恋した相手は貴方だけ

白乃いちじく

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本編

第八話 瘴気入りパンは泣き叫ぶ

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 レイチェルは驚いた。居間のソファに自分を降ろした途端、ブラッドがバタンと倒れたからだ。

「ブラッドさん! どうしました? 怪我でもしましたか?」

 レイチェルが慌ててブラッドを揺さぶったけれど、腹減ったー……というブラッドの寝言が耳に届き、なぁんだと胸をなで下ろすも、深刻な事態だと考え直す。食事が出来なければ、普通は餓死する。きっと相当辛いはずだ。
 どうすれば……
 そこでレイチェルはふっと思い出す。瘴気入りのパンが食べたいと、そう言っていたことを。
 そうだわ、作ってみよう!

 幸い瘴気入りの魔法瓶は手に入れてある。あとはあれをパン生地に練り込めばいいだけである。いいだけなのだが……とりあえず魔法瓶から瘴気を出し、パン生地に練り込もうとしたものの、瘴気が周囲に拡散してしまい、慌てて浄化だ。瘴気は大量に吸い込めば体調を崩す。病気の元と言ってもいい。そんなものをまき散らしたくはない。両親が体調を崩すこと請け合いである。

 どうしよう……
 まき散らさずにきちんとパン生地に練り込む。瘴気が拡散しないように神聖力で薄い膜を作って閉じ込めて練るのはどうだろう? そう思い、実行してみるとこれが案外上手くいった。
 練って練って練り込むべし……よし、これで行けるわ!
 こねこねこねこねこねこねこねこね……
 パンを作る様子を見学していたエイミーが言う。

「レイチェル……なんか、このパン生地……どよよ~んってしてない? なんか暗い空気を感じるんだけど。何したの?」
「そ、その、瘴気を練り込んでみたの」

 えへっとレイチェルが誤魔化すように笑うと、エイミーが目を剥いた。

「ええええぇええええええ? 瘴気なんか食べたら、病気になっちゃうじゃない。なんでそんなもの入れたのよ?」
「えっと、ブラッドさんが食べたいって……」

 小さな声でレイチェルが答えると、エイミーは納得したようだ。

「ああ、なるほど。あれなら食べても平気だわ」

 魔物だしぃとエイミーが付け加える。そう、瘴気は人間にとっては毒でも、魔物にとっては活力になるらしい。だから、きっと、空腹も少しはおさまってくれるわよね?
 レイチェルはそんな期待を胸に、釜にこねたパン生地を入れ、さっそく焼き上げる。と、パンが釜の中で膨らみ始めた頃、肝を冷やされる出来事が起こった。

『ぎゃあああああああああああ!』

 と、釜の中からなんと、人の悲鳴が聞こえたのだ。当然エイミーは仰天する。

「な、なになになに、なんなの、今の悲鳴? 釜? 釜の中から? まさか誰かいるの?」

 エイミーが慌てふためき、そろりとレイチェルは釜の中を覗く。次いで、首を横に振った。

「いない? 本当に誰もいない? でででででででも悲鳴が! ほらほらほらぁ!」

 エイミーの言う通り、悲鳴は持続している。ぎゃああああああと今にも死にそうな声だ。レイチェルがこれまた蚊の鳴くような声で告げた。

「パンが、その、悲鳴を上げてるみたい」
「え? パン? パンが悲鳴を上げるの? なんでぇ? あ、練り込んだ瘴気のせい?」
「多分……」

 こくんとレイチェルが頷く。そして焼き上がったパンを目にして、レイチェルもエイミー同様、その場で固まった。パンには人の顔がきっちり浮かび上がっていたのである。白、黒、青と、まぁカラフルである。喜べないが……

『るーるーるるるるるるるーーーーー』

 これは白い顔の声。

「ふうん? なんとも悲しげな声ね?」

 エイミーがそう言った。もうどうにでもしてと言いたげな投げやりな口調である。

『ぎゃあああああああああああああ!』

 これはパンに浮かび上がった青い顔の悲鳴……

「はいはい、釜の中で悲鳴を上げていたのはあんたか」
『死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬぅ!』

