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1巻
1-1
しおりを挟む第一話 小さなレディ
「お姉さんなんだから、我慢しなさい」
母親のメリッサにそう言われ、セレスティナは押し黙った。
まただ……そんな寂しさが胸を襲う。一体今までに何度この台詞を言われただろう。妹のジーナは十三歳で、自分は今日十四歳になったばかり。年なんてたったの一つしか違わない。なのに、お母様はいつだって、こうやって妹のジーナを甘やかす。
お客様からお誕生日祝いにいただいたお菓子が一つしかない。それを妹が欲しがったのだ。王室御用達の品だから欲しがるジーナの気持ちも分からなくはない。手に入れられる人は限られている。
でも、これは私がもらったものだ。誕生日のお祝いだから、一年に一度の特別な贈り物である。なのに、どうして譲らなければならないのか……
セレスティナがそう訴えた時の台詞がこれである。
――お姉さんなんだから、我慢しなさい。
お姉さんなんだから、お姉さんなんだから、お姉さんなんだから……。好きでお姉さんになったわけじゃないわ!
そう言いたくなるのを、セレスティナはぐっとこらえた。
色とりどりの風船が飾られた誕生日パーティーの会場は華やかだ。けれど、先程までの浮かれた気持ちはどこへやら、せっかくの誕生日なのに、黒くて嫌な感情がぐるぐると渦巻く。
――お姉さんなんだから妹には優しく……
セレスティナとて母親の言うことが分からないわけじゃない。自分だってそうしたい。
けれど、何故私だけ? どうして私だけがいつも我慢しなければならないの? どうしてお母様は妹にばかり甘いのか。こうした不満が積もり積もって今にも爆発しそうだった。
セレスティナを見下ろす母親は、ふくよかな中年女性だ。その腰には妹のジーナがへばりつき、恨みがましげな視線を向けてくる。こちらは蜂蜜色の髪の美少女だ。ピンクの華やかなドレスに色鮮やかなアクセサリーをふんだんにつけた姿は、主役であるセレスティナより華美で目立った。
なにせ、セレスティナの装いはシンプルだ。アクセサリーなど一切身につけておらず、飾り気のないブラウンのドレスは、まるで家庭教師のよう。それでも誕生日会を開いてもらえるというだけで、セレスティナは浮かれたが。
母親のメリッサがこんこんと諭した。
「あとで同じものを買ってあげます。だから、それはジーナにあげなさい。それくらいなんですか。そんな我が儘な子に育てた覚えはありませんよ」
我が儘……
母親の叱責にセレスティナはぐっと唇を噛む。
買えないと思うわ。このお菓子はそうそう手に入らないもの。だから、多分、買ってなんかもらえない。お姉さんなんだから我慢しなさいと言われて、きっとそれで終わりね。
セレスティナが泣きそうになっていると、唐突に別の声が割り込んだ。
「なら、妹の方に、あとで同じものを買ってやればいい」
低く厚みのある声は大人の男の人のものだ。ふっとセレスティナが顔を上げると、長い銀髪の男性がメリッサの横に立っていた。お酒のグラスを手にしている。
大きい……
セレスティナは目を見張った。威風堂々とした男性だ。片眼鏡をかけた端整な顔立ちは厳格そうで、青い瞳は美しいけれど知的で鋭く、近寄りがたさを感じさせる。肩のあたりまである白銀の髪は、風で揺れると流星のように輝く。思わず見惚れてしまいそうなほどの美丈夫だ。
正装しているからお客様の一人よね。でもお父様よりずっと若いわ。二十代くらいかしら?
