211 / 215
最終章
211 デビュタント
しおりを挟むデビュタントの二日前。
ロウエン子爵家へ三度目の訪問となったこの日、無事ダンス練習を終えたラファエルと共に邸へ戻ると、薄ピンク色の包装紙に金色のリボンを掛けた大きな箱が届いていた。
「…これって…まさか私の…」
「乗馬服ですね」
「やっぱり!」
小さく頷くラファエルの横で、レティシアが瑠璃色の瞳を丸くしている。箱の中身は白いシャツとキュロットの上下に、黒のジャケット。贈り主はアシュリーだ。
人生で初めて乗馬を習い始めるレティシアへのサプライズプレゼント。尤も、届くことを知っていたラファエルに驚きはない。
感情豊かな彼女ならば飛び跳ねるとまでは言わないが、きっと大喜びするだろう…との予想に反して、レティシアは折り目のついた新品のシャツを身体にあてがい静かに鏡を見つめている。公爵令嬢として完璧なその佇まいを、ラファエルは訝しげな顔で眺めた。
「どうされました?…サイズはピッタリですよ」
「…えぇ。ねぇ、ラファエル」
「はい」
「アシュリー様は、会う度にお菓子やお花をたくさんくださるの。…私、色々といただき過ぎていないかしら?」
か細い声で不安気に呟き、チラリとこちらを見上げて来る。言われてみれば、近ごろ入手困難な有名店の焼菓子が家族にまで回ってくることも少なくない。
我が義姉ながら呆れるほど無欲な人だと、今度はラファエルが水色の瞳を丸くする番だった。一方で、いつもとは違う儚げな雰囲気にうっかり庇護欲が芽生えてしまわぬよう気を引き締める。
「…そういうお言葉は、高価な貴金属を欲しがるとか…一度盛大に駄々を捏ねてから仰っても遅くないのですが…」
「え…何?」
「いえ、独り言なのでお気になさらず」
「へ?」
「婚約者…恋人へ贈り物をするのは我々男性にとって大きな喜びです。それが愛する人の望む品であれば尚良い。義姉上はラスティア国君主の寵愛を受ける唯一の女性なのです。どうかそのお立場をお忘れなきよう…過度な謙虚さは徒となりますよ」
「…う…」
「デビュタントのドレスは義父上が準備をなさいましたから、大公殿下もこの機会に何か贈りたいとお考えになったのではありませんか?」
「…でも、デビュタント用の宝石類は全てアシュリー様が…」
「未婚の王族には婚約者のための予算が予め組まれているとご存じでしょう。大公殿下は予算を超えて散財される御方ではございません。義姉上を想って選んでくださったプレゼントは、素直に受け取るべきです」
アシュリーを敬愛するラファエルの厳しくも優しい意見に、レティシアはぐうの音も出ない。
「そうよね、あなたの言う通りだわ。長い婚約期間中ずっと遠慮し続けるわけにもいかないし…あら?待って…乗馬といえば、数日前にお義父様からやっとお許しを貰ったばかりよ。乗馬服の仕上がりが随分と早いような…」
「…はは……流石、大公殿下です…」
以前、運動不足の解消にレティシアが乗馬を考えている…とアシュリーへ情報を漏らした張本人は、途端に返事の歯切れが悪くなる。ラファエルの引きつった笑顔には気付かず、レティシアは一人で首を傾げた。
(カラス…ううん、ネズミ?魔力を持つ耳のいいネズミが邸内に潜んでいるに違いないわ!)
