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第6章
80 新生活再び2
しおりを挟む「失礼いたします」
張り詰めた空気の中、淡い髪色や白い肌とは対照的な黒の秘書官服を身に着けたレティシアが笑顔で登場する。
「秘書官のレティシアでございます」
『へぇ…イイ女。新しい君主は、なかなかいい趣味してるなぁ』
挨拶の返事としては全く似つかわしくないチャドクの呟きを耳にして、レティシアは笑顔のまま無言で周りの様子を確認した。
アシュリーはレティシアを気遣わしげな目で見つめながら、チャドクの向かい側へ座るよう促す。
隣には、俯いたドレイクスがすでに座っていて、アシュリーはレティシアの斜め前、所謂お誕生日席に座っていた。残り二人の秘書官は、神妙な面持ちでアシュリーの後方に立つ。
(ゲスな発言に、誰も反応していない?ザハル国の言葉?)
初めて執務室へと呼ばれたレティシアに『害虫のようなザハル国のチャドク王子が来た』と言ったのはカイン。
そのカインは、チャドクが連れて来たと思われる大柄な強面の従者に近い場所で、苦虫を噛み潰したような顔で立っている。
「あー、ドレイクスだったか?今日も俺の通訳をする気ある?」
チャドクに名指しされたドレイクスが、ハッとして背筋を伸ばした。あまりの怯えぶりに、レティシアは違和感を覚える。
「…い、いえ…チャドク王子、今日はこちらの女性が通訳を…」
「は?」
(話す内容によって、言語を使い分けているみたい)
『ふぅん…自分がいつも失敗するからって、こんな若い子に通訳を押しつけちゃったんだぁ?そっちがそれでいいなら構わないけどさ、知らないよ?この可愛い子が…後でどうなっても』
「…………」
レティシアの全身を舐め回すようなチャドクの目つきに、何を言っているのか想像がついたのだろう、顔をしかめたドレイクスは次第に額へ大量の汗をかき出す。
(難癖をつけるタイプ?…簡単な通訳ではなさそうね)
そう思ったレティシアがアシュリーと目線を合わせると、珍しく険しい顔つきに変わる。
この王子は警戒したほうがいいと判断をしたレティシアは、通訳に必要となる紙とペンを取り出すついでに、上着のポケットに入れておいた魔導具をこっそり仕掛けておく。
緊張感が漂う執務室内で、ドレイクスの困る様子をしばらく鼻で笑って眺めていたチャドクが、両手をパン!と叩いて急に大声を張り上げた。
『君、可愛いから大サービスでゆっくり話してあげるよ。どうせ分かんないだろうけど頑張って?クククッ。じゃあ、通訳をお願いしようかな!俺たちの言葉を正しく通訳できなかったら、また魔法石をいただく。負け犬の皆さん、今日もよろしく』
チャドクとその従者がこちらへ下卑た笑いを向ければ、全員が身構える。
ドレイクスの身体が小刻みに震えるのを感じながら、相手のペースや不快な言動に振り回されないよう…レティシアは一度小さく息を吐いた。
「それでは、そのまま訳させていただきます。皆様、ご了承くださいませ」
『…?…』
「俺たちの言葉を正しく通訳できなかったら、また魔法石をいただく。負け犬の皆さん、今日もよろしく…と、仰っております」
『『…っ…!!』』
「「「「「…!!!!…」」」」」
瑠璃色の瞳を輝かせて満足気に笑うレティシアへ、チャドクを含めた全員の視線が注がれる。
(目的は魔法石か。言質、いただきましたよ)
♢
アシュリーは一際眼光を鋭くして眉根を寄せ、秘書官たちやカインはレティシアが迷いなく通訳をしたこと、チャドクの発言内容、その両方に唖然としていた。特に、ドレイクスは息をするのを忘れている程だ。
アシュリーがレティシアを通訳として使うのは初めて。しかし、チャドクが話す難解な言葉を読み解けるのはレティシアしかいないだろうと…急な展開に申し訳なさを感じつつ、期待もしていた。
その結果、やはりチャドクは通訳自体をゲームのように扱い、一方的に喧嘩を吹っ掛けてきていたのだと明らかになる。
強気なチャドクがひどく狼狽する姿に、アシュリーは勝算ありと見た。
口元を手で覆い、腹立たしい気持ちが湧き上がるのを抑えて発言を堪える。この先は、レティシアを信じるしかない。
♢
チャドクはあり得ない事態に、とにかく驚いていた。
一言一句違わず言葉を繰り返され、脳内が混乱を起こしている。不敵な笑みを浮かべるレティシアを前に、激しく動揺した。
チャドクにとって、これは単なる遊び。
いろんな民族の言葉をごちゃ混ぜにしながら、造語を盛り込んだ独特の喋りを通訳できる者など過去に一人も存在していない。
だからこそ、好きに馬鹿な発言をして、目の前で慌てふためく姿を面白がった後に…上手く言いくるめて魔法石のおまけを貰う“勝ち確定”ゲームになるのだ。
いつも、意味不明な通訳をしては悔しそうに俯くドレイクスと同様に、レティシアも美しい顔を歪めながら羞恥心に悶えるものだと思い込んで疑わなかった。それなのに…あっさりと言葉を訳されてしまう。
自国の者を蔑む“負け犬”という言葉を君主の前で平然と口にするなど、普通の貴族ならば躊躇して言い回しを変えてしかるべきところ…そのような素振りは一切なかった。チャドクは、レティシアに得体の知れない不気味さを感じる。
今までは後で何とでも言いくるめることができたが、自身の馬鹿な発言を全員に披露され、引っ込みがつかなくなって酷く焦り出す。
何より、他国の王族に同意を得ないまま、身勝手な賭け事を始めるという話の内容がよくない。チャドクは、取り返しのつかない失態を犯し…窮地に立たされている事実に気付いた。
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