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第12章
176 新生活三度目4
しおりを挟む肘をついてベッドで身体を横にしていたアシュリーは、上掛けを引き寄せ、ワンピースを着ているレティシアの腰から下をさり気なく覆う。
「レティシアは華奢で、色が白く指も細い。銀の指輪は肌馴染みがよかっただろう?だから、できる限り重く感じないよう指輪をデザインしたつもりだ」
「殿下はセンスがあるのね。私は装飾品に疎いけれど、金色の糸で編んだみたいに美しくて精巧なデザインには見とれてしまったわ」
「…時間をかけて悩んだ甲斐があったな…」
「指輪を嵌めてくれる時も、緊張していたとは思えないくらいに格好よくて…」
「様になっていたか…?」
「えぇ、殿下は本物の王子様だもの」
「…君は女神だよ、レティシア。想像を超える素晴らしい未来と夢を私に与えてくれた」
「女神だなんて…恐れ多いわ」
(…前にもそう言っていた気がする…)
この世界には、王様やお妃様、王子様にお姫様、そして神様まで実在している。どこかの女神様が聞いていたら、怒って来るかもしれない。
首を竦め、眠気を促す温もりと魔力香を求めてレティシアが擦り寄れば、アシュリーはすぐに逞しい両腕で包み込んで応えた。
「…その…殿下の夢って…なぁに…?」
「私の夢か?…今の夢は…」
「……ぅん…」
「心から愛する人と家族になること…かな。これまでは、到底叶わない夢だと考えずに生きて来た。君に出会ってから、父上や叔父上たち…互いに信頼し合う仲睦まじい夫婦を本当に羨ましく感じている。いつか自分もそうなれたらいいなと思う」
「…………」
「レティシア?」
「…………」
「…ここは、誰と家族になりたいのか?私に問うべき大事なところなのだが…」
一瞬で眠りに落ちて反応のないレティシアを抱いたまま、アシュリーは熱のこもった吐息を漏らす。
質問の答えを待たずに寝てしまうとは『困った人だ』と、レティシアを起こさないよう…力の抜けた身体をより深くベッドへ沈める。
「おやすみ…愛しい人」
──────────
──────────
「レティシア様、ゆっくりお休みいただけましたか?」
「侍女長、えぇ…ぐっすりよ」
ベッドで熟睡したレティシアが起きた時、隣にいたアシュリー…ではなく、巨大なホワイトタイガー?のぬいぐるみにひしと抱きついていて、我ながらあっと驚いた。
何だか離れ難く感じた置き土産のぬいぐるみを少々引きずった状態で小脇に抱え、寝室の内扉を通り部屋へ入ると、室内で静かに待機していたロザリーが思い切り吹き出す。
その後、数人の侍女たちにシワになったワンピースを脱がされ、胸元に残る薄いキスマークにヒヤヒヤする間もなく夕食用の身支度を整えられる。
「目が覚めたら辺りが薄暗くなり始めていたの、せっかくいいお天気だったのに勿体無かったかしら」
「新しい寝室がお気に召したのですね。晴れた日のお昼寝は格別だと申します、よろしゅうございました。…アナベル、ベッドサイドのランプは、夕方に灯りが自動で点く設定へと変えておきなさい」
「はい、侍女長様」
「レティシア様、本日より本館のお部屋へ移られましたので、今後は侍女長である私に何なりと直接お申し付けください。邸内の使用人では、侍従長と侍従次長、私、ロザリー、新しくレティシア様の側仕えとなった侍女以外はこの最上階に立ち入りを許されておりません。旦那様のお部屋へ入室できるのは、侍従長と私のみです。
王国より派遣された護衛騎士が最上階をお守りいたします。どうか…どうか、末永く大公邸でお過ごしくださいませ」
「…あ…ありがとう、侍女長。これからは頼りにさせて貰うわ」
侍女長パメラの満足気な笑顔は『お待ちしていました』と読み取れる。侍従長のセバスチャンとよく似た雰囲気だ。
パメラの後ろでは、侍女たちまで頭を下げていた。この五日間、周りからとんでもなく親切にされる日々に慣れ始めていたレティシアも、改めて一人ひとりへ挨拶をする。
聖女宮では、年配のエメリアに敬語を使っても異世界人に寛容であるが故に受け入れて貰えた。一方“聖女の妹&公認の恋人”として迎え入れられた大公邸では、却って気を遣わせてしまったり規律を乱す元となってはよくないため、使用人へは敬語を使わない。
「お着替えはお済みですね。旦那様は、夕食のお時間に宮殿より予定通りお戻りになられます」
「それで、私と食事を?」
「左様でございます。今ごろ、シェフが自慢の料理に腕を振るっているはずです。…ロザリー、ブラシとヘアピンのセットを持っていらっしゃい」
パメラは、ロザリーたち侍女が着付けたドレスの最終チェックを行い、手際よくヘアメイクの手直しをする。