「オルモード公爵閣下!」
メリッサの狼狽えた声に、セレスティナはさらに驚いた。
公爵様? 王族に準ずる身分の方だわ。
「それは、彼女がもらった贈り物だろう?」
「え、ですが……妹はまだ幼いので……」
先程までの勢いはどこへやら、オルモード公爵の指摘に、メリッサはオロオロし始めた。
「幼い? 私の目にはどちらも幼く見える」
オルモード公爵は不愉快そうに顔をしかめた。
これだとまるでお母様が叱られているようだわ。
セレスティナはひっそりそう思う。
「大した違いなどないだろう。そのプレゼントはブランジット卿が彼女に与えたものだ。姉だから妹だから、という言い分はおかしいのでは? むしろそういった我が儘を通せば、ねだればなんでも思い通りになると思ってしまうぞ? 教育という意味なら逆効果だ」
「それは、その……」
お母様は本当に困っているようだわ。いつもの勢いがない。
妹のジーナはというと、自分の要求が通らなかったせいか、火がついたように泣き出した。それを目にしたオルモード公爵が呆れ顔でため息をつく。
「いつもこんな風なのか?」
オルモード公爵に問われ、メリッサがさらに狼狽えた。
「え、あ、はい。妹はまだ幼いので、どうかご容赦を」
「お母様、欲しい、欲しい、欲しいの! お姉様ばっかりずるい!」
ジーナが地団駄を踏むと、メリッサが金切り声を上げた。
「ジ、ジーナ、黙って、黙りなさい!」
これまで妹を叱ったことなどない母親の剣幕に、セレスティナは驚いた。それはジーナも同じだったようで、一旦は泣きやんだものの、よりいっそうひどく泣き出した。メリッサが一生懸命なだめすかす中、セレスティナは今一度、オルモード公爵を見上げた。
多分、お父様より大きいわ。背が高くて、がっちりしている。顔立ちはまるで壁画の天使様のよう。白銀の髪が日の光に輝いて、とっても綺麗。でも……視線が鋭くて、天使は天使でも審判を下す天使様みたいでちょっぴり怖いかも……
「ジーナ、一体どうし……」
娘の泣き声を聞きつけ、やってきたのはセレスティナの父親、スワレイ伯爵だ。が、傍に立つオルモード公爵の姿を目にするなり、泡を食って頭を下げ出した。
「こ、これは、オルモード公爵閣下!」
冷や汗をかかんばかりである。セレスティナが二人を見比べると、やはり父親の方が一回りくらい小さかった。父親は平均的な体格だが、立派な体躯の公爵と並ぶとどうしても貧弱に見える。
「……躾がなっていないな」
オルモード公爵の指摘に、セレスティナは思わず身を縮めた。自分が叱られると、そう思ったのだ。ジーナが泣くと叱られるのはいつだって自分だったから。殆ど条件反射である。
「は、そ、その、申し訳ありません。セレスティナ、お前、一体何をやった?」
予想通り、父親の叱責がセレスティナに向かう。
「何も……」
「違う」
何もやっていないわ、そう言いかけたセレスティナの言葉を遮ったのはオルモード公爵だ。
「彼女じゃない。何を見ている。妹の方だ。泣きやませろ。煩くてかなわない」
父親はもとより、セレスティナも驚いた。ジーナを叱る者など初めて目にしたからだ。
「できないのなら、ここから追い出せ。この場は姉の誕生日会だろう?」
もうこれは完全な叱責だった。オルモード公爵の眼差しが険しい。対応の間違いを許さない、そんな気配が感じられる。が、ジーナは泣きやまない。周囲の状況などそっちのけだ。
「おどうざばああああああああああああ!」
「ああ、分かった、分かった。あとでなんでも買ってやるから、な?」
スワレイ伯爵が娘のジーナを宥め、母親のメリッサ共々会場から追い出した。
「本当に申し訳ありません」
「あとできちんと叱っておけ。人のものを欲しがるなと」
スワレイ伯爵は「はい、はい」と言って、頭を下げている。
セレスティナは思わずぽかんと見入ってしまった。
いつもなら妹優先で、お姉さんなんだから我慢しなさいと私が叱られるのに、初めて妹の方が叱られたわ……。もしかして、オルモード公爵様のお陰?
