酒池肉林王と7番目の天使~番外編集~

日向かなた

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良妻ー5

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 ――宮廷オルキデーア城の搦手門や、そのすぐ近くにある王都オルキデーアの北門の衛兵が当惑する。

「ど、どうされたのですか、絶世の美天使様?」

「こ、こんな時間にどちらへっ?」

 すっかり日が暮れた頃に1番目の天使ベラドンナがやって来たと思ったら、そのとても繊細な顔立ちの上をダイヤモンドディアマンテが転がり落ちていた。

 当然それは一瞬の錯覚で、転がり落ちていたのは涙だった。

「通してくれる? ワタシ、今日は別邸で眠りたいから」

「そ、そうですか。しかし、おひとりでですか?」

「ええ」

「そ、そうですか。しかし……あの、アドルフォ閣下はご一緒ではないのですか?」

 ベラドンナが黙って頷く。

 とても傷付いた瞳をしていた。

 ベラドンナに従って門を通しながらも、心配した衛兵たちが数人くっ付いてくる。

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、気にしないで」

 そう言って無理に見せた笑顔が痛々しかった。

 ベラドンナの脳裏に、先ほど宮廷の4階で聞いたアドルフォたちの会話が蘇る。

(離婚……か。ドルフ、そんなことを考えていたなんて)

 抉られた胸の傷から、血が流れ出ていくような感覚がした。

(なんで? どうして? ていうか、いつからそんなことを…? もしかして、今日……?)

 今日ベラドンナがアドルフォのために淹れた茶は、最初の一口だけ飲んで、後は飲まなかったようだった。

(あのとき美味しいって言ってくれたけど、本当は不味かったのね。そうよね……ベルからちゃんと教わったつもりだったけど、ワタシはお茶ひとつまともに淹れられない女だって、よくお姉様に怒られてたし)

 今日ベラドンナが怪我をしながらも、頑張って刺繍を入れたマッリェッタを、アドルフォは着てくれなかった。

(あのとき嬉しいって言ってくれたけど、それはワタシを想っての優しい嘘だったのね。そうよね……自分の目で見ても上手な刺繍じゃなかったし。着るの恥ずかしいわよね)

 さっきベラドンナが作ったアドルフォの好物のビステッカは、一口も食べられることはなかった。

(どうして、ドルフ? そんなに美味しくなさそうだった? 赤と黒のお肉を一緒に口の中に入れれば、丁度良い焼き加減になるのに……それじゃ駄目だったのね)

 辿り着いた別邸の手前、立ち止まったベラドンナが声を上げて泣きじゃくる。

「何がっ……何が良い妻よ! 結局ワタシ、ドルフのために妻らしいことなんて何もしてあげられないんだわ! ドルフはあんなに素敵な男性なのに、ワタシがこんなんじゃ離婚されて当然だわ!」

 くっ付いて来た衛兵たちがオロオロしながらベラドンナを宥めるが、泣き止んでくれる気配は無い。

 しかも「別邸の鍵忘れたわ!」と余計に泣き喚くので、衛兵たちが大急ぎでそれを取りに向かおうかとき、もう少し北にいる衛兵の声が響き渡ってきた。

「敵襲! 敵襲だ!」

 その声に間髪入れず砲声が鳴り渡ると、ベラドンナが悲鳴を上げた。

「きゃーーーっ! ヤダ、こんなときに敵襲!? 大変!」

 衛兵たちが「お逃げを!」と声を上げてベラドンナを背に庇う中、それは必死な様子で近辺にいる衛兵たちを見る。

 そして悲鳴を上げながらひとりに駆け寄ったと思ったら、その手から弓矢を分捕って構えた。

「早く倒さなきゃっ!」

「いや、早くお逃げください!」

 という衛兵たちの突っ込みは聞こえていないようだった。

 無駄に度胸のある、天使軍の問題児その1。

 常日頃の軍事訓練で厳しく鍛え上げられている兵士たちが使う、ロングボウアルコ・ルンゴの強力な弦を「えいっ」と易々引き、「とりゃあっ!」と力強い矢をぶっ放す。

「おおお……!」

 と目を丸くしながら、つい遠巻きになってしまう衛兵たちの目線の先、半ば錯乱した様子で矢を連射するベラドンナ。

 敵の艦砲の砲弾が、背後にある別邸の石壁に当たると、尚のこと大きな悲鳴を響かせた。

「何してんのよ、アンタたち! ワタシか弱いんだから危ないじゃないのよ! もう許さないわ!」

 と立腹したらしく、一度に複数の矢を連射し始める。

「おおおい……!」

 と、さらに遠巻きになってしまう衛兵たちのひとりが、はっとしてベラドンナの上部――真後ろにある石壁を見た。

「――か、壁が崩れる! 危ない、絶世の美天使様!」

 と衛兵が絶叫するや否や、どこからともなく現れた黒の巨体が飛び出して行った。

 それに急に覆いかぶさられ、押し倒されたベラドンナが「きゃあっ!」と声を上げる。

 別邸の石壁が崩れ、ベラドンナと黒の巨体が瞬く間に埋もれていった。

「な、何っ……!?」

 急に視界が真っ暗になり、今の一瞬で何が起こったのか、まるで分からないでいるベラドンナ。

 頭上から、野太い男の声がする。

「大丈夫か、ベラっ……!」

「――ドルフっ……!?」

 その身体の下にいることは分かった。

「怪我は無いか?」

「な、なんとも無いけど……え?」

 まだ状況を理解出来ないでいるベラドンナの耳に、衛兵の声が聞こえてくる。

「アドルフォ閣下、絶世の美天使様はご無事ですか!?」

「ああ、無事のようだ。しかし俺が下手に動くと危険だ、ベラが怪我をするかもしれん。すぐに陛下と大公閣下を呼んで来て、まずは先に敵を倒してもらってくれ。その後に石を避けてくれればいい」

