婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。

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Ep.17 ルーファスの選択

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王の審問が終わった翌朝、
王城の中庭は、まるで嵐のあとに訪れた静寂のようだった。

風は冷たく、木々の枝が擦れる音だけが響いている。
ルーファスは、ひとり石造りの階段を降りていた。

向かう先は、城の地下――罪人を捕らえておく拘禁塔。
湿った石壁には水の筋が流れ、空気は冷たく澱んでいた。

その奥の牢に、マリアンヌがいた。
鎖に繋がれ、薄衣のまま、静かに座っている。

目を開けているのに、世界を見ていない。
言葉はまだ持っているのに、どこへ向ければいいのか分からなかった。
声を出せば、何かが壊れてしまう気がした。

それでも背筋はまっすぐで、
まるでまだ誰かに語りかけようとする名残だけが、そこに残っていた。

「……来たのですね」
「最後に話しておきたかった」

ルーファスの声はかすかに震えていた。
「あの夜を超えた後、君がどんな思いで走っていたのかを知りたくて」

マリアンヌは小さく笑った。
疲れきっていたけれど、そこにはまだ、かすかな誇りの光が残っていた。

「あなたは優しすぎる。だから、私がいなければ何も壊せなかった」
「そうだね。でも――壊すことは、本当に救いだったのかな」
「違うわ。壊さなければ、誰も生きられなかったのです。」

ルーファスは黙って彼女を見つめた。

「この国では、“均衡”とは、苦しむ者を見ないこと。
  だから私は、“新しい秩序”を作ろうとしたのです。
  血統ではなく、行いで人を測る国を――
  そのために、古い"誠実"を殺した。」

ルーファスの目に、深い悲しみが滲んだ。
 「君は……正しかったのかもしれない。
 けれど、王も貴族たちも、まだその理想を受け止める準備がなかった。
 君は、時代よりも早く走りすぎたんだ。」

マリアンヌは静かに目を伏せた。
 「ええ。でも、私が倒れても、いつか誰かが私の言葉を拾う。
 理想は、人よりも長く生きるのです。」

沈黙が落ちた。
鉄格子の向こうで、蝋燭の炎がわずかに揺れた。

「マリアンヌ」

 ルーファスはゆっくりと口を開いた。

「僕は、君を愛していた。
 君の理想も、信じていた。
 けれど――その理想を、守る力がなかった。
 それが、僕の罪だ。」

マリアンヌの瞳が一瞬、揺れた。
そして、頬を伝って――ひとすじの涙が落ちた。

「あなたは私を理解してくださった。
 それだけで、もう充分です。
 でも……どうか、あの理想を憎まないで。
 憎まれたら、本当に意味がなくなるわ」

ルーファスは静かに頷いた。
 「憎みはしない。――君の理想は、僕が持っていく」

マリアンヌは、わずかに微笑んだ。
「あなたは、やっぱり優しい」

ルーファスが一歩近づき、鉄格子の向こうの彼女に手を伸ばした。

鎖が鳴る。
その手は届かない。
だが、二人の影だけが、炎の中で一瞬重なった。

「さようなら、マリアンヌ」
「ええ。――どうか、生きて」

ルーファスは背を向け、ゆっくりと歩き出した。
その背を、マリアンヌはただ見送る。
彼女の口元には、かすかな笑みが残っていた。
それは敗北ではなく、理想を託した者の微笑だった。


◇◇◇


夜更け。
王城の一室に、灯がひとつだけ残っていた。

ルーファスは机の前に立ち、修道院へ向かう旅装を整えていた。
衣の袖を整える手つきには、もう迷いはなかった。

扉の向こうから、静かな足音が近づく。

「……お兄様」

シャーロットだった。
その声には、王女としての威厳と、妹としての痛みが同居していた。

「行かれるのですね」
「ああ。明日、護送の馬車が出る。」
「判決に、納得しておられるのですか」

「納得……というより、受け入れるしかない。
 修道院で、もう一度学びなおすよ。
 マリアンヌが描いた理想も、今の王国の現状も、そして
 ――これからどうあるべきかも。」

