ファントム オブ ラース【小説版】

Life up+α

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第二部【8章】閉ざされた世界の革新

30.見舞

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エドヴィンの入院について問い合わせると、俺は同じエリアの担当看守ということで特別に許可が出た。キティも当事者なので、同伴は可能らしいが、他の怪物たちは現在面会謝絶らしい。
面会謝絶になるくらいだ、かなりの荒れ方ではあるのだろう。そんな状態のエドヴィンにキティを会わせていいのか不安は残るが…彼女きっての希望だ。様子を見るしかない。
エドヴィンがいなくなったせいで俺の仕事はワンオペになったが、元から大して真面目に仕事をやっていない俺からすれば、やれキティの時間だとか、ヨルツの時間だとかで理由を付けて抜け出すだけなので、大きく生活が変わることはなかった。言うとすれば、データベースにアクセス出来る時間が減ったくらいだ。
昼の配膳を終えて、キティを迎えに行く。部屋をノックして開くと、俺があげたパーカーのフードを目深に被って待機していた。
「ハルくん、お仕事お疲れ様!抜けてきて貰ってごめんね。あ、エドにサンドイッチ焼いたの!みんなで食べよー!」
「遠足じゃねえんだぞ」
エドヴィンにキティのサンドイッチなんてもったいねー。本音を言えば、この場でそのサンドイッチは俺が全部食ってやりたいところだ。
キティを連れて、上の階にある医療センターへと向かう。このエリアはよほど重篤な症状でない限りは利用される機会はなく、牢獄エリアにいる怪物たちも対象外になる。
俺が牢獄エリアを出た時はハーロルトからの虐待が酷かったので、特別房に移る時に一度だけここをバウンドした。恐らく、人間から利用価値があると認められたから利用できたのだろう。
ここ最近で得た情報によれば、人間たちはこれでも昔の戦争の影響で経済面や物資面でかなり困窮しているらしい。人工皮膚を削減するくらいだから多少はその状態を想像していたが、医療費も馬鹿にならないから、怪物の治療などにコストを割きたくないのは確かだ。
独房での拷問で腕の関節が増えたとかなら、軽くギブスを巻く程度のことなので、入院にはなり得ない。ヌッラも前歯を失った時は治療されている様子もなかった。エドヴィンだからこその待遇というのもあるのかもしれない。
真っ白な廊下を抜けて行くと、巨大な両開きのスライドドアに出くわす。傍にある端末に俺の看守カードを読み込ませると、それは静かに口を開いた。
中にはロボットたちが数台、音も立てずに静かに動きまわっている。利用者が少ないせいか、エリア内は恐ろしく無音だ。ガラス張りの壁からはこれでもかと日光が入り込み、白い壁に反射して眩しい。
エドヴィンの部屋は2号室だと指定されている。キティを連れて二号室前に立つと、入口と同じようなスキャナーの端末が置かれていた。
場所が静かすぎるせいか、キティも珍しく黙っている。そわそわとする彼女の腕に下がったバスケットからは、場違いなトーストの香ばしい香りがしていた。
「入るぞー」
スキャナーにカードを再び読み込ませると、扉がスライドして開く。中のベッドには水色の患者服を身にまとった人影がこちらに背を向けて、力なく横たわっていた。
「…ハル?」
もぞもぞとエドヴィンがこちらを振り返る。起き上がりずらそうにしていると思ってよく見れば、エドヴィンの両腕は袖の上から皮ベルトで拘束されている。こちらを見たエドヴィンの顔は、キティに聞いたように人から随分と離れていた。
顔面の中央に巨大な蛾が鎮座しており、それに群がるように同じサイズ感の蛾が左右にとまっている。いや、とまっているのではなく、皮膚と繋がっている。今まで左右均等についていた4つの瞳が、羽の模様の位置に沿うようにバラバラになってついており、それぞれが生きているようにうごめく。