「あ、あの!」
父親と一緒にその場を離れかけたオルモード公爵に、セレスティナは思い切って声をかけた。急ぎドレスをつまみ、淑女の礼をする。
「は、はじめまして、公爵様! 私はスワレイ伯爵が娘、セレスティナ・スワレイと申します。以後お見知りおきを」
そう挨拶すると、オルモード公爵の厳格そうな顔が、ふわっとほころんだ。吸い込まれそうな青い瞳だ。晴れ渡った空を映したような色である。
綺麗……
セレスティナはつい見入ってしまった。多分、見惚れたのだろう。すると、オルモード公爵は手袋をはめた手を胸に当て、優美な貴族の礼を返してくれた。白銀の髪がさらりと揺れる。
「私はオルモード公シリウスだ。よろしく、小さなレディ」
レディは大人の貴婦人に対する総称だ。大人の女性として扱ってもらったことが嬉しくて、セレスティナの心がぱっと華やぐ。セレスティナはその場で、父親と共に離れていくシリウス・オルモード公爵の背を長々見送った。
「お姉様ばっかり、ずるーい」
誕生日会がお開きになると、居間にやってきた妹のジーナが、さっそくセレスティナがもらったプレゼントを物色し始める。欲しいものがあれば、ねだるつもりなのだろう。
ずるいって……自分の誕生日にもらったプレゼントは全部独り占めするくせに。私の方がずるいと言いたいわ。言ったところで、お姉さんなんだから、と言われて終わりだろうけれど……
セレスティナが手を動かすと、腕にはめたブレスレットがシャランと鳴った。オルモード公シリウスからの贈り物だ。光り輝くブレスレットは、まるで星屑をちりばめたよう。
青いダイヤモンドなんて初めて見たわ。とっても素敵。
「それ! ちょうだい!」
ジーナのおねだりを耳にして、セレスティナはひやりとする。
「これは駄目よ」
セレスティナはブレスレットを背に隠す。母親のメリッサが口を開いた。
「ああ、駄目よ、ジーナ、それは駄目」
母親の言葉にセレスティナは驚いた。
いつもなら、お姉さんなんだから、そう言って取り上げられていたのに、どういう風の吹き回しかしら?
「それはオルモード公爵様がくださったものなのよ。欲しがってはいけません。もしバレたら、ああ、本当に大変なことになるわ」
なんだ、オルモード公爵様がくださったものだから止めたのね。
理由が分かって、セレスティナは幾分がっかりしたものの、すぐに気分が高揚する。彼からのプレゼントなら妹にねだられても取られないと分かったからだ。
そうだわ、お礼のお手紙を書こう。
セレスティナがシリウス宛に手紙を書くと、数日後、どういたしましてという内容の手紙が届いた。嬉しくて何度も読み返してしまう。
オルモード公爵様は、字もとっても綺麗だわ。本当に素敵な人……
「何かいいことでもあったのかい?」
ある日のこと、病気の祖母に本を読んでいると、ベッドに寝ている彼女からそんな風に問われ、セレスティナは自分が浮かれていたことを知った。
「ええ、とっても。お祖母様、ほら、見て? こんなに素敵なブレスレットを、オルモード公爵様からいただいたのよ? 私のお誕生日会に来てくださったの」
ブレスレットを見せると、祖母のサラは顔をほころばせた。
「おや、まぁ……本当に素敵だこと。ご褒美かしらね」
「ご褒美?」
「ええ、私に本を読み聞かせてくれる優しい孫がいるという話をしたら、感心していたから、そのせいかもしれないわね」
セレスティナは目を丸くする。
オルモード公爵様は私のことをご存じだった? それで庇ってくださったの?
