無窮の騎士

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第一章

第五話〜のんびりとした休日④〜

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「ご馳走様でした。ふふ、奢ってもらうのって気分が良いものね、満足したわ」

「腹八分目って知ってるか?」

「失礼ね、知ってるわよ。まだ食べようと思えばいけたけど、ちゃんと抑えたんだからね」

「……まじか」

 結局のところ、マクリカの夕食代はアヤトの財布を随分軽くしたが機嫌の悪さが続くよりもよほど良い。自室へと招き入れる程度には気を良くしたようだ。

「飲み物の用意をするから適当に座ってて」

「長居するつもりはないぞ?」

「何か用意するのが礼儀ってものよ。黙って待ってなさいな」

「そういうとこだけ常識人ぶられてもな……どこ座ろ」

 端的に言えばそこは散らかった部屋だった。窓は閉め切られ、いくつもの難しげな書物が無造作に放置されている。
 色取り取りの薬品が棚を埋め尽くし、部屋の真ん中には大きな釜━━錬金釜が我が物顔で鎮座していた。中には黄色の液体が入っていて、漢方薬のような独特な匂いを発している。

「これは回復薬ポーション……いや上級回復薬ハイポーションか」

 冒険者の活動に必要不可欠と言われる傷を癒し体力を回復する回復薬ポーション。希少な素材を使用すれば効果も高くランク分けされている。
 ランクが高ければ金額も比例して高くなっていくが、より効果が見込めるのであれば買い求める人は絶えない。魔物との戦闘は死と隣り合わせと言っても過言ではないのだから当然だろう。
 だが、需要に対して供給が追いついていないのが現状だ。上級回復薬ハイポーションや攻撃薬、補助薬など特殊な効果を発揮する薬は生成が難しく錬金術師の分野となってくる。
 錬金術師とは国家資格の一つであり、豊富な知識と高い調合技術が求められる難関な試験を突破した者だけが名乗ることを許されている。
 つまりはその絶対数が少ないのだ。供給が追いつかないのも致し方ないのかもしれない。
 一方で回復薬ポーションは比較的簡単な調合で生成できるため普及しているが、出回っている品の多くは錬金術師製ではなく本来の効力を下回る粗悪品ばかり。それでも売れてしまうのだから冒険者が如何に危険な道を歩いているのかが分かってしまう。

「そんなに珍しいものでもないでしょうに、何をじっと見てるの?」

 未だに座っていないことに呆れているマクリカからコーヒーを受け取り礼を言う。
 湯気が立ち昇る中、ゆっくりと口にすると苦味の中にどこか爽やかさが感じられ素直に旨いと思えた。やや甘みが欲しくなったのは飲み慣れないからだろうか。
 マクリカを見れば顔色ひとつ変えずに飲んでいるが、その姿に華やさが感じられる。

「改めてあんたが錬金術師なんだってのを実感してたんだ。けどなんで家でやってるんだ?工房でやれば良いだろうに」

「店売りはちゃんと工房でやってるわよ。これは試作品のための下準備ね」

 錬金術師は薬師の一面も持つが、試行錯誤を繰り返し新たな調合を生み出す研究者の面も併せ持っている。
 釜の中身が上級回復薬ハイポーションであることに間違いはないが、マクリカは新たな何かを生み出そうとしているようだ。

「熱心なのは良いけど、爆発だけはさせるなよ?」

「大丈夫、魔術で部屋をコーティングしてるから周囲に被害はでないわ」

「根本的に間違ってるだろ」

 飽くなき探究心はマクリカの錬金術をより高みに導いてくれるのは間違いないだろうが、爆発することを前提とした回答に呆れ返ってしまう。
 誰にも迷惑をかけないのだから止めようがないのもタチが悪かった。

「で、どんな構想してるんだ?」

上級回復薬ハイポーションの結晶化よ。実用化できれば供給不足を解消する一手になるわ」

 聞けば結晶を浸した水を上級回復薬ハイポーションに変質させることを目的としており、何度も使用できることを利点としているようだ。
 回数制限はあるものの、上級回復薬ハイポーション複数個分を一つの結晶で代用できるとなれば冒険者には欠かせないアイテムとなるだろう。

