前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注:期間限定)

miy

文字の大きさ
33 / 215
第3章

33 交渉

しおりを挟む


ラスティア国を治める大公からの書状を持って、ゴードンと名乗る正装した使者が商店へやってきたのは夕方近くのこと。

テーブルに置かれているのは、上質なニ枚の紙。


「我がラスティア国ルデイア大公より、レティシアさんを秘書官として雇用したいという書状がこちらになります。もう一つは、レティシアさんの退職意志の確認書類ですので…そちらで検めていただけますか?」

「…え?…大公…殿下が?」


商店のオーナーであるジョンソンには、寝耳に水の事態が起こっていた。
慌てて金庫からレティシアの雇用書類を取り出すと、サインを見比べ本人確認をする。


「間もなく、退職されるご予定だそうですね?」

「…それは…そうなのですが…」

「ご無理を申し上げてしまいますが、大公殿下は本日付での退職という形をお望みでいらっしゃいます。退職はすでに決定済みというお話ならば、その辺り…如何でしょう?」


椅子に座ることを勧めても、ゴードンは静かな笑みを湛えて立ったまま…ジョンソンは無言の圧力を感じていた。


「その…レティシアは親戚から預かっている娘でして、私の一存ではお返事ができないかと…」

「あぁ、トラス侯爵家ですかな?」

「…そ…そうです…」


ジョンソンの脂ぎった額から、タラリと汗が流れ落ちる。
ゴードンは、涼しい顔をしてテーブルに新たな書類をサッと広げた。


「こちらの書類は、レティシアさんを我が国へ迎え入れること、またその後についても異議申し立てを一切しないという誓約書です。要するに、今後は関わりを持たないようお約束いただく書類ですね。ご覧ください、トラス侯爵様のサインが入っております」

「えぇ…確かに」


ジョンソンは、トラス侯爵に異論がないのならと…レティシアの退職を受け入れ、誓約書にサインをする。


「ありがとうございます。では、退職を認める商店側の書類は、今すぐにご用意ください。ここでお待ちしております」

「へっ?!」

「あぁ…私のことならお構いなく。それから、レティシアさんのお部屋の私物は全て運び出しますが…問題はございませんか?」

「…た…退職書類ですね!…えっと…確かこの辺に…あぁ!荷物は、どうぞご自由になさってください」


ジョンソンは金庫から文面を作成済の退職書類を探し出すと、レティシアの名前や日付を記入して仕上げていく。


「その金庫の中にレティシアさんの関係書類があるようでしたら、それも全てこちらへお引き渡しください」

「は、はいっ!もう全部持って行ってください!」



ジョンソンは権力に弱く、自分より身分が下の者に対してのみ偉ぶった態度を取る器の小さな男。父親は商才のある優秀な人物であったというのに、息子のジョンソンには何一つ遺伝しなかった。



    ♢



レティシア不在の倉庫では、検品後の処理を待つ輸入品が倉庫の外にまで溢れ出ていた。


「クソッ!レティシアはどこへ行ったんだ!!」

「口はいいから、手を動かせよ!」


倉庫内に響き渡る怒鳴り声。
残念ながら、レティシアはもう二度と戻っては来ない。

以前は毎日残業していたと…倉庫番の全員が思い出すのに、そう時間はかからなかった。




──────────




「…あなた…」

「…リディアか…」


昼下がりのトラス侯爵家。
その応接室では、数分前までトラス侯爵とラスティア国の使者ゴードンが対面していた。



    ♢



理由わけあってトラス侯爵家との別れを選択したレティシアは、世間的には縁切りをした他人。
平民となった今、どこへ行こうと自由であり、侯爵家はそれを引き止める権利など持たない。

そこへ、念を押すように…ラスティア国の大公から誓約書が届く。


「大公殿下は、本当にレティシアを秘書官に雇うおつもりですか?」

「左様でございます。我が国で秘書官として活躍されるだろうと、大層期待されております」


聞けば、商店の倉庫で輸入商品の管理を完璧にこなしていたレティシアの能力を、高く評価したのだという。

秘書官とは単なる名目で、美しいレティシアを愛妾にするのではないかと疑っていたトラス侯爵は、眉をひそめた。
商店で、レティシアは『簡単な手伝いをしているだけ』というジョンソンの報告を、鵜呑みにしていたからだ。


「働き出して、まだ三ヶ月も経っていないのですよ…?」

「その様子では、ご存知ないようですね。レティシアさんは語学堪能で、現在分かるだけでも10カ国以上の言語を理解されています。素晴らしい…稀な能力の持ち主です」

「…そんな…」


トラス侯爵は返す言葉がなかった。
大公の書状を持った使者がここまではっきりと断言するのなら、先ず嘘はない。

有能なレティシアを商店から引き抜くために、血族のトップであるトラス侯爵家の名を示して有利にことを進め、さらに…誓約書によってレティシアを取り戻せなくするつもりだと気付いた。



     ♢



「レティシアは…他国へ渡ることが決まった」

「…え?」

「互いに干渉しないと約束はしたが、私はあまりにも無関心過ぎたな。無意識に目を背けてしまっていたのかもしれん…もう、今となってはどうしようもない」

「…………」

「元より…相手は大公殿下だ。結果は変わらなかっただろう」


疲れた様子で項垂れるトラス侯爵の横で、侯爵夫人は不安を口にできずにいた。



─ ジュリオンが知ったら、大変だわ ─









しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

【完結】あなたが私を『番』にでっち上げた理由

冬馬亮
恋愛
ランバルディア王国では、王族から約100年ごとに『裁定者』なる者が誕生する。 国王の補佐を務め、時には王族さえも裁く至高の権威を持ち、裏の最高権力者とも称される裁定者。その今代は、先国王の末弟ユスターシュ。 そんな雲の上の存在であるユスターシュから、何故か彼の番だと名指しされたヘレナだったが。 え? どうして? 獣人でもないのに番とか聞いたことないんですけど。 ヒーローが、想像力豊かなヒロインを自分の番にでっち上げて溺愛するお話です。 ※ 同時に掲載した小説がシリアスだった反動で、こちらは非常にはっちゃけたお話になってます。 時々シリアスが入る予定ですが、基本コメディです。

【完結】ここって天国?いいえBLの世界に転生しました

三園 七詩
恋愛
麻衣子はBL大好きの腐りかけのオタク、ある日道路を渡っていた綺麗な猫が車に引かれそうになっているのを助けるために命を落とした。 助けたその猫はなんと神様で麻衣子を望む異世界へと転生してくれると言う…チートでも溺愛でも悪役令嬢でも望むままに…しかし麻衣子にはどれもピンと来ない…どうせならBLの世界でじっくりと生でそれを拝みたい… 神様はそんな麻衣子の願いを叶えてBLの世界へと転生させてくれた! しかもその世界は生前、麻衣子が買ったばかりのゲームの世界にそっくりだった! 攻略対象の兄と弟を持ち、王子の婚約者のマリーとして生まれ変わった。 ゲームの世界なら王子と兄、弟やヒロイン(男)がイチャイチャするはずなのになんかおかしい… 知らず知らずのうちに攻略対象達を虜にしていくマリーだがこの世界はBLと疑わないマリーはそんな思いは露知らず… 注)BLとありますが、BL展開はほぼありません。

自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~

浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。 本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。 ※2024.8.5 番外編を2話追加しました!

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく

犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。 「絶対駄目ーー」 と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。 何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。 募集 婿入り希望者 対象外は、嫡男、後継者、王族 目指せハッピーエンド(?)!! 全23話で完結です。 この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

処理中です...