優しい孫という祖母の言葉に口元が緩んでしまう。
「ねえ、お祖母様はオルモード公爵様と親しいの?」
セレスティナがそう問うと、サラが穏やかに微笑んだ。
「さあ、どうかしら。あの方は腕のいい魔工技師なのよ。お医者様みたいなものね」
「魔道具を作るの? あ、もしかして、お祖母様の義眼も?」
祖母のサラは数年前、目の病で左目の視力を失ったが、魔道具で視力を取り戻していた。
「ええ、そうよ。セレスティナのお誕生日会の日に、メンテナンスに来てくださったの」
「ね、お祖母様。私もたくさん勉強したら魔工技師になれるかしら?」
セレスティナが期待を込めてそう問うと、サラは笑った。
「そうね、なれるかもしれないわね。あなたはとても頭がいいもの。頑張りなさい」
皺だらけの手で頭を撫でられ、セレスティナの心がほわりと温かくなる。
よかった。やっぱりお祖母様は私の味方だわ。お母様もお父様も、勉強ができることを喜んではくださらない。女に高度な教育は必要ないと言う。でも、お祖母様は違う。書物の中に広がる素晴らしい世界の話をすると、偉いわと言って、こうして頭を撫でてくれる。
――ジェームズ、子供は平等に扱いなさい。
お祖母様は何度もお父様にそう言って、私を庇ってくれたわ。お父様がジーナと同じようにお誕生日会を開いてくれるようになったのも、お祖母様のお陰ね。ジーナと一緒に祝えばいい、前はそう言われていたもの。
この日を境に、セレスティナは魔道具に関心を持つようになった。店や他の家を訪問するたびに、魔道具に目がいってしまう。一番簡単なものは明かりで、最も複雑精緻な魔道機器はマジックドールであろうか。魔石を動力源にして動く忠実な召使いである。裕福さの象徴でもあるから、平民でもお金持ちは率先して持ちたがる。セレスティナの家にマジックドールはいない。貧乏ではないけれど、裕福でもない伯爵家には贅沢品なのだろう。
セレスティナは王立図書館に通い詰め、魔工学に関する本をせっせと読みあさった。そうして一年も経つ頃には、魔工技師になりたい、そう切に願うようになっていた。
魔力のある十六歳の若者は、貴賤を問わず王立魔道学院の入学試験を受けることができる。それが平等を謳う学院の方針だ。そこで魔工学を学ぶことができれば憧れの魔工技師になれる。魔工学を専攻したい、セレスティナはそう切望するも、なかなかその希望を口にすることができない。両親に言えば反対されると簡単に予想できるからだ。
王立魔道学院に通う貴族女性は、魔工学のような専門科を受講することはまずもってない。通常三年の在学期間が倍の六年になってしまうからだ。貴族女性が十六歳から六年も学院に通えば婚期を逃す可能性が高い。両親が許してくれるとは到底思えなかった。
お祖母様に相談してみよう……
あと半年ほどで自分も十六歳だ。貴族である自分は例に漏れず魔力があるので、王立魔道学院の入学試験は受けられる。だが、このままでは淑女科に放り込まれて終わりだろう。祖母は唯一自分に理解のある家族だから、両親に口添えしてくれるかもしれない。
そんな期待を胸に、セレスティナがせっせと勉学に励んでいたある日のこと、伯母のブレンダ・クラインがふらりと伯爵邸に遊びにやってきた。
「……本当にお前は陰気ね」
振る舞われた酒を手に、伯母のブレンダは読書をしているセレスティナに嫌悪の目を向ける。ブレンダは母親の姉だ。でっぷりと太っていて、お喋りとお酒が大好きである。
「相変わらずちびで鈍くさくて嫌になる」
氷が溶け、グラスがからんと鳴った。セレスティナは伯母のきつい眼差しに身を縮める。
私が勉強をするのが気に入らないのかしら。ううん、私が嫌いなのかもしれないわ。伯母様は私を見るたびにあれこれ文句を言う。
「ジーナはこぉんなに可愛いのに、お前はどうしてそうなの?」