「今はまだ机上の空論だけどね」

「錬金術のことはよくわかんねえけど、あんたがそう言うならとんでもなく難しいんだろうな」

「否定はできないわ」

 マクリカは首を縦に振り、けれどその顔に悲観した様子はない。むしろ挑戦的な笑みを浮かべ、現状を求めていたようにすら思える。

「その割に楽しそうに見えるのは気のせいか?」

「楽しいに決まってるじゃない。試行錯誤している時間って心躍るものなのよ。それが前人未到の挑戦ともなれば尚更ね」

「俺には理解できねえ領域だよ」

「でしょうね。でも、苦難を前にしてやる気を出すのは良いことでしょ?」

 気分が高揚しているマクリカは疑問を投げかけると共に一冊のファイルを取り出すとアヤトへ投げ渡した。表紙には何も書かれていない。

「そりゃそうだ。で、これは?」

「院とのやりとりをまとめたものよ」

「錬金院と?」

 冒険院と同時期に発足した錬金術師の総本山である錬金院。かつて大陸の開拓において冒険院を支え今の時代を作り上げた古参の組織だ。
 錬金術師の大半が所属し現在もその影響力は計り知れないが、ここ最近はきな臭い噂が絶えない。
 そんな錬金院とのやりとりと聞き、嫌な予感がしたアヤトは一枚一枚をしっかりと読み進めていく。

「話には聞いてたけど上はクズばっかだな」

 ファイルの全てに目を通して出たのは侮辱の言葉であった。
 もし結晶化が実現すれば、そのレシピは秘薬扱いされるのは間違いない。大金が動くのだから厳重な管理がされるのは当然と言える。
 その権利を今の錬金院が求めないわけがなかった。

「研究の協力の見返りが秘薬の権利の譲渡か……欲にまみれた輩は怖いねえ」

「別に利益が欲しいわけじゃないけど、そんな考えの人たちと共同で研究しても足を引っ張られるだけだし、得るものはなさそうだったのよね」

 権力者による強制に近い抱え込みや、要人として狙われるなど荒事に巻き込まれる可能性が出てくることを理由とし、成果のみを奪い取ろうとする錬金院へのマクリカの返答は拒否であった。

「幸い実現が難しいからか、難癖つけられることもなかったし一人でのんびり研究してるってわけ」

「のんびりね……」

 明らかな嘘にしか聞こえない言葉に懐疑的な視線を向けるアヤト。
 化粧である程度ごまかしているが目の下に見える隈。
 調合に用いる様々な薬品を扱うが故に荒れた手。
 部屋の片隅に置かれた試作品という名の大量の失敗作。
 マクリカの努力と苦労がありありと感じられ、とても余裕があるようには見えない。
 表情から楽しんでいるのは間違いないのだろうが、それにしては急いでいるように感じられ、とても言葉通りのんびりしているようには見えない。
 急いでいる理由に思い当たることは一つあるが考えすぎかもしれない。そう思いつつも聞かずにはいられなかった。悪い方向に向かいそうな気がしたからだ。

「知り合いが死んだのか?」

「っ、どうしてそんな事聞くのかしら?」

「珍しいな、誤魔化しきれてないぞ」

 あまりにも直球な言葉に思わずコーヒーを飲む手を止めるマクリカ。その反応は取り繕うには無理がありすぎた。

「……知人の弟よ。幼馴染数人と一緒に冒険者になって活動してたらしいわ。会ったことはないけどよく話をしてくれてたからそれなりに親しみを持っててね、一方的にだけど。弟が死んでからあの子ったらすっかり塞ぎ込んじゃって」

「そうか」

 太々しく振る舞っているものの、繊細で他人を思いやれる優しさこそがマクリカの本質だ。短くない付き合いのアヤトもこれには気付いてはいたが、思っていた以上の情の厚さに驚きを隠しきれない。
 つまりはマクリカは彼らへの追悼とこれ以上の死者の増加を防ぎたいという想いから結晶化を急いでいることになる。

