酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第43話ー5

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 リエンの魔法は、さっきのテレトラスポルトで最後だった。

 でも目的地まで飛び切らなくて、空中だった。

「あっ……!」

 焦るリエンの身体を右腕で抱き締め、ワン・ジンの方も最後の魔法――テレトラスポルトを唱える。

 飛んだ先は副都イビスコの、ベルと暮らした邸宅の中庭だ。

 リエンもここへ飛ぶつもりだった。

「ご主人様、大丈夫っ……!?」

「気にするな」

 もう死の覚悟は決まっている。

 肩ごと持っていかれた左腕や胸元の傷口から血が流れ出ていたが、もう止める気もない。

 北の正房へと入って、寝室にある棚の引き出しを開ける。

 フンと鼻を鳴らした。

「カプリコルノ国王なんぞにやるものか」

 そこにある、代々カンクロ国王に受け継がれてきた玉璽を取り、胸に抱える。

 眩暈を覚え、牀に倒れ込んだ。

「ご主人様っ……!」

 リエンの泣き顔を見ながら、死ぬ前に疑問を問うてみる。

「なぁ、リエン……俺はどうしてあのときエミを庇ったんだろうな」

「当たり前だヨ。だってご主人様ハ、やっぱり今でもエミが好きだかラ。リエンが王妃じゃ駄目だったんだヨ、エミじゃなきゃ駄目だったんだヨ。だからリエンもあのとキ、エミを庇ったんだヨ。エミを殺したラ、ご主人様は不幸になるだけだかラ」

「ああ…そうだな……」

 納得する。

 頭に血が上りやすい性格なもので、一時の感情に言動が左右されることもしばしばだったが、リエンの言う通りなのだ。

 結局のところ、己はエミに惚れているのだ。

 カプリコルノ国王にエミを愛していないと言われたが、それはどうなのか分からない。

 好きと愛しているの違いが分からなく、現世ではそれを知ることなく終幕を迎える。

 ただ、確実に胸を張って言えるのは、カプリコルノ国王よりも、誰よりも、エミを好きということだ。

 エミはそのつもりは無かったかもしれないが、夫婦として共に生きた期間がどれだけ幸せだっただろう。

 エミの笑顔を思い浮かべながら頑張る仕事はとても楽しく、家に帰ったらエミがいるというだけで心が弾んだ。

 玉璽を見る。

「エミは近くにいないか……?」

「待ってテ!」

 リエンが正房から飛び出した。

 その刹那、中庭にベルやフラヴィオたち、それから内閣大学士たちや官僚たちが現れた。

「お願いしますネ、エミ! お願いしますネ!」

 と、リエンが正房の玄関先に土下座する。

「もウ、ご主人様最期だかラ! 傷付けるつもりもないかラ! 近くにいてあげテ、エミ!」

「リエンさん」

 ベルがリエンを立たせた。

「分かっています。そのつもりで来ました」

「え……?」

 ベルを先頭に、内閣大学士や官僚たちも正房の中へと入っていく。

 フラヴィオたちは中庭に残った。

 寝室に入ると、内閣大学士や官僚たちが跪いていった。

 口々に何か言っていたがワン・ジンの耳には入って来なく、その姿も一瞥した後は興味がない。

 その瞳は、ベルだけを捉えていた。

「来てくれたのか…エミ……」

 少し驚いた様子の顔を見て、ベルが微笑した。

「それは何ですか? 私はあなたの妻ではなかったのですか?」

「――…ああ……おまえは俺の妻だ……」

 胸が詰まるのを感じながら、玉璽をベルに差し出す。

「受け取ってくれ。おまえが次のカンクロ国王だ。女王だ……なんか似合うな」

「私は……」

 ベルが戸惑いを見せると、ワン・ジンが続けた。

「今日な、あの一番でかい大河の堤防建設が完了したんだ。これで氾濫は防げるし、もう国民を悩ませないだろう。これからどんどん各地の治水工事も完了するし、もっともっと笑顔が増えるぞ。嬉しいか、エミ…? 俺はおまえを喜ばせたくて、この国を造ったんだ。だから……」

 と、玉璽を差し出したままでいる。

 正直に言えば、ベルはフラヴィオをこの国の国王にするつもりだ。

 でもそれを言うべきところでは無く、その意思を尊重し、少しのあいだでも従うべきところであることは分かった。

「分かりました」

 と牀の傍らに跪き、玉璽を両手で受け取る。

 国王の証であるそれは、その背負っている責任を表しているかのようにずしりと重く、ベルの手の中に沈んだ。

「ありがとうございます、ワン・ジン陛下。たしかにエミが賜りました」

「ああ……」と、ワン・ジンが満足そうな笑みを浮かべる。

「嬉しいか?」

「はい、とても」

「本当か? じゃあ、10分くらい弾いてくれるか?」

 と、ワン・ジンが窓辺の筝を見ると、ベルが「はい」と立ち上がった。

 筝の前に正座する。

「しかし、10分ではありません」

「5分だったか……」

「いいえ。あなたが眠るまで……あなたのために」

 ベルが全身全霊を込めた演奏だった。

 これまでで一番美しい筝の音色。

 部屋の中に鳴り渡り、中庭を越え、町の方まで響いていく。

 だんだんと弱くなっていくワン・ジンの鼓動が、少しだけ上がった。

(ああ…美しいな……)

 その音色も、端整な横顔も。

 はっきりと浮かんで見える微笑は、作りものではなく、心からのもの。

 あまりにも美しく、眩しく、本物の天女が迎えに来てくれたような気分だった。

 そしてこれまでで、一番ベルに愛されているような感じがする。

 その音ひとつひとつに込められている想いが、耳から入って胸の中を満たしていく。

 いつも演奏が終わると孤独感に落とされたが、もうそれも味わなくて良いらしい。

 言葉だけでは悦びを表現し切れない、最上級の褒美だった。

(すみません、母上……)

 涙と一緒に、幸福の笑顔が溢れていく。

(俺をまた、人間の世界に産んでください)

 大丈夫。

 来世ではきっと、レオーネ国並に人間とモストロの共存が当たり前になっている。

 例えまたメッゾサングエで産まれたって、同じような扱いは受けないだろう。

 現世ではあまり上手に人間を愛することが出来なかったが、来世では人間から愛情を受けて育ち、愛し方を教わって、人間を愛することが出来る。

 そしてエミを探して、見つけて、好きになって、愛しているということを知って、子供もいて、エミと幸せな家庭を築くのだ。

 それから傍には父と母、愛犬リエンも居てくれたら最高だ。

「ご主人様、幸せそウ」

 リエンの手が右手に重なる。

 その涙で濡れた顔は、とても嬉しそうに微笑んでいた。

「ああ、リエン……おまえも居てくれることだしな。ありがとうな」

 その手を握り、ベルに目を戻す。

 視界が霞んでぼんやりとしか見えなくなっても、美しい横顔が瞼に浮かんだ。

 音が遠のいていっても、美しい音色が耳で踊っていた。

 手はあたたかく、胸はいっぱい。

 心地良い愛情に包まれて、眠りに誘われていく。

 その眉間のシワはもう、二度と現れることはなかった。

「――ありがとう、エミ……もういいヨ」

 ベルが筝を弾いてから30分。

 その音色が止み、代わりにリエンの泣き声が響く。

「おやすみなさいませ、ワン・ジン様……」

 1492年6月1日。

 カンクロ国国王ワン・ジンが崩御すると同時に、新カンクロ国女王ベルナデッタ・アンナローロが誕生した。


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