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最終章

167 古傷

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『…先生!』

『レックス王子、お早いですね。お待たせしてしまいましたか?』

『いいえ。先生、今日もよろしくお願いいたします』


王国の第三王子レックス・アシュリー・アルティアは、定刻通りに部屋へと入って来た魔法師のルーベンスに礼儀正しく滑らかな動きで挨拶をする。

王族としての教育は7歳から始まり、レックスは現在9歳…挨拶はお手のもの。席につくと、すました顔をしながら金の瞳を輝かせてルーベンスを見つめた。

目は口ほどに物を言う。眩しい視線を受けたルーベンスは、にこやかに微笑んだ。
国王アヴェルによく似た面差しで、強い魔力持ちを表す艷やかな黒髪をした美しい少年は、非常に優秀な自慢の生徒。
魔力成長により立派な姿へと変貌を遂げていく兄たちに憧憬の念を抱き、追いつこうと奮闘する努力、王族らしさを背負う覚悟と気概には目を見張るものがある。しかし…心はまだまだ幼い。


『レックス王子は、魔法の授業が本当にお好きでいらっしゃいますね。では…今日は、魔法を一つご覧に入れましょう。実際に扱っていただこうと思います』

『魔法演習をするのですか?』

『そんなに難しくお考えにならなくても大丈夫、レックス王子のためにご用意した特別な授業です』

『僕のため…?』


ルーベンスは目尻にシワを寄せ、優しい笑みを浮かべている。
いつもと同じ、何ら変わりない表情であるはずの薄く開かれたその瞳に…どこか違和感を覚えたレックスは小首を傾げた。


『…先生…』

『どうですか?…ご興味はおありですかな?』 

『も…勿論です』


座学の予定を変更してまで行う特別な授業とは何なのか?当然、気になっている。


『一体どんな魔法か、見てみたい』

『ほっほっほっ…そう仰るだろうと思っておりました、ご希望通りお見せいたします。その前に先ずは質問を、今この部屋にいるのは何人ですか?』

『二人?』

『…いいえ…実は、もう一人いるのです…』


ルーベンスの言葉に、レックスはハッとして後ろを振り向くと…瞬時に椅子から飛び退いた。
真後ろに気配を消して立っていたのは、フードのついた黒い外套を身に纏う一人の男。


『…っ…?!』


男はフードを深く被ったまま、狼のように鋭いアンバーの瞳でレックスをジロリと見た。


『………先生…この人は…』

『ご安心ください、彼は私の友人の魔術師。隠蔽ハイドという“姿を消す”魔法を使ってそこに隠れておりましたが、術を解いたために突然現れたのです。驚かせてしまい申し訳ありません』

『…姿だけじゃない、魔力も感じなかった…』

『攻守に役立つ、とても優れた術です』


魔力探知は魔法使いの基本だと指導を受けているレックスは、冷や汗をかいた掌をグッと握り込み…日々の鍛錬、術を練り上げ精度を高めておく大切さを改めて噛み締める。

ルーベンスが、レックスの側へゆっくりと近付く。


『魔力を持つ我々は…こうして動くだけでも、そこにわずかな揺らぎが生じます。魔力を完全に消し去るのは不可能なため、身を潜める際は隠したり遮断をするのです。
レックス王子はとても魔力量の多いお方、10歳を過ぎれば魔力制御の訓練に多くの時間を費やすことになるでしょう』



    ♢



『レックス王子!見つけました!』

『わっ!…あぁ…集中力が切れると、維持するのが難しい…』

『ルーベンス殿はもう随分前に捕まえたんです。レックス王子を探すのに手間取ったので、今ごろ部屋で待ちくたびれていらっしゃいますよ』

『先生は大人だから、きっと隠れるのが下手なんだ』


ルーベンスの友人、魔術師キュルスが持っていた不思議な魔装具マントを身に着け呪文を唱えると、魔力を抑えて簡単に隠蔽ハイドの術を使えるようになる。
姿を消したレックスは、特別授業“魔力探知サーチかくれんぼ”に没頭、鬼役のキュルスから逃げていた。


