39 / 43
本編
第三十八話 大団円のその後
しおりを挟む
「おーい、あんちゃん、はやくこっちにもビールの追加!」
「は、はい! ただいま!」
入院から半年、リハビリを経てなんとか回復したクリフは、酒場で働いていた。とにかく金を稼がないと駄目だからである。
あの事件以降、クリフの評判はがた落ちだった。偽勇者はまだ良い方で、変態騎士、これが主流である。婚約者の尻を大衆に晒した。これが原因で、クリフのファンだった女性達からも、汚物を見るような目つきで見られるようになった。
――俺だって、俺だって、あそこまでやるつもりじゃあ……
医療院で、我に返ったクリフは頭を抱えたものだ。
あの時は、もの凄く気が大きくなって、なんでも出来るような気がしたんだよぉ。そんでもって、つい、調子に乗ったっていうか……
狂戦士の呪縛から解放されれば、まともな思考が戻る。クリフは自分のやったことが恥ずかしくて仕方がない。婚約者だったセイラの下着を剥ぎ、得意満面で大勢の人の目にさらした。黒歴史と言っても過言ではない記憶である。
――レイチェルは俺のもんだぁああああああ!
これまた記憶にばっちり残っている。クリフはそう叫んだ自分を殴りたかった。
――捨てた女性との復縁を一方的に迫ったんですって。
――まぁ、最低だわ。
ひそひそ女性達の間で交わされる台詞が痛かった。
そんなこんなで、退院後は騎士団長から自宅謹慎を言い渡されたが、それではすまなかった。なにせ、末端でもセイラは貴族である。娘を公衆の面前で侮辱されたと、ルモン男爵の怒りが凄まじく、多額の慰謝料を請求されただけでなく、騎士の資格を剥奪されたのだ。
そして、莫大な慰謝料を払う為、こうしてせっせと酒場で働く毎日である。護衛も兼ねているので、普通のウェイターよりは給金がいい。王都での就職を諦めて、村へ帰ろうかとも思ったが、結局それも出来ずじまいだ。
クリフはふうっとため息をつく。
なにせ、騎士の資格を剥奪され、借金まみれである。レイチェルを捨ててまで得た、逆玉の輿だったセイラとも破談。これらをひっさげて帰る勇気が、どうしても持てなかった。
そして……
「あらぁ、いい男ねぇ。あたしといいことしない?」
そう粉をかけてきたのは、酒場にやってきた客の一人だ。二十代の女盛りと言ったところか。とまぁ、クリフの場合、顔がいいので、彼の評判を知らなければ、こうしてモテてしまう。相変わらずモテはするのだが、クリフはその誘いを断った。断るほかなかった。
「あ、いや、疲れているので……」
クリフはそそくさと厨房へと引っ込んだ。
バーサーク状態の時、ブラッドに散々殴られた後遺症なのか、それとも呪いなのか分からないが、あれがもの凄く小さくなっていた。人には言えない症状だ。デフォルトで、まるで恐怖に縮んだ時のような有様である。
――体のどこにも異常はないから、幽体を直接殴られ後遺症かもなぁ……
などと治療にあたった神官が口にし、クリフは目を剥いた。
冗談ではなかった。何とか治らないかと、様々な治療を試してみたが、一向に治る気配がない。使用に問題があるわけではない。尿はきちんと出るし、刺激にも反応もする。反応はするのだが、小さいままって……
クリフは泣きそうだった。
――恐怖心がなくなれば、元に戻るかも?
これは神官の台詞だ。ブラッドを見ると更にあれが縮むから、確かに神官の言う通りなのかもしれないが、それっていつだよと、クリフは叫んだ覚えがある。
ブラッドを見て、恐怖心にかられなくなるまで……
それって、いつだよぉおおおおお!