「スィー。たぶんもう少し別邸の壁が崩れると思います」

「ああ、気にするな」

 ベラドンナがようやく理解する。

 今2人で、崩れた別邸の石壁の下敷きになっている。

 そしてベラドンナが石壁に潰されないように、アドルフォがその巨体を盾にして庇ってくれているのだ。

「大丈夫なの、ドルフっ……!?」

「ああ、何ともない。強がりとかやせ我慢じゃなく、本当に何ともない。俺はバケモノだからな」

 と、少し笑ったのが分かった。

 一呼吸置いて、アドルフォが再び口を開く。

「怒ってるか、ベラ……済まなかった。結婚してからずっと恥を掻かせてきて、本当に悪かった」

 どう考えてもこの状況とは関係のない、藪から棒のその台詞に、ベラドンナが「え?」と首を傾げる。

 一体何の話をしているのかも、何故謝られているのかも、まるで分らなかった。

「バケモノの俺と外を歩くのは嫌だっただろう」

 耳を疑う。

「――な…何よそれっ……!? ワタシ、そんなこと思ったことないわよ!」

「気を遣ってくれなくて良いんだ。これからは外を歩くとき、何かあったときすぐに助けられる範囲で距離を置く。あと俺はマストランジェロ一族の男とは違って、きっと女心に疎いところがあるから、ちょっとでも不満があったりしたら言ってくれ。必ず直す。ベラのことはこれからも必ず俺が守るから……離婚はしないで欲しい」

「はっ?」

 とベラドンナの声が裏返ったとき、フラヴィオの声が聞こえて来た。

「ドルフ、ベラは無事なんだな!?」

「スィー、陛下」

「良かった。今フェーデが敵を倒しに行ったから、もう少し待っててくれ。あと、壁崩れるぞ」

「どうぞ」

 ドルフのその言葉の後、別邸の石壁がさらに崩れ落ちてきたのが分かった。

 その際の地響きが、ベラドンナの背中を叩く。

「ドルフっ……!」

「心配するな。何ともない」

 その言葉通りの様子があった。

 外からは、父の絶叫が響いてくる。

「ああ、なんていうことだ! ベラっ……ベラ! おお、私のベラが――」

「父上うるさいからちょっと黙ってて」

 とベラドンナは早口で父の言葉を遮ると、話を戻した。

 頭が混乱していた。

「待ってドルフ、待って……まず、離婚しようと思っていたのはドルフの方でしょう?」

「はっ?」

 と、今度はアドルフォの声が裏返った。

「なんだそれ、俺は微塵も思ってないぞっ……! さっき言っただろう、離婚しないでくれって。何でそう思ったんだ?」

 ベラドンナが「だって!」と声高になった。

「ドルフ、ワタシが刺繍を入れたマッリェッタ着てないじゃない!」

「いや、だって……その刺繍で袖口が塞がれていて、手が通らなかったぞ」

「何それ嘘でしょう? ワタシそんなにドジじゃないわよ」

「嘘じゃない、後でマッリェッタを見れば分かる」

 と今度はアドルフォの方から訊く。

「あのさっきの夕餉は何だったんだ? 俺に怒っている証拠だろう?」

「なんでよ? ちゃんとビステッカを出したじゃない」

「いや、でも……墨みたいな肉と生肉が交互になってて……え? ど、どういう意味だったんだアレ?」

「どうって……焼き過ぎた肉と生肉を合わせれば、丁度良い焼き加減のビステッカになるでしょう?」

「は? いや……な、ならないと思うんだが……」

「そうなの?」

 とベラドンナが、「そうだ!」と続け様に訊く。

「昼間のお茶は!?」

「そうだ、その茶については俺も一番訊きたかった」

「私が淹れた紅茶を一口しか飲まなかったのは何で!?」

「いや、紅茶じゃないだろう。どうして俺に毒茶を淹れたんだ? 俺を殺したいくらい怒っているからだろう?」

「毒茶……って何よそれっ? うちの宮廷ってそんなのあるの? ワタシが淹れたのは紅茶よ!」

「いや、まったく別のものだった。人間が飲むにはあまりにも危険な味がした」

「え、何……紅茶って腐るの?」

「いや、あれはたぶん、そういうことじゃなくて――」

 2人の会話を遮るように、フラヴィオの声がした。

「よし、敵を倒し終わったようだな。2人とも、今助けてやるからな」

 2人を下敷きにしていた石が、ようやく避けられていく。

 2人から安堵の溜め息が漏れていった。

「何はともあれ……ベラは怒っていなくて、俺と離婚する気もないってことで良いんだな?」

「もちろんよ、ドルフ。お互いに誤解してたのよ。良かった……愛しているわ」

「ああ、俺もだ」

 フラヴィオや衛兵が石を避け終わったら、抱擁し合う夫婦の姿があった。

 ベラドンナの父が、その傍らに突っ伏して泣き崩れる。

「おお、ベラっ……ベラ! 無事で良かった、ベラっ……!」

 一瞬父の存在を「忘れてたわ」と呟いたベラドンナの一方、アドルフォがベラドンナを立たせ終わった後に「義父上」と呼んだ。

 その呼び方をするなと怒られると思ったが、それはアドルフォの黒の巨人の手を、両手でしかと握り締めた。

「ありがとう…ありがとう、侯爵閣下っ……! 娘の命を救ってくれて、本当にありがとう。これからもベラの夫で居てやってくれっ……!」

 その意外な言葉にベラドンナは驚いたが、アドルフォは「スィー」と微笑を返した。

「ありがとうございます、義父上。ベラはこれからも俺が守ります――」


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