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本編
第十九話 追憶
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レイチェルはその夜、夢を見た。
時折見る夢と似ている。
ほんの少し、いつもより鮮明な気もするけれど……
真っ白い部屋にある簡素なベッドの上に自分はいて、窓辺には真っ白いカーテンが揺れている……窓の外には変わった形の家が並んでいて、輝く緑と子供達の笑い声……元気に走り回る彼らを羨ましいなんて思っている。
羨ましい?
――あんな風に走れたらな……
内心そう思っている自分に、レイチェルは笑ってしまった。
走れるわよ? 自分は健康だ。エイミーとクリフと一緒になって、子供の頃から元気に走り回っていた。けれど、夢の中の自分は違うようで、輝く日の光と青い空の中、はち切れんばかりの彼らの様子に目を細めて、寂しそうに笑う。
――結衣どうした?
すぐ傍でかけられた言葉にはっとなって、レイチェルは振り向いた。結衣……レイチェルには、自分の名前だと直ぐに分かった。何故だろう? でも、違和感はない。
そこに立っていたのは、花を手にしたブラッドだ。
笑う姿が相変わらず魅力的である。夢の中の自分の心が華やぐのが分かった。そして、今の自分は懐かしさに胸が詰まる。若干の違い、ずれがあるけれど、嬉しく思っている部分は同じだ。
彼がいてくれることが、とてもとても嬉しい……
――ううん、なんでもないわ。また来てくれたんですね?
――友達だろう?
そう言って彼が笑う。
ええ、そうよ、大事な大事な友達だわ。
じわりと涙が浮かぶ。
ベッドの傍に立ったブラッドは、見た事のない服を身につけていた。
黒い光沢のある服は皮かしら? 見た事のないデザインだけれど格好良い。さらに色の付いた眼鏡をかけていて、これがまたよく似合っている。
色つき眼鏡を掛けている理由が、ふっと思い浮かんだ。
ああ、そうだったわ。彼の目は赤い。それこそ血の色を連想してしまうほど。魔性を宿した赤い瞳に、みんな驚くのよね。だから、こうして色つきの眼鏡をかけて誤魔化した……
――結衣、ほら、お見舞い。
笑いながらブラッドが差し出したのは、黄色いリボンのついたマーガレットの花束だ。それを手に取ったレイチェルは、顔を綻ばせた。
――ありがとう。
この時の私は、もらったマーガレットをいつものように花瓶に生けた。
そう、何故かいつもこうしていたと分かる。レイチェルはくすぐったい気持ちを覚え、ふっと思い出した光景に意識が引っ張られた。
そこは自室だった。いるのは十六才の結衣ではなく、九才のレイチェルである。幼い頃、自分は高熱を出し、何日も寝込んだことがあった。その時の光景だ。カーテンの揺れる窓の外はしとしとと雨が降っていて、ふと気が付くと、窓辺にマーガレットが一輪置いてある。
お見舞いかしら?
そう思って、それを手に取った。
嬉しい……
花を見つめていると、自然と笑顔になった。マーガレットは自分の好きな花だ。レイチェルは贈り主を確かめようとしたけれど、結局、誰なのか確かめることは出来なかった。窓を見張っていても、いつの間にか置いてある。その繰り返しだ。
そして、十日続いた高熱は、十一日目で不思議な事にピタリと収まり、元気になると同時に、マーガレットが窓辺に置かれることもなくなった。
今の今まで忘れていた出来事なのに、やけに鮮明に思い出せる。
何故だろう? ブラッドさんの顔が思い浮かぶ。
でも、あの、マーガレットは……
――俺がレイチェルのお見舞いに行って、その花を届けたんだ!
クリフがそう口にした。毎日マーガレットを届けたのは自分だと、そう言った。だから、違うはず、なのだけれど……
ある晴れた日の事だ。エイミーと連れだって散歩していると、ばったりクリフと出くわした。他の男の子達と遊び回ったのか、泥だらけである。
――よう、レイチェル、元気になったんだ! よかったな!
そう言ってクリフは笑うが、親友で幼なじみのエイミーは不満げだ。
――よかったな、じゃないわよ、もう……。毎日毎日遊び回ってばっかり。クリフってば、レイチェルのお見舞いに、ぜんっぜん行ってないんだって?
エイミーの猛攻にクリフはダジダジだ。
――そ、それは……
――毎日毎日、病気で寝ているレイチェルの為に、窓辺にマーガレットを届けてくれた親切な人もいるっていうのに、あんたとは大違いよ。クリフは大きくなったらレイチェルをお嫁さんにするんだ、なんて言ってるみたいだけど、他の男にとられちゃうかもね?
レイチェルが慌てた。
――あの、エイミー? 贈り主が男の子とは限らないわよ?
そう、差出人不明なので、女の子かもしれない。
――ふふん、レイチェルは可愛いのよ? 片思いしている子がいてもおかしくないわよ。レイチェルを好きな子が、毎日花を届けたのかもしれないわよ? クリフも少しは見習いなさいよ? じゃないとふられるから。
エイミーに揶揄うように言われて、クリフが声を荒げた。
――見習えって……そ、その花は俺が毎日届けたんだからな!
エイミーもレイチェルも目を丸くした。
――え? そうなの?
――そうそう。俺がレイチェルのお見舞いに行って、その花を届けたんだよ! どうだ? 見直したか?
そう言って、クリフが鼻息荒くふんぞり返った。レイチェルは戸惑いながらも、彼の気遣いが嬉しくて、顔をほころばせた。
――そうだったの、ありがとう。でも、私の好きな花が、マーガレットだってよく分かったわね?
――え? レイチェルはマーガレットが好きだったのか?
慌てたクリフの顔がおかしくて、レイチェルは笑ってしまった。
――ええ、そうよ。やだ、偶然?
――あ、いや、その……お、お前が好きかもって思ったんだ。
そうよ、違う、はず……なのにどうして涙が……
眠りながら泣いていたとレイチェルが気が付いたのは、朝、目を覚ました時だ。
「レイチェル、どうした?」
――結衣、どうした?
翌朝、ブラッドが発した言葉が、夢の中の台詞とだぶり、レイチェルは飛び上がりそうになった。今いる場所は、神殿であてがわれた自室である。朝方見た夢があまりにも鮮明で、ついつい、彼の顔をじっと見ていたのが、不味かったらしい。
あ、あれは夢よ。夢なんだけど……
「ブラッドさん」
レイチェルはそろりと問いかけた。
「ん?」
「色つきの変わった眼鏡をかけたことありますか? 黒い……遮光用かしら?」
ないわよね? そういった確認の為だったのだけれど、ブラッドは驚いたようで、しばらくだんまりだ。しげしげと見つめられ、レイチェルは首を捻ってしまった。ないと即答されると思っていただけに、どうしてよいか分からない。
「あの?」
「あ、いや……あるよ」
ふいっと視線を逸らされ、レイチェルはビックリした。ある!
「ど、どこでですか?」
「んー……二百年くらい前?」
ブラッドにそう言われて脱力してしまう。なぁんだとそんな気持ちだ。そんなもの自分が目にしているわけがない。
「村ではしたことないんですね?」
「する必要ないだろ?」
そう言われて笑われた。レイチェルは、ぷっと頬を膨らませてしまう。そう、赤い瞳は珍しいけれど隠すほどでもない。夢の中では違っていたけれど。
ええ、そうですね。分かっていますよ、もう。変な質問だってことは……
「レイチェル」
呼びかけられて顔を上げれば、目の前に彼の顔があった。ルビーのように、ううん、血のように赤い瞳がじっと自分を見つめている。心臓がどきんと跳ね上がった。
「他に何か気になることは?」
気になること……
「マーガレット、かしら?」
どうしても、気になって気になって……
「……ああ、君が好きな花だな?」
「ええ……知っているんですか?」
ブラッドが笑う。
「もちろん。君はマーガレットが好きで、あんパンが好きだった……ああ、餡子はこっちにはないか。プリンは今も好きか?」
「ええ、それは、もちろん……」
レイチェルは目を細めた。
やっぱり、変……どうしてブラッドさんを見ていると、懐かしく感じるのかしら。ブラッドさんの容姿が激変して、別の意味で戸惑っている自分がいる。笑い方やちょっとした仕草が、妙になつかしい。もっと、ずっとずっと前から知っていたような……
「君が幼い時、寝込んだときは気が気じゃなかった」
ブラッドがふっとそんなことを言い出した。
「また死なれたらたまらない。ずっとずっと傍を離れられなかった。聖印のせいだとわかってはいたけれど……」
聖印……そう、九つの時の高熱は聖印のせいだと、後々になって判明した。神界とのパイプラインがぐっと広がり、力が強まる時に熱を出すことがあるのだとか……。もちろん命に別状はない。そう聖神官様から教わった。心配はいらないと……
そこでふと、レイチェルは気になった。
「また死なれたらたまらない?」
またってどういう意味だろう?
