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第9章
第04話 魔眼
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現在、俺の中で絶賛話題沸騰中の魔眼持ちの女騎士──リズリンドことリズ。
もしかすると邪眼かもしれないが、この際どっちでもよかった。
彼女の左目を覆う眼帯が外された。だが、特に変わったところは見られない。
しかし、仕掛けはまだあるという。
そう宣言したリズは、左腕の袖をゆっくりとめくった。
そこに現れたのは無数の痛々しい傷跡。話に聞いていた昔の魔獣被害の傷跡か? それにしては新しい。
そう思った次の瞬間──リズは持っていたマチェットの刃を、何のためらいもなく左腕にあて、スパッと引いた。
「──!!」
あまりに唐突な自傷行為に、思わず後ずさる俺。
刃が皮膚を割き、血が溢れ──るはずだった。だが、出ない。
いや……違う。
血は噴き出した瞬間に、まるで何かに吸い取られるように消滅していた。
ぞくり、と背筋が震える。
そのとき、リズの左目に異変が走った。
白目がじわじわと黒に染まり、黒目は血のように赤へと変色。赤い瞳が妖しい光を放ち始める。
「……精霊の依り代」
リスティアが小さく呟いた。
「瞳に精霊を宿している……。
おそらく、その対価は“血”……特殊な血統なのかもしれない」
赤く輝く瞳。消えゆく血。
まるで伝承にある禁忌の儀式のような光景に、思わず息を呑む。
──儚げ魔眼持ちに、自傷で力解放って。
いろいろと属性を盛りすぎじゃないか?
「……さて、皆々様。大道芸の時間だ」
リズは低く呟いた。
「そこの極悪面。さっき貴様が言っていた催眠……それもある。
だが、そんなものはこの魔眼の力のごく一部にすぎん。──こんなふうにな」
ちらりとギルバートに視線を送った瞬間、空間がねじれるように火球が生じ、轟音と共に爆ぜた。
「ぅをっ!!」
ギルバートはとっさに双剣をクロスに構えて防ぐが、爆風に弾き飛ばされる。
床を転がりながらも、即座に体勢を立て直すあたりはさすがだ。
リズは満足げに口元を吊り上げた。
「……まだまだ。簡単に死ぬなよ。王国騎士を愚弄する痴れ者が」
ギルバートに焦点をあてたまま言葉を吐くと、次々に彼の目の前で火球が炸裂する。
それらを防ぎながらも、後退するどころかギルバートは態勢を低くし、獣のスピードでリズに迫った。
魔法を目の前にして、まったく怯む様子がない。
しかし、その刃がリズに届く前に──左目が光り、ギルバートの動きはピタリと止まった。
突撃姿勢のままの静止。
指先がかすかに震え、喉奥から絞り出すような呻きが聞こえるが、声にはならない。
動けないギルバートの目前で、リズは優雅に、軽やかにステップを刻み始める。
ふわりと上げた細くしなやかな脚に炎が宿り──それは鉄仮面のバトルダンスを思わせた。
そして、炎をまとった蹴りが鞭のようにギルバートの脇腹に炸裂し、彼の体は俺の視界から消えた。
「……こちらの技はまだ練習中だからな。動かない的があって良かった」
リズはクスクスと笑う。
やはり──鉄仮面の技の模倣だ。
バトルダンスは舞を奉納し、精霊を喜ばせることでその力を借りるもの。
鉄仮面は“仮面”に宿した精霊。
リズは、その“瞳”に宿した精霊。
しかも魔眼との連携……。
鉄仮面よ、パワーアップしたばかりだというのに、いきなり上位互換登場とは──不憫なやつだ。
「ってーなぁ」
視線をやると、ギルバートはピンピンして起き上がっていた。
……こいつもこいつで化け物だ。
リズはそんな様子を見て、面白そうにクスクスと含み笑う。
「さすがヴィエール。もう動けるとは……そこの女とは大違いだな」
ちらりと視線を送った先には、いまだ沈黙したままのライナ。
催眠系か、スタン技か……どちらにせよ厄介だ。
そう思った矢先、リズの目が光ると同時に、スッと半歩右へ動いた。
