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1巻
1-3
この世界は、わたしが知っている西洋とも少し違うし、みんな髪色がカラフルだし、お母様やテオたちを見るたびに既視感があった。
(……よし、一回整理してみよう)
わたしは前世の記憶と今の状況を合わせて、情報をまとめることにした。
わたしが前世で夢中になっていた乙女ゲームは『花冠~煌めきウエディング~』という名前のとおり、主人公がハッピーウエディングを目指す物語だ。
友人の結婚式の帰り道。幸せビームを大量に浴びて、それでも次の日からはまたぷちブラックな会社勤めという現実に嫌気が差したわたしは、半ばやけくそになりながらこのゲームを見つけた。
彼氏もいないし結婚の予定もない。ゲームの中でくらい結婚してやる、と意気込んで始めたゲームに、見事にどっぷりとハマったのだ。それはもう、何周もやるくらい。
だからそのストーリーは、今でもはっきりと覚えている。
このゲームのヒロインのアナベルは、父と母とともに平民として暮らしていた。
しかし十三歳の時、母の死をきっかけに自分が公爵の娘だと知る。今まで普通の父親だと思っていた人が実は公爵で、他に妻と娘がいることまで知らされるのだ。
それからアナベルは公爵家に引き取られて、義理の母と義理の姉に蔑まれ、疎まれながらも性根の清らかさから真っ直ぐ美しく成長する。
そして義姉に一年遅れて入った学園で、運命の出会いを果たすのだ。
王子、騎士など複数の貴族子息たちや下町の幼馴染……。誰かひとりと愛を育み、ハッピーエンドなら、卒業パーティーでその人の髪か目と同じ色の花束を渡される。
そして最後は、結婚式のムービーが流れる。相手の色で彩られた花冠を被ったヒロインの満面の笑みを見たら、無事にそのキャラクターのルートは攻略完了だ。
ちなみに誰を選んでも、義理の姉は王子様の婚約者として登場し、義理の母とともにことあるごとに嫌がらせをしてくる。
つまりは義理の姉のバーベナが『悪役令嬢』なのだ。
最後のイベントである卒業パーティーで、ヒロインが花束をもらう前に、バーベナはその罪が暴かれ、王子に婚約破棄された上で、母娘ともども地方へ追放される……というのが大まかなストーリーである。
「なんてこった……わたしが、あのお母様って……」
わたしが頭を抱えたのにはわけがある。
それは、乙女ゲームのエンディングを迎えたあとのオプションムービーだ。
何故か悪役令嬢の母親目線で描かれたそれは、誰得なのかわからないとSNSで話題を呼んでいた謎特典だった。
――そしてその特典映像の内容は、わたしが今日見た悪夢に酷似していた。
映像の中にいた悪役令嬢バーベナの母親の名は――『ヴァイオレット』
薄紫色の髪を揺らし、狂気に満ちたあの女は、わたしの姿だ。そのことにぞっとする。
『ヴァイオレット』は大好きだった幼馴染の公爵との婚姻を親の力で半ば強引に結んだものの、彼からは愛されず、娘ともども顧みられることはなかった。
そんなある日、彼は屋敷にひとりの少女を連れてくる。アナベルという名の少女は彼のもうひとりの娘で、今後は公爵令嬢として育てるのだという。
アナベルは彼に慈しまれ、大切にされていた。彼に愛されたかった『ヴァイオレット』の怒りや悲しみは、全てその少女に向けられた。
そうしてヴァイオレットは、実の娘であるバーベナとともにアナベルを虐げ続ける。
しかし最後には悪事が全て露見し、彼女たちは地方に追放されて、公爵やアナベルたちともう二度と会うことはなかった――という筋書きだ。
アナベルの攻略対象の王子様に、アルはよく似ている。
ゲームに名前は出てこないが、最後に悪役令嬢とその母を追放する王子の父である国王陛下が、アルなのだろう。
そしてテオは、『ヴァイオレット』の我儘が原因で無理矢理婚姻を結ばされる、悪役令嬢とヒロインの父となる存在だ。彼には他に愛する人がいたのに、その女性の身分の低さと『ヴァイオレット』との婚約のせいで、結婚することがかなわなかった。
好きな人と引き離されるなんて、テオもかわいそうだな、と思ったところで、わたしは少し冷静になって考えてみた。
(確かにテオも不憫ではあるけど、この場合は悪役令嬢のバーベナのほうが辛い人生じゃない?)
