酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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最終話ー30

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「危ない!」

 レオナルドが絶叫した。

 フラヴィオとフェデリコの刃が白の巨体の首に両側から食い込むと同時に、二人がはっと周りを見る。

 付近にいるピピストレッロたちも、最初と比べて半分の大きさになった黒の塊の中にある赤の瞳も、すべてフラヴィオとフェデリコ、それから炎に包まれているアドルフォを捉えている――

「――兄上!」

 フェデリコが咄嗟にフラヴィオに飛び付き、腕に庇った刹那、無数の爪が3人に襲い掛かっていった。

 アドルフォの近くにいたことで、巻き添えを食らいそうになったムサシ・ジルベルト兄弟をレオナルドがアラバルタの鉤爪を使って引き摺り出し。

 アラブとファビオが集めていた武器を構えて3人に集るピピストレッロに突進していく。

 そして5人、半狂乱になってそれらを斬っていくが、それは黒の山になっていく。

「――嘘でしょう……?」

 呆然とする校舎の中、ベルの呟きが静かに響いた。

「フ……フラヴィオ様! フェーデ様、ドルフ様!」

 校舎から飛び出し、ゴンナを捲り上げて黒の山の方へと疾走していく。

 もう止める者はいなく、その後を天使たちや幼子たち、シャルロッテたちが追い駆けていく。

 途中、黒の山が浮遊すると、皆の足がはたと止まった。

 そこに、3人の姿が無い。

「――かっ……返してください! フラヴィオ様たちを、返して!」

 ベルが甲高く叫ぶと、レオナルドがはっとしてアラバルタを黒の山に向かって伸ばした。

 鉤爪を引っかけると、黒の山の中から熱で真っ赤になった鎧――両腕の無いアドルフォが落ちてきた。

 続いてすぐに、左半身が赤に染まった黄金の鎧――フラヴィオが落ち、大量の血が滴り落ちて、最後に全身穴らだけの白銀の鎧――フェデリコが落ちてきた。

 そして黒の山は天高く浮遊すると、アドルフォの腕をくっ付けたままの大きなオスのピピストレッロを連れて、北の方角へと――サジッターリオ国へと飛んでいく。

「戦が……終わったんだわ」

 シャルロッテが呟いた。

 それなのに、笑顔はどこにも無かった。

 天使も、幼子も、シャルロッテたちも、飛び出してきた民衆も、まだ地獄の中にいるように阿鼻叫喚としている。

 ほんの5分ないし10分前、誰もがこの戦の勝利を確信していた。

 間違いでなかった。

 でも誰もが想像したのは、『力の王』と『力の王弟』、『人間卒業生』が、多少の怪我を負いながらも生気溌溂として、凱歌を挙げる姿だった。

 それがその三人は今、無残な姿になって白の灰の上に横たわっている。

「誰か、保健室から布と包帯を持って来てください! 早く!」

 ベルの叫声が響くと、複数の民衆が校舎の中へと駆け込んで行った。

 アドルフォの身体は近くに寄るだけで火傷を負いそうに熱く、誰もが触れることは出来なかったが、フラヴィオとフェデリコの板金鎧をたくさんの手が急いで脱がしていく。

「助けてくれ……!」

 フラヴィオの兜を脱がすと、その碧眼から涙が溢れ出ていた。

「余ではない、フェーデだ! 余は後回しで良い! すぐにフェーデを止血してくれ! 余を庇ったのだ! フェーデを助けてくれ!」

 どちらも布鎧が赤く染まっていた。

 その内、咄嗟に無数の爪からフラヴィオを庇ったフェデリコの方は、見るからに助からないと分かった。

 布鎧を脱がすと身体中の至るところに空いた穴から血が流れ出し、顔や金の髪さえも、真っ赤に染められていた。

「嫌っ! フェーデ!」

「父上!」

 その妻アリーチェと、唯一生き残った息子レオナルド、二人の娘――ビアンカとカテリーナの泣き声が響いた。

 また「じーじ!」と孫娘エリーゼが泣きじゃくる声も響く。

 フェデリコが咳き込んで血を吐き出し、真っ赤な顔の瞼が開くと、そこに見えた虚ろな碧眼が一番すぐ傍にあった妻の顔を捉えた。

「済まない、アリー……!」

「どうして謝るの! あなたはわたしを守ってくれたのに!」

「私は君が生きているあいだ、君を一生守って生きていくつもりで求婚したんだ。それがこの様だ……本当に、申し訳ない……!」

「謝らないで! わたし、あなたにありがとうの言葉しかないのに!」

 フェデリコの碧眼が、レオナルドに移る。

「レオ……」

「僕のせいだ! 僕が弱かったからこんなことになったんだ!」

「何を言っているんだ、レオ?」

 とフェデリコの笑んだ口元から、白い歯が垣間見えた。

「おまえが勇気を出して戦ってくれたからこそ、この程度の被害で済んだんだ。おまえが戦ってくれなかったら、被害はこんなものでは済まなかった。本当によくやってくれた、レオ。私は安心しておまえにオルキデーア軍の元帥を任せられる。おまえは私の誇りだ。皆を頼んだぞ、レオ……」

