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第12話:一の位様からの呼び出し
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兎の巫女たちを統べる『一の位様』が、カトラに声をかける。彼女の屋敷は森のすぐそばにあった。建物は試験会場より広く、一階には温泉が引かれていた。敷かれた畳の緑は鮮やかで、壁はどこもかしこも漆が塗られ、虹色の花の模様が散りばめられている。
リオたちに茶が出される。礼儀として口をつけたが、緊張で味がしなかった。一の位は笠をとった顔を見せると、意外にも人のよさそうな笑顔を浮かべ、母のような優しさで言った。
「あれだけ人に好かれるまで、さぞ大変だったでしょう」
嬉しそうな声の響きだ。それでいて、優美でしとやかだ。
「みんな誤解しているのです。稲穂を育てるのは人の心ですのに。それも、一人分の心ではありませんね」
カトラが、はっと気が付いたように返す。
「神様に愛されるというのは……」
「そう、みな、神に祈るとき、心をさらにしているつもりでしょうけどね。そこには喜びや憎しみが透けるのよ。神によって好みがわかれるのは、存じているわね。でも、どの神も好きなものがあるの。人の役に立ちたい、幸せになってほしいと思う心よ」
リオは、深夜を回ると灯りを消しにやってくる彼女の手を思って涙がにじんだ。あの稲の大粒は、兎の神様がカトラの心の正しさを認め、示したものだとはっきりわかった。
「あれだけ稲穂が育てば十分、あなたには見込みがあるわね」
一の位様は、茶色い瞳でカトラをまっすぐ見つめて、体の芯にじんと染みる声で、静かに予言した。
「カトラ、あなたは近い将来、兎の巫女として最上位になるでしょう」
リオの喉の奥から「ひっ」という声が漏れ出た。リオは、世界は正しく回っている、と叫んで、じたばたしたいくらいに嬉しかった。息を呑んだカトラは、膝の上に拳を作ったまま、ようやく口を開いた。
「でも、く、国を背負うほどの力は、私には……」
「よいのです。しばらくはわたくしの元で修行なさい。あなたを後継にすると、わたくしからみなに伝えます。時期が来たら、カトラ、あなたが兎の神に最前列で祈る巫女となるのです。まずは三の位に就きなさい」
心臓が脈打っていた。指先が震えた。カトラは兎の巫女として三位、やがて最上位の巫女になる。リオは右目から熱い涙がこぼれるのを、さっと拭って胸を張った。自分はカトラの側付きだ。こんなに誇らしいことはない。
上位三名に数えられる巫女となると、それまでとは祈りの場も、住む屋敷も変わった。
抱えられるほどの兎の像は、後ろ足で立ち上がって耳をピンと立てている。石でできているはずなのに、目は潤んで煌めいているように感じられ、触ると柔らかい毛が触れそうな気がする。それほどまでに精巧な石像の周りには、三つのたいまつが燃えている。上位三名の巫女はその間におさまり、祈りを捧げていた。
リオはカトラの背中を見つめながら、上手く行きますようにと心の中でひたすら願った。
三の位に就くことが決まった夜、自分の屋敷の敷居をまたぐなり、カトラがリオに言ったことがある。
「初頭村の場所、そろそろ聞けそうだよね!」
これから上位三名の巫女が暮らす聖域に引っ越さねばならないというのに、そのためにまとめなければならない荷物があるというのに、カトラは星を散りばめた瞳で、リオのことを口にした。リオは正直に言った。
「カトラが好き!」
「えっ、何?」
「カトラの人生が、これから優しくてあったかいことで埋め尽くされますように!」
兎の神様は見る目がある。さすが神様だ。それでこそ、神様だ。カトラが認められ、初頭村は幼児たちから畑のミミズに至るまで、もれなく全員が幸せに暮らせるようになるだろう。全ては解決したも同然だ。