「死んだ奴らのことを悪く言うのは良くないのかもしれないが、原因はあいつらの実力不足と判断ミスだ。身の丈にあった依頼を受けてればよかったのに背伸びしたんだろうな」

「……調べたの?」

「いや、仕事柄こういう情報は耳に入りやすくてな。幼馴染数人で組んでたんだろ?聞いてすぐにわかったよ。あれは上級回復薬ハイポーションのあるなしの問題じゃなかった」

「でももっと出回っていれば少なくとも死者を減らすことはできたかもしれないでしょう?」

「結果的にはそうかもしれないし、変わらなかったかもしれない。需要と供給が釣り合っていないことは理解してるけど……マクリカ、あんた一人で抱え込む必要はないんだよ」

「それは……」

 口を噤み考えこむマクリカ。わかってはいたのだろう、反論もせず俯いてしまった。
 アヤトの持論ではあるが、戦いに必要な才能は何も身体的な強さだけではない。身体を支える精神はもちろん、戦況を変え得る判断力も必要だ。
 死ねば全てが終わってしまう。だからこそ、それら三つ全てを合わせた生き残る力こそが最重要なのだとアヤトは認識している。
 彼らは新進気鋭と言われ期待されこそすれど、どれかが欠けていたのだろう。

「研究は続けたら良いさ、むしろ応援するよ。でもそれであんたが倒れちゃ意味ないだろ」

 力なく項垂れるマクリカの肩へ優しく手を乗せるアヤト。表情こそ変化はないが、その声色からは心配していることが見て取れる。

「無理かもしれないけど一度頭を空っぽにしてみないか?少しだけで良いんだ」

「……優しいのね。でも大丈夫よ、ダーリンと話してたら心が軽くなった気がするの。一人で悩んでてもしょうがないのよね」

「ああ、一人ってのは想像以上に辛いもんだよ。愚痴ぐらいならいつでも聞いてやるから、さっき言ってた通りに頑張ってくれ」

「さっき?」

「言ってたろ?のんびりって」

「……そうね。元々実現が難しいことなんだし気長にやるしかないわよね」

 マクリカの顔に覇気が戻ってきたのを確認し、程よい熱さとなったコーヒーを一気に煽るアヤト。

——もう大丈夫そうだな。もしかして本能的に助けてほしくて俺をここに呼んだのか?……だとしたら随分信頼されたもんだ。

 長居するつもりはない、と初めに告げたようにアヤトは早々に帰ろうとカップをシンクで洗い、一言おやすみと声をかけるとドアノブへ手をかけた。
 扉を開けると新鮮な空気が肺を満たしてくれる。上級回復薬ハイポーションの匂いにこそ慣れてきていたが、やはり長く嗅いでいたいものではなかった。

「ダーリン!」

「ん?」

 突然の呼び止めに振り返ると目の前に瓶が飛んできた。一升瓶に入っている液体は酒で間違い無いのだろうが、銘柄はのっていない。

「なんだこりゃ?」

「私が作ったお酒よ、材料の一部に上級回復薬ハイポーションを使った特別性のね」

「結晶化の失敗作か」

「やっぱりばれちゃう?失敗作とはいえ、効果は折り紙付きよ。翌日に悪影響がでないよう、一定以上のアルコールを即座に分解するの。どれだけ飲んでも無害って寸法ね」

「二日酔いがないってのは飲兵衛には嬉しいな。でも上級回復薬ハイポーション使ってるなら高いんだろ?」

「たまたまそういう効果になったから作っただけで値段なんて考えてないわ。また同じ物作れるって保証もないしね」

 散らかった部屋の中、特に気にはしていなかったが薬品の隣に酒瓶がさも当たり前のように並んでいる。一つ分のスペースが空いているので、手元の酒はここから渡されたのだろう。

「あっという間に酔えるやつだったり、強化薬バフポーションだったりもあるわよ」

 他には、と次々と得意げに語るマクリカ。失敗作とはいえ成果を披露するのは楽しいのだろう、嬉々とした表情が見え隠れしている。
 しかし、酒の多さはそのまま結晶化に挑んだ回数だ。並んでいる瓶の多さへの驚きと、それと同じぐらいには何故わざわざ酒に仕上げるのかと疑問が湧いてきた。聞く気はないが。

「で、この一点物をくれるのか?」

「ええ、お礼とお詫びを兼ねてね。ダーリンの舌に合うかはわからないけど、晩酌にでも飲んでくれると嬉しいわ」

「じゃあ、ありがたく頂戴しますかね」

 おやすみ。そう言って部屋を後にするアヤトは隣の自室へ向かいながら、酒のつまみをどうするかを考え、結局フリューゲルに丸投げすることに決めたのだった。
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