直後、彼女がいた場所に背後から氷の槍が突き刺さる。
……今のはリスティアの魔法? しかし、明らかに氷が出現する前に動いていた。
「不意打ちか。けっこうけっこう」
余裕のクスクス笑いを崩さないリズ。
リスティアを横目で見ると、探るような目でリズを見据えていた。
そして、ボソリと呟く。
「……後ろからでもダメか」
なるほど。
魔眼の有効範囲が視界に限定されるなら、背後からの攻撃なら通るはず。
だが今のリズは、魔法の発動前に避けていた。
リズは答え合わせをするように、面白そうに声を上げる。
「いい線の推測だな。ただ、私は少し先を視た……それだけだ」
未来視──ってやつか。
俺は頭の中で情報を整理した。
リズの能力は、基本的に「視たもの」に影響を及ぼすタイプだろう。
こういう場合の対処法はいくつか、前世で学習済みだ。
暗闇にする。霧を立ち込めさせる。
あるいは、そんなまだるっこしいことをしなくてもいい。
リスティアの大魔法なら、ちょっと先の未来が読めようが関係ない。あたり一面を焦土に変えてしまえばいいのだから。
まあ、そんなアホな手は使えないが。
すると同じことを考えたのか、リスティアが冷静な声を発した。
「ねえ、ゼファス。二千六百万Gの稟議なんだけど……」
おい。
エルフ国で放ったバカでかい雷の対価が百二十万Gだったはずだ。
……こいつに任せておくと、本気でやりかねない。
「リスティア、大魔法は……なしだ」
少なくとも、相手の視覚情報を奪えば発火や催眠は防げるはず。
ちらりとゼファスを見ると、通じたようだ。
彼は左手に視線を落とす。
その先には指輪──小さな水晶球が埋め込まれた魔導ギア。淡い光が脈動していた。
その光がスッと消える。
途端に、周囲が闇に包まれた。
こいつは……ゲームで見せた暗黒波動か?
効果は全バフ解除にステータス三割低下、さらに毎ターンHP二十パーセントの持続ダメージ──鬼畜仕様だ。
「あまり使いたくはないのだがな……」
ゼファス眼鏡をクイッと上げながらが呟くと、闇の濃度がだんだん薄くなる。
いや、違う。収束しているのだ。
倉庫の照明が再び空間を照らす中、リズの周囲だけが直径二メートルほどの真っ黒な球体で覆われていた。
さらにその球体は、魔力で形作られた鎖に十重二十重と絡め取られ、がんじがらめ。
簡単には抜け出せそうにない。
視界を完全に奪ったままの拘束。
これなら未来視しても、何が起きているか分からないままだろう。
──ナイスだ。
リスティアが、ふうと息をつく。
「このまま十五分くらい放っておけば、持続ダメージで死んじゃうんじゃないかな」
ゼファスが苦い顔をして返す。
「そんな効果は付けていない。……もう若くはないのだからな」
若さとか、そんなの関係あるのか?
なんにせよ、抑え込めたのは良かった。
あとは、どう対処するかなんだが……。
すると、闇の球体の中から“お約束”のセリフが響いた。
「貴様ら……こんなものでこの私を封じたつもりか?」
やったか!? と思ったときは、やっていない。
その法則が、今まさに発動しようとしていた。
ベキベキと音を立て、球体に亀裂が走る。
鎖も妙な方向にねじ曲がり、バチンと断ち切れた。
「……闇属性」リスティアが低く呟く。
確か、暗闇に加えて念動力に物質干渉。
闇同士が打ち消しあい、魔力で具現化された鎖の拘束が弾け飛ぶ。
球体は跡形もなく消失した。
***
拘束を破ったリズは、肩で荒い息をついていた。
左腕には新たな傷が数本。
威勢のいいことを言っていたが、ゼファスの暗黒波動から抜け出すには相当な血を消費したようだ。
「もう……お遊びは終わりだ」
リズは左の手のひらを顔にあてる。
人さし指と中指の間からのぞく赤い光──どこかで見たことのある魔眼ポーズ。
そしてこのセリフ回し。
テンプレを一ミリも裏切ってこない。
そんなのん気なことを考えていた俺を、リズが射抜くように見つめた。
左目の光が一瞬、強まる。
……あれ?