クリフは絶叫するしかない。
レイチェルに一言謝ろうと、彼女のところへ行っても、いつでもブラッドがいる。どこで待ち伏せても、あれがべったり張り付いて離れない。というか、黒髪長身のあいつの後ろ姿を見ただけで血の気が引いて、足ががくがくする。あれが縮こまって、近づけない。
無理無理無理、なんとかしてくれぇえええええ!
ブラッドの存在が、本当に怖くて仕方がない。
王都で新装開店したというパン屋の評判を聞きつけて、さっそく行ってはみたが、やはりあれがいる。ブラッドがレイチェルの傍にひっついて離れない。なので結局、彼女に近付くこと出来ず、今日もクリフは内心絶叫していた。
レイチェル、悪かったぁあああああああ、と!
ここはいいのだが、反省しているから、頼む、これ、何とかしてぇ! とまぁ、なんとも本当に反省しているのか、というような叫びが後に続くのだ。
こちらとしては真面目に働いて借金返済しろ、としか言えない。レイチェルに近付いては駄目である。でないと、さらに酷い目に遭うことは想像に難くない。ブラッドの攻撃は幽体損傷という、とんでもないおまけ付きなのだから。
◇◇◇
「あら?」
「どうした? レイチェル?」
「え? いえ……クリフの姿を見たような気がして……」
週に一度、休みの日になると、レイチェルはこうして、両親が経営するパン屋を手伝っていた。可愛い売り子がいると評判で、今ではすっかり看板娘である。
そして、もちろんブラッドがひっついて離れない。護衛士なのに、せっせと店の手伝いまでしてくれる。掃除をしたり焼き上がったパンを並べてくれたり……そんな彼目当てで店に来る女性客もいて盛況だった。
そこへ、クリフの姿を見たとレイチェルが言った事で、彼の機嫌が一気に悪くなった。
「今度は地獄門の向こう側へ蹴っ飛ばそうか?」
「そ、そこまでしなくていいわ!」
慌ててレイチェルが止める。
「クリフの事を好きだったのは確かだし、あんまり酷い目にあって欲しくないもの」
「……あんな奴のどこが良かったんだか……」
ブラッドがむくれたようにそう呟く。
ふてくされてる?
レイチェルは苦笑した。
「優しいところもあったのよ? パパが王都で買ってきてくれたお土産を、川で失くしてしまった時があったの。とってもとっても大事にしていたから悲しくて、それを彼が見つけて届けてくれたの。感激したわ」
「ふうん? 親父さんからの土産、ね……ああ、そーいや、マーガレットのブローチも大事だったんだろ? 川遊びで失くしたって落ち込んでたから、なんとか探し出したけど、川で遊ぶときは、大事なものは身に着けない方がいいかもな?」
ブラッドの台詞にレイチェルは目を見張った。
え? マーガレットのブローチ?
弾かれたように見上げると、ブラッドの赤い眼差しとかち合った。血の色なのに、魔性の色なのに、やっぱり彼の瞳は包み込むように温かい。
クリフが見つけてくれたブローチの事よね?
レイチェルがまじまじとブラッドの顔を見つめると、彼は自分の黒髪をくしゃりと掻き上げた。まいったというようにため息交じりに。
「流石にあれはなぁ……。レイチェルが川遊びで落としたのって、普通のブローチだったろ? 魔法がかかってるわけでもなく、魔素で作ったもんでもないから、目印がなんもない。探し出すのに二週間もかかっちまった。なんつーか……あん時は吸血できなかったから、空腹と疲労で目が回りそうだったよ」
レイチェルは心底慌てた。
「も、もしかして、もしかしてマーガレットのブローチを見つけてくれたのって、ブラッドだったの? 二週間もかけて……な、なんで? ど、どうしてそこまで……」
ブラッドが不思議そうにくいっと首を曲げた。
「なんでって……レイチェルが必死こいて探してたから?」
ブラッドは、何度も川へ探しに行く自分を見たという。レイチェルは呆然となった。けど、あの時は風邪を引くからと母親に止められて、泣く泣く、そう泣く泣く諦めたのだ。
ブラッドがふっと思い出したように言う。
「ああ、そうそう、クリフの野郎もなんでそこまでするんだって、あん時、同じ事言いやがってさ」
え? クリフ?
