幻のスロー

道端之小石

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一方的ライバル

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 純はコーチの言った通りに岡部と離れる。ゾロゾロと周りの一年が集まり話し合うがなかなか決まらず焦れたコーチの雷が落ちていい感じにバラけた。数分で雷を落とすのはどうかとも思うが、それは時間の貴重さを知っているからだろう。

 今回は9回までしっかりやるようだ。純は近くのキャッチャーらしき人を捕まえてサインを教える。その途中、純は横から話しかけられた。

「えっと……伊藤だっけ?」
「そうだけど、そっちは新野だっけ」

 そこには今回同じチームメンバーになったピッチャーがいた。純には中学校の県大会で1位になったチームの中継ぎか抑えをしていたという記憶がある。フォークを決め球に使っているようなので肘や肩を壊さないか心配だったことが心に残っていた。

「よろしく。ところで先発変わってくれない?」
「いやだね……というかそもそもそういう練習はしてないでしょ?」
「ま、冗談だよ。抑えは任せておいて」

 ニッコリ笑っているがそのうち怪我をしそうだ。あとでしっかり体のケアだけでも教えないと、それと無理してないか確認しないとな。

 そんなことをつらつらと考えている純だったがそんなことをしていると自分の練習時間がなくなってしまうことに気づく。『俺がやるのはめんどくさいし、そもそも俺である必要もないからコーチに丸投げだな』と純はこのような結論に至った。純はコーチではないので至極当然のことである。すると今度は背後からの声を純は聞いた。

「おい、伊藤はお前か?」
「はいそうですが、松野であってる?」

 声のした方に振り返ればそこには新野と同じ中学校で先発をしていたピッチャーがいた。豪快なストレートとキレのいいカーブ、それとチェンジアップを投げている選手だ。ここぞという場面で高速シュートを投げていた記憶もある。
 いい投手だとは思うが全力すぎて危ない気がすると思っていた記憶が純にはあった。

「賭けをしようぜ、この試合に俺が勝ったらハーゲルダッツを奢れ!」
「えっと……バニラでいい?」
「いや、ストロベリーだ!」

『え……なにこれ?』

 純が驚くのも無理はないがそもそも何味か聞く時点で対応を間違えていることには気づかない。

「あ、俺が勝ったらどうする?」
「え?そうだな……俺がお前の友達になってやる!」
「えっと……どうも?」

 友達いらない、と口に出すほどの人間ではないので純は返答に詰まった。

「友達になったらハーゲルダッツ一緒に食べようぜ!じゃ俺負けねぇからな!」

 そういうと彼は相手側のチームに戻っていった。結局のところハーゲルダッツ食べたいだけなのではないだろうか。彼の勝利条件がパーゲルダッツを食べることならば確かに負けはないのかもしれない。

 圧倒的ハイテンションの前に純はたじろいでいた。ちなみにこれを焚きつけたのは松野に今突撃されながらサインを決めあっている岡部である。

「おい!もう準備は大丈夫だな?一列にさっさと並べ!」
「「「「「応っ!」」」」」

コーチが吠えて慌てて両チームが整列する。

「「「「「お願いします!」」」」」

純は礼をしてさっさとベンチに戻る。

『先攻だから少し松野のピッチングを見ようかな』

純はストレッチをしながらのんびりと松野のピッチングを見ていた。

「フッ!」

 松野が投げた1球目は岡部のミットの少し左側に向かった。構えていた場所とはズレた場所へ飛んでくるボールにミットを移動させ捕球した。
 
 岡部はミットのど真ん中にしかボールが来ない環境に3年もいた。それでいてほぼ無意識に反応できたことは練習の賜物か、あるいは偶々取れたのか、それともセンスがいいのか。側から見れば危なげなく捕球しているように見えるが実のところはかなりギリギリであった。

「ストライク!」
「うぉっ……そうだった。あいつのコントロールがおかしいんだよな」

 1ミリも動かさなくても自分の指示通りの場所に指示通りの球がドンピシャで来る環境。それが当たり前の岡部は、自分の配球でバッターを翻弄することに快感を得ていた。まるでゲームをしているような感覚なのだ。

 だが純以外のピッチャーだとどうだろうか。岡部は何か物足りなさを感じていた。それは物足りなさというよりは違和感。
 
 自分の中で完璧に組み上げているはずのプランがピッチャーによって1球ごとに崩れていく気持ち悪さを将也は感じていた。

「ストライク!」

 スリーアウトでチェンジとなった一回表。松野は三者連続三振で少し気分が高揚していた。だがキャッチャーの岡部 将也が首を傾げているのを見つける。

「おーい、将也!どうかしたか?」
「なんでもないよ。気にすんなって」

だが将也の顔は浮かない感じだった。松野はそれがどうも気になった。

「いや、俺たち友達だろ?なんでも言ってくれよ」
「言っても怒るなよ?」
「なんだよ、怒らないから言ってくれよ」

その振りをすると少し松野は不機嫌になる。

「絶対怒るなよ?やっぱり純には及ばないなぁって思っただけ。ま、あくまで俺の中ではそうってだけだから気にすんなよ」

 岡部は言う時は言う男だ。明らかに関係が悪化しそうな物言いだが、将也は松野がそんな言葉では怒らない男だと見抜いた。一応予防線と言えないような予防線を張ってはいるが。