公爵家当主ダグラスが乗馬の許可を先伸ばしにしたのには理由がある。練習の開始時期を遅くすればするほど、レティシアが大公邸へ引越した後に公爵邸まで通う回数も増えるからだ。要は、愛娘に会いたいが故の単純な作戦。
そして、レティシアへ乗馬服を贈るために“GOサイン”を今か今かと待ち受けるアシュリーへ吉報を伝えたのは、ゴードンに使役されたネズミ…ではなくラファエルだった。
そんな公爵家の男たちの様子を見守る公爵夫人クロエは、大公妃見習いとなるレティシアを補佐する正式な依頼を先にちゃっかり受けていたとか…。
──────────
──────────
社交界デビューを祝う華やかなデビュタント・ボール。純白のドレスを身に纏った若い令嬢たちは盛大な拍手を浴びながら一人一人名を呼ばれて登場し、アルティア王国国王より祝辞を賜る。
二曲目を無事に踊り終えた頃には、皆一様に誇らしげな表情を見せていた。成人貴族として大きな課題を乗り越えたエマ・ロウエン子爵令嬢も例外ではない。ラファエルと腕を組み、ゆったりした歩みでダンスフロアの端へ移動する彼女の背筋は、入場時と比べて随分伸びている。
「レティシア、綺麗だよ…首飾りもよく似合っているし可愛い…あぁ、私はさっきも同じことを言ったかな?」
「ありがとうございます、アシュリー様。ふふっ…このやり取り、もう何回目ですか?」
大公邸での同居を阻む壁が消滅し、待ちに待った瞬間を迎えたアシュリーは、うれしさのあまり語彙力崩壊気味。
彼がレティシアの肩を抱き、手を取って口付ける度に周りからため息や囁き声が聞こえ、同時に強い視線を感じる。真正面から観察する不敬な者こそ存在しないが、王宮では婚約後初披露となる公認カップルを隠れ見る目つきというものは思っていた以上に鋭い。これぞ社交界だと理解しつつ、鋼の心臓で仲睦まじい姿を堂々と見せつけるアシュリーを見習い、今後は精神を養って行こうと決心した。
親族や知り合い同士が集まって簡単な挨拶を交わす和やかな歓談タイムを過ごし、婚約者特権の制限時間ギリギリになったアシュリーが義父の手によってレティシアから引き剥がされ…泣く泣く王族の席へ戻った後、ひょっこりカインが現れる。
「美しいお嬢さん、次は是非私と踊っていただけませんでしょうか?」
「はわっ…?!」
「イグニス卿!気付かなかったわ、いらしてたのね」
そろそろ次の曲が始まろうかというタイミングで、カインは後方からスムーズに右手を差し出す。
三曲目以降は参加者なら誰でもフロアで踊ることができて、パートナーの組み合わせは自由。彼が望んだ相手は、レティシアの隣に立っているエマだった。
「…ウツクシイ…オジョウサン…?」
「えぇ、ご令嬢のお名前を伺っても?」
「…………」
舞踏会である以上、エマとて誘われる場面を想像していなかったわけではないだろう。しかし、実際は美男子の魅惑の笑みと軽いウィンクにより一瞬で石像と化す。
細マッチョで甘いマスク、好青年タイプのラファエルとは違い、カインは大人な雰囲気と野性的な男らしさが魅力。社交に手慣れた所作や言葉選びはラファエルと大きく異なる。私語禁止の図書館通いで異性とは最低限の関わりのみで生活をして来たエマの交流対象者としては、少々ハードルが高過ぎた感が否めない。
離れた場所では、妹の成長を応援するかのように…姉のベラが両手を強く握り絞めていた。
「そのご様子、イグニス卿は途中参加でいらっしゃるのね。こちらはエマ嬢。彼女のお父様は、大公付き秘書官のドレイクス・ロウエン子爵ですわ」
「あぁ!そうでしたか。大変失礼をいたしました」
「エマ嬢、イグニス卿は王国騎士団の所属で、アシュリー様の護衛を任されている隊長さんなの。私もよく存じ上げているお方よ、どうか安心なさって」
「…隊長さん…それはご立派なお役目ですわね…」
レティシアの簡単な紹介を聞いただけで、エマはカインに真っ直ぐな尊敬の眼差しを向ける。
声を掛けた時の初心で純粋な反応は、世間知らずの大人しい箱入り娘という印象。カインの知る背の高い女性は、実姉を筆頭に自己主張強めのしっかり者ばかり。それとは正反対なエマは意外で逆に面白い。とはいえ、レティシアに身元を保証された立場のカインが下手な行動を取れば今度こそ“即クビ”に違いなかった。失敗は許されない。
「エマ嬢?初めまして。大公殿下をお護りする護衛隊長さんこと…カインと申します。間もなく26歳。現在、誕生日を祝ってくれる優しい女性を募集中です」
切れ長の目と口元をキリリと引き締めたカインが、冗談半分の自己紹介をして赤い瞳を細めると…エマの強張っていた頬がフッと緩んだ。
(…あら?…)