「泥だらけになって俺が帰る途中、呑気に魚釣りをするあいつと鉢合わせだ。こっちは雨で増水した川で失せ物探しで、へとへとだってーのに、憎まれ口叩きやがって。たかがブローチになんでそこまでするんだって、鼻で笑いやがった。新しいものを買えばいいだけだろって。んなもん、レイチェルが大事にしてたもんだからに決まってるじゃねーか、なぁ? だから言ってやったよ。レイチェルにとっちゃ、たかがブローチじゃねーんだってな」
あれは十二歳の夏だった。空が青くて水が冷たくて、川遊びがとっても気持ちよくて、夢中になって遊んだ。大事な大事なブローチを失くすなんて、夢にも思わなくて。それを見つけてくれたのが、クリフだった。クリフだったはず……
――ええっ? さ、探し出してくれたの? でもでも、大変だったんじゃあ……
川で失くしてしまった筈の、マーガレットのブローチをクリフに差し出されて、感激して泣いたことを覚えている。本当に嬉しかった。
――だって、ほら、レイチェルが大事にしてたもんなんだろ? だからさ、がんばって探したんだ。レイチェルにとっちゃ、たかがブローチじゃないんだろうなって思ったし……
照れくさそうに、クリフがあの時口にした言葉まで、ブラッドの今の台詞と同じ。
え、え、えぇ?
「あ、あの、そのブローチは……」
どうしたの? と問うと、ブラッドが奇妙な顔をした。
「あん? 流石にぶっ倒れそうだったから、レイチェルの家に寄る気力もなくて、クリフの野郎に渡すよう頼んだよ。あいつからブローチを受け取ったろ?」
あ、それで……それでクリフが、私にあのブローチを渡したの?
――ありがとう、ありがとう、クリフ! 大好き!
って抱きついた相手はクリフで……。たかがブローチじゃない、そう言ってもらった事が嬉しくて、初恋を自覚したのもあの時で……
え、と……
もしかして、私の初恋の相手って、クリフじゃなくてブラッドだったの? 大切なブローチを必死で探してくれたのはブラッドで。たかがブローチじゃないって言ってくれたのも彼だった……
あのマーガレットのブローチは特別だった。
既視感っていうのか、父親にお土産として渡されたとき、何故だろう? 誰かからこんな風にマーガレットのブローチを贈られたことがあったような気がして、大切にしていた。
だから失くしてしまった事が悲しくて、悲しくて……大事な絆が切れてしまうような気がして、どうしても、どうしても諦めきれなくて、探し回った。そのブローチを見つけてくれたのはブラッドで、私の気持ちを分かってくれたのも彼だった。
私が本当に恋した相手は……
ブラッド?
驚きから立ち直れば、じわりと涙が浮かんでしまう。目にする彼の美貌は、やはり女性のように柔らかい。血のように赤い瞳も唇も魔性のもの。でも、温かい。
「どうした? レイチェル?」
感極まって、思わずブラッドに抱きついてしまったけれど、ひゅうという周囲の冷やかしが耳に届いて、レイチェルは慌てた。
そ、そうよ、ここ、お店……
慌てて離れようとしたけれど、駄目だった。すかさずブラッドにぎゅうぎゅう抱きしめられてしまったから。離してくれそうにない。
「んー、レイチェルが俺に甘えてる。お、れ、に、甘えてる」
感激しきりといったブラッドの声が、耳をくすぐる。もの凄く嬉しそうで気恥ずかしい。
「はいはい、ご馳走様」
新装開店したパン屋に足を運んでいたエイミーに言われてしまった。恥ずかしいけれど、心だけはじんわりと温かい。
**********
本編はここで終了です。後、番外編を二話追加する予定です。よかったら最後までお付き合い下さい。
「は、はい! ただいま!」
入院から半年、リハビリを経てなんとか回復したクリフは、酒場で働いていた。とにかく金を稼がないと駄目だからである。
あの事件以降、クリフの評判はがた落ちだった。偽勇者はまだ良い方で、変態騎士、これが主流である。婚約者の尻を大衆に晒した。これが原因で、クリフのファンだった女性達からも、汚物を見るような目つきで見られるようになった。
――俺だって、俺だって、あそこまでやるつもりじゃあ……
医療院で、我に返ったクリフは頭を抱えたものだ。
あの時は、もの凄く気が大きくなって、なんでも出来るような気がしたんだよぉ。そんでもって、つい、調子に乗ったっていうか……
狂戦士の呪縛から解放されれば、まともな思考が戻る。クリフは自分のやったことが恥ずかしくて仕方がない。婚約者だったセイラの下着を剥ぎ、得意満面で大勢の人の目にさらした。黒歴史と言っても過言ではない記憶である。
――レイチェルは俺のもんだぁああああああ!