気づけば、俺の右腕がおかしな方向に曲がっていた。しかも何箇所も。
「ッ──!!」
凄まじい激痛に、脂汗が噴き出す。
叫び声を上げる間もなく、リスティアが杖を振るった。
ベキベキと歪んだ腕が強引に元の形に矯正され、癒しの魔法が鎮痛とともに骨と筋肉を再生していく。
……順番……はっ……鎮痛が先……だろ…………!
痺れる意識を振り絞り、なんとかツッコミを入れる。
次の刹那、両手両足、そして首元にバチンッと強烈な衝撃が走った。
「チィッ!!」
リズが盛大な舌打ちを漏らす。
気づけば、俺の体は光に包まれていた。
リスティアの張った障壁が、ぎりぎりのところで間に合ったのだ。
これがなければ──全身をまとめて引きちぎられていた。
ゾッとする汗が背中を伝う。
「うるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
獣じみた雄叫びと共に、リズはマチェットを自らの左腕へ振り下ろす。
新たな傷が走り、吹き出した鮮血は宙に掻き消えていく。
赤い瞳がさらに輝きを増した瞬間、倉庫内の鉄パイプや資材が唸りをあげて宙を舞い、暴風のごとく襲いかかってくる。
あまりの狂乱ぶりに足がすくむ。
いや、それ以前に──この嵐のような念動力では、とても近づくことすらできない。
「ゼファス、もっかいいける?」
リスティアの声が響く。彼女は障壁の維持に集中していた。
ライナを含めた俺たち五人、さらに騎士団一級兵装までも守りきっている。
ゼファスが腕を掲げ、再び暗黒波動を放とうとしたその時。
リズの膝がガクンと折れ、左目をガバッと手でかばった。
宙に浮いた資材が盛大な音を立てて床に落ちる。
「うっ……! 目がっ……!!」
どこまでもお約束を外さない。
敵ながら、あっぱれと言うほかない。
だが、リズはふらつく足で立ち上がると、再びマチェットに視線を落とした。
俺はたまらず叫んだ。
「おいっ! もうやめろ! 失血死するぞ!!」
彼女は血色を失った顔でこちらを睨む。目は落ち窪み、いまにも倒れそうだ。
「死だと……? 構わん。もとより任務達成か死か。それしかない。
心配するな。私の息の根が止まったときは、道連れにする準備はできているからな……」
ゼファスが反応した。
「死と引き換えの魔法発動──それはまずいぞ。
その規模は街を巻き込みかねん」
リズは儚げに微笑む。
「そういうことだ。私を殺したければ、どうぞ?
そこのヴィエールでも精霊契約術師でも……どちらでもお好きに」
そう言って、ふぅと小さなため息ひとつ。
妙な穏やかさだった。
……ゼファスの暗黒波動で拘束して、また無理に抜け出そうとすれば、今度こそ失血死。
かと言って、このままでは……。
これは、興味本位に魔眼の能力を解放させてしまった俺の責任だ。なんとかしなくては。
そして、変かもしれないが──俺は、皆の身の安全と同じくらい、リズをこのまま死なせたくないと思った。彼女の表情には、逃れられない修羅の運命を受け入れたような諦めが滲んでいたのだ。
こんな顔をされては放っておけないだろう。
見ると、リスティアも複雑そうに口元を歪めていた。こと戦闘となると非情な面も見せるが、同じ精霊に通じる者として、思うところがあるのかもしれない。
……どうすればいいのか。