前世ではゲームの中の話だったから、別にいい。ヒロインに盛りに盛ってくれていい。
だけど、現実に置き換えると、母親からは愛とは違う形で執着され、父親はよそに家庭があって、その娘であるアナベルばかり可愛がるとなると、バーベナの心の拠り所がない。
(いやいやいや、そりゃ悪役令嬢の性格歪むわ! まともな家庭環境じゃないもん)
アナベルへの嫌がらせは酷かったけど、バーベナだってそうやって自分の居場所を守ることしかできなかったんじゃないだろうか。
「――他に愛する人がいる、か」
わたしはまだ少し痛みの残る頭を押さえながら、ベッドサイドに置いてある青い小花の髪飾りに目をやった。
今のところ、テオからはわたしに対して憎悪のような感情は感じられない。
あの『ヴァイオレット』のように、邪険にされることはないと思いたいが、何かがきっかけになって、態度が変わる可能性は否定できない。
きっと彼がわたしに優しいのは、まだヒロインの母親となる運命の人に出会っていないだけだろう。もし出会ってしまったら、疎まれるのかもしれない。
テオはいつか出会う本当に愛する人と幸せになるべきで、そしてわたしは、彼に必要以上に近寄ってはいけないのだ。
昨日、体調が悪くなる直前のフリージア様の言葉を思い出した。テオとの結婚をほのめかしていたような気がする。
このまま傍にいると、わたしやテオの意思にかかわらず、周りが勝手に盛り上がる可能性がある。
というか、今の時点でだいぶ盛り上がってる気がしなくもない。ただでさえお母様とフリージア様は仲良しなのだ。
「……よし。わたしへのお父さまガードをさらに強化しよう! テオが運命の人に出会うまで!」
わたしがさっさと他の人と婚約するって手もあるけど、それは悪手だ。
相手がテオじゃないだけで、無理矢理婚約した相手とうまくいかなかったら、別のバーベナが生まれるだけだろう。
テオとの婚約だけを回避するのも公爵家相手だとカドが立ちそうだし、お父様の宰相権限を有効に使ってもらって、時が来るまでは誰とも婚約しない作戦にしよう。
それに、せっかくならわたしもこの世界で楽しく過ごしたいし、お父様とお母様みたいに相思相愛の幸せな結婚がしたい。
「今後の方針は決まりね。わたしは暫く誰とも婚約しない。テオとの関わりを最低限に抑える。ヒロインの母っぽい人が現れたら、ふたりを全力で応援!」
ゲーム中ではヒロインの母の容貌や名前が語られることはなかったため、情報が乏しい。
ヒロインはとてつもなく可愛かったから、そのお母さんとなる女性もきっとすごく可愛いだろう。
アナベルの髪色は淡い金髪、瞳の色はスカイブルー。肌の色は透き通るように白く、守りたくなるお姫様のような容姿をしていた。
テオの髪色は淡い茶髪。ということは、その人が金髪である可能性が高い。
身分差が問題となって彼女とテオの結婚は周囲に認められず、アナベルが平民として暮らしていたということから、その人も平民の可能性が高い。それか、没落しそうな貴族あたりも怪しく思えてくる。
それらしい人を見つけたら、お手伝いをしよう。不倫される未来は回避したいし、あの優しい幼馴染には、真っ直ぐに愛する人と幸せになってほしい。
それに何より、不幸な娘の誕生を阻止しなければならないのだ。
(テオ、今回は邪魔しないからね。愛する家族とちゃんと幸せになるんだよ……!)
そう強く決意し、わたしは手元の髪飾りを棚の引き出しの奥にしまいこんだ。
◆ 【もしもの世界】ロートネル侯爵 ブライアム ◆
『宰相様! 急いで屋敷にお戻りください!』
城で執務中の宰相、ブライアム・ロートネルの執務室に男が突然駆け込んできた。その男は城に仕える騎士のようだが、息を切らし切羽詰まった状況が窺える。
その様子を見たブライアムは、心臓がぎゅうと握り込まれるような気がした。
『今日の執務はここまでとする。屋敷に戻る』
傍にいた補佐の男にそう告げて足早に部屋を出ると、城の門の前には、侯爵家から来たと思われる見慣れた使用人たちが、馬を二頭連れ立って待ち構えていた。
『……っ、旦那様! お急ぎください』
ブライアムの姿を見つけた使用人は、彼に馬に乗るように促す。馬車ではなく馬――それは、この状況がかなり緊迫していることを示している。使用人たちの顔色もとても悪い。
(どうか間に合ってくれ……!)
馬に跨ったブライアムは、祈るような思いで帰路を急いだ。
『ローズ!』
静まり返った屋敷に戻り、愛する妻の居室へと向かう。
部屋の扉を開くと、青白い顔で横たわる妻、ローズの姿があった。娘のヴァイオレット、医師、それとお付きの侍女たちが彼女を取り囲んでいる。
皆一様に硬い表情で、幼いヴァイオレットは静かに泣いていた。
『だ……んな、さま……?』
息も絶え絶えに、ローズはブライアムを見た。
『ローズ……!』
『ごめ……なさ……わたし、約束、まもれな、くて』
『いいから、しゃべるんじゃない』
ブライアムが駆け寄ると、ローズはその手をとって、力なく微笑む。
『あえて、よかった……レティを、おねがいします』
『ローズ、ローズ!』
微笑んだまま瞼を閉じたローズは、もう二度と目を覚ますことはない。
屋敷には、愛する妻を喪った男の慟哭が響いた。
◆◆
「――なさま、旦那様。ブライアム様」
身体を揺すられてブライアムが目を開けると、鮮やかな赤髪を持つ愛しの妻が目の前にいた。