会話の強弱と言えばいいのか、カインの話す速さや間の取り方、声の高低と響き、それに合わせた一瞬の目線やちょっとした仕草が人を惹きつける。下半身の緩さに些か問題はあるものの、女性の心を掴むのが本当に上手いのだと…レティシアは思わず感心してしまった。
────────── next 212 デビュタント2
ここまで読んで下さいまして、誠にありがとうございます。
27
あなたにおすすめの小説
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
【完結】ここって天国?いいえBLの世界に転生しました
三園 七詩
恋愛
麻衣子はBL大好きの腐りかけのオタク、ある日道路を渡っていた綺麗な猫が車に引かれそうになっているのを助けるために命を落とした。
助けたその猫はなんと神様で麻衣子を望む異世界へと転生してくれると言う…チートでも溺愛でも悪役令嬢でも望むままに…しかし麻衣子にはどれもピンと来ない…どうせならBLの世界でじっくりと生でそれを拝みたい…
神様はそんな麻衣子の願いを叶えてBLの世界へと転生させてくれた!
しかもその世界は生前、麻衣子が買ったばかりのゲームの世界にそっくりだった!
攻略対象の兄と弟を持ち、王子の婚約者のマリーとして生まれ変わった。
ゲームの世界なら王子と兄、弟やヒロイン(男)がイチャイチャするはずなのになんかおかしい…
知らず知らずのうちに攻略対象達を虜にしていくマリーだがこの世界はBLと疑わないマリーはそんな思いは露知らず…
注)BLとありますが、BL展開はほぼありません。
自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~
浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。
本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。
※2024.8.5 番外編を2話追加しました!
【完結】あなたが私を『番』にでっち上げた理由
冬馬亮
恋愛
ランバルディア王国では、王族から約100年ごとに『裁定者』なる者が誕生する。
国王の補佐を務め、時には王族さえも裁く至高の権威を持ち、裏の最高権力者とも称される裁定者。その今代は、先国王の末弟ユスターシュ。
そんな雲の上の存在であるユスターシュから、何故か彼の番だと名指しされたヘレナだったが。
え? どうして?
獣人でもないのに番とか聞いたことないんですけど。
ヒーローが、想像力豊かなヒロインを自分の番にでっち上げて溺愛するお話です。
※ 同時に掲載した小説がシリアスだった反動で、こちらは非常にはっちゃけたお話になってます。
時々シリアスが入る予定ですが、基本コメディです。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく
犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。
「絶対駄目ーー」
と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。
何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。
募集 婿入り希望者
対象外は、嫡男、後継者、王族
目指せハッピーエンド(?)!!
全23話で完結です。
この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。
嘘つくつもりはなかったんです!お願いだから忘れて欲しいのにもう遅い。王子様は異世界転生娘を溺愛しているみたいだけどちょっと勘弁して欲しい。
季邑 えり
恋愛
異世界転生した記憶をもつリアリム伯爵令嬢は、自他ともに認めるイザベラ公爵令嬢の腰ぎんちゃく。
今日もイザベラ嬢をよいしょするつもりが、うっかりして「王子様は理想的な結婚相手だ」と言ってしまった。それを偶然に聞いた王子は、早速リアリムを婚約者候補に入れてしまう。
王子様狙いのイザベラ嬢に睨まれたらたまらない。何とかして婚約者になることから逃れたいリアリムと、そんなリアリムにロックオンして何とかして婚約者にしたい王子。
婚約者候補から逃れるために、偽りの恋人役を知り合いの騎士にお願いすることにしたのだけど…なんとこの騎士も一筋縄ではいかなかった!
おとぼけ転生娘と、麗しい王子様の恋愛ラブコメディー…のはず。
イラストはベアしゅう様に描いていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる