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第9章
139 茶会3
しおりを挟むレティシアが茶会の雰囲気に慣れたころを見計らって、アシュリーはアヴェルと席を外した。男同士で話をしたいということらしい。
残った女性四人は、テーブル席からソファーへと移動して寛いでいる。
ロイヤルブルーの布地に金糸で美しい刺繍が施されたエレガントなソファーは肌触りがよく、幅広で適度な硬さと弾力のある座面は長時間座っていても疲れない。
焼き菓子や軽食をほぼ食べ終え、茶会は後半戦。プリンやケーキ、アイスをワゴンごとソファーの脇へ置いて、それぞれ好きなものを選んでデザートタイムを楽しむ。
「…驚いたわ、まさか…レイが泣くだなんて…」
暫くして落ち着きを取り戻したアシュリーは『母上の焼いた菓子はとても美味しい』と、穏やかな笑顔でヴィヴィアンを抱き締めた。
「あの様子だと、今まで母の愛をちゃんと感じ取ることができていたのか怪しいねぇ…酷い呪いを受けたものだ」
「大公は、幼少期に好きだったお菓子の味が心に沁みて…感動して涙が出たのかしら」
「うん…まぁ、ヴィヴィの愛情が大公の心にしっかり伝わってよかった。子供ってのは、本能的に母親という存在を切望してやまない。長年枯渇していた場所が満たされたんだ、涙の一つや二つ出るだろうさ。自分は愛されていると…心底実感できたに違いない」
(…確か、殿下は今朝…)
レティシアが恋人であると信じられず、不安を口にしていたアシュリーの姿が思い浮かぶ。それも呪いの影響だと考えると、胸が傷んだ。
これからは、母ヴィヴィアンや姉たちからの優しい想いをたくさん感じて欲しい。そして、自分こそ…誰よりも多くの愛情を彼に与え続けていきたいとレティシアは思う。
「またお菓子を焼いて、レイを誘ってみましょう」
「いいね、呼んでおやりよ」
スカイラが相槌を打つその隣で、サオリが紅茶を一口飲んでレティシアの顔をじっと見る。
「大公、レティシアに慰めて貰っていたわね」
「あの時は、大公が子供みたいに見えたよ」
「そ…そうですか?」
「母の出番も必要なかったわ…うふふ」
「…そんなことは…」
レティシアは、涙を流すアシュリーを一旦このソファーに座らせて、心の整理がつくまで世話を焼いていた。
「レティシアちゃん、誤解しないでね。今までもレイを支えていてくれたことがよく分かって、私はとても有り難い気持ちになったのよ」
「…ヴィヴィアン様…」
「息子の新たな一面を知れて、母としてはうれしいわ。いつも、あんな風に甘えたりするの?」
「…はい、時々…」
「まぁっ!」
「いえ…元々殿下は末っ子気質でいらっしゃいますので。ただ、先程は魔力香にも変化がありました。それで心配になりまして、少しお席を離れさせていただきました」
「魔力香に変化ですって?」
「殿下の感情によって、香りに違いが出ます」
「香りの強さなら私も分かるけれど…違い?」
「え?ヴィヴィアン様は、魔力香が分かるお方なのですか?」
「えぇ、愛する旦那様限定でね」
「…限定…私と同じ…」
「若いころ、私は舞踏会やパーティーへ滅多に参加しなかったの。王太子だったアヴェルに初めて会ったのは、偶々参加した王宮主催のパーティーだったわ。魔力香を嗅いだ時に全身が痺れて失神してしまって、そこを…アヴェルがすかさず助けてくれて…うふふ」
豪壮なパーティー会場で、格好いいアヴェルと恋愛小説に出てくるような素敵な出会いをしたヴィヴィアンの恋物語に耳を傾ける。
(殿下と私の険悪な出会いは…人に話せないなぁ)
──────────
「実は、10歳で辺境伯のご令息と婚約をしたのよ」
「…じゅ…っ…」
12歳で婚約をした現世のレティシアでも早いと思っていたのに、10歳という年齢を聞いて目を丸くした。
「他のご令嬢方よりも魔力量が多くて、それで白羽の矢が立ったの」