そのとき、ゼファスが耳打ちする。
「同志よ。魔眼の精霊への対価は、自傷で流れた血に限るのだろうな。ならば…………使い方は……」
ゼファスの言葉が終わるやいなや、俺は駆け出した。
「リスティアは障壁に集中!! ギルバート、攻撃してくれ!」
念動力が俺とギルバートを襲う。
だがリスティアの障壁に阻まれ、届かない。
ギルバートは目を閉じたまま双剣を閃かせた。
催眠が効かないと見たリズはマチェットで応戦しつつ発火能力に切り替える──が、ギルバートは気配と空気の流れで動きを読み、すべて受け流していく。
とんでもない戦闘センスだ。
幸いなのは、リズの能力は同時多重展開できないことだった。
そうでなければ未来視で俺の行動も読まれていたに違いない。
俺は倉庫内の騎士団一級兵装のところにたどり着き、ざっと視線を走らせる。
……あった。
目当てのものを掴むと、今度はリズに向かって駆けだした。
そして、あらん限りの声で叫ぶ。
「チェンジ! ドレスアップ!!」
瞬間、俺の体は光に包まれる。
キラキラの粒子が舞い、やがてヒラヒラのフリルを形作った。
杖の能力──魔法少女、いや、魔法盗賊団首領への変身だ。
現れた衣装はピンク。
癒しの波動が倉庫全体を包み込み、リズの傷口がみるみる塞がっていく。
そう──血の供給を止めればいいのだ。
「な……」
リズが驚愕し、さらに新たな傷を作ろうとマチェットを振り上げる。
だが、そうはさせない。
俺は杖をもう一度振るい、白と緑混色の衣装へとチェンジした。
リスティアが一級兵装との戦いで見せた、植物の拘束魔法が頭にあった。
倉庫の床を突き破り、リズの背後に木が生える。
そこから伸びた蔓がうねり、彼女の両手足に絡みつく。
するすると木の幹へ縛りつけていく……のだが。
おい、なんか縛り方がいやらしいぞ。
俺は決してやましい気持ちで魔法を使ってなんかいない。そうに決まっている。
……ともあれ、鎮圧には成功したようだ。
俺はフリル付き衣装を身にまといながら、安堵の息を吐いた。
もしかすると邪眼かもしれないが、この際どっちでもよかった。
彼女の左目を覆う眼帯が外された。だが、特に変わったところは見られない。
しかし、仕掛けはまだあるという。
そう宣言したリズは、左腕の袖をゆっくりとめくった。
そこに現れたのは無数の痛々しい傷跡。話に聞いていた昔の魔獣被害の傷跡か? それにしては新しい。
そう思った次の瞬間──リズは持っていたマチェットの刃を、何のためらいもなく左腕にあて、スパッと引いた。
「──!!」
あまりに唐突な自傷行為に、思わず後ずさる俺。
刃が皮膚を割き、血が溢れ──るはずだった。だが、出ない。
いや……違う。
血は噴き出した瞬間に、まるで何かに吸い取られるように消滅していた。
ぞくり、と背筋が震える。
そのとき、リズの左目に異変が走った。
白目がじわじわと黒に染まり、黒目は血のように赤へと変色。赤い瞳が妖しい光を放ち始める。
「……精霊の依り代」
リスティアが小さく呟いた。
「瞳に精霊を宿している……。
おそらく、その対価は“血”……特殊な血統なのかもしれない」
赤く輝く瞳。消えゆく血。
まるで伝承にある禁忌の儀式のような光景に、思わず息を呑む。
──儚げ魔眼持ちに、自傷で力解放って。
いろいろと属性を盛りすぎじゃないか?