ブレンダは、自分にぴったりひっついているジーナの蜂蜜色の髪を撫でた。ブレンダは姪のジーナが大のお気に入りで、こうして時折やってきては小遣いを渡している。
「ああ、嫌だ。嫌だ。そもそも、女には教養なんて必要ないのよ。暇さえあれば本を読んで、本当に可愛げがないったら。女が必要以上に知識を詰め込んでどうするの。殿方に嫌がられて、忌避されるだけだわ。行き遅れになるわよ、この穀潰し」
行き遅れ……でも、それが不幸だとは思わないわ。仕事をする女性は増えているもの。一昔前までは貴族女性が働くなんてとんでもないと言われていたけれど、私はできるなら働きたい。シリウス様のように人に頼られるようになりたい。きっとお父様もお母様も、伯母様と同じようにお嫁に行きなさい、そう言うのだろうけれど……
「伯母様、ジーナね、ブレスレットが欲しいの」
いつものようにジーナが甘える。途端、険悪だったブレンダの顔つきが変わった。
「ああ、そうかい、そうかい。いいとも、可愛い姪のためだ。どんなのがいいかねぇ?」
「お姉様と同じのがいいわ!」
ジーナがセレスティナのブレスレットを指差したので、彼女は心底驚いた。
まだ諦めていなかったの?
そんな呆れにも似た気持ちが、セレスティナに湧き上がる。
このブレスレットはオルモード公爵様の……シリウス様からの贈り物だったから、これだけはジーナの思い通りにならず、代わりのものを散々ねだって買ってもらっていた。自慢げに見せびらかしに来たからよく覚えている。なのになんて欲張りなのかしら。
「あ、はーん。どれどれ?」
ブレンダがソファから立ち上がり、セレスティナのブレスレットを覗き込む。
「あん? これ……もしかして本物のブルーダイヤかい?」
ブレンダが目を見張り、セレスティナはさらに身を縮める。
やっぱり高価なものだったのね。そうよ、オルモード公爵様からの贈り物だもの。彼の場合、権力だけでなく財力も凄いはず。伯母様は宝石が大好きだから、これの価値が分かるんだわ。
「多分、そうです」
セレスティナがおずおずと答えると、ブレンダがいきり立った。
「ちょっと! これはお前のような奴が、身につけるようなものじゃないよ! ジェームズは一体なんだってセレスティナなんかにこんな贅沢をさせたんだ?」
怒鳴られて、セレスティナはびくっと身をすくめた。
「欲しいの、ねぇ、伯母様、ジーナにも同じのを買って? だって、みんながお姉様のブレスレットを褒めるのよ? ジーナが持っているアクセサリーじゃ、全然敵わないの。だから、ジーナも同じのが欲しいわ。ね、お願い?」
ブレンダは困ったように視線を彷徨わせ、ふと思いついたように顔を輝かせた。
「そうだ、それをおよこし! それをジーナにやればいい」
閃いたとばかりにブレンダが叫び、セレスティナは仰天した。
「駄目! これは……」
「いいからおよこし!」
セレスティナに向かってブレンダが大きな手を振り下ろした時だった。
「義姉さん! 何をしているんですか!」
パンッという音とほぼ同時に、父親であるスワレイ伯爵の声が響く。どうやらちょうど居間にやってきたところらしい。ブレンダに叩かれた頬を押さえたセレスティナの目にじわりと涙が浮かぶ。
伯母様に殴られた頬が痛い。じんじんする。
「何って、躾だよ、躾! 聞き分けの悪い奴には思い知らせてやらないと。さあ、そのブレスレットをおよこし! 本当に悪い子だ」
「いや、ちょっと待ってください、それは駄目です。オルモード公爵閣下からの贈り物だ!」
スワレイ伯爵の叫びに、ブレンダはぎょっとした。
「オルモード公爵閣下? なんでまた? 彼と交流があるのかい?」
「ええ、私の母がね。母の義眼を彼が手がけたんです」
ブレンダの目が爛々と光った。舌なめずりせんばかりである。