「レティシア様は首から肩へのラインがとてもお綺麗です、今夜はアップスタイルにいたしましょう。…ロザリー、髪にはドレスの白に合わせた淡い色合いの花飾りを、耳飾りは小さくて、お食事の妨げにならないものを選ぶといいわ」
「はい、侍女長様」
「ドレスの着心地はいかがですか?」
「締付けがなくて、たくさん食べれそうよ」
「ホホホ…シェフが喜びます。ドレスは丈が長くなっております、足元には特にお気をつけくださいませ。旦那様がこちらのお部屋からエスコートされますので、空いた手でスカートの裾を少し摘んで歩かれたほうがよろしいかと存じます」
「………こう…?」
「お上手です」
オフショルダーの無地のワンピースの上に、華やかな刺繍のレース生地を重ねた女性らしく上品で優美な仕上がりのドレスは、腰や背中で結ぶリボンなどがなく美しいシルエット。露出部分も気にならず、肌に触れる絹の滑らかな感触が気持ちいい。スカートを持ち上げても柔らかで軽かった。
「本日の晩餐はドレスで少し堅苦しくお感じになるかもしれませんが、お食事中、侍女や給仕係は出入りいたしません。誰にも気兼ねすることなくお二人でお寛ぎいただけますよ。デザートは、旦那様のご指示がございましたらお紅茶と共にシェフがお持ちいたします。ご所望の際は旦那様へお伝えください」
「えぇ、そうするわ」
「…レティシア様、その…抱えていらっしゃる虎のぬいぐるみは、お食事の間…私が責任を持って大切にお預かりいたしましょう」
「あっ…よ、よろしくね」
恥ずかしそうにパメラにぬいぐるみを差し出すレティシアの姿に、室内にいる侍女たち全員が微笑む。
♢
「とても美味しくいただきました、ご馳走様。お肉が柔らかくて、甘辛いソースは野菜の甘味と旨味がたっぷり…幾らでもお肉を食べれてしまいそうよ。エビもプリップリだったわ」
「プリプリ?面白い表現だ。私はカスタードを練り込んだパンが母上の作る菓子と味が似ていて、初めて口にしたが意外と美味しかったな。シェフ…発言を許可しよう」
料理皿をワゴンへ下げ、デザート皿と紅茶のカップをテーブルに手際よく並べ終えたシェフへ、アシュリーとレティシアが料理の感想を述べる。
思いの外体格のいいシェフは白いコックコートに赤いタイという定番の出で立ちで、賛辞を受けた歓びに感極まる表情をしていた。
「大公殿下、レティシア様、お褒めに預かり大変光栄でございます。レティシア様は、甘辛い味付けのお肉料理がお好みだと伺いました。菓子パンというのは、私も最近知ったばかりです。聖女宮で召し上がっておられたとのことで…」
「あら、よくご存知ね?」
「食材の仕入れに始まり、メニューの考案、調理や盛りつけ…我々の口に合った料理を提供するのがシェフの仕事だ。レティシアの食の好みについては、聖女宮や公爵家の者から聞いた話を参考にしている」
「…まぁ…」
(公爵家というと、まさか食堂のおばちゃん?!)
「デザートは、カスタードがお好きなレティシア様のためにフルーツタルトをご用意いたしました。甘さは控えめにしてございます」
「果物がいっぱい詰まっていて、まるで宝石箱みたい…大好物よ、ありがとう。シェフが作ったのなら美味しいに決まっているわ、早速いただいていいかしら?」
「も…勿論です、召し上がってください!」
ナイフを使わず、フォークだけを器用に使って小ぶりな丸い形のタルトを一口大に切り分けるレティシアの背後で、シェフが両手を組んで祈るようなポーズをしている。
「レティシア様…何とお優しい」
「…なるほど、こうして私の女神の周りには信者が増えていくのだな…」
アシュリーがそう呟いている間に、レティシアはカラフルなフルーツが艶々と光るタルトを食べ、瑠璃色の瞳を煌めかせていた。その様子につられて、アシュリーもカットしたタルトを口へ運ぶ。
「…殿下…瑞々しいフルーツの甘酸っぱさに絡む濃厚なカスタードクリームと、サクサクしたクッキー生地の食感が最高です…」
「うん…美味いな。この紅茶とよく合う」
「はい、爽やかでスッキリとした味わいの紅茶を合わせております」
「今日の晩餐はレティシアも私も非常に満足だ、今後も期待している。ご苦労だった、もう下がって構わないぞ」
深々と頭を下げたシェフが部屋を後にするのを眺めていたレティシアの視線が、お皿に可愛く積み上げられたおかわり用のタルトへと移る。
(もう一つ…食べてもいいかな?)
小動物が自分より小さな獲物を視界に捉えたら、こんな顔をするのかもしれないなと…アシュリーは笑いを堪えた。
────────── next 177 隠し事
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