「……さて、皆々様。大道芸の時間だ」
リズは低く呟いた。
「そこの極悪面。さっき貴様が言っていた催眠……それもある。
だが、そんなものはこの魔眼の力のごく一部にすぎん。──こんなふうにな」
ちらりとギルバートに視線を送った瞬間、空間がねじれるように火球が生じ、轟音と共に爆ぜた。
「ぅをっ!!」
ギルバートはとっさに双剣をクロスに構えて防ぐが、爆風に弾き飛ばされる。
床を転がりながらも、即座に体勢を立て直すあたりはさすがだ。
リズは満足げに口元を吊り上げた。
「……まだまだ。簡単に死ぬなよ。王国騎士を愚弄する痴れ者が」
ギルバートに焦点をあてたまま言葉を吐くと、次々に彼の目の前で火球が炸裂する。
それらを防ぎながらも、後退するどころかギルバートは態勢を低くし、獣のスピードでリズに迫った。
魔法を目の前にして、まったく怯む様子がない。
しかし、その刃がリズに届く前に──左目が光り、ギルバートの動きはピタリと止まった。
突撃姿勢のままの静止。
指先がかすかに震え、喉奥から絞り出すような呻きが聞こえるが、声にはならない。
動けないギルバートの目前で、リズは優雅に、軽やかにステップを刻み始める。
ふわりと上げた細くしなやかな脚に炎が宿り──それは鉄仮面のバトルダンスを思わせた。
そして、炎をまとった蹴りが鞭のようにギルバートの脇腹に炸裂し、彼の体は俺の視界から消えた。
「……こちらの技はまだ練習中だからな。動かない的があって良かった」
リズはクスクスと笑う。
やはり──鉄仮面の技の模倣だ。
バトルダンスは舞を奉納し、精霊を喜ばせることでその力を借りるもの。
鉄仮面は“仮面”に宿した精霊。
リズは、その“瞳”に宿した精霊。
しかも魔眼との連携……。
鉄仮面よ、パワーアップしたばかりだというのに、いきなり上位互換登場とは──不憫なやつだ。
「ってーなぁ」
視線をやると、ギルバートはピンピンして起き上がっていた。
……こいつもこいつで化け物だ。
リズはそんな様子を見て、面白そうにクスクスと含み笑う。
「さすがヴィエール。もう動けるとは……そこの女とは大違いだな」
ちらりと視線を送った先には、いまだ沈黙したままのライナ。
催眠系か、スタン技か……どちらにせよ厄介だ。
そう思った矢先、リズの目が光ると同時に、スッと半歩右へ動いた。
直後、彼女がいた場所に背後から氷の槍が突き刺さる。
……今のはリスティアの魔法? しかし、明らかに氷が出現する前に動いていた。
「不意打ちか。けっこうけっこう」
余裕のクスクス笑いを崩さないリズ。
リスティアを横目で見ると、探るような目でリズを見据えていた。
そして、ボソリと呟く。
「……後ろからでもダメか」
なるほど。
魔眼の有効範囲が視界に限定されるなら、背後からの攻撃なら通るはず。
だが今のリズは、魔法の発動前に避けていた。
リズは答え合わせをするように、面白そうに声を上げる。
「いい線の推測だな。ただ、私は少し先を視た……それだけだ」
未来視──ってやつか。
俺は頭の中で情報を整理した。
リズの能力は、基本的に「視たもの」に影響を及ぼすタイプだろう。
こういう場合の対処法はいくつか、前世で学習済みだ。
暗闇にする。霧を立ち込めさせる。
あるいは、そんなまだるっこしいことをしなくてもいい。
リスティアの大魔法なら、ちょっと先の未来が読めようが関係ない。あたり一面を焦土に変えてしまえばいいのだから。
まあ、そんなアホな手は使えないが。
すると同じことを考えたのか、リスティアが冷静な声を発した。
「ねえ、ゼファス。二千六百万Gの稟議なんだけど……」
おい。
エルフ国で放ったバカでかい雷の対価が百二十万Gだったはずだ。
……こいつに任せておくと、本気でやりかねない。
「リスティア、大魔法は……なしだ」
少なくとも、相手の視覚情報を奪えば発火や催眠は防げるはず。
ちらりとゼファスを見ると、通じたようだ。
彼は左手に視線を落とす。
その先には指輪──小さな水晶球が埋め込まれた魔導ギア。淡い光が脈動していた。
その光がスッと消える。
途端に、周囲が闇に包まれた。
こいつは……ゲームで見せた暗黒波動か?
効果は全バフ解除にステータス三割低下、さらに毎ターンHP二十パーセントの持続ダメージ──鬼畜仕様だ。
「あまり使いたくはないのだがな……」
ゼファス眼鏡をクイッと上げながらが呟くと、闇の濃度がだんだん薄くなる。
いや、違う。収束しているのだ。
倉庫の照明が再び空間を照らす中、リズの周囲だけが直径二メートルほどの真っ黒な球体で覆われていた。
さらにその球体は、魔力で形作られた鎖に十重二十重と絡め取られ、がんじがらめ。
簡単には抜け出せそうにない。
視界を完全に奪ったままの拘束。
これなら未来視しても、何が起きているか分からないままだろう。
──ナイスだ。
リスティアが、ふうと息をつく。
「このまま十五分くらい放っておけば、持続ダメージで死んじゃうんじゃないかな」
ゼファスが苦い顔をして返す。
「そんな効果は付けていない。……もう若くはないのだからな」
若さとか、そんなの関係あるのか?