突っ込んで質問するとブラッドは答えてくれた。
「ん? ああ……俺はね、前世の君を知っているんだ」
「え……」
ブラッドの告白にレイチェルは度肝を抜かれた。ブラッドがうっすらと笑う。
「信じられない?」
「いえ、いいえ! 信じます!」
だって、ブラッドさんが言うことだから……
レイチェルはその言葉は飲み込んだけれど、はっと気が付く。
だから、懐かしく感じるの? もっと前から知っているような気が、ずっとしていた。
レイチェルはじっと見上げた。黒髪に赤い瞳の美貌のヴァンパイアを……
ブラッドの瞳に懐かしむような色が浮かぶ。
「前世の君は心臓に疾患があって、学校にろくすっぽ通えなくて、友人が出来にくい環境だった。だから俺と友達になったんだよ。今みたいにね。で、俺は君によくひっついて回ってた。一緒にいることが楽しくて」
レイチェルは、はたとある事実に気が付く。
「もしかして、私が五才の時に結婚を申し込んだのって……」
ブラッドが頷いた。
「そう、前世の君を知っていたから」
「じゃ、じゃあ、友達じゃなくて、もしかして、恋人同士だったんですか?」
そろりとレイチェルが聞くと、ブラッドは否定した。
「いや、友達だったよ。単なる友達……告白すら出来ずに君に死なれて、もの凄く後悔したんだ。だから、もう一度生まれ変わった君に会える日をずっとずっと待ってた。そんで、会えた時はなりふり構わず求婚しちまって……君に逃げられたんだ。ほんっと間抜けだよなぁ」
血だらけ馬車事件を思い出し、レイチェルは慌てた。
「いえ、あの、本当にあの時はごめんなさい! 怖かったから、つい……」
「いや、前も言ったけど、俺の対応が不味かったんだよ。もう忘れろ、な?」
ブラッドがにっと笑った。
「まぁ、そんなわけで、君に寝込まれるのが、すっかりトラウマになっちまってさ。ほんっと君が九才の時、高熱を出して寝込んだ時は、気が気じゃなかった。それで、少しでも元気になって欲しくて、アウグストに作らせた魔法薬を両親に届けて、君にはマーガレットを贈ったんだ」
レイチェルははっとなった。
「マーガレット!」
ブラッドがふわりと笑い、やっぱり頬が熱くなる。
「そう、お見舞い。マーガレットは君が好きな花だろ?」
「もしかして、あの、窓辺に毎日一輪ずつ? え、で、でも……」
クリフが自分だって……
「本当は直接お見舞いに行きたかったんだけど、ほら、あの時の俺は君と接点がどこにもなかったから、お見舞いに行く理由をね、作れなかったんだ」
ブラッドが苦笑する。
「朝食はどうする? 食堂に行くか? それとも部屋に運んでもらう?」
「あ、食堂、で」
「なら、行こうか?」
気軽に差し出されたブラッドの手を、レイチェルは取った。新たに知った事実に混乱しながら。
ええっと、私はブラッドさんと前世からのお友達で、マーガレットの送り主はクリフじゃなくてブラッドさんだったってこと?
やっぱり大きな背に目を向けてしまう。握られた手の温かさが嬉しい。
「あ、あのう。お見舞いのマーガレット、どうもありがとう。とても、嬉しかったわ」
あの時言えなかったお礼をレイチェルが口にすると、ブラッドの口元が綻んだ。
「ん? どういたしまして」
――どういたしまして、結衣。
思い出の顔とやっぱり重なる。とくんとレイチェルの心臓が波打った。
心が華やぐ気持ちはあの時と寸分違わない。
なら、ドキドキするこの気持ちは?
