104 / 137
第五章 コウノトリと受胎告知
第百八十三話 爆弾と逆鱗
しおりを挟む
その後、シリウス専用の職員室にセレスティナを含めたオルモード公爵一家全員集合だ。一応、ハロルドがお茶と菓子を用意したが、重苦しい空気の中、誰も手を付けようとしない。シリウスとセレスティナは長ソファの端と端に座っていて、シリウスは膝をトントン叩いている。
「何か、オルモード公はイライラしてないか?」
ジャネットがイザークにひそひそと言う。
「ああ、フリック所長がティナの仕草、ティナの口調を真似るもんだから、逐一精神を逆撫でされているんだろ」
シャーロットが二人の会話に加わった。
「んー……だけじゃなくて、ティナ欠乏症に陥ってるのかもね」
イザークとジャネットの視線がシャーロットに向く。
「ほら、今日の午後は語学と歴史と地理の学びで、魔工学の授業が無かったから、ティナと触れ合える時間が少なかったでしょう? で、帰りの馬車でいちゃこらしようとしたのに、現れたのはフリック所長だもの。パパ、切れかけてるかも?」
ジャネットがおかしそうに笑った。
「ははは、まさか、セレスティナと触れ合えないだけで切れる、なんてことは……」
「王立研究所に二、三発魔砲弾を打ち込もうか……」
ぶつぶつと鬼気迫る表情で、シャレにならないことを言ったのはシリウスだ。シャーロットがすかさず止めた。
「パパ、それ、駄目よ?」
「父上……」
「シリウス、あの、穏便に……」
セレスティナが宥めようとすると、それを遮るように、シリウスが手を突き出した。
「ティナ……フリックの姿をした今の君に、シリウス、なんて言われたら、魔弾銃を乱射しそうだ。頼む、黙っててくれ……」
「ごめんなさい」
セレスティナが身を縮め、そんな彼女にシリウスがちらりと視線を送る。
「私のティナが、ティナが……ああ、なんでこんなことに。フリック、許すまじ……」
やったのはフリックさんじゃないわ?
セレスティナはそう思ったが口には出せない。話す言葉も彼の声に聞こえるようで、シリウスの神経を逆撫でするだけである。
シリウスが明後日の方を見ながら言った。
「ティナ、何かして欲しいことがあったらハロルドに頼むように」
セレスティナがこくこく頷く。ちらりとセレスティナに視線を走らせたシリウスが、私のティナがぁああああっと頭を抱え、もの凄い嘆きようだ。
そして、泡を食ってやって来たボニー・ニルファがノックも早々に「失礼します!」とドアを開けるなり、彼女は目にした光景に卒倒しそうになった。ひゅっと喉を詰まらせる。ソファに座った巨大ミミズがいたからだ。巨大ミミズに見えているのは、もちろんセレスティナであるが、この場合は自業自得であろう。
「ミ、ミミズ! ミミズがぁ!」
半狂乱になるボニーに対してもシリウスは容赦がない。ゆらりと立ち上がり、ボニーの額に魔弾銃をチャキッと突きつけ、「やかましい」とやったのだ。,完全に暴走している。
シリウス! とセレスティナは慌てたものの、やはり動けない。今の自分はフリック所長の姿をしているので、何をしてもシリウスの神経を逆撫でするだけである。
「オ、オルモード公爵様?」
ボニーが恐る恐るシリウスを見上げる。顔に浮かんでいるのは冷や汗か脂汗か……。座りまくったシリウスの目がそら恐ろしい。
「ティナの術具を外せ」
「は、外せないんです!」
突きつけた銃に力がこもり、ボニーが泣き叫んだ。
「わ、私はただの術具の購入者ですよう。自分で作ったわけではないので、自然に外れるまで、あのままです! ほ、ほんのちょっとしたイタズラだったんです、ごめんさなさぁい!」
ぴくりとシリウスの頬が引きつる。
「いたずらだと?」
「そ、そうです。恋人同士のちょっとした喧嘩を誘発して、ゴシップ記事に出来ればそれでよかっただけで……で、ですから、そのミサンガは必ず三日で切れるようになっているんです。術が三日で解けるようになっているんですよぅ!」
「三日も待てるかぁああああ! くっそう、ティナに触れたいのに触れられない! 声を聞きたいのに、私の名を呼んで欲しいのに……フリックのあの姿でティナの仕草を真似られるだけで、はらわたが煮えくり返る! 外せ、今すぐ外せ! でなければあの世へ行ってから後悔しろ!」
やり過ぎやり過ぎやり過ぎ! セレスティナはそう思ったけれど近づけないし、声も掛けられない。今の自分が動けば火に油だ。
「あのう、公爵様」
ダグラスの呼びかけでバリンッと近くの花瓶が割れる。シリウスが銃をぶっ放したからである。
「……何か言ったか?」
「いえ、何でもありません」
意見しかけた銃騎士のダグラスはピタリと動きを止め、降参というように両手を挙げた。冷や汗を流さんばかりである。
「そっちのお菓子どう?」
「ああ、うまい。半分ずつ食う?」
シャーロットとイザークの会話である。既に我関せずだ。
ちょっと、ちょっと、ちょっとぉ!