先ほど、その妻が儚くなる姿を見たばかりだ。その強烈な情景が頭から離れず、ブライアムは混乱する。
「ロー……ズ?」
「随分と魘されていらっしゃいましたが、恐ろしい夢でも見たのですか?」
柔らかく微笑むその顔は、青白くやつれていた夢のものとは違い、ふっくらとしていて艶やかだ。ブライアムは恐る恐る手を伸ばし、彼女の頬に触れた。
(――あたたかい。生きて、いる)
彼女は確かに生きている。その事実にひどく安心する。
「変な旦那様」とくすくすと笑うローズの姿に、強張っていた身体から力が抜けるのを感じた。
七年前、ローズは寝たきりの状態だった。
元々身体が弱かったが、娘のヴァイオレットを産んだあとから調子を崩しがちになり、娘が三歳の頃には部屋から一歩も出ることができなかった。
医師から処方された薬を服用していたが、それでも彼女が快復する兆しはなかった。
それがどうだろう。今ではこんなに体調が良く、ふたり目の子宝にも恵まれたのだ。
「何か飲みますか? 果実水をご用意しますね」
「ああ。頼むよ。とても喉が渇いた」
ブライアムは頷くと、悪夢を忘れるように頭を振る。
とてもとても、怖い夢だった。
ブライアムにとってローズを失うことは、全てを失うことに等しい。
「どうぞ、旦那様」
「ありがとう」
「ふふ。貴方をそんなに怖がらせる夢って何かしら? ヴァイオレットがお嫁にでも行きましたか? 今日のサラの結婚式、素敵でしたものね」
楽しそうなローズの顔を見ながら、ブライアムはなんと答えたらいいかわからず曖昧に微笑む。
「レティもあんな風な花嫁になれたらいいですね。私みたいに、幸せに」
「ローズ……」
「旦那様、ちゃんとレティをお嫁に出さないとダメですよ? あの子が生まれた時に、ふたりで約束したでしょう」
ヴァイオレットが生まれた時、ローズは言った。
『この子にも、必ず幸せな婚姻をさせましょう。そして、ふたりで一緒に見送りましょうね』と。
(そうだ、だから、私は……ヴァイオレットが望むとおりに婚姻させたんだ。ローズを失ったあと、私が持つ全ての権力を使って。それが、ローズとの約束を守ることになると思って……)
「ブライアム様?」
「っ! いや、なんでもない」
夢の中の自分に同期するように思考しかけたブライアムは、ローズの声を聞いて、また果実水を口に運んだ。
(不思議な夢だった。夢なのに、現実のような。あの時、ローズの容態が快方に向かわなければ、そうなったかのような……)
「大丈夫ですよ、旦那様。レティがいなくなっても、私やグレンがいます。もう、私の身体のことでご心配はおかけしませんわ」
自分の考えていることとは全く異なっているが、励ましてくれようとするローズを見ると、心が安らぐ。
「……そのレティは、誰とも婚約しないと言っているが」
「あらあら。それならそれで、みんなで暮らしましょう」
和やかな彼女の言葉に、ブライアムは思わず笑い声を漏らした。
「ふ、そうだな。リシャール家や王家からやんわりと婚約の打診が来ていたが、面倒だから全て断ることにしよう」
「まあ、旦那様ったら!」
ブライアムはローズの身体を抱き寄せる。彼女の心臓は規則正しく、とくとくと脈を打っている。
その音を聞いて、ようやくはっきりと夢から醒めた。
――大丈夫。あの夢のようにはならない。
妻は確かに生きている、それだけが全てだ。
三 学園と再会
あの決意の日から三年。
先々月に十三歳になったわたしは、明日から通う学園の制服を身にまとっている。
この世界では十三歳になった貴族の子息や息女は、みんな学園に入学し、寮生活を始める決まりになっている。
そのため、家を出る前に着て見せてというお母様たちの要望に応えたのだ。
そんなわたしを見て手放しに賛辞を与えてくれるのは、言わずもがな優しく美しいお母様と、お母様譲りの赤髪が綺麗な六歳の弟グレンだ。
「おねえたま、ちれい~」
そしてそこに、舌足らずな二歳の妹、サイネリアの愛らしい声も加わる。
「いよいよ明日からなのね……レティがいないと寂しくなるわ」
「わたしも寂しいです」
「おねえたま、やだぁ~」
しゅんとしたお母様につられるように、グレンとサイネリアが瞳を潤ませる。
そんな様子を見て、わたしは苦笑いした。
この世界が乙女ゲームだとわかってから、気づいたことがいくつかある。
日本発の乙女ゲームであるからか、ちょこちょこと日本文化的なものが入り乱れているのだ。
貴族って制服着るのか、とか、高貴な人たちがそろって寮生活なんてそんなことあるのか、とか。つっこみだしたらキリがない。
この乙女ゲームは学園生活で旦那様を見つけるものだったので、当然その母親世代であるわたしたちも同じ文化なのだろう。
ひと月や一年の考え方は日本と同じ。四月から学校が始まるのも同じだ。
二年間の学園生活を送り、そして十五歳になったら、卒業してデビュタントと呼ばれる夜会デビューがある。
そうして夜会デビューをしてからは、大人の一員として、社交界へと繰り出すのだ。
この国の婚姻は十六歳から可能となっており、婚約者がいる人たちは大体そのあたりで結婚するらしい。お母様も、婚約者だったお父様と十七歳の時に結婚したそうだ。
そしてここがポイントなのだが、この世界では十五歳から成人として扱われるため、二十歳を過ぎても結婚していないご令嬢は行き遅れらしい。
前世で二十六歳未婚だったわたしは、その話を聞いて少し泣きそうになった。