時折見る夢と似ている。
ほんの少し、いつもより鮮明な気もするけれど……
真っ白い部屋にある簡素なベッドの上に自分はいて、窓辺には真っ白いカーテンが揺れている……窓の外には変わった形の家が並んでいて、輝く緑と子供達の笑い声……元気に走り回る彼らを羨ましいなんて思っている。
羨ましい?
――あんな風に走れたらな……
内心そう思っている自分に、レイチェルは笑ってしまった。
走れるわよ? 自分は健康だ。エイミーとクリフと一緒になって、子供の頃から元気に走り回っていた。けれど、夢の中の自分は違うようで、輝く日の光と青い空の中、はち切れんばかりの彼らの様子に目を細めて、寂しそうに笑う。
――結衣どうした?
すぐ傍でかけられた言葉にはっとなって、レイチェルは振り向いた。結衣……レイチェルには、自分の名前だと直ぐに分かった。何故だろう? でも、違和感はない。
そこに立っていたのは、花を手にしたブラッドだ。
笑う姿が相変わらず魅力的である。夢の中の自分の心が華やぐのが分かった。そして、今の自分は懐かしさに胸が詰まる。若干の違い、ずれがあるけれど、嬉しく思っている部分は同じだ。
彼がいてくれることが、とてもとても嬉しい……
――ううん、なんでもないわ。また来てくれたんですね?
――友達だろう?
そう言って彼が笑う。
ええ、そうよ、大事な大事な友達だわ。
じわりと涙が浮かぶ。
ベッドの傍に立ったブラッドは、見た事のない服を身につけていた。
黒い光沢のある服は皮かしら? 見た事のないデザインだけれど格好良い。さらに色の付いた眼鏡をかけていて、これがまたよく似合っている。
色つき眼鏡を掛けている理由が、ふっと思い浮かんだ。
ああ、そうだったわ。彼の目は赤い。それこそ血の色を連想してしまうほど。魔性を宿した赤い瞳に、みんな驚くのよね。だから、こうして色つきの眼鏡をかけて誤魔化した……
――結衣、ほら、お見舞い。
笑いながらブラッドが差し出したのは、黄色いリボンのついたマーガレットの花束だ。それを手に取ったレイチェルは、顔を綻ばせた。
――ありがとう。
この時の私は、もらったマーガレットをいつものように花瓶に生けた。
そう、何故かいつもこうしていたと分かる。レイチェルはくすぐったい気持ちを覚え、ふっと思い出した光景に意識が引っ張られた。
そこは自室だった。いるのは十六才の結衣ではなく、九才のレイチェルである。幼い頃、自分は高熱を出し、何日も寝込んだことがあった。その時の光景だ。カーテンの揺れる窓の外はしとしとと雨が降っていて、ふと気が付くと、窓辺にマーガレットが一輪置いてある。
お見舞いかしら?
そう思って、それを手に取った。
嬉しい……
花を見つめていると、自然と笑顔になった。マーガレットは自分の好きな花だ。レイチェルは贈り主を確かめようとしたけれど、結局、誰なのか確かめることは出来なかった。窓を見張っていても、いつの間にか置いてある。その繰り返しだ。
そして、十日続いた高熱は、十一日目で不思議な事にピタリと収まり、元気になると同時に、マーガレットが窓辺に置かれることもなくなった。
今の今まで忘れていた出来事なのに、やけに鮮明に思い出せる。
何故だろう? ブラッドさんの顔が思い浮かぶ。
でも、あの、マーガレットは……
――俺がレイチェルのお見舞いに行って、その花を届けたんだ!
クリフがそう口にした。毎日マーガレットを届けたのは自分だと、そう言った。だから、違うはず、なのだけれど……
ある晴れた日の事だ。エイミーと連れだって散歩していると、ばったりクリフと出くわした。他の男の子達と遊び回ったのか、泥だらけである。
――よう、レイチェル、元気になったんだ! よかったな!
そう言ってクリフは笑うが、親友で幼なじみのエイミーは不満げだ。
――よかったな、じゃないわよ、もう……。毎日毎日遊び回ってばっかり。クリフってば、レイチェルのお見舞いに、ぜんっぜん行ってないんだって?