「はぁ?俺のどこがダメなんだよ?俺はあいつより球が速いし変化球の変化量も多いぞ。コントロールだって普通のやつよりはいいはずだ。どこがダメなのか教えてくれよ」

 松野は前のめりになりながら将也に問いかけた。その瞳には情熱という言葉がふさわしいような熱がこもっていた。まぁ、若干不機嫌であるのは仕方ないことであるが。

「まず、気持ち悪いコントロール力が足りないだろ?」
「え?」

 将也が人差し指を立てて話始めたので松野は戸惑った。

「それに同じモーションから同じ軌道でキモい別の変化をするだろ?」
「待て、それは伊藤の話か?」

 人差し指に加えて中指も立てて話が加速しそうになったところで松野がストップをかけた。松野としてはなんの話をしているか掴めていなかったのだ。

「そうだよ。多分コントロールという点だと多分純の右に出るやつはいないんじゃないかな?気持ち悪いくらい正確だと思うわ」

 友達に向かって気持ち悪い、連呼しすぎじゃないか?と松野は思いながらも反論する。

「んー……確かにそうかもしれないけどよコントロールより球速と球威の方が大事だろ。コントロールがいくら良くたって遅かったら打たれるし。まぁ、それに俺だって本気ならそれくらいのコントロールはできるし」
「本当かよ? 次も三振頼むわ」

「プレイボール!」

 その声から少しして、純が構えて投げた。ストライクゾーンのギリギリにストレートが決まる。

「……ストライク!」

 2球目、純が投げたシュートはバッターの手前でキレよく曲がりキャッチャーのミットに誤差なく収まる。今日もキレキレである。

「ストライク!」

 3球目、純が投げ始める前にキャッチャーが構えると、純が投げたカーブがミットのど真ん中に収まる。

「ストライク!」

そんな純を見て将也は少し誇らしそうな顔をしながら苦笑いしている。

「今のあいつ、多分めっちゃ手を抜いてるんだわ、もっと速い球投げれるのにさ。純にダメな点があるとするならいつも手を抜いてることだと思う。それに純を見てたら球速が普通でもコントロールとか変化球が抜群に良ければそれなりに球が打たれないってわかるだろ」

 そんなことを話していると純が丁寧に手を抜いて投げたストレートがインハイに突き刺さる。松野は将也が純のことを楽しそうに話しているのが面白くないのかむすっとした表情をしている。

「ストライク!」

「ふーん、純を大分信用してるんだな。俺はどうだ?」
「純を見習って力抜いた方がいいんじゃない?まぁ、俺ピッチャーじゃないからよくわからんけど。ところでさっきの続きの話だけどハーゲルダッツはグリーンティー派なんだけど松野は何派?」
「ストロベリーだ」

「ストライク!」

「ストロベリーいいね、俺も2番目に好きだわ。ちなみに純はバニラ派だぞ」

 そんな将也の言葉に対して松野は『そんな事聞いてない』というような表情を浮かべた。

「で、純のその弱点はどうやって知ったんだ?というかそれ弱点なのか?」
「あーそれな。練習の時はあいつたまに本気出すんだよ……カーブもシュートもヤバイし、ストレートひとつ取ってもあいつが本気で投げた球は別の球種みたいになるからすぐにわかるんだ」

 普通のカーブがストライクゾーンギリギリに収まる。キャッチャーはサインをした場所ピッタリにボールが来るので若干戸惑っているようだ。

「そんなにか?」
「そんなになんだよ、本人は『たまに投げないと錆びるから投げるけど試合で投げるようになると疲れるから嫌』なんだとさ」

 将也が苦笑いしながらそう話すと松野も困惑しているらしい。

「その球どこで投げるんだよ」
「球団の入団テストで投げるらしい、冗談だろうけどな。多分決め球とかに使うんだろ」
「……ふぅん。そんなに凄いなら勝ったらコツとか教えてもらおうかな」

 そんなふうにいう松野の言葉はやや真剣だった。

「期待していたもの以下かもよ?」
「もしそうだったらハーゲルダッツを奢って貰うわ」
「誰に?」

 ベンチからマウンドの上を見ながら松野は将也の肩を軽く叩いた。

「そりゃ将也に」
「いや、俺関係ないって」

 ここまで松野は散々純と比較されて若干機嫌が悪いのだ。これで収穫がないのであればハーゲルダッツがなければ割に合わないと松野は考えたのである。逆を返せばそれだけで機嫌はよくなるのである。

「あーハーゲルダッツ食いてぇ」
「ハーゲルダッツ大好きすぎだろ」
「そりゃ大好きだからな。冬でも食えるぜ」
「あーそれはわかる。冬だからこそって感じだよな」
「夏でも上手いけどな」