だって、ハタチで行き遅れなんて切なすぎる。
「お母さま、すっかりお元気になりましたね」
泣きそうな妹の頭をよしよしと撫でながらお母様を見ると、にっこりと笑ってくれた。
「ええ、レティのお陰だわ。まさか私がこんなに可愛い子どもたちに恵まれるなんて、思っていなかったもの」
三十一歳になったお母様は三人の子持ちとは思えないほど、その美しさは失われていない。
あの頃の痩せ細った青白い顔の女性とは、まるで別人だ。
「レティは本当に色々と詳しいのね。サイネリアが生まれたあとも、たくさんのことを教えてくれて」
「え、ええ! お城でも色々学んでいますし。色々な方からお話を伺う機会がありましたので」
「さすがだわ」
お母様に真実は言えない。
産後の身体を整える産褥期の過ごし方についての知識が、前世の親友よっちゃんの教えということは。
同い年の親友にはすでに子どもがふたりいて、その大変さはよく聞かされていた。
まさか自分より先にその知識を活かすことになるとは思わなかったが、お母様がこうして美しく健康でいられるのもよっちゃんのお陰なので、感謝したい。
お母様が最初に体調を大きく崩したのが、わたしを出産したあとだと聞いて、ピンときたのだ。
日本でも昔から『産後の肥立ちが悪い』という言葉がある。女性の身体に大きな負担がかかる妊娠、出産は危険なものなのだ、とよっちゃんが言っていた。
「姉様、お休みの日は帰ってきてくださいますか?」
わたしと同じ琥珀色の瞳を揺らしながら、そう問うのはグレンだ。
「ええ、もちろんよグレン! たくさんお話ししましょうね」
「おにいたま、ずるい! リアもリアも~」
「あらあらレティは大人気ねぇ」
家族の笑い声と、それを見守る使用人たちの優しい笑顔。
こうしていると、たまに思うのだ。
ゲームの『ヴァイオレット』は、こんなにあたたかい暮らしの中で、あんなに性格が歪むのだろうか、と。
主役はあくまでヒロインなので情報は少ないが、彼女には実の弟、さらには妹がいたような描写はなかった気がする。跡継ぎのために養子となった、義理の弟がいただけではなかったか。
(うーん、わからない……。ゲームの世界とは少し違うのかなあ)
この三年、わたしに婚約の話が出ることはなかった。だけど同様に、アルやテオが誰かと婚約したという話も耳に入っては来なかった。
とはいえ、わたしの決意を揺るがすわけにはいかない。
そのため、彼らとお茶会をする時間をなくした。その代わりに、わたしには何故か家庭教師が増え、週に数回はお父様とともに登城し、城の厳しい教師のもとに学びに行っている。
城に行けば、もちろんアルはいるから、合間の休み時間にちょこちょこと話をする機会はあった。けれど、以前のように彼らが侯爵家に訪ねてくることはすっかりなくなっていた。
ここ一年は、先に学園に入学した彼らと顔を合わせる機会は皆無に等しい。
寂しくないといえば嘘になるが、この期間、ひたすら勉強に打ち込んだお陰で、明日からの学園生活において勉強への不安は全くない。それは思いがけない副産物と言えるだろう。
本当に、やけに忙しい三年間だった。
学園に行けば、たくさんの貴族息女たちや、平民の子たちもいる。
ついに『ヒロインの母』である金髪美少女と遭遇するかもしれないのだ。
(いよいよね……頑張らないと)
何かが起こるような予感しかしないが、とりあえず今は目の前の弟妹を愛でることに全力を注ぐことにした。
❀
そして、翌日。わたしは学園の校門の前に立っていた。
今日は学園の入学式だ。ゲームで見た映像と全く同じ、お城のような見た目の校舎を眺めていると、なんだか戦地に赴くような気持ちになる。
「ではお嬢様。私たちはお部屋を整えて参ります」
そう言ったのは、昨年からわたし付きの侍女となったアンナだ。
「ええ。お願いね」
わたしがそう告げると、彼女は他の数人のメイドとともに寮へと向かっていった。
今日からの新生活のために荷物を運び込む必要があるので、こうして初日は複数の使用人とともに来たのだ。
明日からは、アンナだけが学園に残ることになっている。
幼い頃からわたしの侍女を務めていたサラは現在子育て中のため、侯爵家でお留守番をしている。
サラもこちらに来たがっていたが、『子どもが小さい頃の思い出はプライスレスだ』と親友のよっちゃんも言っていたから、今は仕事より家庭を大切にしてほしい。
ここでの二年間は、寮での共同生活となる。とは言っても、生徒は身分によってあてがわれる部屋のランクが異なる。貴族であり、しかも侯爵令嬢であるわたしには、侍女のための部屋も併設された特別室が用意されている。
前世が平凡な日本人としては、せっかくなので平民用だというふたりひと部屋のよくある寮生活を満喫してみたかったのだが、ロートネル家の肩書きがそれを許さなかった。
まあ、宰相の娘と同室になると、相手のほうが気を遣うだろう。そう考えて、素直に従うことにした。
ひとりで構内を歩いていると、いつの間にか入学式が行われる大講堂の入り口に到着していた。
開かれた重厚な大きな扉と、鮮やかなステンドグラス。そして新入生たちのざわめき。
ヒロインの視線を通して見る、ゲームのオープニング画面そのままの景色に、ぞくりと鳥肌が立った。
見たことのある風景が眼前を流れていく様に、目がチカチカする。
(やっぱり、ここはあの世界で間違いないんだなあ。わかってはいたけど、ようやく実感が湧いてきた)