これまた記憶にばっちり残っている。クリフはそう叫んだ自分を殴りたかった。
――捨てた女性との復縁を一方的に迫ったんですって。
――まぁ、最低だわ。
ひそひそ女性達の間で交わされる台詞が痛かった。
そんなこんなで、退院後は騎士団長から自宅謹慎を言い渡されたが、それではすまなかった。なにせ、末端でもセイラは貴族である。娘を公衆の面前で侮辱されたと、ルモン男爵の怒りが凄まじく、多額の慰謝料を請求されただけでなく、騎士の資格を剥奪されたのだ。
そして、莫大な慰謝料を払う為、こうしてせっせと酒場で働く毎日である。護衛も兼ねているので、普通のウェイターよりは給金がいい。王都での就職を諦めて、村へ帰ろうかとも思ったが、結局それも出来ずじまいだ。
クリフはふうっとため息をつく。
なにせ、騎士の資格を剥奪され、借金まみれである。レイチェルを捨ててまで得た、逆玉の輿だったセイラとも破談。これらをひっさげて帰る勇気が、どうしても持てなかった。
そして……
「あらぁ、いい男ねぇ。あたしといいことしない?」
そう粉をかけてきたのは、酒場にやってきた客の一人だ。二十代の女盛りと言ったところか。とまぁ、クリフの場合、顔がいいので、彼の評判を知らなければ、こうしてモテてしまう。相変わらずモテはするのだが、クリフはその誘いを断った。断るほかなかった。
「あ、いや、疲れているので……」
クリフはそそくさと厨房へと引っ込んだ。
バーサーク状態の時、ブラッドに散々殴られた後遺症なのか、それとも呪いなのか分からないが、あれがもの凄く小さくなっていた。人には言えない症状だ。デフォルトで、まるで恐怖に縮んだ時のような有様である。
――体のどこにも異常はないから、幽体を直接殴られ後遺症かもなぁ……
などと治療にあたった神官が口にし、クリフは目を剥いた。
冗談ではなかった。何とか治らないかと、様々な治療を試してみたが、一向に治る気配がない。使用に問題があるわけではない。尿はきちんと出るし、刺激にも反応もする。反応はするのだが、小さいままって……
クリフは泣きそうだった。
――恐怖心がなくなれば、元に戻るかも?
これは神官の台詞だ。ブラッドを見ると更にあれが縮むから、確かに神官の言う通りなのかもしれないが、それっていつだよと、クリフは叫んだ覚えがある。
ブラッドを見て、恐怖心にかられなくなるまで……
それって、いつだよぉおおおおお!
クリフは絶叫するしかない。
レイチェルに一言謝ろうと、彼女のところへ行っても、いつでもブラッドがいる。どこで待ち伏せても、あれがべったり張り付いて離れない。というか、黒髪長身のあいつの後ろ姿を見ただけで血の気が引いて、足ががくがくする。あれが縮こまって、近づけない。
無理無理無理、なんとかしてくれぇえええええ!
