まどろむ宝石、もの言う鏡

くさなぎ秋良

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エメラルドの幻想

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 エメラルドはベリリウムを主成分とする緑柱石。鉄を含んで淡い水色になるとアクアマリン、クロムやバナジウムを含んで緑色になるとエメラルド。色によって宝石名が変わるんだそうです。面白いものですね。クレオパトラが愛したために『宝石の女王』とも呼ばれる石です。

 我が家にいる愛猫のうち、唯一のオスである黒猫が、このエメラルドの色を帯びた金の目をしています。彼の名前は『天』といい、命名したのは夫でした。夫が引き取ってきたのは、この天だけなのです。

 夫の誕生日が近づいた七月のこと。地元の天満宮で開催される骨董市を楽しんだ帰りでした。猫の保護活動をしている某雑貨店へふらりと立ち寄り、里親募集中だった天に夫が一目惚れしたのです。

 正直に言うと、私は引き取ることに反対でした。なにせ家にはすでに三匹の愛猫。人間の子どもは二人。そして世話をするのはほぼ私一人。夫は猫缶は開けるけれど、トイレの世話などマメにできるタイプではありません。

 確かに天は可愛かったのです。子猫特有の毛羽立った黒い毛並み、キトゥンブルーの目、そして首に巻かれた赤いリボンの似合うこと似合うこと。

 それでも、私は渋りました。命を預かるということは簡単なことじゃありません。ところが、そんな私の態度を変えたのが店主のこんな言葉でした。

「この子ね、出戻りなんですよ」

「どういうことですか?」

「一度、里親が見つかってね、トライアルという形で新しい家族のところに行ったんです。でもうちでは飼いきれないって戻されたんですよね」

 ちょうどその頃、猫ブームが到来していたんですね。猫なら飼いやすいと思った人が天を引き取り、やっぱりダメだと戻してきたと知り、ぷっつんと何かが弾ける音がしました。

「あなた」

「うん?」

「猫が増えるということは餌代も猫砂代もかかりますから、節約しなきゃいけませんよ?」

「あ、はい」

「トイレ掃除も回数が増えるし、お世話も今以上に参加してくれます?」

「はい」

「ようござんす。来週はあなたの誕生日ですしね、何かのご縁でしょうから、うちで引き取りましょう」

 どうも私、怒ると日本語がおかしな風に馬鹿丁寧になります。
 夫は顔をぱあっと輝かせ、変てこな日本語には一切突っ込むことなく、いそいそと譲渡手続きを始めたのでした。

 天を迎える条件は予防接種や去勢・避妊、完全室内飼いなど。半年後に写真を撮って報告するというものもありました。

「名前、何にするの?」

「天」

「なんで?」

「天満宮の帰りに引き取ったから」

 おおう、なにやら菅原道真公のご加護がありそうな。彼は子猫とは思えぬほど堂々とした態度で、あっという間に我が家に溶け込みました。引き取ってきた夜にはベッドの真ん中でヘソ天していた気がします。史上最速の馴染みっぷりです。

 で、その天ちゃん、すぐにとんでもなく暴れん坊だということが判明。

「これは出戻りになるわ」

 人生のほとんどを猫と生きてきた夫がそう呆れるほどのやんちゃっぷり。凪というじゃじゃ馬娘の面倒を見てきた先住猫も「やかましいわ!」とキレる始末。

 一番災難だったのは、凪でした。というのも、天は凪が大好き。ついついじゃれついて、しつこくなり、凪が爆発。凪の唸り声は天にしか浴びせられたことがありません。

 でも、賑やかなほどいないと寂しいもので、去勢手術のときなど、数時間いないだけでしんと静まり返っていた我が家。で、戻ると凪に絡みついて「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」と全力で嫌われて、やっぱりやかましい。彼の名前を嵐にすればよかったのにと思ったものです。

 今では姫も小町も凪も、天がそばにいることを許しているようです。けれど調子に乗って首に絡みつくものだから、よく怒られているんですけど。

 今日も天はあのエメラルドの影を落とした目で私を見つめてきます。彼には人間がどんな風に見えるんでしょう。我が家の面々はどう映っているのでしょう。

 そういえば『オズの魔法使い』にエメラルドの都が登場しましたけれど、あの都の人々は緑色のメガネ越しに幸せな幻想を見ていました。
 最初に天を引き取った人は『猫は可愛い、飼いやすい』というメガネをかけていたのかもしれません。でも、実際は糞尿も臭いし、爪も研ぐ、なんで今? というタイミングで吐いたりするし、どこにでも毛が飛び散る。そういうものを超越して初めて『うちの猫は可愛い』になるんだと気付いてくれたなら、それはそれで良い出会いだったのではないかと思います。なんといっても、愛おしい天を我が家に導いてくださったんですからね。

 いつか天が『おうちが一番』と思ってくれる日がくるなら、私はそれで幸せです。

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