慌てまくるセレスティナの意見を代弁してくれたのが、イザークの婚約者のジャネットだ。金髪長身の精悍な美女である。
「おい、イザーク、いいのか? あれ! オルモード公爵を止めなくて」
「ん? ああ、止めても無駄だから」
ジャネットがゆっさゆっさ肩を揺さぶるも、シリウスの暴走に慣れきっているイザークはこれ美味しいぞと、てんでお話にならない。
そして、額に銃口を突きつけられたボニーはと言うと、必死こいて命乞いをしていた。シャーロットとイザークの二人の、のほほんとした雰囲気との温度差が凄い。
「待って待って待って! 術具を購入した魔道具屋を教えますから、そちらで交渉してください、お願いします! 私では無理なんです! お許しをぉおおおおおお!」
ボニーが大泣きしながら謝罪だ。本当は土下座をしたかったのだろうが、頭に銃を突きつけられていてはそれもかなわない。
その後、ボニーの渾身の懇願の甲斐あってか、なんとか落ち着いたシリウスを含めた関係者全員で怪しげな魔道具屋に足を運んだのだが、当の店は「臨時休業」の札がかけられ、誰もいない。まるで危険を察知したかのように店主はとんずらしていた。
「パパ……三日待ってあげて?」
休業の札を眺めつつシャーロットが言う。
「待てない……」
抜け殻のようになったシリウスが言う。ふらりと今にも倒れそうだ。
「ティナの声が聞きたい。抱きしめたい……なのに、あれ……ティナならどんな姿でも可愛いと思えるが、流石にあれは駄目だ。フリックの姿などゴキブリ並みに生理的嫌悪が先に立つ。視覚の暴力だ。こんな嫌がらせを考えた奴、見ていろ。絶対絶対絶対仕返ししてやる!」
シリウスが店に銃を乱射しそうになり、護衛のダグラスが泡を食ってそれを止めた。
「パパにはティナの呪いを解けないの?」
シャーロットの問いにシリウスが首を横に振る。
「……時間がかかる。まず、術式の解析……その後、解呪するための魔工式を組み立てて、魔道具の作成を寝ずにやったとして、三日以上かかるのは確実だ……私は呪いの専門家ではない」
「呪いの専門家……確か、王室にいたわね? カジミール・ノーブスという魔道師が」
瞬間、ステッキを振り上げたシリウスがふっと消えた。忽然とという言い方がもっともで、皆が驚いたものの、シリウスは空間を渡ったのだろうとセレスティナは推測する。
「もしかして、魔道師のノーブス卿のところに行っちゃった?」
「多分……」
シャーロットが頷く。
「しばらく待ってパパが帰ってこなければ、公爵邸に帰りましょう。そこでパパを待てば良いわ」
全員その案に賛成し、しばらく後に自動馬車に行き先を告げ、家路についた。シリウスが帰ってきたのは真夜中だ。ドンッという破壊音が響き、使用人達が玄関ホールへ急ぐ。主人を出迎えるためである。シリウスはフードを目深にかぶった老人を連れていた。カジミールである。
「……公爵夫人はどこだ?」
口調はやけに不機嫌で、眉間には深い皺が刻まれている。
セレスティナがおずおずと進み出た。
「あ、私がオルモード公爵の妻、セレスティナ・オルモードです」
「ふん、オルモード公が二人か」
「え?」
どうやらカジミールにはセレスティナがシリウスに見えているらしい。
「手を出せ」
セレスティナがミサンガを着けた右手を出すと、カジミールがその手をとり、背後にいたシリウスに殴られた。
「何をする! この若造が!」
「ティナには触れるな!」
「いちいちやかましい! 大人しく見ていろ! 術の解呪が出来んじゃろうが!」
