リオの偽筆と真っ赤な真実

谷 亜里砂

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第11話:稲の育て方

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 自分の部屋に戻り、紙の束を机の上に置いた。ふう、とため息をついて、にやりと笑みがこぼれた。そして、また筆を手に取る。



 カトラ本人のことは書けない。ならば、初頭村にいた、カトラによく似た誰かのことを書けばいい。



 目を閉じて、記憶を辿った。初頭村には確かに、そんな人がいた。いつの間にか『鶴屋根』の家に住んでいた、お腹の大きな女の人だ。植物に詳しい人で、初頭村の子どもたちに山菜の見分け方を教えてくれた。



 リオは書きながら、カトラの顔を思い浮かべていた。カトラの口調、カトラの仕草、カトラの優しさを、全部、あの女性に注ぎ込んでいく。



 あの人は夫と一緒にやってきた流れ者で、村中が『罪人に違いない』と噂した。証拠なんかどこにもなかったのに、リオだって周りにつられて、白い眼で見た。



 家の中に穴を掘るなんて、三件隣の爺さんだって同じことをして暮らしているのに、鶴屋根の夫婦は自分たちとは違うと思い込んで、犯人扱いした。



 村の誰かが病気になったとき、薬草を一番にとってきてくれるのは、いつもあの人だった。それなのに、事情も何も聞かないで、悪い人だと決めつけた。



 だから、あの夫婦は周りに何も言わないで、初頭村を出て行った。



 リオは筆を置いた。紙の束は、また厚くなっていた。



 昼過ぎ、リオはその紙をカトラに差し出した。



「これなら、いい?」



 カトラは警戒した目でリオを見たが、紙を受け取った。読み始める。一枚、また一枚とめくっていく。やがて、カトラの手が止まった。



「初頭村に、こんな人がいたんだ」



「うん」



 カトラは紙を膝の上に広げたまま、じっと見つめている。



「この人は、あたしの母ちゃんと似てるな」



 彼女の声は、いつもより低かった。



「母ちゃんはね、いつも言ってたんだ。『知識は誰かのために使うものだ』って。『自分のためだけに溜め込んでいたら、腐ってしまう』って。だから教えるんだって」



 割れた爪で、カトラは紙をそっと撫でた。



「でもあたし、それを忘れてた」



 目が潤んでいる。



「稲を育てることばっかり考えて、何のために巫女になったのか、忘れてた」



 カトラは立ち上がった。窓を開けて、外の空気を吸い込む。



「あたしは、人に尽くすために巫女になったんだ。それなのに、いつの間にか、位を上げることが目的になってた」



 直接書くことはできなくても、初頭村を通して伝えることはできる。リオは這うように机に向かい、筆を取り、墨を含ませる。止まることなく走り続けよう。できることは、全てやろう。



 乾いた枯れ葉に火種を落とすようなものだった。退屈という油をたっぷりと含んだ宮廷の女たちの間に、物語は瞬く間に燃え広がった。



 リオが配った紙は、最初の一人から次の一人へ、そしてまた次へと手渡されていった。廊下で、洗い場で、食事の場で、女たちは小声で囁き合っている。



「話してみなくちゃ、わからないわよね……」



 夕食を一階で受け取っていると、カトラが降りてきた。



「リオ、ちょっといい?」



「どうしたの」



「さっき、三十位の巫女さんに話しかけられたんだ」



「何て?」



「いや、なんでもない話なんだけどさ。笑ってくれたんだ」



 カトラの声は弾んでいる。



「前は、あの人、あたしのこと避けてたのに」



 リオは二階で、夕食の膳を置いた。



「良かったね」



 膳を前にして、カトラは姿勢を正した。



「あたし、明日からもっと真面目に祈るよ。人の役に立つために、ちゃんと祈る」



 夜明け前の祈りの場で、リオは変化に気づいた。カトラの周りに、何人かの巫女が集まっている。



「カトラさん、おはようございます」



「今日もよろしくお願いします」



 カトラは戸惑ったように、でも嬉しそうに頭を下げている。



 祈りが始まった。リオははるか後方で座って、祈る巫女たちの背中を見守っていた。胸の奥が、じんわりと温かくなる。



 昼過ぎ、リオは廊下を歩いていた。角を曲がろうとしたとき、聞き覚えのある声が聞こえてきた。



 すだれの向こうで、二人の女が話している。あの日、洗い場で悪口を言っていた声だ。



「初頭村の女性の話、読んだ?」



「本当は優しい人が、誤解されるのはたまらなくもどかしいわね」



 リオは足を止めた。すだれの隙間から、二人が小声で笑い合っている。リオはそっとその場を離れた。



 夕方、リオが部屋で続きを書いていると、またカトラがやってきた。



「リオ、聞いてよ」



 カトラは興奮した様子で、リオの隣に座った。



「今日ね、四十五位の巫女さんが、あたしに祈り方のコツを教えてくれたんだ。それでね、『一緒に頑張りましょう』って言ってくれて」



 カトラの目が潤んでいる。



「前は、誰も話しかけてくれなかったのに。成金って、言われなくなった。ねえ、あたし、もっと頑張る。みんなの期待に応えたい」



 部屋を出て行く足取りは、軽やかだ。



 リオは窓の外を見た。夕日が沈みかけている。空はオレンジ色に染まり、雲は紫色の縁取りを帯びている。



 宮の中で、何かが変わり始めている。初頭村の物語が、少しずつ人々の心を動かしている。筆が紙の上を滑っていく。墨の香りが部屋に満ちる。外では鳥が鳴いている。



 巫女たちは毎日三度、祈りの場で手を合わせる。その中で、カトラの背中は真っ直ぐに伸びている。



 煙が立ち上っていた。祈りの場に焚かれた香の煙だ。それは天井に向かって昇っていくが、途中で渦を巻き、カトラの頭上へと吸い寄せられていった。



 リオは目を見開いた。煙が、まるで意思を持った生き物のように、カトラの周りを回っている。



 他の側付きたちも気づいたようだ。何人かが小さく息を呑む音が聞こえた。



 カトラは、祈り続けている。



 やがて、不思議なことが起きた。カトラの稲穂が、これまでになく大粒の米をつけるようになったのだ。稲はもはや立ってはおれず、だらりとなりながら、それでいて活き活きと日に光っていた。



 祈りの場でカトラは目を丸くして、自分の鉢植えをぐるりと一周した。



「これ、間違いなくあたしの稲だ……でも、どうして?」



 すると、大きな笠を被りベールで顔を隠した、見慣れない年寄りの巫女が一人、側付きを三人も連れ、向こうからしずしずと歩いてきた。彼女が前を通るとき、巫女も側付きたちは揃ってみんな頭を下げ、微動だにしない。その巫女はカトラの稲までやってきて、手をやり、熱心に見始めた。



 ああ、兎の神様に仕える巫女の最上位、一の位様だ、とリオは直感した。彼女は宮の最奥から出てきた。わざわざ、カトラの稲を見るためだけに。



 なにか新しいことが起こる気がした。それも、とても良いことが。



 彼女はカトラに言った。



「来なさい」
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