「ストライク!」

3人目のバッターが空振り三振。

「また空振りってまじかよ。よしっ!行くか将也。あ、そうだ俺のことはこれから光希って呼んでくれ、友達だからな!」
「オーケー光希、じゃあ行くぞ!」

 そして互いに無失点のまま迎えた6回裏。汗ひとつ程度しか疲れを見せず制球がマシン並みの精度を未だに保っている純に対して、光希は大分疲れていた。それを見かねた将也が交代を促す。

「光希、そろそろ抑えの奴に代わってもらった方がいい。自慢のコントロールに乱れが出てるぞー。あと何より球威が落ちてる。これ以上はみんなに迷惑がかかる」

 将也は真剣だった。それと同時に純がどれだけおかしいかを改めて認識した。あの調子だともう2回は投げれるだろうなと将也は思った。

「はっ……嫌味かよって言いたいところだけど今回は俺の負けでいいか!」

 この時が光希が本当にライバルとして純を見始めた時であった。

「うわっ、光希が壊れた!」
「壊れてねぇ!」
「ひぇっ!?光希が怒った!」

 将也が光希をからかっているがそれはチームのムードを良くするためだ。
という建前で本気で光希をからかって楽しんでいる部分もある。

「怒って……はぁ、将也お前なぁ」
「悪い、ふざけすぎたわ。ごめんよ。というわけで抑えの皆さん!光希君がもう使い物にならないので我こそは!という人は挙手をお願いします!」

そしてピッチャーが交代した。その回の裏、純も交代して新野に変わった。

 そして8回の表。一気に状況が動いた。

 右中間へのツーベースヒット。そしてライトの後ろに抜けるスリーベースヒット。その後のセンター前のシングルヒットで純のチームに二点追加。その後はショートゴロからのゲッツーとセンターフライでスリーアウト。

 8回の裏、4番がソロホームラン。光希のチームに一点追加。その後は三者凡退。新野のフォークが冴える。

 9回の表、純のチームは無得点。相手のショートの隅田すみだとセカンドの角田すみだ、そしてセンターの澄田すみだのスーパープレイによってアウトが量産された。

 9回の裏。フォークをあまり使わなくなった新野は2ストライク、3ボール、2アウト満塁で追い詰められていた。そこでバッターが新野の決め球であるフォークを打損ねてショートゴロ。スリーアウトでゲームセット、2-1で純のチームの勝利だった。

「集合!」
「「「「応!」」」」

監督が全員を呼び寄せる。

「俺が今から呼んだ奴らは雪月高校野球部の一軍と戦わせてやる、先輩をよく見て学ぶように。呼ばれなかったやつも二軍と戦わせてやるから安心しろよ」

 その言葉に対して何か言うような人物は誰もいなかった。勝ったチームは不満気な表情をしており、負けたチームは嬉しいような悔しいような何とも言えない表情をしていた。
 監督は全員が他人の話の途中で喋り始めるような人物がいないようであるこ とを確認すると満足そうに話を続ける。

「その試合は明日やるからそのつもりで心構えをしておくように。じゃあ今から名前を呼ばれたやつは一軍と戦わせるから残れ、返事は?」
「「「「はい!」」」」

「ではまずピッチャーは伊藤、松野、新野お前らだ」
「「「はい!」」」

 純はさも当然と言った顔をしているが少し嬉しそうで、光希は満面の笑みを浮かべていて、新野は澄ました顔をしているが片手でガッツポーズを決めていた。その後ろで将也がバーゲルダッツは何味が至高か議論していた。

「キャッチャーは岡部!お前だ!ハーゲルダッツの話は後にしろ!」
「はい!」
「話は変わるが俺も抹茶派だ。「グリーンティーです」……後でじっくり話を聞かせてもらえないか?皆の貴重な時間を使ってまでする大事な話なんだろ?」

 コーチが顔を将也に近づけながらねっとりと睨みを効かせる。おちゃらけていた将也の顔が少しずつ青くなっていく。まさにやらかした、というような顔をしていた。

「す、すいません。あと抹茶じゃなくてグリーン「私語は慎め」はい!なんでもありません!」
「なら最初から私語は慎むように。わかったな岡部!」

次はない、それを感じ取った将也はビシッと姿勢を正す。

「はいっ!気をつけます!」
「そこで笑ってるお前らもだ!スミダトリオ!」
「え?選ばれたんですか?ありがとうございます!」
「やったなスミダ!」
「やったじゃんスミダ」
「いやー、よかったよスミダもスミダもありがとう」

 イェーイ、と無駄にハモリながら声を上げ三人揃ってハイタッチをしている。ちなみに彼らの下の名前は『たける』、『たける』、『たける』であり全くもって呼び方に困るものだった。

「はぁ、確かに3人ともオッケーだ。セカンド、ショート、センターはお前らだ。だが私語を慎め!いいか!黙れ!その口を閉じろ!俺の話を聞け!」
「「「了解でありますっ!サー!」」」
「サーではなくコーチと呼べ……」
「「「了解でありますコーチ!」」」

 これだけ息が揃っていて高校で初の顔合わせなのだから驚きである。そして残る一年のメンバーが呼ばれていった。
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