私だった時間の終わりに〜あなたの愛はまだありますか?

月山 歩

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6.マティアスとシルビア姿のビアンカ

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「シルビア、また会えて嬉しいよ。」

「マティアス、この前はごめんなさい。」

 邸の庭園のベンチに座り、彼と私の姿のビアンカが、寄り添って話している。

 そのからわらに、ビアンカ姿の私が静かに立っていた。
 彼女の侍女としての役割を果たさなければならない。

 マティアスがためらいがちに彼女の手の指先を包み込むと、ビアンカは頬をわずかに染め、目を伏せて笑った。

「もう、触られても嫌じゃない?」 

「もちろんよ。
 この前だって嫌だったわけじゃないの、遠慮していただけよ。」

「そうか、それなら良かった。
 また僕にピアノを弾いてくれるかい?」

「ごめんなさい、手首が痛くて。」

「えっ、どうしたの?」

「実はあの事故の時、手首を痛めていたみたいなの。
 後から痛みが出てきたわ。」

「そうか、だから様子がおかしかったんだね。
 君がピアノを弾けないなんて、相当つらいよね。
 でも、僕のためになら無理しないで。
 僕は君がいればそれで良いんだから。」

「ありがとう。」

 ピアノを弾けない言い訳を二人で用意した。
 マティアスが痛がるシルビアに、無理強いするはずがないのは、誰より私が知っている。

「ねぇ、マティアス、私も甘味をつまもうかしら。」

 ピアノを弾く心配がなくなると、ビアンカは大胆にも自分の好みを曝け出す。

「えっ、シルビアが?」

「ええ、最近甘味の美味しさに目覚めたの。」

 白いクロスの上に並べられた皿に、彼女はためらいなく手を伸ばし、甘味を口元に運ぶ。

「そうか、だったら一緒に食べよう。」

 ビアンカは入れ替わった姿で生きていくと決めた後から、次第に邸にある甘味を食べ出した。

 邸の者たちが遠巻きに驚いた視線を交わすのが、私の背中越しにもわかったが、食の好みが変わることは良くあることだし、とやかく言える立場にないので、料理人を始め、邸全体がパオラの好みを尊重する。

 それに伴い元のシルビアの体はどんどん太り、ドレスはサイズが合わなくて、仕立て直ししている。
 サイズが違えば、似合うドレスも変わってくるので、元は私の顔と体だけど、どこか違ってきていた。

 けれどそれは仕方ないことだ。
 私達はお互いにもう戻れないのだから。
 それぞれの立場で生きていかなければない。

「シルビア、口についてるよ。」

 マティアスが身を寄せ、ビアンカの口の端についたクッキーのかけらを取ると、自分の口に入れた。

「まあ、マティアス、ありがとう。」

「君とクッキーを食べれるようになるなんて、想像もつかなかったよ。
 人前で男の方が甘いものを食べている姿は、見せられないしね。」

 そう言って、マティアスがビアンカに柔らかい笑みを向けた時、私でなくても幸せになれる彼を初めて見た気がした。

 本当はマティアスは、私と甘いものを分け合いたかったのだ。
 以前は甘酸っぱい果物が好きな私に合わせて、食べられなかっただけ。
 彼に我慢させていたんだわ。

 その真実に胸の奥で何かが崩れ、目の前の二人から視線を逸らした。
 とても彼らを見ていられない。
 この場から立ち去りたいけれど、侍女として壁際に控える私には、その自由さえ許されないんだわ。

「ねぇ、君ちょっと。」

 悲しみにくれ、二人から目を逸らしているうちに、ビアンカが席を外していた。
 明らかにマティアスが私を手招きしている。

「シルビア様は?」

「今、お手洗いに行ってるよ。
 この前は相談に乗ってくれてありがとう。
 またこうしてシルビアと元に戻れて、君にも感謝しているよ。」

「いえ、私は何も…。」

 目の前のマティアスが幸せそうなほど、私はその分悲しみが深くなっていた。

「シルビアを今度デートに誘おうかな。
 たまに二人で僕の領地へピクニックに行くんだ。
 彼女はモリカの花も好きでね。
 いっぱい咲いているところに連れて行くと、僕が休みたくなるほど長い間、ずっと花を見ているんだ。
 まあ僕はシルビアが喜ぶ姿を見ていられるから構わないんだけどね。」

「とても良いと思います。」

「そうだよね。
 じゃあ早速、オーティス侯爵に許しを頂いて、誘ってみよう。」

「はい。」

 マティアスが連れて行ってくれる花畑は、自然豊かな山の麓にある草原だ。
 その場所は彼の領地で、小さい頃からよく二人で遊んでいた場所だった。

 ただ、王都からは少し遠くて、朝早くから出かけて、夜遅くに戻るというもので、大人になってからは、マティアスが忙しくて足が遠のいていた場所だ。




 数日後、花畑に向かう馬車の中には、マティアスとシルビア姿のビアンカ、私という三人が乗っていて、その他の彼の家臣や護衛達は馬車を取り囲んで、馬に跨っていた。

 私の目の前では、恋人同士の彼と彼女が腕を組み、手を握り合っていた。

 入れ替わりは仕方がないとはいえ、大胆になっていくビアンカは、もはや積極的にマティアスに身を預け、甘えるように体を預ける。

「マティアス、まだ着かないの~?」

「ああ、少し遠いからね。」

「私、疲れちゃった。
 お腹も空いたし、甘いものが食べたいわ。」

「着いたら食べようと思っていたマフィンがあるよ。
 馬車を止めて、早めに食べるかい?
 少し走れば、馬車を止められる場所へ着くはずだ。」

「ええ?
 少しも待てない、このままいただくわ。」

 マティアスは戸惑った顔をするが、籠からマフィンを取り出すと、ビアンカに渡す。
 すると、呆気に取られる彼と私を気にすることなく、彼女は貪るように食べ始める。

「美味しい、マティアスもいかが?」

 甘い香りと、ほろりと崩れる生地。
 欠片がドレスの膝に散っても、彼女は一向に気にしない。

「いや、僕は着いたら食べるよ。」

 さすがの彼もちょっぴり引き気味だ。

「そう?
 じゃあ私、もう一ついただくわ。」

 ビアンカのドレスに散らばったマフィンのかけらを、マティアスは黙って拾い、捨てている。

 彼女はどうして馬車の中で、食べるの?
 無作法にもほどがあるわ。
 喉元まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。
 侍女のまなざしで、ただ二人を見つめていた。

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