 そしてこれは、パンに浮かび上がった真っ黒い顔の叫びである。

「どう見てももう死んでるわよ、あんた」

 エイミーの突っ込みが冷静すぎる。三つの顔が浮かんだ三色人面パンはなんとも賑やかだ。

「で、これ、ブラッドに?」

 エイミーに問われ、またまたレイチェルは頷いた。頷くしかない。

「い、一応、あげようかと……嫌がられたら、速攻浄化で消滅、かな……」

 立つ瀬がないと言いたげな雰囲気で、か細い声でレイチェルが答えた。


◇◇◇


 居間のソファの上でブラッドが目を覚ますと、目の前に猫獣人ニーナの顔がどアップで、彼の頭突きがニーナに綺麗に決まる。当然、猫娘のニーナは涙目だ。

「にゃ、にゃにするにゃーーーー!」

 ブラッドがさらりと言った。

「反撃?」
「ブラッドを心配しただけにゃー、酷いにゃー!」

 友達として心配したという。
 友達、ねぇ……友達になった覚えねぇんだけど……

「レイチェルは?」

 ざっと見回しても、居間に彼女の姿はない。

「真っ先に聞くのそれか?」

 苦笑交じりの声は、女剣士ジョージアナのものだ。

「お前のためのパンを作りに行ってる」
「俺のため?」

 レイチェルが?

「お前が、腹減ったー、死ぬーって、寝言で言っていたから、お前が食べたいって言っていたパンを、急いで作りに行ったんだ。ちなみに彼女の両親は店だよ」
「レイチェルは本当にいい人にゃ? 感謝するにゃ?」

 猫獣人のニーナはそう言って笑ったが、レイチェルが持ってきたパンを見て、二人とも固まった。レイチェルと一緒だったエイミーの顔も、やはり引きつっている。そして、焼きたてのパンを掲げたレイチェル自身も……
 瘴気入りのパンってリクエストした事を、ブラッドはここで思い出し、喜んだ。
 おぉっ! レイチェル、本当に作ったのか、瘴気入りのパン!
 そして、その場にいた全員の視線がパンに集中する。

 しくしくしくしくしくしくしく……
 レイチェルが焼いたパンは、きっちり人面パンになっていた。青、白、黒の三つの顔がくっきり浮かび上がっている。ブラッドが浮かべたのは、これ以上ないほど爽やかな笑顔だった。いや、爽やかな笑顔のつもり、といった方が正しいか。どんなに愛想良く笑っても彼の場合、不気味の域を出ることはない。
 やぁ、ほんっと凄いなぁ、レイチェル。死者を一緒に練り込んじゃったか? 瘴気入りだからパンに霊がとりついた? どっちも似たようなもんか。

「……これ、何?」

 ジョージアナが震える指を人面パンに突きつける。

「瘴気入りのパン、です。ブラッドさんが食べたいってリクエストを……」

 レイチェルのそれは、蚊の鳴くような声だ。ブラッドは人面パンを無造作に手に取り、それにがぶりと食いついた。すると、パンがビクンと震える。

「るーるーるるるー、るりらぁあああああーーーーー」
「ぎゃいやああああああああああああああぁあああ!」
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬぅううううううううう!」

 囓るたんびに愉快な悲鳴が。やぁ、楽しいなぁ。つか、お前らもう死んでるよ。とっとと地獄へ帰れ。ブラッドがゆっくり味わうように咀嚼すると、ニーナとジョージアナの顔が再度引きつった。

「それ、うまいか?」
「もの凄くうまい」

 はははははははは! 死者を囓る、いやぁ、最高だなぁ!

「悪趣味……」

 嫌そうにジョージアナは引くが、ブラッドはどこ吹く風だ。

 ――ブラッドさんはヴァンパイアなのに、パン、食べるんですね? 美味しいですか?

 そんなレイチェルの前世の声が、ふっとブラッドの脳裏に蘇る。
 二人で病院の中庭にいた時の出来事だ。
 空がやたらと青かったか……
 ブラッドは手にしたパンに視線を落とす。
 過去、口にしたのはレイチェルの好物だったあんパンである。正直言って、うまいとは言いがたかった。レイチェルが美味しそうにほおばるからつい口にしてみたけれど味気ない。これだったら血の滴る生肉の方がましである。そう思ったけれど、にこにこ笑うレイチェルの顔を見ていたら、別の言葉を口にしていた。