ここで、ヒロインと攻略対象者たちのあれやこれやが繰り広げられるのだ。まあ、早くても二十年くらいあとのことなのだけど。
こちらの世界ではわたしはまだ十三歳なのに、すでに生まれてもいない我が子たちに思いを馳せている。それが少し滑稽で、思わずため息のような苦笑がこぼれてしまった。
「レティ!」
急に誰かに愛称を呼ばれて、わたしの意識は現実に戻った。声がしたほうに顔を向けたわたしは、唖然としてしまう。
柔らかなミルクティー色の髪に、透き通るような青の瞳。
以前見た時よりも格段に背が伸びて、男前度がぐんと上がっている幼馴染がそこにいた。
「テオ……よね? 多分」
「なんで疑問形なんだ。レティ、入学おめでとう。……久しぶりだな」
目の前にいる幼馴染と会うのは、確かに久しぶりだった。個人的なお茶会にはなんだかんだと理由をつけて行かなかったし、公式なお茶会は女子会だけに足を運んだ。
お母様が何か言付けたのか、フリージア様がうちに来る時はテオを伴わなくなっていたし……とにかくこの成長ぶりに驚くくらいには、久しぶりの邂逅だ。
「なんだ……その、レティ、綺麗になったな」
「あ、ありがとう。テオも大きくなった、ね」
無愛想だった幼馴染は、いつの間にか笑顔でそんな社交辞令を言えるほど成長したらしい。さすが、今年卒業したら社交界デビューなだけはある。
(……よし、一回整理してみよう)
わたしは前世の記憶と今の状況を合わせて、情報をまとめることにした。
わたしが前世で夢中になっていた乙女ゲームは『花冠~煌めきウエディング~』という名前のとおり、主人公がハッピーウエディングを目指す物語だ。
友人の結婚式の帰り道。幸せビームを大量に浴びて、それでも次の日からはまたぷちブラックな会社勤めという現実に嫌気が差したわたしは、半ばやけくそになりながらこのゲームを見つけた。
彼氏もいないし結婚の予定もない。ゲームの中でくらい結婚してやる、と意気込んで始めたゲームに、見事にどっぷりとハマったのだ。それはもう、何周もやるくらい。
だからそのストーリーは、今でもはっきりと覚えている。
このゲームのヒロインのアナベルは、父と母とともに平民として暮らしていた。
しかし十三歳の時、母の死をきっかけに自分が公爵の娘だと知る。今まで普通の父親だと思っていた人が実は公爵で、他に妻と娘がいることまで知らされるのだ。
それからアナベルは公爵家に引き取られて、義理の母と義理の姉に蔑まれ、疎まれながらも性根の清らかさから真っ直ぐ美しく成長する。
そして義姉に一年遅れて入った学園で、運命の出会いを果たすのだ。
王子、騎士など複数の貴族子息たちや下町の幼馴染……。誰かひとりと愛を育み、ハッピーエンドなら、卒業パーティーでその人の髪か目と同じ色の花束を渡される。
そして最後は、結婚式のムービーが流れる。相手の色で彩られた花冠を被ったヒロインの満面の笑みを見たら、無事にそのキャラクターのルートは攻略完了だ。
ちなみに誰を選んでも、義理の姉は王子様の婚約者として登場し、義理の母とともにことあるごとに嫌がらせをしてくる。
つまりは義理の姉のバーベナが『悪役令嬢』なのだ。
最後のイベントである卒業パーティーで、ヒロインが花束をもらう前に、バーベナはその罪が暴かれ、王子に婚約破棄された上で、母娘ともども地方へ追放される……というのが大まかなストーリーである。
「なんてこった……わたしが、あのお母様って……」
わたしが頭を抱えたのにはわけがある。
それは、乙女ゲームのエンディングを迎えたあとのオプションムービーだ。
何故か悪役令嬢の母親目線で描かれたそれは、誰得なのかわからないとSNSで話題を呼んでいた謎特典だった。
――そしてその特典映像の内容は、わたしが今日見た悪夢に酷似していた。
映像の中にいた悪役令嬢バーベナの母親の名は――『ヴァイオレット』
薄紫色の髪を揺らし、狂気に満ちたあの女は、わたしの姿だ。そのことにぞっとする。
『ヴァイオレット』は大好きだった幼馴染の公爵との婚姻を親の力で半ば強引に結んだものの、彼からは愛されず、娘ともども顧みられることはなかった。
そんなある日、彼は屋敷にひとりの少女を連れてくる。アナベルという名の少女は彼のもうひとりの娘で、今後は公爵令嬢として育てるのだという。
アナベルは彼に慈しまれ、大切にされていた。彼に愛されたかった『ヴァイオレット』の怒りや悲しみは、全てその少女に向けられた。
そうしてヴァイオレットは、実の娘であるバーベナとともにアナベルを虐げ続ける。
しかし最後には悪事が全て露見し、彼女たちは地方に追放されて、公爵やアナベルたちともう二度と会うことはなかった――という筋書きだ。
アナベルの攻略対象の王子様に、アルはよく似ている。
ゲームに名前は出てこないが、最後に悪役令嬢とその母を追放する王子の父である国王陛下が、アルなのだろう。
そしてテオは、『ヴァイオレット』の我儘が原因で無理矢理婚姻を結ばされる、悪役令嬢とヒロインの父となる存在だ。彼には他に愛する人がいたのに、その女性の身分の低さと『ヴァイオレット』との婚約のせいで、結婚することがかなわなかった。
好きな人と引き離されるなんて、テオもかわいそうだな、と思ったところで、わたしは少し冷静になって考えてみた。
(確かにテオも不憫ではあるけど、この場合は悪役令嬢のバーベナのほうが辛い人生じゃない?)