ブラッドの存在が、本当に怖くて仕方がない。
王都で新装開店したというパン屋の評判を聞きつけて、さっそく行ってはみたが、やはりあれがいる。ブラッドがレイチェルの傍にひっついて離れない。なので結局、彼女に近付くこと出来ず、今日もクリフは内心絶叫していた。
レイチェル、悪かったぁあああああああ、と!
ここはいいのだが、反省しているから、頼む、これ、何とかしてぇ! とまぁ、なんとも本当に反省しているのか、というような叫びが後に続くのだ。
こちらとしては真面目に働いて借金返済しろ、としか言えない。レイチェルに近付いては駄目である。でないと、さらに酷い目に遭うことは想像に難くない。ブラッドの攻撃は幽体損傷という、とんでもないおまけ付きなのだから。
◇◇◇
「あら?」
「どうした? レイチェル?」
「え? いえ……クリフの姿を見たような気がして……」
週に一度、休みの日になると、レイチェルはこうして、両親が経営するパン屋を手伝っていた。可愛い売り子がいると評判で、今ではすっかり看板娘である。
そして、もちろんブラッドがひっついて離れない。護衛士なのに、せっせと店の手伝いまでしてくれる。掃除をしたり焼き上がったパンを並べてくれたり……そんな彼目当てで店に来る女性客もいて盛況だった。
そこへ、クリフの姿を見たとレイチェルが言った事で、彼の機嫌が一気に悪くなった。
「今度は地獄門の向こう側へ蹴っ飛ばそうか?」
「そ、そこまでしなくていいわ!」
慌ててレイチェルが止める。
「クリフの事を好きだったのは確かだし、あんまり酷い目にあって欲しくないもの」
「……あんな奴のどこが良かったんだか……」
ブラッドがむくれたようにそう呟く。
ふてくされてる?
レイチェルは苦笑した。
「優しいところもあったのよ? パパが王都で買ってきてくれたお土産を、川で失くしてしまった時があったの。とってもとっても大事にしていたから悲しくて、それを彼が見つけて届けてくれたの。感激したわ」
「ふうん? 親父さんからの土産、ね……ああ、そーいや、マーガレットのブローチも大事だったんだろ? 川遊びで失くしたって落ち込んでたから、なんとか探し出したけど、川で遊ぶときは、大事なものは身に着けない方がいいかもな?」
ブラッドの台詞にレイチェルは目を見張った。
え? マーガレットのブローチ?
弾かれたように見上げると、ブラッドの赤い眼差しとかち合った。血の色なのに、魔性の色なのに、やっぱり彼の瞳は包み込むように温かい。
クリフが見つけてくれたブローチの事よね?
レイチェルがまじまじとブラッドの顔を見つめると、彼は自分の黒髪をくしゃりと掻き上げた。まいったというようにため息交じりに。
「流石にあれはなぁ……。レイチェルが川遊びで落としたのって、普通のブローチだったろ? 魔法がかかってるわけでもなく、魔素で作ったもんでもないから、目印がなんもない。探し出すのに二週間もかかっちまった。なんつーか……あん時は吸血できなかったから、空腹と疲労で目が回りそうだったよ」
レイチェルは心底慌てた。
「も、もしかして、もしかしてマーガレットのブローチを見つけてくれたのって、ブラッドだったの? 二週間もかけて……な、なんで? ど、どうしてそこまで……」
ブラッドが不思議そうにくいっと首を曲げた。
「なんでって……レイチェルが必死こいて探してたから?」
ブラッドは、何度も川へ探しに行く自分を見たという。レイチェルは呆然となった。けど、あの時は風邪を引くからと母親に止められて、泣く泣く、そう泣く泣く諦めたのだ。
ブラッドがふっと思い出したように言う。
「ああ、そうそう、クリフの野郎もなんでそこまでするんだって、あん時、同じ事言いやがってさ」
え? クリフ?
