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6、始まる春⑥
しおりを挟む自習中は空いている教室を使っていいことになっているので、僕は葵と一緒に空き教室で話していた。
本当は自習をしなくちゃいけないけれど、悩みすぎて頭がおかしくなってきた僕は冷静に考えてくれる葵に相談したかった。
「…なるほどね。あのチョーカーを買いに行った日にそんなことになってたのね」
「そうなんだよ…そしたら、あんな感じで」
「番犬がやつれていってるのは気のせいじゃなかったのね。あっちもあっちで悩んでるって訳だ」
あのチョーカー専門店でのやり取りはすでに二週間前のこと。
慊人は食が細くなってしまったらしい。
あのαらしくキラキラと輝いていた慊人は今見る影もないほど萎れている。
「僕がなんとか朝と昼、放課後にちょっとしたものを食べさせてるけど、普段は水しか飲んでないらしくて」
「いつぶっ倒れてもおかしくないわね。あんな状態なら」
「いやもうほんと…フラフラしてる時もあるんだよ…」
葵は僕が悩んでいる様子を見てため息をついた。
「そんなこといって、治す方法は分かってるじゃない」
「…分かってるよ…」
僕が恋人になるか、ヒートが来たら慊人に無理やり番にされるか、だ。
僕が中途半端に保留にしているせいで、慊人も無理やり僕を手に入れたい気持ちを抑えているらしい。
αとしてΩを囲いたい気持ちを抑えるのはかなりキツいらしく、僕は保留にしても慊人に残酷なことをしてしまっていた。
「番にならないのに…付き合うってなんか変じゃない…?」
「はぁ?そんなの世の中の恋人はごまんといるわよ。別に番になるのが全てじゃないんじゃない?」
「αとしてはなりたいんじゃないの?」
「番犬は番になりたいでしょうけど。でもあんたの気持ちを踏み躙ってまで番になりたくないって気持ちの方が大切なんでしょうね」
葵に言われて、慊人が我慢してくれていることがよく分かる。慊人は僕がいつ返事をくれるのかずっとソワソワしているようだった。
「ま、恋人になれなかったら、踏み躙ってでも番にするつもりなんでしょうけど」
「それなんだよ…困ってるのは」
「それでも紳士的な方よ。あんなに強いαなのに自分を制御させるのは大変なはずだし」
葵は父親がαで、αについて少し詳しい。だからこうやって僕に助言をくれている。
今までは慊人に否定的だった葵は、僕がΩになってから慊人に対して同情的な気がする。
「あんたも大変ね。βからΩになって、番やら恋人やら番犬の面倒やら」
「うう…どうしたらいいの」
すると葵は腕を組んで考え込んだ。うーんと唸ったあと、手をポンと叩いて僕をみる。
「付き合っちゃえば?」
「葵?!」
悩んだ部分は一体どこに行ってしまったのかと言うほど直球な言葉だった。
むしろ何も考えていないように僕は感じてしまっていた。
「ただ付き合うんじゃなくて制限を設けるのよ。あんたに番ができるまで、とか番犬に違う好きな人ができるまで、とか」
「制限?…慊人がそれを素直に聞くと思う?」
「聞くわよ。今なら弱ってるし」
むしろ弱っているからこそ有効よ、と葵は言い放った。
そう言われ、僕もうーんと悩んだ。
慊人はきっと、恋人に制限があるのは嫌がるだろう。
自分の恋人が他の番を見つけたから別れます、なんて最低もいい所だ。
慊人に好きな人ができるまで付き合うって言うのも、なんとなく慊人は好きな人を作らないでズルズル付き合い続ける羽目になるのでは、と思い至った。
「ううう…どうしよう…」
「悩むのにもタイムリミットがあるなんて、さすがの波瑠でも思わなかったのね」
「いや本当、このまま保留し続けるのもアリかもしれないって思ってた僕を殴りたい…」
僕としても好きな人が苦しんでいるところを見るのはツラい。
このまま結論を出さないままでいたら、慊人は病院のお世話になってしまいそうだ。
「ていうか、あんたの答えは決まってるようなものじゃない。どうして分からないのよ」
「ええ?」
「番になりたくないなら、恋人になるしかないのよ。それこそ海外逃亡でもしないとあの番犬からは逃げられないだろうし、恋人にならなかったら無理やり番にされるだけなんだから」
「ひぇ…」
想像して血の気がサッと引いた。確かに、高校生で百貨店の高いチョーカーを惜しげもなく買える財力の前に、僕はきっとなす術などないだろう。
僕はため息をついて結論を出した。
「…決めた。慊人と話してくる」
僕は拳を握って立ち上がった。
「自習中は私たちのクラスだけよ。放課後にしなさい」
冷静に葵に引き止められて、僕はストンと椅子に座るしか出来なかった。
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