前世ではゲームの中の話だったから、別にいい。ヒロインに盛りに盛ってくれていい。
だけど、現実に置き換えると、母親からは愛とは違う形で執着され、父親はよそに家庭があって、その娘であるアナベルばかり可愛がるとなると、バーベナの心の拠り所がない。
(いやいやいや、そりゃ悪役令嬢の性格歪むわ! まともな家庭環境じゃないもん)
アナベルへの嫌がらせは酷かったけど、バーベナだってそうやって自分の居場所を守ることしかできなかったんじゃないだろうか。
「――他に愛する人がいる、か」
わたしはまだ少し痛みの残る頭を押さえながら、ベッドサイドに置いてある青い小花の髪飾りに目をやった。
今のところ、テオからはわたしに対して憎悪のような感情は感じられない。
あの『ヴァイオレット』のように、邪険にされることはないと思いたいが、何かがきっかけになって、態度が変わる可能性は否定できない。
きっと彼がわたしに優しいのは、まだヒロインの母親となる運命の人に出会っていないだけだろう。もし出会ってしまったら、疎まれるのかもしれない。
テオはいつか出会う本当に愛する人と幸せになるべきで、そしてわたしは、彼に必要以上に近寄ってはいけないのだ。
昨日、体調が悪くなる直前のフリージア様の言葉を思い出した。テオとの結婚をほのめかしていたような気がする。
このまま傍にいると、わたしやテオの意思にかかわらず、周りが勝手に盛り上がる可能性がある。
というか、今の時点でだいぶ盛り上がってる気がしなくもない。ただでさえお母様とフリージア様は仲良しなのだ。
「……よし。わたしへのお父さまガードをさらに強化しよう! テオが運命の人に出会うまで!」
わたしがさっさと他の人と婚約するって手もあるけど、それは悪手だ。
相手がテオじゃないだけで、無理矢理婚約した相手とうまくいかなかったら、別のバーベナが生まれるだけだろう。
テオとの婚約だけを回避するのも公爵家相手だとカドが立ちそうだし、お父様の宰相権限を有効に使ってもらって、時が来るまでは誰とも婚約しない作戦にしよう。
それに、せっかくならわたしもこの世界で楽しく過ごしたいし、お父様とお母様みたいに相思相愛の幸せな結婚がしたい。
「今後の方針は決まりね。わたしは暫く誰とも婚約しない。テオとの関わりを最低限に抑える。ヒロインの母っぽい人が現れたら、ふたりを全力で応援!」
ゲーム中ではヒロインの母の容貌や名前が語られることはなかったため、情報が乏しい。
ヒロインはとてつもなく可愛かったから、そのお母さんとなる女性もきっとすごく可愛いだろう。
アナベルの髪色は淡い金髪、瞳の色はスカイブルー。肌の色は透き通るように白く、守りたくなるお姫様のような容姿をしていた。
テオの髪色は淡い茶髪。ということは、その人が金髪である可能性が高い。
身分差が問題となって彼女とテオの結婚は周囲に認められず、アナベルが平民として暮らしていたということから、その人も平民の可能性が高い。それか、没落しそうな貴族あたりも怪しく思えてくる。
それらしい人を見つけたら、お手伝いをしよう。不倫される未来は回避したいし、あの優しい幼馴染には、真っ直ぐに愛する人と幸せになってほしい。
それに何より、不幸な娘の誕生を阻止しなければならないのだ。
(テオ、今回は邪魔しないからね。愛する家族とちゃんと幸せになるんだよ……!)
そう強く決意し、わたしは手元の髪飾りを棚の引き出しの奥にしまいこんだ。
◆ 【もしもの世界】ロートネル侯爵 ブライアム ◆
『宰相様! 急いで屋敷にお戻りください!』
城で執務中の宰相、ブライアム・ロートネルの執務室に男が突然駆け込んできた。その男は城に仕える騎士のようだが、息を切らし切羽詰まった状況が窺える。
その様子を見たブライアムは、心臓がぎゅうと握り込まれるような気がした。
『今日の執務はここまでとする。屋敷に戻る』
傍にいた補佐の男にそう告げて足早に部屋を出ると、城の門の前には、侯爵家から来たと思われる見慣れた使用人たちが、馬を二頭連れ立って待ち構えていた。
『……っ、旦那様! お急ぎください』
ブライアムの姿を見つけた使用人は、彼に馬に乗るように促す。馬車ではなく馬――それは、この状況がかなり緊迫していることを示している。使用人たちの顔色もとても悪い。
(どうか間に合ってくれ……!)
馬に跨ったブライアムは、祈るような思いで帰路を急いだ。
『ローズ!』
静まり返った屋敷に戻り、愛する妻の居室へと向かう。
部屋の扉を開くと、青白い顔で横たわる妻、ローズの姿があった。娘のヴァイオレット、医師、それとお付きの侍女たちが彼女を取り囲んでいる。
皆一様に硬い表情で、幼いヴァイオレットは静かに泣いていた。
『だ……んな、さま……?』
息も絶え絶えに、ローズはブライアムを見た。
『ローズ……!』
『ごめ……なさ……わたし、約束、まもれな、くて』
『いいから、しゃべるんじゃない』
ブライアムが駆け寄ると、ローズはその手をとって、力なく微笑む。
『あえて、よかった……レティを、おねがいします』
『ローズ、ローズ!』
微笑んだまま瞼を閉じたローズは、もう二度と目を覚ますことはない。
屋敷には、愛する妻を喪った男の慟哭が響いた。
◆◆
「――なさま、旦那様。ブライアム様」
身体を揺すられてブライアムが目を開けると、鮮やかな赤髪を持つ愛しの妻が目の前にいた。
先ほど、その妻が儚くなる姿を見たばかりだ。その強烈な情景が頭から離れず、ブライアムは混乱する。
「ロー……ズ?」
「随分と魘されていらっしゃいましたが、恐ろしい夢でも見たのですか?」
柔らかく微笑むその顔は、青白くやつれていた夢のものとは違い、ふっくらとしていて艶やかだ。ブライアムは恐る恐る手を伸ばし、彼女の頬に触れた。
(――あたたかい。生きて、いる)
彼女は確かに生きている。その事実にひどく安心する。
