズの靴の跡だ。大きさや形状からして、男性用のエンジニアブーツあたりの物に思える。
今や人間などいなくなったこの近隣で人間と同じ靴を履いて過ごす怪物など、いないに等しい。人間なら俺ほど憎らしい怪物はいないだろうが、アイツらの記憶データが保有されたシステムはシャットダウン済み。なんなら破壊しつくして跡形も残さなかったはずだ。
今の時代に生きる人間どもは皆、機械の身体をしている。死んでも新しい身体さえあれば記憶データを引き継いで無限に生き返る厄介な生物だが、そのデータがないのに人間がいるとは考えにくかった。
考えにくいが…昼間にエドヴィンが話していたことが引っかかる。白い頭髪、俺と似た姿の生き物が森にいた。それも数日前の話だ。
万が一、ここから遠方の地域に人間がいたとして、人間達が使うテクノロジーにはテレポートという遠距離移動の術がある。どういう原理で使えるものなのか俺たち怪物は知らないが、仮にテレポートが使えるなら足跡など残さない。使えなくたって、足跡を残すなんて馬鹿な真似をするだろうか。足跡を消す方法など幾万通りもあるだろう。
だとすれば、この足跡は罠である可能性が高いのかもしれない。だが罠だろうが何だろうが行かない理由なんかなかった。
森の奥へ奥へと進むと、次第に前後不覚に陥りそうなほど闇が濃くなっていく。
考え無しに進んでいけば帰り道すら見失いそうな暗闇だと頭ではわかっているのに、知ったことかと言いたげに俺の足はその歩みを速めた。
帰り道なんてキティを取り返してから考えりゃいい。迷子なんて後で2人でいくらでもやってやる。
歩き始めてどれくらい経ったか、視界が人影を捉える。確かに白い頭髪、人間姿の俺と同じくらいの身長の男が木の根元に座っていた。
肩に背負ったライフルで頭を吹き飛ばしてやろうかと思ったが、傍にキティがいる様子はない。それならば、殺しただけでは何も得られないだろう。
「待ってたぜ、ハルミンツ」
不意に男が背を向けたまま、俺の名前を呼んだ。なんだか聞き覚えのある声だった。悪い意味で。
木の根元から立ち上がり、男がこちらを振り返る。首元まで申し訳程度につけられた人口皮膚と、球体の関節が丸出しの素手。間違いなくそれは施設で見てきた人間の姿だ。
月明かりの下でニヤと口元を釣り上げて笑うその男に、俺は血管がジリジリと焼けるような怒りと対称に体の芯が冷えていくような恐ろしさを感じているのが分かる。
忘れるわけがない。俺がまだ小さなカラスだった頃に、これでもかと体罰を加えてくれた昼の看守だ。
「テメェ…生きてやがったのかよ」
俺に暴力と暴言を、人を憎むことを教えたのはコイツだ。ただ檻の中にいるだけなら、ただ自分の成長を待つだけなら、きっと俺はもう少し別の生き方が出来ただろう。
過ぎたことは仕方ねえ。仕方ねえが、コイツを許す理由にはならない。
どうする…今すぐ殺すか?今の俺ならこいつの首をへし折るくらい造作もないだろ。
怒りが表情に出ていたのか、俺の様子を見ながら男はおどけるように両手を上げた。
「殺したいか?俺を殺せば、あの女の居場所は一生わからねえなあ?」
「…てめぇか、俺たちに手ェ出した野郎は。キティをどこにやった!」
「俺たちの集落にいる。残念だったな、お前らが人間を根絶やしにしたと思い込んでるその地域以外にも、俺たちの集落はあるんだよ。勝った気になるのが早すぎたな」
こちらへ攻撃する気はないのか、男は丸腰のまま、ただクツクツと喉を鳴らして笑う。
「そろそろ全部終わったんじゃねえかあ?お前が会いに行ったところで、あの娘はお前のことなんざ覚えてねーよ」
全部終わった。会ってもキティは俺のことが分からない。
その2つの言葉の意味が瞬時に頭の中で繋がる。
頭の中で人間に手を引かれ連れていかれるキティの姿がチカチカとフラッシュバックした気がした。