その声は、どこか静かな決意に満ちていた。

シャーロットは俯いたまま、言葉を探していた。
「マリアンヌの理想を、私はどうすればいいのでしょう。
 壊されたものとして葬るべきか、それとも……」

ルーファスは静かに首を振った。
「葬ってはいけない。
 あれは、時代が追いつかなかった理想だ。
 君の時代にこそ、もう一度、形を選び直せばいい。」

「形を……選び直す?」

「彼女は、火をつけた。
 でも、その火は炎のままでは人を焼くだけだ。
 君なら、灯に変えられる。
 人を照らす光として、受け継ぐことができるはずだ。」

短い沈黙。
シャーロットは小さく息を吸い、顔を上げた。

「わかりました。
 お兄様とマリアンヌが見た理想を、私の時代で芽吹かせます。
 ――だから、お兄様の学びの成果も、いつか教えてくださいね。」

ルーファスは微かに笑った。
「ありがとう、シャーロット。
 君なら、この国を導ける。
 僕は沈黙の中で、その芽が育つのを見届けよう。」

二人のあいだに沈黙が落ちた。
それは別れではなく――
“次の王の時代”への、静かな祈りだった。


◇◇◇


昼下がり。

王城の正門前に、馬車が一台、静かに待っていた。

白布で覆われた車体には、王家の紋章がない。
罪ではなく、沈黙を選ぶ者を運ぶための――“無印の馬車”。

兵たちが並び、門がゆっくりと開かれる。
その高みに、二つの影が立っていた。

シャーロット王女と、クラリッサ・エインズワース。

風が吹く。
春の終わりを告げるやわらかな風。
だが、その空気には、確かな冷たさがあった。

「ルーファス様は……行かれるのですね」
クラリッサの声には、哀しみではなく、静かな敬意があった。

シャーロットは頷き、少しだけ空を仰ぐ。
「昨夜、お兄様とお話ししました」

「どのような話を?」

「マリアンヌ嬢のことを。
 お兄様は、“自分とマリアンヌ嬢が目指した理想を、
 私のやり方で、私の時代に芽吹かせてほしい”と。」

クラリッサは静かに息をついた。
「……そうでしたか。」

シャーロットは少し微笑んだ。
「ふふ。お兄様は“手紙を書く”とおっしゃっていました。
 またいつか、その続きを語り合いたいです。」

クラリッサの瞳がやわらかく揺れる。
「きっと、ルーファス様もそれを望んでいます。
 沈黙の中でも、あの方は考え続ける方ですから。」

下を見ると、馬車の扉が開かれ、ルーファスが姿を現した。
旅装のまま、王家の徽章を外した上着を羽織り、
その顔には、穏やかな静けさが宿っていた。

彼は馬車に乗り込む前に、一度だけ城壁を見上げた。

その視線が、二人のもとに届く。
シャーロットは胸に手を当て、妹として――王女として、深く頷いた。
クラリッサもまた、裾をつまみ、静かに礼をした。

言葉はなかった。
だが、その沈黙こそが、三人の最後の会話だった。

馬車がゆっくりと動き出す。
車輪が石畳を踏みしめる音が、城の回廊に響く。

「行ってしまわれましたね……」

クラリッサの呟きに、シャーロットが目を閉じた。

「ええ。でも――」

風が二人のあいだを抜けていく。
その香りには、まだ春の名残があった。

「お兄様はこの国の外で、
 私たちよりも先に“未来”を考えるのでしょう。
 だから、私たちはここで、"今"を始めなければ。」

クラリッサは小さくうなずいた。
「はい。……わたしたちの季節ですね。」

二人の視線の先で、馬車が遠ざかっていく。
陽の光が車輪を照らし、白布の上に反射する。

まるで、それが光そのものを運んでいくように――。

やがて門が閉ざされ、音が静寂に溶けた。

沈黙の中で、春が過ぎていく。
けれどその沈黙は、もう痛みではなく、
確かに“希望のかたち”をしていた。


◇◇◇


夕暮れ。
王城の中庭は、昼の喧噪が嘘のように静まり返っていた。

クラリッサは一人、石畳の上をゆっくりと歩いていた。
陽が沈みかけ、空が黄金色に染まっている。
その光の中に立つ自分の影を見つめながら、
静かに息を吐いた。

「……終わったのね」

誰に言うでもなく呟く。
だが、その声には悲しみではなく、確かな“区切り”があった。

彼女の心の中で、幼い日の庭の記憶がふと蘇る。
――金色の光の中、笑っていた少年。
――「大人になったら、あなたと国を守る」と言ったあの日。

その約束は、もう果たせない。
けれど、その“思い”だけは確かに残った。

「ありがとう、ルーファス」

小さく呟く。
その言葉は、風に溶けて消えた。
だが、その風の行く先に――
たしかに“新しい季節”の匂いがあった。


◇◇◇


夜。
王城の回廊に、静かな灯がいくつかだけ残っていた。

セドリックが書簡を届けに現れた。

「これから正式に、
 殿下の称号は“停止”ではなく“辞退”として記録されます。
 陛下のご意向です」

クラリッサは頷いた。
「それでいいと思います。
 彼が“自ら選んだ”こととして、残してあげてください」

セドリックは微笑んだ。
「あなたは本当に優しい」

「優しさではありません。
 あれが、“始まり”になるようにと願っているだけです」

「彼にとっても、国にとっても?」

「ええ。そして……わたしたちにとっても」

クラリッサの声は柔らかかった。
その柔らかさの中に、確かな覚悟があった。

窓の外で、最後の灯がひとつ揺れる。
それは消える光ではなく――
新しい夜明けを待つ光のようだった。
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