エイミーの猛攻にクリフはダジダジだ。
――そ、それは……
――毎日毎日、病気で寝ているレイチェルの為に、窓辺にマーガレットを届けてくれた親切な人もいるっていうのに、あんたとは大違いよ。クリフは大きくなったらレイチェルをお嫁さんにするんだ、なんて言ってるみたいだけど、他の男にとられちゃうかもね?
レイチェルが慌てた。
――あの、エイミー? 贈り主が男の子とは限らないわよ?
そう、差出人不明なので、女の子かもしれない。
――ふふん、レイチェルは可愛いのよ? 片思いしている子がいてもおかしくないわよ。レイチェルを好きな子が、毎日花を届けたのかもしれないわよ? クリフも少しは見習いなさいよ? じゃないとふられるから。
エイミーに揶揄うように言われて、クリフが声を荒げた。
――見習えって……そ、その花は俺が毎日届けたんだからな!
エイミーもレイチェルも目を丸くした。
――え? そうなの?
――そうそう。俺がレイチェルのお見舞いに行って、その花を届けたんだよ! どうだ? 見直したか?
そう言って、クリフが鼻息荒くふんぞり返った。レイチェルは戸惑いながらも、彼の気遣いが嬉しくて、顔をほころばせた。
――そうだったの、ありがとう。でも、私の好きな花が、マーガレットだってよく分かったわね?
――え? レイチェルはマーガレットが好きだったのか?
慌てたクリフの顔がおかしくて、レイチェルは笑ってしまった。
――ええ、そうよ。やだ、偶然?
――あ、いや、その……お、お前が好きかもって思ったんだ。
そうよ、違う、はず……なのにどうして涙が……
眠りながら泣いていたとレイチェルが気が付いたのは、朝、目を覚ました時だ。
「レイチェル、どうした?」
――結衣、どうした?
翌朝、ブラッドが発した言葉が、夢の中の台詞とだぶり、レイチェルは飛び上がりそうになった。今いる場所は、神殿であてがわれた自室である。朝方見た夢があまりにも鮮明で、ついつい、彼の顔をじっと見ていたのが、不味かったらしい。
あ、あれは夢よ。夢なんだけど……
「ブラッドさん」
レイチェルはそろりと問いかけた。
「ん?」
「色つきの変わった眼鏡をかけたことありますか? 黒い……遮光用かしら?」
ないわよね? そういった確認の為だったのだけれど、ブラッドは驚いたようで、しばらくだんまりだ。しげしげと見つめられ、レイチェルは首を捻ってしまった。ないと即答されると思っていただけに、どうしてよいか分からない。
「あの?」
「あ、いや……あるよ」
ふいっと視線を逸らされ、レイチェルはビックリした。ある!
「ど、どこでですか?」
「んー……二百年くらい前?」
ブラッドにそう言われて脱力してしまう。なぁんだとそんな気持ちだ。そんなもの自分が目にしているわけがない。
「村ではしたことないんですね?」
「する必要ないだろ?」
そう言われて笑われた。レイチェルは、ぷっと頬を膨らませてしまう。そう、赤い瞳は珍しいけれど隠すほどでもない。夢の中では違っていたけれど。
ええ、そうですね。分かっていますよ、もう。変な質問だってことは……
「レイチェル」
呼びかけられて顔を上げれば、目の前に彼の顔があった。ルビーのように、ううん、血のように赤い瞳がじっと自分を見つめている。心臓がどきんと跳ね上がった。
「他に何か気になることは?」
気になること……
「マーガレット、かしら?」
どうしても、気になって気になって……
「……ああ、君が好きな花だな?」
「ええ……知っているんですか?」
ブラッドが笑う。
「もちろん。君はマーガレットが好きで、あんパンが好きだった……ああ、餡子はこっちにはないか。プリンは今も好きか?」
「ええ、それは、もちろん……」
レイチェルは目を細めた。
やっぱり、変……どうしてブラッドさんを見ていると、懐かしく感じるのかしら。ブラッドさんの容姿が激変して、別の意味で戸惑っている自分がいる。笑い方やちょっとした仕草が、妙になつかしい。もっと、ずっとずっと前から知っていたような……
「君が幼い時、寝込んだときは気が気じゃなかった」
ブラッドがふっとそんなことを言い出した。
「また死なれたらたまらない。ずっとずっと傍を離れられなかった。聖印のせいだとわかってはいたけれど……」
聖印……そう、九つの時の高熱は聖印のせいだと、後々になって判明した。神界とのパイプラインがぐっと広がり、力が強まる時に熱を出すことがあるのだとか……。もちろん命に別状はない。そう聖神官様から教わった。心配はいらないと……
そこでふと、レイチェルは気になった。
「また死なれたらたまらない?」
またってどういう意味だろう?