セレスティナの腕のミサンガを掴み、鋭い灰色の瞳がそれを凝視する。おそらく組み込まれた術式を読み取っているのだろう。やがてカジミールは得心したように小さく頷くと、カジミールの皺だらけの手が虚空に魔術語を描き出し、ミサンガがブツッと切れる。
途端、ラザール・フリックの姿が揺らぎ、セレスティナの姿が現れる。シリウスが両手を広げ、セレスティナに抱きついた。
「ティナ、ティナ、私のティナ……」
「オルモード公、約束は守って貰うぞ?」
「ああ、恩に着る」
カジミールが目を見開いた。
「……素直すぎて薄気味悪いわい」
ぶつぶつそう言い、身を翻したカジミールにセレスティナが声をかけた。
「あ、あの、ノーブス卿! せっかくですからお茶でも如何ですか? お礼もしたいので」
「……礼なら、オルモード公からもらう予定じゃ。気にせんでいい」
目深にかぶったフードの向こうから、カジミールが答える。しわしわの老人だが、眼光が鋭く、発散されるエネルギーで気圧されそうだ。
「でも……」
「わしはどうもこやつが苦手でな。水と油のように相性が悪い。では、公爵夫人、失礼する」
慇懃無礼ともとれそうだが、カジミールは恭しく貴族の礼をし、背を向けた。
カジミールの手が再び魔術語を描き出し、一羽の烏に姿を変え、飛び去った。セレスティナは目を見張った。凄い、と素直にそう感じた為だ。
「鳥に姿を変えられるなんて、素敵ね?」
「……あれはやらない方がいい」
シリウスがそう答える。
「あら、どうして?」
「危険だから。元に戻れなくなる可能性がある」
「鳥になったままってこと?」
「そうだ。時間の経過と共に人間の精神が獣のそれになるんだ。最悪人であることを忘れてしまう。力ある魔道師はその危険をよく分かっているから、精神修行を怠らない。耐性のない一般人が魔道具でそれを行った場合、あっという間に獣の思考になるだろうな」
「動物変化は魔道師の特権なのね」
セレスティナの笑う顔にシリウスが目を細め、ちゅっとセレスティナの額にキスをする。
「ところで、約束って?」
「妖蛇の涙が欲しいそうだ」
「もしかして魔法薬の材料にするの?」
妖蛇の涙は魔法薬の材料になると、セレスティナはついこの間、薬学の教師であるエイダ・アシュトンに教わった。けれど、採取が非常に難しいらしい。妖蛇の涙は親愛の証ともいえるもので、術者との間に信頼関係がないと上手くいかないのだとか。
セレスティナの問いにシリウスが頷く。
「だろうな。老齢の大妖蛇から分けて貰うとしよう」
「あら、ペロでは駄目なの?」
セレスティナの無邪気な問いに、シリウスが苦笑した。
「ふ、ふふ……ノーブスが要求した量を出せ、なんて要求すれば、ペロの小さな体がからっからに干からびるぞ?」
「ぜ、前言撤回!」
セレスティナは慌てて首を横に振り、はははとおかしそうに笑ったシリウスに抱きしめられる。その抱擁が心地良くて、安心を覚えたセレスティナは目を閉じた。
「何か、オルモード公はイライラしてないか?」
ジャネットがイザークにひそひそと言う。
「ああ、フリック所長がティナの仕草、ティナの口調を真似るもんだから、逐一精神を逆撫でされているんだろ」
シャーロットが二人の会話に加わった。
「んー……だけじゃなくて、ティナ欠乏症に陥ってるのかもね」
イザークとジャネットの視線がシャーロットに向く。
「ほら、今日の午後は語学と歴史と地理の学びで、魔工学の授業が無かったから、ティナと触れ合える時間が少なかったでしょう? で、帰りの馬車でいちゃこらしようとしたのに、現れたのはフリック所長だもの。パパ、切れかけてるかも?」
ジャネットがおかしそうに笑った。
「ははは、まさか、セレスティナと触れ合えないだけで切れる、なんてことは……」
「王立研究所に二、三発魔砲弾を打ち込もうか……」