「そりゃあ、凄いじゃないか! 紹介しておくれ! 是非とも懇意に!」
スワレイ伯爵が首を横に振った。
「悪いが、無理ですよ。彼はとんでもなく偏屈で……。その、気に入った相手としか交流しないんです。夜会や食事会に何度招待しても、頑として受け付けない。二年前のセレスティナの誕生日会は、たまたま母の義眼のメンテナンス日と重なったから来てくださっただけで……。とにかく、それに手を出しては駄目です。もし、セレスティナに贈ったものをジーナが身につけていたなんてことがバレたら、とんでもないことになる」
そこでようやく事態を理解したのか、ブレンダは引き下がった。
セレスティナはほっと胸を撫で下ろす。
シリウス様……本当に、本当に凄い人なんだわ。横暴な伯母様でさえ引き下がるほど……
ジーナの悔しそうな視線が気になったが、セレスティナは大丈夫だと自分に言い聞かせる。
部屋に戻ってからセレスティナは改めてブレスレットに目を向けた。地金はプラチナで、中央で輝く大きなブルーダイヤがひときわ美しく、そこここに小さなダイヤモンドが星屑のようにあしらわれている。本当に素晴らしい逸品だった。
第二話 公爵様再び
その日、セレスティナはいつものように王立図書館を訪れていた。
分厚い魔工学の専門書に没頭していると、静まりかえった図書館内に、「これはこれは、オルモード公爵」という誰かの声が響き、セレスティナははっとした。
オルモード公爵? もしかしてシリウス様が王立図書館にいらっしゃったの?
セレスティナが急ぎ周囲を見回すと、見覚えのある姿が目に入った。長い白銀の髪をした長身の紳士だ。白銀の髪の少女と一緒である。嬉しさと興奮でセレスティナの心臓が跳ね上がった。
間違いない、シリウス様だわ! あ、あ、行っちゃう!
図書館員に先導され、遠ざかっていくシリウスの背をセレスティナは追いかけた。付き添いの侍女が慌てたようだけれど、気にしてなどいられない。
走るなんてはしたない、そう言われるだろうけれど許して欲しい。だってここで見失ったら、今度はいつお会いできるか分からないんだもの。ううん、この先ずっと会えなくてもおかしくない。それくらい、私とシリウス様とでは身分が違う。
セレスティナが必死で追いかけるとシリウスは途中で気が付いたようで、足を止めた。同じように制服を着た図書館員も立ち止まる。こちらは怪訝そうな目だ。
「こ、こんにちは! オルモード公爵様! 私はスワレイ伯爵の娘、セレスティナ・スワレイです。覚えていらっしゃいますか?」
セレスティナは息を整えつつ、ドレスをつまんで膝を曲げ、急ぎ挨拶をする。
シリウスとは二年前の誕生日会で一度会ったきりだ。
セレスティナは少々不安だったが、シリウスが微笑んでくれたので、ほっと胸を撫で下ろした。片眼鏡をかけた端整な顔は相変わらず魅力的で、セレスティナの心臓が早鐘を打つ。
やっぱり、シリウス様は天使様みたいで素敵だわ。将来結婚するなら、シリウス様みたいな人がいい。
ふっとセレスティナはそんなことを考え、つい、顔が熱くなった。
シリウスが帽子をほんの少し上げ、挨拶を返した。
「ああ、もちろん覚えているとも、小さなレディ。元気そうで何よりだ。そうそう、もう一度君の誕生日会に行こうと思っていたのだが……招待してもらえず残念だ」
シリウスにそう言われ、セレスティナは心底驚いた。
招待状は送ったはずだけれど、届いていなかったということかしら?
――期待しちゃって馬鹿みたい。私の誕生日会にだって来てくれないんだもの。あんな素敵な公爵様が、陰気で地味なお姉様の誕生日会になんか来るわけないじゃない。
そんなジーナの暴言がふっと蘇る。
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