リオの脳裏に、ウトの小さな背中が浮かんだ。冬、歩き去って行ってしまった、どうしても止めることができなかった、あの姿だった。もう、あの後悔の味に泣くことはない。
兎の神に聞きたいことがある、とカトラが切り出したとき、二の位様は笑った。
「位が上がった途端にがっついてみっともないこと」
一の位様はそれをたしなめると、「何を聞きたいのか」と問う。カトラは毅然として言った。
「私の側付きの故郷がどこにあるかを聞きたいのです」
「龍の神が憑いた子ですね。場所くらいなら問題なく聞けるでしょう」
祈りの場で、初頭村の場所を特定する作業が始まった。カトラの前には国全体の地図が用意された。筆と硯を脇に置き、カトラは祈った。
ところが、カトラの手は合わさったまま、いつまでも、筆を持つことはなかった。彼女は顔を上げて、兎の像をじっと見て、頭を下げ、祈りの場から離れてリオの元へ歩いてきた。口をぎゅっと結んで、今にも泣きそうな顔だ。二の位様はそんなカトラをちらりと見て、ため息をついた。
「ごめん」
「兎の神様、何て言ってたの?」
「まばゆい光の中、だって」
「光の中?」
「ごめんな。きっとあたしじゃまだ、力不足なんだよ。何がいけないのかな……」
二の位様がうんざりした顔で追い打ちをかける。
「やっぱりまだ三の位なんて早いんだわ」
カトラと入れかわりに祈っていた一の位様もやってきて、首を横に振る。
「日を改めましょう。兎の神はご気分が優れないのかもしれません。しかしなぜ、初頭村の場所が特定できないのか……こんなことは今までありませんでした」
カトラは珍しくしゅんとして、物思いに沈んだようだった。
「ねえ、リオ。あたし、本当に一の位なんてできるのかな。ここまでやってこれたのも、リオがいたからだし。今の位もあたしにはもったいないくらいだよ」
「兎の神様に気に入られるんだって、カトラが言ったんじゃない」
「そりゃあそうだけど、実際そうなってみるとびびっちゃったっていうか……」
それはわかる、とリオも返す。なにしろこのあたりには張りつめるような緊張が常に走っていて、一つの所作を間違えるだけで『大失態』として雷が落ちてきそうな雰囲気に満ちている。側付きでさえこうなのだから、巫女はもっと大変だろう。
リオたちに茶が出される。礼儀として口をつけたが、緊張で味がしなかった。一の位は笠をとった顔を見せると、意外にも人のよさそうな笑顔を浮かべ、母のような優しさで言った。
「あれだけ人に好かれるまで、さぞ大変だったでしょう」
嬉しそうな声の響きだ。それでいて、優美でしとやかだ。
「みんな誤解しているのです。稲穂を育てるのは人の心ですのに。それも、一人分の心ではありませんね」
カトラが、はっと気が付いたように返す。
「神様に愛されるというのは……」
「そう、みな、神に祈るとき、心をさらにしているつもりでしょうけどね。そこには喜びや憎しみが透けるのよ。神によって好みがわかれるのは、存じているわね。でも、どの神も好きなものがあるの。人の役に立ちたい、幸せになってほしいと思う心よ」
リオは、深夜を回ると灯りを消しにやってくる彼女の手を思って涙がにじんだ。あの稲の大粒は、兎の神様がカトラの心の正しさを認め、示したものだとはっきりわかった。
「あれだけ稲穂が育てば十分、あなたには見込みがあるわね」
一の位様は、茶色い瞳でカトラをまっすぐ見つめて、体の芯にじんと染みる声で、静かに予言した。
「カトラ、あなたは近い将来、兎の巫女として最上位になるでしょう」
リオの喉の奥から「ひっ」という声が漏れ出た。リオは、世界は正しく回っている、と叫んで、じたばたしたいくらいに嬉しかった。息を呑んだカトラは、膝の上に拳を作ったまま、ようやく口を開いた。
「でも、く、国を背負うほどの力は、私には……」
「よいのです。しばらくはわたくしの元で修行なさい。あなたを後継にすると、わたくしからみなに伝えます。時期が来たら、カトラ、あなたが兎の神に最前列で祈る巫女となるのです。まずは三の位に就きなさい」