 ――うまいかも?
 ――えぇ? 本当ですかぁ? 嘘つきは閻魔様に舌を抜かれますよ?
 ――結衣が作ってくれたらもっとうまい。

 そう言ったら、レイチェルは真っ赤になったっけ……
 それから僅か数週間後のことだ。レイチェルは死んだ。
 病院で彼女の死を知らされた俺は、両親から彼女が作ったパンを手渡された。どうやら調理中に発作を起こしたらしい。そして病院に担ぎ込まれてそのまま亡くなった。
 無理して作らなくても……
 そう思ったけど、娘は幸せだったと言った両親の顔が忘れられない。貴方がいてくれたからだと……。俺、何にもしてねーけど……。レイチェルの死に目にすら会えなかった……

「ちょ、あんたなに泣いてんのよ? そんなにレイチェルの手作りパンが美味しいわけ?」

 エイミーが叫ぶ。
 あ、やべ……思い出したら泣いちまった。

「そうだな、もの凄く美味いよ」

 ブラッドがそう言って誤魔化すと、レイチェルが恥ずかしそうに俯いた。頬が少し赤い。

「ああ、レイチェル、駄目駄目駄目、こんなんで絆されちゃ駄目よ?」

 がっしりエイミーがレイチェルの手を握る。

「あんたはもの凄くいい女なの。クリフみたいな阿呆な男に振られたからって、手近な男で手を打っちゃ駄目だからね? 次の男はようく選んでね?」

 おい……

「俺は落第だって言いたいのかよ?」
「あんた、ヴァンパイアだしぃ?」

 エイミーが言う。
 ああ、そうだよ。まったく……

「人間のふりくらいできるぞ? 日光平気だし、年取ったように見せかけるくらい簡単だ」
「鏡は?」
「ほら……」
「え? あ……映ってる! すごっ!」

 エイミーはしげしげとブラッドを見た。

「あんた、普通のヴァンパイアとちょっと違うわよね? なんで? 遮光マントがなくても平気で昼間歩くし、聖水平気だし、鏡にも映る……」

 何でって……

「ハーフだから?」
「え? 人間とのハーフ?」

 ちげー……

「俺はデビルとヴァンパイアのハーフだよ。人間がデビルと契約してヴァンパイアになった奴は、真祖って言われるだろ? ヴァンパイア・ロードって言われる。で、俺はそのヴァンパイア・ロードとデビルのハーフなの。つまり、ヴァンパイア・デビルが正式名称なんだよ。分かったか?」

 エイミーが目を剥いた。

「え、じゃ、じゃあ、あんた……ヴァンパイア・ロードより上位種?」
「そう」

 一瞬の静寂の後、エイミーが盛大に驚いた。

「うっそおおおおおお! すご、凄い! そんなのが人間に惚れたの?」
「まぁ……」

 ブラッドは曖昧に答え、誤魔化した。
 もの凄く驚かれたな。これで親父がデビルの親玉なんて言ったら卒倒するか? 金色の魔王だ。それを勇者と一緒になって、大聖女が作り出した封印の中に蹴り落とした……。いや、親父に恨みは全然なかったんだけど、俺と出会う前に、生まれ変わったレイチェルに死なれるのが嫌だったからさぁ。親父がピンピンしてると魔物がいっきいきするんだよな。絶対まずい。
 で、魔王討伐隊に飛び入り参加したわけだけど……

 ――ふははははは! 往生際が悪いぞ、親父ぃ! 大人しく封印されろ!

 その場のノリでヒーロー役を堪能したはずが、ヒーローっつうより、どう見ても悪役だったな……。ヒーロー役は無理だろ、俺……完全に地が出た。

 ――人間と一緒になって、なにをやっているかぁ! この、馬鹿息子があぁああああああ!

 親父の額に青筋が……
 ははは、親父の奴、もの凄く怒ってたなぁ。うん、報復がこえーな。とりま、レイチェルが生きている間は寝ててくれ。親父が起きると魔物が活性化するから、あと百年は寝てろ。じゃないと、まーた勇者と一緒になって討伐する羽目になる。
 エイミーがぐっと身を乗り出した。

「で、レイチェルが人間のままでいたいって言ったら、あんたは人間のふりをして傍にいると、そういうこと?」
「ああ」

 ブラッドが即答する。
 レイチェルと一緒にいられるのなら、どんな形でもいい。

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