辺境伯は高い地位ではあるものの、都会から遠く離れて殺伐とした生活を余儀なくされる。そのため、王都の令嬢たちには特に嫌厭されていた。
王国を護る、防衛の要…盾となるのが辺境伯とその領地。重い務めを果たすのに過酷な部分がないとは言えない。王国のため、幼いヴィヴィアンを“未来の辺境伯夫人”として立派に育てるべく、早めに婚約を結んだ。
ヴィヴィアンは、行ったことのない辺境の地にいる会ったこともない婚約者のために、13歳から魔法や見知らぬ領地について学ぶ日々を送り、アカデミー入学後はさらに魔法に磨きをかけ…あっという間に18歳…成人を祝うデビュタントへ参加をする。
「エスコートは、婚約者にお願いするのが普通なのよ。辺境の地は遠いから移動には特殊な魔法陣が必要で、当日の朝…間に合わないかと思ったころにやっと婚約者が到着したわ」
初めて社交界にデビューする女性たちが憧れる、煌びやかな宮殿でのファーストダンスを…ヴィヴィアンはスッパリと諦めた。
「えぇ?!…踊らなかったのですか?」
「周りは婚約者と息ぴったりなダンスを披露するご令嬢ばかり、その日が初対面では踊っても悪目立ちするだけよ。辺境の地へ嫁いでしまえば、社交の世界とも無縁だろうと思って」
その後、ヴィヴィアンはさらにアクシデントに見舞われる。婚約者である辺境伯令息がエスコートをしただけで脂汗をかいて気分が悪いと言い出し、強制的に邸へ送り返す羽目になった。
「私も若くて…腹立たしいと感じた部分はあったわ。でも、無理やりパーティーに引きずり出したみたいで…」
自分のことが悪者みたいに思えたとヴィヴィアンが笑う。デビュタントは人生で一度きりの大きなイベント。当時の心境は如何ばかりであったかと、レティシアまでため息が出る。
「この男性と結婚していいのかしら?って…それまで何度も考えてきた疑問が、より濃くなったのを覚えているわ」
「その婚約者様は、お人柄や見た目など…どういった魅力をお持ちのお方でしたか?」
「…見た目…そうねぇ……魅力?」
古い記憶を辿るように、ヴィヴィアンの目線がどこかスーッと遠くへ向かう。
「アヴェルと比べたら、大概皆ゴリラみたいなもんさ」
「おばあ様、それはただの悪口ですわ」
「ゴリラ?つまり、屈強な男性という…」
「…辺境伯のご令息だから、男らしい感じ?の方だったような…」
「ような…?」
絵姿を取り交わし、書面上で婚約の契約を結んだだけの辺境伯令息とは、八年間簡単な手紙のやり取りのみだった。
簡単な…とは、報告書類と同等の箇条書きされたものが大半で、愛の言葉も優しい気遣いもないという意味。せめて代筆であればまだ返事のしようもあったのに、ヴィヴィアンは毎月何を書こうかと悩んだ。
その上…顔合わせの席を設けると、なぜか直前になって辺境伯令息の具合が悪くなるという怪事が毎度発生。婚約者が残念過ぎて、恋愛的な興味が湧かないのも肯ける。
成人を迎えて即嫁入りとなるところ、デビュタントを終えたヴィヴィアンは『20歳までは嫁がない』と、とうとうストップをかけた。
「聞き入れて貰えたのですか?」
「あははっ!いい質問だよ。実は、婚約者殿よりヴィヴィアンのほうが圧倒的に戦闘力が高くて優秀だったのさ。そんな未来の嫁に逃げられたら堪らないからね、二年なら待つって話になったんだ」
「…戦闘力?」
「全然釣り合いが取れていない、駄馬とサラブレッドくらいの差があった」
「…スカイラったら。……はっきり言い過ぎよ」
(事実なんだ!)
『なぜ馬なの?』と、ヴィヴィアンが小首を傾げる。味気ない婚約期間を過ごした辺境伯令息も、この愛らしい姿を一目見て放置していたことを悔いたのではないだろうか?
「では、二年の間に婚約者(仮)様は自分磨きを頑張って…ヴィヴィアン様に見合う男になろうと努力をなさったのでしょうか?」
「…いいえ…」
「えぇ?」
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