「スィー……スィー、父上! 父上っ……!」

 碧眼が、身体の上に突っ伏している二人の娘や孫娘を見る。

「ビアンカ、リーナ、エリーゼ、幸せになるんだぞ……?」

 この3人に対しては、それだけが願いだった。

「大丈夫だ。私はちゃんと草葉の陰から見守っているからな」

 しゃくり上げながら「スィー」の返事をする3人の頭を撫でながら、共に生きてきた周りの一同の顔々を眺めていく。

 どれも涙で酷く濡れていた。

「ムサシ、将来ビアンカを頼んだぞ」

「スィー、義父上。ビアンカ殿は、必ずや拙者が幸せにしまする。大切にしまする」

「ジル――未来のプリームラ軍元帥、レオと共にこれからのカプリコルノを支えてくれ」

「ああ、分かってる。何も心配するな」

「アラブ、強いおまえが生き残ってくれたと思うと安心する。レオもジルもまだ8つだから、成人するまではオルキデーア・プリームラ軍共におまえが元帥を務めてくれ。しかし大変だろうから、ファビオが手伝ってやってくれ」

 二人から「スィー」の返事が聞こえた。

 アドルフォの傍に突っ伏しているベラドンナに顔を向ける。

「長い付き合いだったな、ベラ。ドルフを死なせてしまって済まなかった」

 それは涙で濡れた顔を拭うと、懸命に笑顔を作ってくれたと分かった。

「何を言っているの、フェーデ。アンタが謝るところじゃないわ。ねえ、アリーのことは何も心配しないで? ワタシこれからも、ずっとアリーと友達よ。アリーが困ったときは、私が全力で支えるわ」

「ああ……ありがとう、ベラ」

 溺愛してきた姪っ子と、生徒を見た。

 姪っ子――ヴァレンティーナは、天を仰いで泣き叫んでいた。

「助けて、コニッリョの皆! 助けて! 助けて、お願い!」

 生徒ベルは顔色無しになって、民衆が持ってきた布や包帯でフラヴィオとフェデリコの怪我の手当て始めたところだった。

「私はいい、ティーナ、ベル……」

「駄目よ、フェーデ叔父上! お別れなんて嫌よ、頑張って!」

「そうです、フェーデ先生! 止血をすれば、ハナたちが来てくれる朝まで――」

 ベルの言葉を遮るように、その手をフェデリコが握った。

「私はもうすぐ意識がなくなる。私は助からない。だから私はいい。頼む、ベル……私の兄上を、死なせないでくれ……!」

「何を言っているのだ、フェーデ!」

 フラヴィオから怒声が上がった。

 フェデリコがベルの手から布と包帯を取って、呻きながら身体を起こした。

 皆に止められながら、フラヴィオの身体の中で出血が激しい左太腿に布を当て、包帯を巻き、精一杯の力を込めて縛っていく。

「何をしているのだ、フェーデ! 余よりおまえの止血だ! 止めろ!」

「ノ」

 力めば力むほど、フェデリコの身体中から、血が溢れ出ていく。

「止めろ! フェーデ、止めろ! おまえが死んでしまう! フェーデ、止めてくれ……!」

 その真っ赤な身体を、フラヴィオが抱き締めた。

「止めてくれ……止めてくれ! 40年間、共に生きてきたではないか!」

 弱々しい「スィー」の声が聞こえた。

 1歳3ヶ月差の兄弟で、物心が付く前から共に生きてきた。

 髪型はいつだってお揃いで、共にカプリコルノ国を支え、楽しいこと嬉しいことがあったときは共に笑い、悲しいこと辛いことがあったときは傍で支え合ってきた。

 互いに誰よりも身近で、すぐ傍にあって当然の存在だった。

「お別れです……兄上」

「止めてくれ、フェーデ! 息子たちを失い、親友を失い、さらにおまえを失うことなど考えられぬ! おまえが傍に居ない日常なんて、余は知らないのだぞ!」

「大丈夫です、兄上。兄上には、私に負けず劣らず兄上を愛し、支えてくれる天使がいるのですから」

 と、フェデリコの碧眼が、ベルの顔を見た。

 それは溢れ出る涙を飲み込み、フェデリコを見つめて深く頷いた。

「ありがとう、ベル……」

 安堵の微笑が、真っ赤な顔に浮かんだ。

「私の方こそ本当にありがとうございました。お世話になりました、フェーデ先生。フェーデ先生のお陰で宮廷へ来てからしばらくは毎日が発見で、とても楽しく勉学に励むことが出来ました。フェーデ先生と過ごした掛けがえの無い日々を、私は永遠に忘れません」