ぶつぶつと鬼気迫る表情で、シャレにならないことを言ったのはシリウスだ。シャーロットがすかさず止めた。
「パパ、それ、駄目よ?」
「父上……」
「シリウス、あの、穏便に……」
セレスティナが宥めようとすると、それを遮るように、シリウスが手を突き出した。
「ティナ……フリックの姿をした今の君に、シリウス、なんて言われたら、魔弾銃を乱射しそうだ。頼む、黙っててくれ……」
「ごめんなさい」
セレスティナが身を縮め、そんな彼女にシリウスがちらりと視線を送る。
「私のティナが、ティナが……ああ、なんでこんなことに。フリック、許すまじ……」
やったのはフリックさんじゃないわ?
セレスティナはそう思ったが口には出せない。話す言葉も彼の声に聞こえるようで、シリウスの神経を逆撫でするだけである。
シリウスが明後日の方を見ながら言った。
「ティナ、何かして欲しいことがあったらハロルドに頼むように」
セレスティナがこくこく頷く。ちらりとセレスティナに視線を走らせたシリウスが、私のティナがぁああああっと頭を抱え、もの凄い嘆きようだ。
そして、泡を食ってやって来たボニー・ニルファがノックも早々に「失礼します!」とドアを開けるなり、彼女は目にした光景に卒倒しそうになった。ひゅっと喉を詰まらせる。ソファに座った巨大ミミズがいたからだ。巨大ミミズに見えているのは、もちろんセレスティナであるが、この場合は自業自得であろう。
「ミ、ミミズ! ミミズがぁ!」
半狂乱になるボニーに対してもシリウスは容赦がない。ゆらりと立ち上がり、ボニーの額に魔弾銃をチャキッと突きつけ、「やかましい」とやったのだ。,完全に暴走している。
シリウス! とセレスティナは慌てたものの、やはり動けない。今の自分はフリック所長の姿をしているので、何をしてもシリウスの神経を逆撫でするだけである。
「オ、オルモード公爵様?」
ボニーが恐る恐るシリウスを見上げる。顔に浮かんでいるのは冷や汗か脂汗か……。座りまくったシリウスの目がそら恐ろしい。
「ティナの術具を外せ」
「は、外せないんです!」
突きつけた銃に力がこもり、ボニーが泣き叫んだ。
「わ、私はただの術具の購入者ですよう。自分で作ったわけではないので、自然に外れるまで、あのままです! ほ、ほんのちょっとしたイタズラだったんです、ごめんさなさぁい!」
ぴくりとシリウスの頬が引きつる。
「いたずらだと?」
「そ、そうです。恋人同士のちょっとした喧嘩を誘発して、ゴシップ記事に出来ればそれでよかっただけで……で、ですから、そのミサンガは必ず三日で切れるようになっているんです。術が三日で解けるようになっているんですよぅ!」
「三日も待てるかぁああああ! くっそう、ティナに触れたいのに触れられない! 声を聞きたいのに、私の名を呼んで欲しいのに……フリックのあの姿でティナの仕草を真似られるだけで、はらわたが煮えくり返る! 外せ、今すぐ外せ! でなければあの世へ行ってから後悔しろ!」
やり過ぎやり過ぎやり過ぎ! セレスティナはそう思ったけれど近づけないし、声も掛けられない。今の自分が動けば火に油だ。
「あのう、公爵様」
ダグラスの呼びかけでバリンッと近くの花瓶が割れる。シリウスが銃をぶっ放したからである。
「……何か言ったか?」
「いえ、何でもありません」
意見しかけた銃騎士のダグラスはピタリと動きを止め、降参というように両手を挙げた。冷や汗を流さんばかりである。
「そっちのお菓子どう?」
「ああ、うまい。半分ずつ食う?」
シャーロットとイザークの会話である。既に我関せずだ。
ちょっと、ちょっと、ちょっとぉ!