突っ込んで質問するとブラッドは答えてくれた。
「ん? ああ……俺はね、前世の君を知っているんだ」
「え……」
ブラッドの告白にレイチェルは度肝を抜かれた。ブラッドがうっすらと笑う。
「信じられない?」
「いえ、いいえ! 信じます!」
だって、ブラッドさんが言うことだから……
レイチェルはその言葉は飲み込んだけれど、はっと気が付く。
だから、懐かしく感じるの? もっと前から知っているような気が、ずっとしていた。
レイチェルはじっと見上げた。黒髪に赤い瞳の美貌のヴァンパイアを……
ブラッドの瞳に懐かしむような色が浮かぶ。
「前世の君は心臓に疾患があって、学校にろくすっぽ通えなくて、友人が出来にくい環境だった。だから俺と友達になったんだよ。今みたいにね。で、俺は君によくひっついて回ってた。一緒にいることが楽しくて」
レイチェルは、はたとある事実に気が付く。
「もしかして、私が五才の時に結婚を申し込んだのって……」
ブラッドが頷いた。
「そう、前世の君を知っていたから」
「じゃ、じゃあ、友達じゃなくて、もしかして、恋人同士だったんですか?」
そろりとレイチェルが聞くと、ブラッドは否定した。
「いや、友達だったよ。単なる友達……告白すら出来ずに君に死なれて、もの凄く後悔したんだ。だから、もう一度生まれ変わった君に会える日をずっとずっと待ってた。そんで、会えた時はなりふり構わず求婚しちまって……君に逃げられたんだ。ほんっと間抜けだよなぁ」
血だらけ馬車事件を思い出し、レイチェルは慌てた。
「いえ、あの、本当にあの時はごめんなさい! 怖かったから、つい……」
「いや、前も言ったけど、俺の対応が不味かったんだよ。もう忘れろ、な?」
ブラッドがにっと笑った。
「まぁ、そんなわけで、君に寝込まれるのが、すっかりトラウマになっちまってさ。ほんっと君が九才の時、高熱を出して寝込んだ時は、気が気じゃなかった。それで、少しでも元気になって欲しくて、アウグストに作らせた魔法薬を両親に届けて、君にはマーガレットを贈ったんだ」
レイチェルははっとなった。
「マーガレット!」
ブラッドがふわりと笑い、やっぱり頬が熱くなる。
「そう、お見舞い。マーガレットは君が好きな花だろ?」
「もしかして、あの、窓辺に毎日一輪ずつ? え、で、でも……」
クリフが自分だって……
「本当は直接お見舞いに行きたかったんだけど、ほら、あの時の俺は君と接点がどこにもなかったから、お見舞いに行く理由をね、作れなかったんだ」
ブラッドが苦笑する。
「朝食はどうする? 食堂に行くか? それとも部屋に運んでもらう?」
「あ、食堂、で」
「なら、行こうか?」
気軽に差し出されたブラッドの手を、レイチェルは取った。新たに知った事実に混乱しながら。
ええっと、私はブラッドさんと前世からのお友達で、マーガレットの送り主はクリフじゃなくてブラッドさんだったってこと?
やっぱり大きな背に目を向けてしまう。握られた手の温かさが嬉しい。
「あ、あのう。お見舞いのマーガレット、どうもありがとう。とても、嬉しかったわ」
あの時言えなかったお礼をレイチェルが口にすると、ブラッドの口元が綻んだ。
「ん? どういたしまして」
――どういたしまして、結衣。
思い出の顔とやっぱり重なる。とくんとレイチェルの心臓が波打った。
心が華やぐ気持ちはあの時と寸分違わない。
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