人間たちが俺たち怪物を人間に進化させる理由は、脳のデータを肉体にインストールすることで、生身の肉体を取り戻そうとしているからだ。
キティは人間のデータをインストールするのに、これ以上にないほど適した身体をしているらしい。俺が施設を破壊するに至ったのは、人間どもがキティの身体を乗っ取ろうと俺から引き離したからだ。
油断した。近辺の人間どもがいなくなって、身体を乗っ取るための機器も全て破壊したから、一年も何も無かったからもう何もかも過ぎ去ったのだと思い込んでいた。
「お前みたいな化け物が、一丁前に恋人ごっこなんかしてんじゃねえよ。あの女、何していたと思う?お前と出会って一年になるから、花飾ってケーキで祝うとか言ってたんだぜ。馬鹿だよなあ」
どれもキティがやりそうな事だ。花育てるのも、ケーキ作るのも、何かにつけて記念だお祝いだって馬鹿みたいにはしゃぐのも。
「檻を出た後のお前の悪評、聞いてるよ。立派に化け物らしく無差別に暴力振るってるって聞いて、心底面白かった。それがあんな小さいのに絆されて、人間みたいに家庭築いてるなんて、笑わせるよなあ。お前の取り柄は暴力だろ」
「うるせーんだよ!ベラベラ知った口ききやがって!」
腹立たしさに耐え兼ねて思わず男に掴みかかる。襟首を持ち上げ、木の幹に押し付けるとミシミシと木が軋む。
男は機械の身体をしているくせに衝撃で咳き込み、苦しそうな声をあげる。しかし、すぐにまたあのいけ好かない笑みを浮かべた。
「お前だって分かってんだろ?あの女がお前に好意を寄せたのだって、お前が暴力を振るったからだ!虐待児の心理と一緒、苛烈な暴力を振るう方に執着して承認を得ようとしてるだけさ!勘違いしてんだよ!」
「だからなんだってんだ!憐れんでるつもりか?負け犬が見苦しいんだよ!!」
俺とキティが今の関係に至るまでの流れは、間違いなく一般的なものではなかった。男の言っていることは何も間違ってなどない。
俺はキティが生まれて、アクリルケースに入れられて来た時からずっと体罰を与えて育ててきたのだ。普通なら好意を持つはずがないその過程で、キティは俺に恋をしたと一方的に愛情を押し付けてきた。その感覚は、どう考えても異常だ。
うっとおしくて気味の悪いそれが、気付いたら心地よくなっていた。一緒にいるのが都合いいから、何となく手放しがたいからと、傍に置くようになった。
キッカケなんかどうでもいい。勘違いで別にいい。傍にいたいと思うようになってからは、俺なりに彼女を精一杯大事にしてきたつもりだし、彼女だって幸せそうだった。
幸せに思ってなけりゃ、1周年記念に花飾ってケーキ焼こうとはならないだろ。キッカケだけ見て、知ったような顔で人からとやかく言われるのはたまらなく不愉快だった。
「口が聞けるうちに俺の質問に応えろよ、キティをどこにやった?今すぐその集落の場所教えろ」
「化け物風情が必死だな…。会ってももうお前のことなんか、アイツは分からねえぞ。もう頭は別人なんだからなあ!」
木に押し付けられ、宙ぶらりんのまま男は煽るように自分の頭のあたりを人差し指でくるくる回して見せる。
その手を片手で掴み、力任せに関節を逆に折り曲げて割る。手に組み込まれたチューブからはまるで鮮血のようなオイルが舞い、男が痛みに悲鳴をあげた。
その叫びはまるで檻の中の惨めな怪物のようだ。
体をどんなに破壊したって、人間どもはそんな叫び声など上げない。恐怖を焚き付け、冷静さを欠く痛覚などという機能は人間に必要とされなかった。
「そんな哀れな身体のくせにいっぱしに痛覚なんかあんのかよ。化け物風情相手にこんな一方的にやられて無様だなあ!?」
「俺だって…好きでこんな身体になったんじゃねえよ…」
痛みに息も絶え絶えに、それでも男は笑うことを止めない。
今まで会った人間どもは、みんなどこか業務的で淡々とした印象があったが、考えてみればコイツだけは昔から随分と感情的だった。俺を虐待して遊ぶ程度には捻じ曲がっていて、汚い感情をむき出しでぶつかってくる。