『…もう時間が来てしまった…かくれんぼがこんなに楽しいとは思わなかったな…』


レックスは魔装具マントを脱いでキュルスに手渡しながら、名残惜しそうに別れの挨拶をする。


『レックス王子、よろしければ…こちらの魔装具マントはプレゼントいたします。私と出会った記念だと思って、受け取ってください』

『…ありがとう…』

『そんなにしょげたお顔をなさらず…明日のおやつの時間にでも、侍女たちをあっと驚かせてみては如何ですか?』

『確かに、それは面白いな』

『お教えした呪文さえお間違えにならなければ、きっと上手くできますよ』


キュルスのいたずらっぽいノリにつられて、レックスも頬を緩め…何となくその気になってしまう。


『先生が誰かを授業に連れて来るなんて初めてだ、キュルスはすごい魔術師なんだね。他にどんな術を使うのか気になるよ』

『…他には…』



レックスは、キュルスがルーベンスの記憶と意識を操り、王宮へ無断で侵入した極悪人だとは思いもしない。
最後にプレゼントした魔装具マントにこそ、キュルスの企みが込められていた。次にレックスが呪文を唱えれば…魔装具マントに細工した魔術によりその身はキュルスの手中に落ち、欲望と執着心の塊のような女へと捧げられる運命が待っている。



『…私のことを忘れてしまう魔術…とか…』



    ♢



キュルスは、薄暗がりでパッと目を覚ました。


「…夢…?…王子……っ……ヴッ…ウェッ…」


脳みそを掻き混ぜた後かと思うくらい、恐ろしく気分が悪い。キュルスは床に胃液を吐き出し、すえた臭いに顔を歪めた。
両足は妙に重く、動こうとすれば全身にキリキリと突っ張った痛みが走る。



─ ジャラ…ジャラ ─



金属の絡み合う甲高い音が頭と耳に響いて、堪らず呻く。
キュルスは、ここが牢獄であり…鎖に繋がれた獣のように身体の自由を奪われていることを、否が応でも思い出さなければならなかった。




──────────
──────────




「…背中の傷跡はどうだ…」

「かなり薄くなりました。お気遣いいただきまして、ありがとうございます」 


大魔術師レイヴンによって罪人キュルスの取り調べが進む中、帝国魔塔へと呼び出されたルークは、着いて早々にレイヴンの弟ルミナスから古傷の治療を受けていた。
捜査協力のお礼だと言われては…流石に断りにくい。


「完全に消すなら、重ねて治療をすればいい」

「と…とんでもありません!私ならもう十分です。ルミナス様も、男は多少傷があっていいと仰っていました」

「ルミナスが?…弟は、少々ものぐさで楽観的なところがある…申し訳ない。君にとって、その傷が残っていいものかどうかなど…ルミナスには分からないはずだ…」


銀糸の髪と澄んだ紫の瞳…無表情で淡々と話すレイヴンは、他を圧倒する力を持ち、何もかもを見透かしているような…神秘的であって隙がなく威圧的な人物。
ルークも含め、多くの人に苦手とされるタイプだ。冷徹といえばしっくりくるが、温かみのある人柄とは結びつかない。

そんなレイヴンが、弟ルミナスの話で一瞬表情を和ませる。微かに色付いた感情からは、絶対的強者のレイヴンが大切に胸の奥に秘めている深い愛情が垣間見えた。
ルークは、ふと…妹ロザリーの笑顔を思い浮かべる。


「騎士は背中に傷を負うのが不名誉だと申しますが、私は妹を守り抜いたこの傷を…恥だとは思いません。大公殿下は、勲章だと仰ってくださいました」

「…彼らしい。君は、いい主人に仕えているな」

「はい」


レイヴンが、手に持っていた紙の束を無造作にテーブルへと置いた。その多くが、キュルスに関係した資料だと思われる。


「キュルスとは会えたか?」

「牢屋へは行きましたが、眠っておりました」

「今、あの男の記憶を探っている。強い精神魔法はやり過ぎると廃人になってしまう…ああして適度に休ませるしかない。それでも、本人に喋らせるより遥かに手っ取り早いからな。姿は見たのだろう?」

「えぇ、間違いなく同族です。濃い赤髪、目から上は赤い毛皮に覆われ、耳は狼…一見半獣にも見えますが、あれは…異形の者だと思います」

「異形…キュルスはなぜ君と違う?」

「赤毛の人狼ライカンは気性が荒く苛烈、同族同士…親兄弟子供関係なく殺し合い滅びました。そうなる前に離脱したのが、私たちの祖先です。半獣化による凶暴性を恐れ、それでも種族を残すために人間と交わった。運良く生まれて生き延びた数少ない個体が…赤髪の一族の始まりであると言われています」

「…異種交配の種族か…」

「その過程で生まれた…いえ、実際は生まれなかった個体…つまり、母体の中で死産した赤子は…キュルスと同じ、異形の姿をしていました」










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お読み下さいまして、誠にありがとうございます。







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