なんにせよ、抑え込めたのは良かった。
あとは、どう対処するかなんだが……。
すると、闇の球体の中から“お約束”のセリフが響いた。
「貴様ら……こんなものでこの私を封じたつもりか?」
やったか!? と思ったときは、やっていない。
その法則が、今まさに発動しようとしていた。
ベキベキと音を立て、球体に亀裂が走る。
鎖も妙な方向にねじ曲がり、バチンと断ち切れた。
「……闇属性」リスティアが低く呟く。
確か、暗闇に加えて念動力に物質干渉。
闇同士が打ち消しあい、魔力で具現化された鎖の拘束が弾け飛ぶ。
球体は跡形もなく消失した。
***
拘束を破ったリズは、肩で荒い息をついていた。
左腕には新たな傷が数本。
威勢のいいことを言っていたが、ゼファスの暗黒波動から抜け出すには相当な血を消費したようだ。
「もう……お遊びは終わりだ」
リズは左の手のひらを顔にあてる。
人さし指と中指の間からのぞく赤い光──どこかで見たことのある魔眼ポーズ。
そしてこのセリフ回し。
テンプレを一ミリも裏切ってこない。
そんなのん気なことを考えていた俺を、リズが射抜くように見つめた。
左目の光が一瞬、強まる。
……あれ?
気づけば、俺の右腕がおかしな方向に曲がっていた。しかも何箇所も。
「ッ──!!」
凄まじい激痛に、脂汗が噴き出す。
叫び声を上げる間もなく、リスティアが杖を振るった。
ベキベキと歪んだ腕が強引に元の形に矯正され、癒しの魔法が鎮痛とともに骨と筋肉を再生していく。
……順番……はっ……鎮痛が先……だろ…………!
痺れる意識を振り絞り、なんとかツッコミを入れる。
次の刹那、両手両足、そして首元にバチンッと強烈な衝撃が走った。
「チィッ!!」
リズが盛大な舌打ちを漏らす。
気づけば、俺の体は光に包まれていた。
リスティアの張った障壁が、ぎりぎりのところで間に合ったのだ。
これがなければ──全身をまとめて引きちぎられていた。
ゾッとする汗が背中を伝う。
「うるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
獣じみた雄叫びと共に、リズはマチェットを自らの左腕へ振り下ろす。
新たな傷が走り、吹き出した鮮血は宙に掻き消えていく。
赤い瞳がさらに輝きを増した瞬間、倉庫内の鉄パイプや資材が唸りをあげて宙を舞い、暴風のごとく襲いかかってくる。
あまりの狂乱ぶりに足がすくむ。
いや、それ以前に──この嵐のような念動力では、とても近づくことすらできない。
「ゼファス、もっかいいける?」
リスティアの声が響く。彼女は障壁の維持に集中していた。
ライナを含めた俺たち五人、さらに騎士団一級兵装までも守りきっている。
ゼファスが腕を掲げ、再び暗黒波動を放とうとしたその時。
リズの膝がガクンと折れ、左目をガバッと手でかばった。
宙に浮いた資材が盛大な音を立てて床に落ちる。
「うっ……! 目がっ……!!」
どこまでもお約束を外さない。
敵ながら、あっぱれと言うほかない。
だが、リズはふらつく足で立ち上がると、再びマチェットに視線を落とした。
俺はたまらず叫んだ。
「おいっ! もうやめろ! 失血死するぞ!!」
彼女は血色を失った顔でこちらを睨む。目は落ち窪み、いまにも倒れそうだ。
「死だと……? 構わん。もとより任務達成か死か。それしかない。
心配するな。私の息の根が止まったときは、道連れにする準備はできているからな……」
ゼファスが反応した。
「死と引き換えの魔法発動──それはまずいぞ。
その規模は街を巻き込みかねん」
リズは儚げに微笑む。
「そういうことだ。私を殺したければ、どうぞ?