「変な旦那様」とくすくすと笑うローズの姿に、強張っていた身体から力が抜けるのを感じた。
七年前、ローズは寝たきりの状態だった。
元々身体が弱かったが、娘のヴァイオレットを産んだあとから調子を崩しがちになり、娘が三歳の頃には部屋から一歩も出ることができなかった。
医師から処方された薬を服用していたが、それでも彼女が快復する兆しはなかった。
それがどうだろう。今ではこんなに体調が良く、ふたり目の子宝にも恵まれたのだ。
「何か飲みますか? 果実水をご用意しますね」
「ああ。頼むよ。とても喉が渇いた」
ブライアムは頷くと、悪夢を忘れるように頭を振る。
とてもとても、怖い夢だった。
ブライアムにとってローズを失うことは、全てを失うことに等しい。
「どうぞ、旦那様」
「ありがとう」
「ふふ。貴方をそんなに怖がらせる夢って何かしら? ヴァイオレットがお嫁にでも行きましたか? 今日のサラの結婚式、素敵でしたものね」
楽しそうなローズの顔を見ながら、ブライアムはなんと答えたらいいかわからず曖昧に微笑む。
「レティもあんな風な花嫁になれたらいいですね。私みたいに、幸せに」
「ローズ……」
「旦那様、ちゃんとレティをお嫁に出さないとダメですよ? あの子が生まれた時に、ふたりで約束したでしょう」
ヴァイオレットが生まれた時、ローズは言った。
『この子にも、必ず幸せな婚姻をさせましょう。そして、ふたりで一緒に見送りましょうね』と。
(そうだ、だから、私は……ヴァイオレットが望むとおりに婚姻させたんだ。ローズを失ったあと、私が持つ全ての権力を使って。それが、ローズとの約束を守ることになると思って……)
「ブライアム様?」
「っ! いや、なんでもない」
夢の中の自分に同期するように思考しかけたブライアムは、ローズの声を聞いて、また果実水を口に運んだ。
(不思議な夢だった。夢なのに、現実のような。あの時、ローズの容態が快方に向かわなければ、そうなったかのような……)
「大丈夫ですよ、旦那様。レティがいなくなっても、私やグレンがいます。もう、私の身体のことでご心配はおかけしませんわ」
自分の考えていることとは全く異なっているが、励ましてくれようとするローズを見ると、心が安らぐ。
「……そのレティは、誰とも婚約しないと言っているが」
「あらあら。それならそれで、みんなで暮らしましょう」
和やかな彼女の言葉に、ブライアムは思わず笑い声を漏らした。
「ふ、そうだな。リシャール家や王家からやんわりと婚約の打診が来ていたが、面倒だから全て断ることにしよう」
「まあ、旦那様ったら!」
ブライアムはローズの身体を抱き寄せる。彼女の心臓は規則正しく、とくとくと脈を打っている。
その音を聞いて、ようやくはっきりと夢から醒めた。
――大丈夫。あの夢のようにはならない。
妻は確かに生きている、それだけが全てだ。
三 学園と再会
あの決意の日から三年。
先々月に十三歳になったわたしは、明日から通う学園の制服を身にまとっている。
この世界では十三歳になった貴族の子息や息女は、みんな学園に入学し、寮生活を始める決まりになっている。
そのため、家を出る前に着て見せてというお母様たちの要望に応えたのだ。
そんなわたしを見て手放しに賛辞を与えてくれるのは、言わずもがな優しく美しいお母様と、お母様譲りの赤髪が綺麗な六歳の弟グレンだ。
「おねえたま、ちれい~」
そしてそこに、舌足らずな二歳の妹、サイネリアの愛らしい声も加わる。
「いよいよ明日からなのね……レティがいないと寂しくなるわ」
「わたしも寂しいです」
「おねえたま、やだぁ~」
しゅんとしたお母様につられるように、グレンとサイネリアが瞳を潤ませる。
そんな様子を見て、わたしは苦笑いした。
この世界が乙女ゲームだとわかってから、気づいたことがいくつかある。
日本発の乙女ゲームであるからか、ちょこちょこと日本文化的なものが入り乱れているのだ。
貴族って制服着るのか、とか、高貴な人たちがそろって寮生活なんてそんなことあるのか、とか。つっこみだしたらキリがない。
この乙女ゲームは学園生活で旦那様を見つけるものだったので、当然その母親世代であるわたしたちも同じ文化なのだろう。
ひと月や一年の考え方は日本と同じ。四月から学校が始まるのも同じだ。
二年間の学園生活を送り、そして十五歳になったら、卒業してデビュタントと呼ばれる夜会デビューがある。
そうして夜会デビューをしてからは、大人の一員として、社交界へと繰り出すのだ。
この国の婚姻は十六歳から可能となっており、婚約者がいる人たちは大体そのあたりで結婚するらしい。お母様も、婚約者だったお父様と十七歳の時に結婚したそうだ。
そしてここがポイントなのだが、この世界では十五歳から成人として扱われるため、二十歳を過ぎても結婚していないご令嬢は行き遅れらしい。
前世で二十六歳未婚だったわたしは、その話を聞いて少し泣きそうになった。
だって、ハタチで行き遅れなんて切なすぎる。
「お母さま、すっかりお元気になりましたね」
泣きそうな妹の頭をよしよしと撫でながらお母様を見ると、にっこりと笑ってくれた。
「ええ、レティのお陰だわ。まさか私がこんなに可愛い子どもたちに恵まれるなんて、思っていなかったもの」
三十一歳になったお母様は三人の子持ちとは思えないほど、その美しさは失われていない。
あの頃の痩せ細った青白い顔の女性とは、まるで別人だ。
「レティは本当に色々と詳しいのね。サイネリアが生まれたあとも、たくさんのことを教えてくれて」
「え、ええ! お城でも色々学んでいますし。色々な方からお話を伺う機会がありましたので」
「さすがだわ」
お母様に真実は言えない。
産後の身体を整える産褥期の過ごし方についての知識が、前世の親友よっちゃんの教えということは。
同い年の親友にはすでに子どもがふたりいて、その大変さはよく聞かされていた。