「ああ……私も君とする勉強がとても楽しかった。また、優秀な君が誇らしかった。そして君は、私の大切な兄上を救ってくれた天使だ、大天使だ……いや、『女神』だ。本当にありがとう、ベル……」

 フェデリコの碧眼が、最後にまたフラヴィオの顔を見つめる。

「兄上……」

「嫌だ! フェーデ!」

「大丈夫です。私は兄上よりも一足早く地獄に行くだけのことです……ドルフと共に」

 と親友に顔を向けたフェデリコが、小さく笑った。

 続いてそちらを見たフラヴィオも、思わず失笑してしまう。

「私はまさか本当に死んでも離さないとは思わなかったぞ、ドルフ。おまえの両腕、まさかまだあのバケモノを掴んでいるのか?」

「本当にバケモノ卒業生だな、おまえは。お陰で守るべき者たちを守ることが出来たぞ。ありがとう、ドルフ」

 としばしのあいだ兄弟で笑った後、フェデリコの瞼がゆっくり落ちていった。

「兄上……」

「うん?」

「私は兄上の弟して生まれて来たことを幸甚に存じます。ありがとうございます、兄上……」

「余の台詞だ。おまえがいつも傍で余を支えてくれたから、余は国王でいられたのだ。余はおまえが弟で良かった、幸せだ。ありがとう、フェーデ」

「スィー。兄上……」

「うん?」

「さようなら……兄上……――」

 フェデリコの意識が途切れた。

「――フェーデ……! フェーデ! フェーデ!」

 たくさんの慟哭が、一見して銀世界のような校庭に地鳴りを起こさんばかりに響き渡っていく。

 そんな中、ひとりベルが涕泣しながら、必死に手を動かしフラヴィオの止血をしていた。

 フェデリコほど怪我をしていないと言うだけで、フラヴィオとて重傷を負っていた。

 一番酷いのは左太腿の出血で、他にも左腕、左脇腹なども穴だらけになっている。

「手伝ってください!」

 ベルが甲高い声で叫ぶと、校庭の慟哭が止んだ。

「包帯が足りません! もっと持って来てください!」

 国王の危機に、民衆が血相を変えて再び保健室に駆け込んでいく。

 ルフィーナとシルヴィアは、もしかしたらとフラヴィオの左太腿に手を当てて「グワリーレ!」と唱えた。

 それはどちらも手の平が光ったと分かったが、手を外してみると、やはり包帯を染めていく血は止まらない。

 アラブが同じことをし、気を失っているアレッサンドロを叩き起こして同じようにやらせてみても、結果は同様だった。

「コニッリョの皆! 助けて! お願い! 助けて! コニッリョの皆!」

 ヴァレンティーナの小鳥のような囀りだった声は掠れ、何の返答もないまま空しく満天の星空に消えていく。

 フラヴィオの呼吸が苦しそうに小刻みになり、その周りの白の灰が赤く染み渡って止まらなかった。

(済まない、フェーデ……おまえがせっかく助けてくれたのに……)

 束の間の別れのようだった。

 碧眼を動かして、もう一度確認する。

(余が――『力の王』が、命を掛けて守るべき者たち)

 1番目の天使ベラドンナ。

 2番目の天使アリーチェ。

 3番目の天使セレーナ。

 4番目の天使パオラ。

 5番目の天使ヴァレンティーナ。

 6番目の天使ビアンカ。

 7番目の天使ベル。

 8番目の天使アヤメ。

 9番目の天使ルフィーナ。

 10番目の天使カテリーナ。

 11番目の天使シルヴィア。

 12番目の天使ヴィルジニア。

 また、次男坊の『女神』と4人の天使たち。

 四男坊の7人の天使たち。

 皆、ちゃんと無事な姿で揃っていた。

 また、二人の息子や甥っ子たち、孫などの幼子もいる。

 兵士以外の民衆――女子供や一部の職の男たちも無事のようだった。

(守ったか……)

 フラヴィオの顔に微笑が浮かんでいった。

「皆……もう良い」

 校庭に鳴り渡っていた叫喚が止み、フラヴィオの怪我の止血をしていた家族の手が止まった。

 苦しそうに呼吸をしながらも、穏やかなその顔を見て、きっと誰もが察した。

「アモーレ」

 呼ばれた7番目の天使の唇が、声が、小さく震える。

「スィー…フラヴィオ様……?」

「膝枕、してくれ」

 女神ヴィットーリアと7番目の天使のあいだに交わされた約束が、果たされるときが来た。


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