そこのヴィエールでも精霊契約術師でも……どちらでもお好きに」
そう言って、ふぅと小さなため息ひとつ。
妙な穏やかさだった。
……ゼファスの暗黒波動で拘束して、また無理に抜け出そうとすれば、今度こそ失血死。
かと言って、このままでは……。
これは、興味本位に魔眼の能力を解放させてしまった俺の責任だ。なんとかしなくては。
そして、変かもしれないが──俺は、皆の身の安全と同じくらい、リズをこのまま死なせたくないと思った。彼女の表情には、逃れられない修羅の運命を受け入れたような諦めが滲んでいたのだ。
こんな顔をされては放っておけないだろう。
見ると、リスティアも複雑そうに口元を歪めていた。こと戦闘となると非情な面も見せるが、同じ精霊に通じる者として、思うところがあるのかもしれない。
……どうすればいいのか。
そのとき、ゼファスが耳打ちする。
「同志よ。魔眼の精霊への対価は、自傷で流れた血に限るのだろうな。ならば…………使い方は……」
ゼファスの言葉が終わるやいなや、俺は駆け出した。
「リスティアは障壁に集中!! ギルバート、攻撃してくれ!」
念動力が俺とギルバートを襲う。
だがリスティアの障壁に阻まれ、届かない。
ギルバートは目を閉じたまま双剣を閃かせた。
催眠が効かないと見たリズはマチェットで応戦しつつ発火能力に切り替える──が、ギルバートは気配と空気の流れで動きを読み、すべて受け流していく。
とんでもない戦闘センスだ。
幸いなのは、リズの能力は同時多重展開できないことだった。
そうでなければ未来視で俺の行動も読まれていたに違いない。
俺は倉庫内の騎士団一級兵装のところにたどり着き、ざっと視線を走らせる。
……あった。
目当てのものを掴むと、今度はリズに向かって駆けだした。
そして、あらん限りの声で叫ぶ。
「チェンジ! ドレスアップ!!」
瞬間、俺の体は光に包まれる。
キラキラの粒子が舞い、やがてヒラヒラのフリルを形作った。
杖の能力──魔法少女、いや、魔法盗賊団首領への変身だ。
現れた衣装はピンク。
癒しの波動が倉庫全体を包み込み、リズの傷口がみるみる塞がっていく。
そう──血の供給を止めればいいのだ。
「な……」
リズが驚愕し、さらに新たな傷を作ろうとマチェットを振り上げる。
だが、そうはさせない。
俺は杖をもう一度振るい、白と緑混色の衣装へとチェンジした。
リスティアが一級兵装との戦いで見せた、植物の拘束魔法が頭にあった。
倉庫の床を突き破り、リズの背後に木が生える。
そこから伸びた蔓がうねり、彼女の両手足に絡みつく。
するすると木の幹へ縛りつけていく……のだが。
おい、なんか縛り方がいやらしいぞ。
俺は決してやましい気持ちで魔法を使ってなんかいない。そうに決まっている。
……ともあれ、鎮圧には成功したようだ。
俺はフリル付き衣装を身にまといながら、安堵の息を吐いた。
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45歳、胃薬が手放せない大手総合商社営業部係長・佐藤悠真。
ある日、横断歩道で子供を助け、トラックに轢かれて死んでしまう。
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「この世界を何とかしてほしい」と頼まれるが、悠真は「ただのサラリーマンに何ができる」と拒否。
しかし神は、「ならこの世界は三度目の滅びで終わりだな」と冷徹に突き放す。
結局、悠真は渋々承諾。
与えられたのは“現実知識”と“ワールドサーチ”――地球の知識すら検索できる探索魔法。
さらに肉体は20歳に若返り、滅びかけの異世界に送り込まれた。
衛生観念もなく、食糧も乏しく、二度の滅びで人々は絶望の淵にある。
だが、係長として培った経験と知識を武器に、悠真は人々をまとめ、再び世界を立て直そうと奮闘する。
――これは、“三度目の滅び”を阻止するために挑む、ひとりの中年係長の異世界再建記である。
異世界転生~チート魔法でスローライフ
玲央
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【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。
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穴場スポットへやってきた!
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木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
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評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
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【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~
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過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。
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