蛾の化け物の状態も普通に気持ち悪かったが、中途半端に人型を保ったまま蛾の数が増えていて更に気持ち悪い。どんな時でも口元だけは笑みを絶やさなかったエドヴィンだったが、かなり意気消沈しているようで、あのいけ好かない穏やかさはすっかり影をひそめていた。
「エド、体調大丈夫?サンドイッチ焼いてきたよ!」
「キティ…」
フードを目深に被ったまま、無邪気に駆け寄るキティにエドが静かに名前を呼ぶ。
「ごめんね、そんな姿にしてしまって…」
「いいの!エドも私のために頑張ってくれたんだよね?美味しい物食べたら元気出るよ、一緒に食べよ!ね、ハルくん!」
備え付けのテーブルにキティがバスケットを置き、中からランチョンマットを取り出す。中から小さな皿を三つ取り出すと、ラップに包まれたサンドイッチを置いていく。そこの部分だけを切り取れば、本当に遠足だ。
「やだよ、気持ち悪い」
「え!エドが気持ち悪いなら私も…」
「お前は気持ち悪くない」
「ええー!」
傍に寄ることを拒否して入口付近に立ったままの俺を見て、キティが口を三角にする。
「気持ち悪いなんて言われたら、みんな悲しくなっちゃう…そんなこと言わないで?」
「けっ」
キティの言葉が面白くなくて、俺は吐き捨てる。面白くないのだが、キティが悪いわけではない。これ以上、困らせるわけにもいかずに俺は傍にあったパイプ椅子を引っ張りだして、少し離れた位置に腰を降ろした。
俺のすぐ傍、エドの隣の椅子にキティが座り、彼女が俺に皿ごとサンドイッチを寄越す。そのまま彼女はエドにもサンドイッチを差し出すが、エドヴィンが両腕を塞がれていることに気が付いて、慌てて引っ込めた。
「エド、サンドイッチ食べれる?あーんする?」
「ダメに決まってんだろ!」
思ってもみなかったキティの提案に、俺はたまらずキティの手からサンドイッチを取り上げる。ポカンと俺を見上げるキティを前に、俺はそのままサンドイッチを自分で食べた。
「えー!それじゃ、エドが食べられないよ!お腹減ってた?私の分も食べる?」
困ったようにキティが自分の分の皿を俺に差し出す。そうじゃない。キティがエドヴィンの口に物を運ぶというのが、絵面的に許せないだけだ。
そんな俺たちのことが視界に入っているのか入っていないのか、エドヴィンは置物のように俯いて黙っている。いつもなら嫌味の一つでも言うエドヴィンにこんな大人しくされていると、調子が狂う。
俺は自分の皿にあったサンドイッチを取り上げると、パイプ椅子を足で引きずってエドの隣に座りなおす。
「俺がやる」
キティに食べさせたくない俺の気持ちと、キティの要望を叶えるには残念ながらこれしか方法はない。仕方なくエドヴィンの口にサンドイッチを押し付けると、エドヴィンの顔面に張り付いた蛾が驚いたようにバタバタと羽ばたいた。
「気持ちわる!食わねえなら俺が食うぞ」
「…ありがとう、頂くよ」
ようやくエドヴィンが口を開いて、サンドイッチを口に入れる。一口だけ噛み千切って彼は力なくサンドイッチを租借し、また黙り込んでしまった。
「ダメだこりゃ。帰ろうぜ」
「えー!」
キティは困ったように声を上げると、テーブルに身を乗り出してエドヴィンの顔を覗き込む。彼女は慰めるようにエドヴィンの頭を優しく撫でると、顔面にバラバラについた視線が彼女へと向いた。
「エド、気持ち悪くなんてないよ。その姿もいいと思う!なんだっけ…人間が使ってるあれ…バタフライマスクみたい!かっこいいよ!」
エドヴィンは彼女の言葉に、少し驚いたように目を見開く。ややしばらく黙っていたが、彼は少しだけ穏やかな笑みを浮かべた。
「…そっか」
二人が話している間、俺は暇だったので事あるごとにエドヴィンにサンドイッチを押し付ける係をした。非常にゆっくりではあったが、一応は完食した。俺からすれば大変面白くないが、これでキティが満足するならいいだろう。
「またね!早く元気になってね!」
帰り際に出口でキティがエドヴィンに手を振る。
「またね」
聞き取れるかも怪しいくらいの小さな声だったが、エドヴィンが返事をする。
まあ、エドヴィンのことだ、心配せずともすぐに帰ってくるだろう。
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