慌てまくるセレスティナの意見を代弁してくれたのが、イザークの婚約者のジャネットだ。金髪長身の精悍な美女である。
「おい、イザーク、いいのか? あれ! オルモード公爵を止めなくて」
「ん? ああ、止めても無駄だから」
ジャネットがゆっさゆっさ肩を揺さぶるも、シリウスの暴走に慣れきっているイザークはこれ美味しいぞと、てんでお話にならない。
そして、額に銃口を突きつけられたボニーはと言うと、必死こいて命乞いをしていた。シャーロットとイザークの二人の、のほほんとした雰囲気との温度差が凄い。
「待って待って待って! 術具を購入した魔道具屋を教えますから、そちらで交渉してください、お願いします! 私では無理なんです! お許しをぉおおおおおお!」
ボニーが大泣きしながら謝罪だ。本当は土下座をしたかったのだろうが、頭に銃を突きつけられていてはそれもかなわない。
その後、ボニーの渾身の懇願の甲斐あってか、なんとか落ち着いたシリウスを含めた関係者全員で怪しげな魔道具屋に足を運んだのだが、当の店は「臨時休業」の札がかけられ、誰もいない。まるで危険を察知したかのように店主はとんずらしていた。
「パパ……三日待ってあげて?」
休業の札を眺めつつシャーロットが言う。
「待てない……」
抜け殻のようになったシリウスが言う。ふらりと今にも倒れそうだ。
「ティナの声が聞きたい。抱きしめたい……なのに、あれ……ティナならどんな姿でも可愛いと思えるが、流石にあれは駄目だ。フリックの姿などゴキブリ並みに生理的嫌悪が先に立つ。視覚の暴力だ。こんな嫌がらせを考えた奴、見ていろ。絶対絶対絶対仕返ししてやる!」
シリウスが店に銃を乱射しそうになり、護衛のダグラスが泡を食ってそれを止めた。
「パパにはティナの呪いを解けないの?」
シャーロットの問いにシリウスが首を横に振る。
「……時間がかかる。まず、術式の解析……その後、解呪するための魔工式を組み立てて、魔道具の作成を寝ずにやったとして、三日以上かかるのは確実だ……私は呪いの専門家ではない」
「呪いの専門家……確か、王室にいたわね? カジミール・ノーブスという魔道師が」
瞬間、ステッキを振り上げたシリウスがふっと消えた。忽然とという言い方がもっともで、皆が驚いたものの、シリウスは空間を渡ったのだろうとセレスティナは推測する。
「もしかして、魔道師のノーブス卿のところに行っちゃった?」
「多分……」
シャーロットが頷く。
「しばらく待ってパパが帰ってこなければ、公爵邸に帰りましょう。そこでパパを待てば良いわ」
全員その案に賛成し、しばらく後に自動馬車に行き先を告げ、家路についた。シリウスが帰ってきたのは真夜中だ。ドンッという破壊音が響き、使用人達が玄関ホールへ急ぐ。主人を出迎えるためである。シリウスはフードを目深にかぶった老人を連れていた。カジミールである。
「……公爵夫人はどこだ?」
口調はやけに不機嫌で、眉間には深い皺が刻まれている。
セレスティナがおずおずと進み出た。
「あ、私がオルモード公爵の妻、セレスティナ・オルモードです」
「ふん、オルモード公が二人か」
「え?」
どうやらカジミールにはセレスティナがシリウスに見えているらしい。
「手を出せ」
セレスティナがミサンガを着けた右手を出すと、カジミールがその手をとり、背後にいたシリウスに殴られた。
「何をする! この若造が!」
「ティナには触れるな!」
「いちいちやかましい! 大人しく見ていろ! 術の解呪が出来んじゃろうが!」
セレスティナの腕のミサンガを掴み、鋭い灰色の瞳がそれを凝視する。おそらく組み込まれた術式を読み取っているのだろう。やがてカジミールは得心したように小さく頷くと、カジミールの皺だらけの手が虚空に魔術語を描き出し、ミサンガがブツッと切れる。
途端、ラザール・フリックの姿が揺らぎ、セレスティナの姿が現れる。シリウスが両手を広げ、セレスティナに抱きついた。
「ティナ、ティナ、私のティナ……」
「オルモード公、約束は守って貰うぞ?」