「泥だらけになって俺が帰る途中、呑気に魚釣りをするあいつと鉢合わせだ。こっちは雨で増水した川で失せ物探しで、へとへとだってーのに、憎まれ口叩きやがって。たかがブローチになんでそこまでするんだって、鼻で笑いやがった。新しいものを買えばいいだけだろって。んなもん、レイチェルが大事にしてたもんだからに決まってるじゃねーか、なぁ? だから言ってやったよ。レイチェルにとっちゃ、たかがブローチじゃねーんだってな」
あれは十二歳の夏だった。空が青くて水が冷たくて、川遊びがとっても気持ちよくて、夢中になって遊んだ。大事な大事なブローチを失くすなんて、夢にも思わなくて。それを見つけてくれたのが、クリフだった。クリフだったはず……
――ええっ? さ、探し出してくれたの? でもでも、大変だったんじゃあ……
川で失くしてしまった筈の、マーガレットのブローチをクリフに差し出されて、感激して泣いたことを覚えている。本当に嬉しかった。
――だって、ほら、レイチェルが大事にしてたもんなんだろ? だからさ、がんばって探したんだ。レイチェルにとっちゃ、たかがブローチじゃないんだろうなって思ったし……
照れくさそうに、クリフがあの時口にした言葉まで、ブラッドの今の台詞と同じ。
え、え、えぇ?
「あ、あの、そのブローチは……」
どうしたの? と問うと、ブラッドが奇妙な顔をした。
「あん? 流石にぶっ倒れそうだったから、レイチェルの家に寄る気力もなくて、クリフの野郎に渡すよう頼んだよ。あいつからブローチを受け取ったろ?」
あ、それで……それでクリフが、私にあのブローチを渡したの?
――ありがとう、ありがとう、クリフ! 大好き!
って抱きついた相手はクリフで……。たかがブローチじゃない、そう言ってもらった事が嬉しくて、初恋を自覚したのもあの時で……
え、と……
もしかして、私の初恋の相手って、クリフじゃなくてブラッドだったの? 大切なブローチを必死で探してくれたのはブラッドで。たかがブローチじゃないって言ってくれたのも彼だった……
あのマーガレットのブローチは特別だった。
既視感っていうのか、父親にお土産として渡されたとき、何故だろう? 誰かからこんな風にマーガレットのブローチを贈られたことがあったような気がして、大切にしていた。
だから失くしてしまった事が悲しくて、悲しくて……大事な絆が切れてしまうような気がして、どうしても、どうしても諦めきれなくて、探し回った。そのブローチを見つけてくれたのはブラッドで、私の気持ちを分かってくれたのも彼だった。
私が本当に恋した相手は……
ブラッド?
驚きから立ち直れば、じわりと涙が浮かんでしまう。目にする彼の美貌は、やはり女性のように柔らかい。血のように赤い瞳も唇も魔性のもの。でも、温かい。
「どうした? レイチェル?」
感極まって、思わずブラッドに抱きついてしまったけれど、ひゅうという周囲の冷やかしが耳に届いて、レイチェルは慌てた。
そ、そうよ、ここ、お店……
慌てて離れようとしたけれど、駄目だった。すかさずブラッドにぎゅうぎゅう抱きしめられてしまったから。離してくれそうにない。
「んー、レイチェルが俺に甘えてる。お、れ、に、甘えてる」
感激しきりといったブラッドの声が、耳をくすぐる。もの凄く嬉しそうで気恥ずかしい。
「はいはい、ご馳走様」
新装開店したパン屋に足を運んでいたエイミーに言われてしまった。恥ずかしいけれど、心だけはじんわりと温かい。
**********
本編はここで終了です。後、番外編を二話追加する予定です。よかったら最後までお付き合い下さい。
30
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
愛しの第一王子殿下
みつまめ つぼみ
恋愛
公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。
そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。
クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。
そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。
【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい
高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。
だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。
クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。
ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。
【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】
悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。
香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。
皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。
さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。
しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。
それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる