マリンブルー リベンジ

アーケロン

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一一 街の片隅の棲家

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 祥子のアパートは、まだ昭和の面影が残っている二階建ての古い文化住宅だった。東京でバストイレ付きで家賃の安い物件となれば、このあたりが妥当なのだろう。
「東京にもこんなアパートがまだ残っているんだな」
「見た感じは古いけど、部屋の中はおそらく私の部屋と変わんないわよ。どうせ寝るだけの部屋だもん。なんだっていいじゃん」
「別に悪いとは言っていない。俺の部屋だって似たようなもんだ」
「あの町にはまだこんなアパートがいっぱい残ってるもんね」
 階段横に設置してある二〇四号室の郵便受けの投入口を開けて中を見た。チラシの類が郵便受けの中を満たしている。他の郵便受けの取り出し口には南京錠が付いていたが、祥子のものには鍵はついていない。
「開けるぞ」
 横に立つ聡子に一応断ってから、取り出し口を開いた。中からチラシや郵便物がこぼれ落ちてきた。
「先月から部屋には戻っていないようだな」
 電気代と水道代の請求書を手にして、恭介が呟くように言った。請求書は両方とも先月のものだった。
「でも、和弥とここに来たときは郵便受けの中に請求書なんてなかった。お姉さん、先月まではこの部屋に帰ってきていたのよ」
「郵便受けの中は空だったのか?」
 地面に落ちたチラシを拾い上げながら聞いた。
「中はチラシでいっぱいだった。でも、請求書なんてなかった。お姉さんの手掛かりを探そうと二人で必死で調べたから、見落としたなんてことはないよ」
「たしかに、ふた月前の請求書は見当たらないな」
 チラシを一枚一枚調べた。借金取りに追われていたが、和弥が死んだときはまだこのアパートに戻ってきていた事になる。
「これ、何か書いてある」
 聡子が拾い上げたチラシを差し出した。チラシの裏側に、帰ってきたら連絡して欲しいと、サインペンで走り書きがしてあった。
 書置きを残したのは、由香という女らしい。
「お姉さんの友達かな?」
 電話がつながらないならここにかけて欲しいと、固定電話の番号が書いてあった。やはり、祥子は行方不明らしい。
「電話してみる」
 聡子がスマートフォンを取り出し、チラシの裏に書かれた番号を入力した。
 電話はすぐにつながった。聡子がよそ行きの声で丁寧に話し始める。相手は由香という女の母親なのだろう。微かに中年女の声が聞こえてくる。祥子さんのことで話があるので、娘さんからの連絡が欲しいと告げている。
「じゃあ、戻ってきたら今から言う番号に電話するようにお伝えください」
 聡子が自分のスマートフォンの番号を告げて、電話を切った。
「この由香って人に話を聞けば、何か手がかりが得られるかも」
 聡子が恭介の目の前でチラシをひらひらと揺らした。
「手がかりがないから向こうも探しているんだろ?」
「私たちが訊けば、彼女が気がつかなかったことにも気づくかもしれないじゃない。もっと真剣に考えろ」
「わかったよ。もちろん、ふざけるためにここまで来たわけじゃない。きちんと何かを掴んでみせるさ」
 突っかかってくる聡子をなだめて、アパートの上の階を見た。
「祥子さんの部屋は?」
「二階の奥。でも、ヤクザに追いかけられているのなら、部屋にはいないよ」
「念のため、様子を見に行こう」
 階段を上がり、東側の端にある部屋の前に立つ。金を返せと書かれた紙がドアに貼られていた。紙は新しい。最近貼りに来たのだろう。
 ドアベルを鳴らしたが、もちろん反応はない。自分は和弥の友人だと大声で叫んでみたが、人がいる気配がない。頭上の電気メーターも、動いていなかった。
「電気を止められているな」
「ここにはもう帰ってこないんじゃない?」
「部屋の中を見たいな」
 壁に貼られた空き室ありのビラに、大家の電話番号が書いてあった。

「今までこんなことがなかったので心配していたんだよ」
 聡子の電話でやってきた大家の男が、鍵の束を選別しながら言った。
「先月まではここにいたんですね?」
「家賃はきちんと振り込まれていたから、ここに住んでいたはずだよ。本人以外のものが家賃を振り込むはずがないからね」
「今まで家賃を滞らせたことはあったんですか?」
「いや、そんなことはなかったよ。派手な女の子だったけど、金払いはきちっとしていたからな」
「だから和弥のお姉さん、借金していたのかな。お金がなくても、払うべきところにはきちんと払うために」
 そうかもしれない。手のつけられない不良だったが、一本筋が通ったところのある女だった。
 大家が鍵を外してドアを開けた。玄関をあがると、そこが部屋になっていた。広さは六畳程度。埃っぽい匂いが室内に充満している。長期間閉め切っていたのだとわかる。
 室内は綺麗に整理されていた。壁にはロックグループのポスターと青い暖簾がかかっている。白いテーブルの上には何も置かれていない。シンクに汚れ物はなく、食器も綺麗に片づけられていた。
 冷蔵庫を開けてみたが、中は空だった。調味料すらない。たしかに自炊するタイプではないが、冷蔵庫に何も入っていないのは不自然だ。
「なんか、変」
 クロゼットの中を覗いていた聡子が、首をかしげている。
「どうした?」
 恭介も中を覗き込んだが、何が変なのかわからない。
「だって、そろえているのがアンバランスじゃん。ほら」
 聡子が、中の服をいくつか選んで外に出した。安物で派手な服の中に、上品なブランド物が混じっている。
「たしかにそうだな」
 手に持ったドレスを見る。どちらかというと派手なのが祥子のイメージだが、ずいぶんシックなドレスだった。
「結構高いわよ、この服」
「水商売をしていたのなら、それなりにTPOに合わせた服を持っていても不思議じゃないだろ」
「そんなの、私よりあんたのほうが詳しいでしょ?」
「人のことを遊び人みたいに言うなよ」
「それに、お店で着るような服じゃないよ。男に貢がせたのかな。それとも、ブランド物を漁っているうちに借金を重ねちゃったのかな」
 もう一度クロゼットの中を探ったが、あとは安物の派手な服ばかりだった。
「この派手なのが、祥子さんの好みだと思うんだが」
 恭介が暇そうに玄関に立っている大家のほうを見た。
「大家さんは、藤澤さんを良くご存知なんですね」
「いい子だよ。夜の仕事をしているみたいだったけど、会ったらきちんと挨拶するし、気安く話しかけてくるし、どこかに旅行に行ったときはいつも土産を買ってくれていたんだ」
「藤澤祥子さんは二か月前に結婚したみたいなんですが、ご存知でしたか?」
「いや、ここしばらく顔を合わせていなかったしな。でも、もしそうなら挨拶くらいはありそうなもんだけどな。そんな子だったから」
 聡子が恭介の袖を引いた。
「結婚してからもこの部屋の家賃を払っていたのかしら?」
「何か理由があって別居していたのかもな」
「なあ、あんたたち」
 大家に呼ばれて二人が振り向いた。
「契約では三か月家賃を滞納すると、立ち退いてもらうことになるんだけどね。そうなると、ここの荷物をどうにかしないといけないんだ。普通、入居者が死んだりした場合は、遺族に引き取りに来てもらうんだけど、夜逃げの場合は引き取り手がいなくてね。処分するにも撤去費用もかかるし、実家に送りたいんだけど、藤澤さんの保証人にも連絡がつかなくてね」
「保証人って、誰なんです」
「確か、弟さんだったよ」
 聡子の顔が曇った。
「藤澤さんの実家には誰もいませんよ」
「困ったな。関係者と連絡取れないし。処分するしかないか」
 大家が眉を顰めて愚痴った。
 大家が帰った後、隣人から話を聞こうと隣の部屋のベルを鳴らしたが、留守だった。時間は六時半。しばらく待っていると帰ってくるかもしれない。
 祥子の部屋の前でふたりで待っていると、聡子のスマートフォンが鳴った。登録されていない、覚えのない番号だった。
「あ、由香さんですか」
 聡子の声が弾んだ。
 祥子の弟の知り合いだと、聡子が自己紹介した。祥子が行方不明になったのはいつかと訊いている。聡子の言葉から察するに、由香という女は先月まで祥子と連絡を取っていたらしい。
 和弥が死んだ後も、由香は祥子と連絡を取っていたことになる。
 恭介は黙って聡子の言葉を聞いていたが、聡子の質問が横領を得ない。興奮していて、何をどのように聞きだしたらいいのかわからず、混乱しているようだった。
「ちょっと代わってくれ」
 苛立ちが頂点に達し、聡子から電話を取り上げ耳に当てた。
「私は能島さんと同じ学校の出身で、祥子さんの弟の友人の南雲といいます」
「はい」
 若い女だった。
「ずっと祥子さんを探しておられるのですね?」
「うん。警察にも捜索願を出したんだけど調べてくれないの」