「ああ、恩に着る」
カジミールが目を見開いた。
「……素直すぎて薄気味悪いわい」
ぶつぶつそう言い、身を翻したカジミールにセレスティナが声をかけた。
「あ、あの、ノーブス卿! せっかくですからお茶でも如何ですか? お礼もしたいので」
「……礼なら、オルモード公からもらう予定じゃ。気にせんでいい」
目深にかぶったフードの向こうから、カジミールが答える。しわしわの老人だが、眼光が鋭く、発散されるエネルギーで気圧されそうだ。
「でも……」
「わしはどうもこやつが苦手でな。水と油のように相性が悪い。では、公爵夫人、失礼する」
慇懃無礼ともとれそうだが、カジミールは恭しく貴族の礼をし、背を向けた。
カジミールの手が再び魔術語を描き出し、一羽の烏に姿を変え、飛び去った。セレスティナは目を見張った。凄い、と素直にそう感じた為だ。
「鳥に姿を変えられるなんて、素敵ね?」
「……あれはやらない方がいい」
シリウスがそう答える。
「あら、どうして?」
「危険だから。元に戻れなくなる可能性がある」
「鳥になったままってこと?」
「そうだ。時間の経過と共に人間の精神が獣のそれになるんだ。最悪人であることを忘れてしまう。力ある魔道師はその危険をよく分かっているから、精神修行を怠らない。耐性のない一般人が魔道具でそれを行った場合、あっという間に獣の思考になるだろうな」
「動物変化は魔道師の特権なのね」
セレスティナの笑う顔にシリウスが目を細め、ちゅっとセレスティナの額にキスをする。
「ところで、約束って?」
「妖蛇の涙が欲しいそうだ」
「もしかして魔法薬の材料にするの?」
妖蛇の涙は魔法薬の材料になると、セレスティナはついこの間、薬学の教師であるエイダ・アシュトンに教わった。けれど、採取が非常に難しいらしい。妖蛇の涙は親愛の証ともいえるもので、術者との間に信頼関係がないと上手くいかないのだとか。
セレスティナの問いにシリウスが頷く。
「だろうな。老齢の大妖蛇から分けて貰うとしよう」
「あら、ペロでは駄目なの?」
セレスティナの無邪気な問いに、シリウスが苦笑した。
「ふ、ふふ……ノーブスが要求した量を出せ、なんて要求すれば、ペロの小さな体がからっからに干からびるぞ?」
「ぜ、前言撤回!」
セレスティナは慌てて首を横に振り、はははとおかしそうに笑ったシリウスに抱きしめられる。その抱擁が心地良くて、安心を覚えたセレスティナは目を閉じた。
306
あなたにおすすめの小説
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました
鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」
そう言ったのは、王太子アレス。
そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。
外交も財政も軍備も――
すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。
けれど功績はすべて王太子のもの。
感謝も敬意も、ただの一度もない。
そして迎えた舞踏会の夜。
「便利だったが、飾りには向かん」
公開婚約破棄。
それならば、とレイナは微笑む。
「では業務も終了でよろしいですね?」
王太子が望んだ通り、
彼女は“確認”をやめた。
保証を外し、責任を返し、
そして最後に――
「ご確認を」と差し出した書類に、
彼は何も読まずに署名した。
国は契約で成り立っている。
確認しない者に、王の資格はない。
働きたくない公爵令嬢と、
責任を理解しなかった王太子。
静かな契約ざまぁ劇、開幕。
---
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
冤罪から逃れるために全てを捨てた。
四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。