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ルブラン王国
33 交渉
しおりを挟むラスティア国を治める大公からの書状を持って、ゴードンと名乗る正装した使者が商店へやってきたのは夕方近くのこと。
テーブルに置かれているのは、上質なニ枚の紙。
「我がラスティア国ルデイア大公より、レティシアさんを秘書官として雇用したいという書状がこちらになります。もう一つは、レティシアさんの退職意志の確認書類ですので…そちらで検めていただけますか?」
「…え?…大公…殿下が?」
商店のオーナーであるジョンソンには、寝耳に水の事態が起こっていた。
慌てて金庫からレティシアの雇用書類を取り出すと、サインを見比べ本人確認をする。
「間もなく、退職されるご予定だそうですね?」
「…それは…そうなのですが…」
「ご無理を申し上げてしまいますが、大公殿下は本日付での退職という形をお望みでいらっしゃいます。退職はすでに決定済みというお話ならば、その辺り…如何でしょう?」
椅子に座ることを勧めても、ゴードンは静かな笑みを湛えて立ったまま…ジョンソンは無言の圧力を感じていた。
「その…レティシアは親戚から預かっている娘でして、私の一存ではお返事ができないかと…」
「あぁ、トラス侯爵家ですかな?」
「…そ…そうです…」
ジョンソンの脂ぎった額から、タラリと汗が流れ落ちる。
ゴードンは、涼しい顔をしてテーブルに新たな書類をサッと広げた。
「こちらの書類は、レティシアさんを我が国へ迎え入れること、またその後についても異議申し立てを一切しないという誓約書です。要するに、今後は関わりを持たないようお約束いただく書類ですね。ご覧ください、トラス侯爵様のサインが入っております」
「えぇ…確かに」
ジョンソンは、トラス侯爵に異論がないのならと…レティシアの退職を受け入れ、誓約書にサインをする。
「ありがとうございます。では、退職を認める商店側の書類は、今すぐにご用意ください。ここでお待ちしております」
「へっ?!」
「あぁ…私のことならお構いなく。それから、レティシアさんのお部屋の私物は全て運び出しますが…問題はございませんか?」
「…た…退職書類ですね!…えっと…確かこの辺に…あぁ!荷物は、どうぞご自由になさってください」
ジョンソンは金庫から文面を作成済の退職書類を探し出すと、レティシアの名前や日付を記入して仕上げていく。
「その金庫の中にレティシアさんの関係書類があるようでしたら、それも全てこちらへお引き渡しください」
「は、はいっ!もう全部持って行ってください!」
ジョンソンは権力に弱く、自分より身分が下の者に対してのみ偉ぶった態度を取る器の小さな男。父親は商才のある優秀な人物であったというのに、息子のジョンソンには何一つ遺伝しなかった。
♢
レティシア不在の倉庫では、検品後の処理を待つ輸入品が倉庫の外にまで溢れ出ていた。
「クソッ!レティシアはどこへ行ったんだ!!」
「口はいいから、手を動かせよ!」
倉庫内に響き渡る怒鳴り声。
残念ながら、レティシアはもう二度と戻っては来ない。
以前は毎日残業していたと…倉庫番の全員が思い出すのに、そう時間はかからなかった。
──────────
「…あなた…」
「…リディアか…」
昼下がりのトラス侯爵家。
その応接室では、数分前までトラス侯爵とラスティア国の使者ゴードンが対面していた。
♢
理由あってトラス侯爵家との別れを選択したレティシアは、世間的には縁切りをした他人。
平民となった今、どこへ行こうと自由であり、侯爵家はそれを引き止める権利など持たない。
そこへ、念を押すように…ラスティア国の大公から誓約書が届く。
「大公殿下は、本当にレティシアを秘書官に雇うおつもりですか?」
「左様でございます。我が国で秘書官として活躍されるだろうと、大層期待されております」
聞けば、商店の倉庫で輸入商品の管理を完璧にこなしていたレティシアの能力を、高く評価したのだという。
秘書官とは単なる名目で、美しいレティシアを愛妾にするのではないかと疑っていたトラス侯爵は、眉をひそめた。
商店で、レティシアは『簡単な手伝いをしているだけ』というジョンソンの報告を、鵜呑みにしていたからだ。
「働き出して、まだ三ヶ月も経っていないのですよ…?」
「その様子では、ご存知ないようですね。レティシアさんは語学堪能で、現在分かるだけでも10カ国以上の言語を理解されています。素晴らしい…稀な能力の持ち主です」
「…そんな…」
トラス侯爵は返す言葉がなかった。
大公の書状を持った使者がここまではっきりと断言するのなら、先ず嘘はない。
有能なレティシアを商店から引き抜くために、血族のトップであるトラス侯爵家の名を示して有利にことを進め、さらに…誓約書によってレティシアを取り戻せなくするつもりだと気付いた。
♢
「レティシアは…他国へ渡ることが決まった」
「…え?」
「互いに干渉しないと約束はしたが、私はあまりにも無関心過ぎたな。無意識に目を背けてしまっていたのかもしれん…もう、今となってはどうしようもない」
「…………」
「元より…相手は大公殿下だ。結果は変わらなかっただろう」
疲れた様子で項垂れるトラス侯爵の横で、侯爵夫人は不安を口にできずにいた。
─ ジュリオンが知ったら、大変だわ ─
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