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第6章
81 新生活再び3
しおりを挟む『何だ…この女っ?!』
「何だ、この女」
どんな言葉が混ざろうとレティシアには関係ない。集中力を切らさず、落ち着いた態度でこなしていく。
(…隙を見せたら駄目…)
途中、苛立ったチャドクの従者が野次を飛ばす。『俺たちの言葉を通訳しろ』と言ったチャドクの望み通り、それもまるっと訳した。形勢は一気に逆転し、額に大量の汗をかくのはチャドクの番となる。
その後、貴族令嬢ならばとても口には出せない卑猥な言葉を連発する悪あがきをみせるも、貴族でも令嬢でもないレティシア相手に勝敗は目に見えていた。
終いには、レティシアが真顔でオウム返しする言葉を受けてチャドク本人が赤面する。この時ばかりは、ラスティア国側の全員が怒りを露わにした。
『…冗談だったんだが…君、なかなか面白かったよ。さて、私はそろそろ帰らせて貰おうかな』
レティシアがこのチャドクの発言を通訳した後、アシュリーがストップをかける。
それもそのはず、ここは政務を執り行う執務室であって、冗談を言い合う談話室ではないのだから。
「冗談?…チャドク王子、それで済むとお思いで?」
アシュリーの低く唸るような声と敵意に満ちた視線に気圧され、チャドクは弾かれたように席を立った。
『…帰るぞ…』
下手に喋ればレティシアに訳されるため、チャドクは従者を連れて逃げを決め込む。
引き留められはしても、他国の王族と流血騒ぎなど起こすはずがないと高を括っているからだ。
ちょっと悪ふざけが過ぎただけのこと。魔法石を手に入れたわけでもなく、ラスティア国に損害はなかった。ザハル国へ帰れば、何を言われても知らぬ存ぜぬで突き通せばいい…チャドクはそう自分に言い聞かせる。
「お帰りですか…?」
『…失礼する…』
「どうぞ、お気をつけて」
皮肉の一言でも言うのかとチャドクが扉の前で振り返れば、レティシアは柔らかな笑みを浮かべ、握手を求めて手を差し出していた。
──────────
見事、大災害を跳ね除けた新米秘書官レティシアは、チャドクを見送ってホッと胸を撫で下ろすと、速やかに魔導具を回収する。
(身分だけ高くてバカな王子は、どこにでもいるのね)
「…よく…やってくれた、レティシア…」
「お役に立ててよかったです」
執務机へ戻り、椅子に深く腰かけたアシュリーが言葉を発するまでに少し間があった。
カインは小さくガッツポーズをしながら、今にも走り出しそうな様子だ。
ドレイクスたち秘書官は、喜びと驚きが混ざった複雑な表情で突っ立っている。横柄な態度のチャドクを前に、可憐な少女が全く尻込みをしない…異世界人レティシアの強さとその活躍を目の当たりにして、どのような態度で接するべきか?最早分からなくなっていた。
「すんなり帰してしまって…よかったのか?」
「こちらの手の内を明かす必要はありませんので」
「君のことだ、何か考えがありそうだな」
カインや秘書官たちは二人の様子を眺め、揃って首を傾げる。
レティシアは上着のポケットから取り出した魔法石を執務机の上に置き、魔導具で撮った映像をアシュリーに見せながら素早くチェックをした。
「………なるほど、撮影していたのか…」
「はい、完璧だわ…流石、レイヴン様の魔導具。殿下、この映像は帝国魔塔大魔術師のお墨付きですよ」
どんなセキュリティも掻い潜るステルス魔導具は、レイヴンの魔術で強化された大変な優れもの。
たとえ隠し撮りであろうと、撮影された映像は捏造を疑う余地などなく、何なら盗撮に特化していると言っても過言ではない。
「お墨付き?…しかし、一体いつの間に」
「席についた時です、よからぬ雰囲気を感じましたので。あのバカ王…っ…王子様が…ザハル国へ帰るのにどのくらい時間がかかるのでしょう?」
プハッ!と、部屋の隅でカインが吹き出す。
「レティシア…秘書官殿、バカ王子って言いました?!」
「虫よりマシだと思いますよ、イグニス卿」
「それもそうか」
(あなたにだけは、イジられたくなかった!)
「カイン、黙っていろ」
「おっと…邪魔をして申し訳ない」
「チャドク王子がゲートを使ってザハル国へ向かえば、明日中には着くだろう」
「明日ですか」
地図上ではザハル国が近隣国だと理解していても、実際の距離感が分からない。ゲートの存在もすっかり忘れていた。
「では、できるだけ早く…この映像をザハル国の国王陛下に届けられませんか?」
「届ける?」
「映像を見ても分かる通り、チャドク王子は『また魔法石を』とか『今日も』って言っていますよね。あの手口で魔法石を奪う、常習犯ではありませんか?」
「………そうだ…」
「悪質な詐欺行為です。個人的には見逃せません。チャドク王子は、魔法石の流通に関わりを持たない単なるコレクターに見えます。国の大切な資源を譲り渡し続けても見返りは期待できないでしょう。告発すべきだと思います」
「コレクターとしても眼識を持たない男だ。…この件は、すぐに陛下に話を通してみるが、映像をどう扱うかは協議が必要になる…」
「殿下にお任せいたします」
コクリと頷いたレティシアが、アシュリーの側へそっと近付く。
「さっき私が握手した時、銀の指輪が反応したんです」
「チャドクに?」
「えぇ、でも…あのひん曲がった性格は、どうにもならないですよね…?」
ヒソヒソとアシュリーに耳打ちをしていると、口元に添えていた手を不意に掴まれる。
(…んっ?!)
「皆、悪いが今日はここまでだ。チャドク王子の件を優先して片付ける、解散してくれ。カイン、陛下にすぐ使いを出して貰いたい」
「了解」
「「「畏まりました」」」
♢
カインと秘書官たちがいなくなり、執務室には二人きり。
黙って立ち上がったアシュリーにジッと見下ろされたレティシアは、眩しい黄金の瞳から目が離せなくなってゴクリと喉を鳴らす。
「…あの…殿下?…手を…」
「…………」
「ごめんなさい…私、出しゃばり過ぎました…か?」
「…レティシアが、自分を出しゃばりだと言うのなら…私は自分を無能だと言おう…」
「…え?」
「こんな…辛い目に遭わせるつもりはなかった。君が罵られる必要など…クソッ…あのように下劣な言葉を!」
(私を心配して…バカ王子に怒ってるの?)
「何とか上手く撃退できて、結果はよかったではありませんか…」
続けて『お気になさらず』と言おうとしたレティシアだったが、傷ついた表情のアシュリーを見てハッとした。
───────── next 82 レティシアという人
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