「痛みがあるなら話が早えな。キティの居場所を吐きたくなるまで指一本一本引きちぎって、お前の息の根を止めずにいたぶってやろうか?痛覚なんてさっさと無くしちまえばよかったなぁ?」
「痛覚も感情も無くした名ばかりの人間になる気はないね。俺は化け物も、今の人間も大嫌いだ」
それはいつかどこかで俺が口にした言葉に似ている。しかし忘れもしない憎しみは、その言葉に共感することを堅く拒んだ。
俺は男の指をさらにもう一本引きちぎる。痛みに男が息を上げて叫ぶ。どれほどの痛みなのか分からないが、男の低い悲鳴が響き渡る。
「ほら、さっさと答えろよ!指全部なくなるぜ?答えたとこで、お前はぜってーに殺す!」
「ああ、ああ、好きにしろよ!どうせ全部やり直しだ!今ここでやってることも全て無駄なんだよ!」
「はあ?」
男が言っている意味が分からない。苛立ちを堪えて聞き返すと、男はまた愉快そうに笑った。
「全部、施設が壊れる前までやり直しになんだよ!お前ら化け物の記憶は総て全員リセットだ!それなのに、わざわざあの女に会いに行くのか?絶望を深めたいなら、とんだマゾヒストだなあ!」
「減らねえ口だなクソ野郎!さっきからベラベラ聞いてもねえこと喋んじゃねえよ、俺が驚くとでも思ってんのか!」
不穏な言葉がいくつも男の口から漏れ出すが、そんなことよりキティのことが頭から離れない。一刻も早く会いに行きたい。俺がいないと、キティは泣いて寂しがる。しつこいくらいに俺の名前を呼びやがるんだ。
それに、他人の口からキティは別人になったと言われても、見てもない事実を俺は信じられない。どうせただの脅し文句なんだろ…?
木に押し付けられたまま男は苦しそうに喉を鳴らしていたが、小さく笑いながら左腕に着いた腕輪のような機械のスイッチを押す。
ホログラムが展開され、目の前に地図が現れる。俺たちが思っていたよりも広い世界の規模を一目で分かるように、その地図には簡潔に全体図が描かれていた。
俺たちが人間を根絶やしにしたエリアはほんの小さな区画だった。その遠方にはいくつかの拠点らしきものが点在し、それぞれにアルファベットの名称が付けられている。俺たちがいる区画はGらしい。Gに現在地のマークとバツ印が表示されている。
この区画それぞれに人間がいるのだとしたら、かなりの数が残っているだろう。1年間、誰も来なかったのは、あえて泳がせていたとでも言いたいのだろうか。
「なあ、ハルミンツ。何で全て破壊しに来なかったんだ」
クツクツと男が笑う。しかし、その笑い声は嘲笑と言うよりも諦めに近いものを含んでいるように聞こえた。
「A区画、1番デカい都市にあの女はいるよ。なんならあの女がいる近隣にある、転送装置の利用権を貸してやろうか?せいぜい、絶望すればいい」
地図を消すと、男は投げ捨てるようにその腕輪を地面に転がす。カラカラと地面を滑り、車輪のように縦に回転していた腕輪は少し離れた場所で倒れた。
「どういうつもりだ」
「どうもこうもない。ただ、絶望して欲しいんだよ。俺によく似たお前にも、終わりが見えない絶望を前にして腐ってて欲しいだけだ」
俺は男を突き飛ばして地面に下ろす。男は千切られた指が痛むのか、片手を抑え込むように胸に抱えた。
男は腕輪を拾い上げる俺を、男は意外そうに片目を細めて眺める。
「…喋っても喋らなくても、殺すんじゃなかったのか?」
「うるせえな、テメェはキティが見つかってから殺す」
正直コイツが生きてようがいまいがどうでもいい。こんな鉄クズ、叩き壊す方が時間かかりそうだし。
それにコイツが嘘言ってねえとも限らない。もしそん時に手がかりゼロになんのはめんどくせえ。
男は俺をただ訝し気に見たまま、何故か逃げようとはしなかった。
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