心臓が脈打っていた。指先が震えた。カトラは兎の巫女として三位、やがて最上位の巫女になる。リオは右目から熱い涙がこぼれるのを、さっと拭って胸を張った。自分はカトラの側付きだ。こんなに誇らしいことはない。
上位三名に数えられる巫女となると、それまでとは祈りの場も、住む屋敷も変わった。
抱えられるほどの兎の像は、後ろ足で立ち上がって耳をピンと立てている。石でできているはずなのに、目は潤んで煌めいているように感じられ、触ると柔らかい毛が触れそうな気がする。それほどまでに精巧な石像の周りには、三つのたいまつが燃えている。上位三名の巫女はその間におさまり、祈りを捧げていた。
リオはカトラの背中を見つめながら、上手く行きますようにと心の中でひたすら願った。
三の位に就くことが決まった夜、自分の屋敷の敷居をまたぐなり、カトラがリオに言ったことがある。
「初頭村の場所、そろそろ聞けそうだよね!」
これから上位三名の巫女が暮らす聖域に引っ越さねばならないというのに、そのためにまとめなければならない荷物があるというのに、カトラは星を散りばめた瞳で、リオのことを口にした。リオは正直に言った。
「カトラが好き!」
「えっ、何?」
「カトラの人生が、これから優しくてあったかいことで埋め尽くされますように!」
兎の神様は見る目がある。さすが神様だ。それでこそ、神様だ。カトラが認められ、初頭村は幼児たちから畑のミミズに至るまで、もれなく全員が幸せに暮らせるようになるだろう。全ては解決したも同然だ。
リオの脳裏に、ウトの小さな背中が浮かんだ。冬、歩き去って行ってしまった、どうしても止めることができなかった、あの姿だった。もう、あの後悔の味に泣くことはない。
兎の神に聞きたいことがある、とカトラが切り出したとき、二の位様は笑った。
「位が上がった途端にがっついてみっともないこと」
一の位様はそれをたしなめると、「何を聞きたいのか」と問う。カトラは毅然として言った。
「私の側付きの故郷がどこにあるかを聞きたいのです」
「龍の神が憑いた子ですね。場所くらいなら問題なく聞けるでしょう」
祈りの場で、初頭村の場所を特定する作業が始まった。カトラの前には国全体の地図が用意された。筆と硯を脇に置き、カトラは祈った。
ところが、カトラの手は合わさったまま、いつまでも、筆を持つことはなかった。彼女は顔を上げて、兎の像をじっと見て、頭を下げ、祈りの場から離れてリオの元へ歩いてきた。口をぎゅっと結んで、今にも泣きそうな顔だ。二の位様はそんなカトラをちらりと見て、ため息をついた。
「ごめん」
「兎の神様、何て言ってたの?」
「まばゆい光の中、だって」
「光の中?」
「ごめんな。きっとあたしじゃまだ、力不足なんだよ。何がいけないのかな……」
二の位様がうんざりした顔で追い打ちをかける。
「やっぱりまだ三の位なんて早いんだわ」
カトラと入れかわりに祈っていた一の位様もやってきて、首を横に振る。
「日を改めましょう。兎の神はご気分が優れないのかもしれません。しかしなぜ、初頭村の場所が特定できないのか……こんなことは今までありませんでした」
カトラは珍しくしゅんとして、物思いに沈んだようだった。
「ねえ、リオ。あたし、本当に一の位なんてできるのかな。ここまでやってこれたのも、リオがいたからだし。今の位もあたしにはもったいないくらいだよ」
「兎の神様に気に入られるんだって、カトラが言ったんじゃない」
「そりゃあそうだけど、実際そうなってみるとびびっちゃったっていうか……」
それはわかる、とリオも返す。なにしろこのあたりには張りつめるような緊張が常に走っていて、一つの所作を間違えるだけで『大失態』として雷が落ちてきそうな雰囲気に満ちている。側付きでさえこうなのだから、巫女はもっと大変だろう。
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