まさか自分より先にその知識を活かすことになるとは思わなかったが、お母様がこうして美しく健康でいられるのもよっちゃんのお陰なので、感謝したい。
お母様が最初に体調を大きく崩したのが、わたしを出産したあとだと聞いて、ピンときたのだ。
日本でも昔から『産後の肥立ちが悪い』という言葉がある。女性の身体に大きな負担がかかる妊娠、出産は危険なものなのだ、とよっちゃんが言っていた。
「姉様、お休みの日は帰ってきてくださいますか?」
わたしと同じ琥珀色の瞳を揺らしながら、そう問うのはグレンだ。
「ええ、もちろんよグレン! たくさんお話ししましょうね」
「おにいたま、ずるい! リアもリアも~」
「あらあらレティは大人気ねぇ」
家族の笑い声と、それを見守る使用人たちの優しい笑顔。
こうしていると、たまに思うのだ。
ゲームの『ヴァイオレット』は、こんなにあたたかい暮らしの中で、あんなに性格が歪むのだろうか、と。
主役はあくまでヒロインなので情報は少ないが、彼女には実の弟、さらには妹がいたような描写はなかった気がする。跡継ぎのために養子となった、義理の弟がいただけではなかったか。
(うーん、わからない……。ゲームの世界とは少し違うのかなあ)
この三年、わたしに婚約の話が出ることはなかった。だけど同様に、アルやテオが誰かと婚約したという話も耳に入っては来なかった。
とはいえ、わたしの決意を揺るがすわけにはいかない。
そのため、彼らとお茶会をする時間をなくした。その代わりに、わたしには何故か家庭教師が増え、週に数回はお父様とともに登城し、城の厳しい教師のもとに学びに行っている。
城に行けば、もちろんアルはいるから、合間の休み時間にちょこちょこと話をする機会はあった。けれど、以前のように彼らが侯爵家に訪ねてくることはすっかりなくなっていた。
ここ一年は、先に学園に入学した彼らと顔を合わせる機会は皆無に等しい。
寂しくないといえば嘘になるが、この期間、ひたすら勉強に打ち込んだお陰で、明日からの学園生活において勉強への不安は全くない。それは思いがけない副産物と言えるだろう。
本当に、やけに忙しい三年間だった。
学園に行けば、たくさんの貴族息女たちや、平民の子たちもいる。
ついに『ヒロインの母』である金髪美少女と遭遇するかもしれないのだ。
(いよいよね……頑張らないと)
何かが起こるような予感しかしないが、とりあえず今は目の前の弟妹を愛でることに全力を注ぐことにした。
❀
そして、翌日。わたしは学園の校門の前に立っていた。
今日は学園の入学式だ。ゲームで見た映像と全く同じ、お城のような見た目の校舎を眺めていると、なんだか戦地に赴くような気持ちになる。
「ではお嬢様。私たちはお部屋を整えて参ります」
そう言ったのは、昨年からわたし付きの侍女となったアンナだ。
「ええ。お願いね」
わたしがそう告げると、彼女は他の数人のメイドとともに寮へと向かっていった。
今日からの新生活のために荷物を運び込む必要があるので、こうして初日は複数の使用人とともに来たのだ。
明日からは、アンナだけが学園に残ることになっている。
幼い頃からわたしの侍女を務めていたサラは現在子育て中のため、侯爵家でお留守番をしている。
サラもこちらに来たがっていたが、『子どもが小さい頃の思い出はプライスレスだ』と親友のよっちゃんも言っていたから、今は仕事より家庭を大切にしてほしい。
ここでの二年間は、寮での共同生活となる。とは言っても、生徒は身分によってあてがわれる部屋のランクが異なる。貴族であり、しかも侯爵令嬢であるわたしには、侍女のための部屋も併設された特別室が用意されている。
前世が平凡な日本人としては、せっかくなので平民用だというふたりひと部屋のよくある寮生活を満喫してみたかったのだが、ロートネル家の肩書きがそれを許さなかった。
まあ、宰相の娘と同室になると、相手のほうが気を遣うだろう。そう考えて、素直に従うことにした。
ひとりで構内を歩いていると、いつの間にか入学式が行われる大講堂の入り口に到着していた。
開かれた重厚な大きな扉と、鮮やかなステンドグラス。そして新入生たちのざわめき。
ヒロインの視線を通して見る、ゲームのオープニング画面そのままの景色に、ぞくりと鳥肌が立った。
見たことのある風景が眼前を流れていく様に、目がチカチカする。
(やっぱり、ここはあの世界で間違いないんだなあ。わかってはいたけど、ようやく実感が湧いてきた)
ここで、ヒロインと攻略対象者たちのあれやこれやが繰り広げられるのだ。まあ、早くても二十年くらいあとのことなのだけど。
こちらの世界ではわたしはまだ十三歳なのに、すでに生まれてもいない我が子たちに思いを馳せている。それが少し滑稽で、思わずため息のような苦笑がこぼれてしまった。
「レティ!」
急に誰かに愛称を呼ばれて、わたしの意識は現実に戻った。声がしたほうに顔を向けたわたしは、唖然としてしまう。
柔らかなミルクティー色の髪に、透き通るような青の瞳。
以前見た時よりも格段に背が伸びて、男前度がぐんと上がっている幼馴染がそこにいた。
「テオ……よね? 多分」
「なんで疑問形なんだ。レティ、入学おめでとう。……久しぶりだな」
目の前にいる幼馴染と会うのは、確かに久しぶりだった。個人的なお茶会にはなんだかんだと理由をつけて行かなかったし、公式なお茶会は女子会だけに足を運んだ。
お母様が何か言付けたのか、フリージア様がうちに来る時はテオを伴わなくなっていたし……とにかくこの成長ぶりに驚くくらいには、久しぶりの邂逅だ。
「なんだ……その、レティ、綺麗になったな」
「あ、ありがとう。テオも大きくなった、ね」
無愛想だった幼馴染は、いつの間にか笑顔でそんな社交辞令を言えるほど成長したらしい。さすが、今年卒業したら社交界デビューなだけはある。
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