 この世は行方不明者で溢れている。特に水商売の女が消えることはよくあることだ。いちいち警察も取り合ってくれないのだろう。
「さっき、先月までは連絡が取れていたって言っていたみたいですが、そのときの様子はどうでしたか?」
「様子といっても、メールでしか連絡していなかったの。ちょっと事情があって会えないとかで。祥子、やばいところから借金していたみたいで、逃げ回っているみたいだった。先月まではメールで連絡をとりあっていたんだけど、急に連絡が途絶えてしまって。私、祥子があいつらに捕まったんだと思うんです」
「直接電話をしても通じなかったんですか?」
「いつも電源を切っていたの。だからなのか、連絡はメールでして欲しいって言われてたの」
「実は、祥子さんの弟が亡くなったんです、ふた月前に」
 電話の向こうから息を呑む気配が伝わってきた。やはり知らなかったようだ。
「祥子さんはそのことを知らなかったんですね?」
「知らなかったと思う。そんなこと、一言もメールに書いていなかったから」
「ムーランルージュという店はご存知ですか?」
「祥子が働いていたお店。私もそこで働いていたから」
「祥子さんはいつまで働いていたんです?」
「ふた月ちょっと前だったかしら」
 和弥が死んだ時期と重なる。
「店で働いているとき、祥子さんに変わったことはありませんでしたか」
「特には……」
「些細なことでも結構です。親しい友人ができたとか、恋人ができたとか」
「新しく勤めだした店で、仲のいい友達ができたっていってた。お店のホステス。祥子の部屋にもよく泊まりに来てたみたいだったし」
「どんな女でした?」
「顔を見たことはないの。一度一緒に飲みに行こうって言っていたのに、それっきりだったし」
「写真とかで、顔を見たことも?」
「写真は持ってなかったと思う。祥子は元々写真撮るの嫌いだったし」
「じゃあ、あなたは祥子さんが結婚していたのはご存知ですか?」
「結婚?」女が素っ頓狂な声を上げた。
「そんなわけない。結婚するなら、絶対私に一言言っている」
「相手は谷瀬さんという方なんですが、その名前を聞いたことはありますか?」
「さあ……」
 聡子が腕をつかんだ。横を見ると、廊下の向こうから若い女がこちらに近づいてくる。
 何か知りたいことがあれば電話をしてもいいとの了解を得て、急いで電話を切った。
「こんばんは」
 聡子が女に頭を下げた。女が微笑みかけてくる。聡子が一緒でよかった。相手が男一人だったら、疑いの目で見られていたところだ。
「実は、この部屋に住んでいる藤澤祥子さんを捜しているんですけど、最近部屋に戻ってきていないみたいなんです。最近、隣の部屋で物音とか、聞いたことありますか」
 女はしばらく考えるそぶりを見せた後、首を横に振った。
「藤澤祥子さんは一人でここに住んでいたんですよね?」
「ええ」
「男の人が出入りしていたのを見たことがありますか?」
 恭介の質問に、女が頷いた。
「何度か、男の人がこの部屋に入っていくのを見たことがありますけど」
「どんな男でした」
「四十……いや、五十歳くらいだったと思いますけど。髪が白髪混じりだったし」
「恋人という感じではなかったと?」
 女は答えにくそうに苦笑いした後、黙って頷いた。
「歳がずいぶん離れているなって思いました。だから、愛人か何かだと思ってたの」
 そいつが祥子の結婚相手なのかもしれない。離婚して愛人から妻に格上げしたってところか。
「お姉さん、やっぱり結婚していたのよ、その谷瀬って人と。手紙読んでも、どこか落ち着いた文章だったし」
 アパートの階段を下りている途中、聡子が弾んだ声で言った。
「でも、由香って女には結婚したことを話していなかった」
「水商売仲間だからじゃないの? あの業界って女ばかりだからいろいろあるじゃない」
「しかし、由香は祥子さんのことが心配で、本気で捜しているみたいだった。そんな友人なんだ、結婚の報告くらいはするだろう」
「じゃあ、私が和弥の家から持ち出した手紙は、旦那さんが書いたんじゃないっていうの?」
「わからん。まあ、手紙を見せてもらえば何かわかるだろう」
「これからどうするの?」
 腕時計を見る。午後七時。
「祥子さんが勤めていた店にいってみるか。新橋ってここから近いのか?」
「田舎もん」
 聡子が舌を出して笑った。
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