失声の歌

涼雅

文字の大きさ
5 / 33

しおりを挟む
嫌いな音の溢れる外の世界で

歌を、聴いた

いや、聴いてしまった

直感でそう思った

気が付いたら声の主を探し、足場の悪い森を走り回っていて

案外近くにいたことに驚く

仕事終わり

すっかり暗くなった空

光の入らない森の中

視界の悪い木々の間

そこに隠れるように、彼はいた

儚くて今にも消えてしまいそうなのに、存在感のある、優しい声

彼は膝を抱えてしゃがみこんで、俯いていた

村では見たことのない男の人。

余所者であろう風貌に疑念を抱くが、そんなことどうでもよかった

ただ、彼の歌をもっと聴きたい

俺は静かに歩み寄った

足元の小枝を踏まないように細心の注意を払いながら。

彼の口から薄く流れ出る歌声は、何かを祈るように繊細で

綺麗な人だと、そう思った

泣いてしまいそうになる気持ちを抑えて、俺はスケッチブックを取り出して鉛筆を走らせた

歌なんて、嫌いになってしまったのに、彼の優しい歌声に惹かれてしまったんだ

俺は、願いを奏でることも、言葉をのみこむことも出来ない

声が、出ないから。

死にたいと願って消えることを望んだ

でも、優しい声は俺を誘うように

死にたいと、願う俺を救ってくれた彼の声

いまも尚、歌を続ける茶髪の彼にスケッチブックを押し付けた

『綺麗な歌ですね』

簡素な言葉はただの感想でしかないけれど、今の俺にはこれが精一杯だった

彼は押し付けられた紙の束を受け取り、口を噤んだ

ぴたりと止まる音色

目の前の彼はそれに目を通したあと、俺の方を見て、ぱちくりと目を瞬かせた

しゃがみこむ彼に、それを見下ろす俺

必然的に、見上げてくる彼の顔が見えた

形のいい眉

まん丸の垂れ目

小さい唇

高い鼻

夜でもわかる真っ白な肌

どれをとっても完璧な顔立ちに思わず出ない声が出そうになる

「き、綺麗ですか……?」

信じられない、とでも言うかのように、驚いた顔の彼

俺は必死に頷いた

「ありがと、ございます」

そう言いながら遠慮がちに微笑んでくれる

『歌声、好きです。ずっと聴いていたいくらい』

先程書いた簡素な言葉の下に書き込むと彼は不思議そうな顔をした

「ほんとですか…?俺の声、好きなんですか…」

何処かに消えてしまいそうな声に不安になって、俺もしゃがみこむ

簡素な言葉も聴いていたいという願いを捲って新しい紙に。

俺なりの精一杯の気持ちを込めて、真っ白な画面に黒を落とした

『好きです』

微笑みながらそれを見せれば、ぽろぽろと涙を流す彼

突然のことにどうしたらいいのか分からなくなる

ただ必死に鉛筆を走らせた

『どうしましたか、大丈夫ですか?気に触るようなこと、言ってしまいましたか……』

謝罪の言葉を並べる

やってしまった、傷付けてしまったのかもしれない

泣かせてしまうだなんて思わなくて、慰めの言葉も発せないことに苛立ちを覚える

彼は俺の謝罪を手に取ると、手で涙を拭ってはパチパチと瞬きを繰り返す

泣いているのだから目の前なんて見えないだろうに、必死にスケッチブックを見てくれる彼は「違う違う」と首を振る

「い、や、ごめんなさい、違くて、嬉しくてっ、うれしくて…涙、何でだろ……ありがとう、ございます…めちゃくちゃ嬉しいです…っ!」

泣き笑いながらそう言葉を伝えてくれる

俺の想いが詰まったスケッチブックを抱きしめるように泣く彼を見ると、俺も泣きたくなる

胸が、きゅーっと、締め付けられる

俺もこんな風に…なんて。

「あっ、ごめんなさい、スケッチブック…持ったままで…」

ハッと我に返ったように慌てる彼

はい、と手渡された紙の束を両手で受け取る

不意に光が紙を照らした

それは木々の隙間を縫った月の光だった

明日も仕事。

それを思い出してばっと立ち上がる

「?!ど、どうかした?!」

いきなりの事にタメ口になる目の下の茶髪の彼は、心配したようにこちらを見上げていた

『すみませんでした、突然声をかけてしまって…

 明日も仕事があるので、そろそろ帰ります。

 あなたも遅くならないうちに帰った方がいいです

 この森は、危ないので。

 また、来てもいいですか…?』

厚かましいだろうか。

それでも、また彼の歌を聴きたいと思ってしまったんだ

少し不安を抱きながらそれを見せれば、納得したように微笑んでくれた

「明日も、そっか仕事か。がんばってください!

 是非っ、来てくださいっ!

 気をつけてくださいね」 

ふわりと、綿飴のような優しい笑顔に思わず目が離せなくなる

遠くで烏の泣く声が聞こえた

それによって我に返った俺は、スケッチブックに

『俺、貴方の声、好きです』

そう書いて切り取って渡した

それを丁寧に受け取った彼は儚い声で「ありがとう」と呟いた

ぺこりと頭を下げて俺は走って家へと帰る

途中振り返ると、控えめに手を振る彼がそこにいた。

それに嬉しくなって自然と口角が上がる

さっきまで足場が悪かった森を、幼い頃から駆けていた野原のように足取り軽く抜けていった

さっきの時間だけで何度「好き」だと書いたのだろう

ひとつ明確なのは、声が出なくなってから「好きだ」と思えたのは初めてだということだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

さよならの合図は、

15
BL
君の声。

【完】君に届かない声

未希かずは(Miki)
BL
 内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。  ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。 すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。 執着囲い込み☓健気。ハピエンです。

何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか

BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。 ……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、 気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。 「僕は、あなたを守ると決めたのです」 いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。 けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――? 身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。 “王子”である俺は、彼に恋をした。 だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。 これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、 彼だけを見つめ続けた騎士の、 世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

雪を溶かすように

春野ひつじ
BL
人間と獣人の争いが終わった。 和平の条件で人間の国へ人質としていった獣人国の第八王子、薫(ゆき)。そして、薫を助けた人間国の第一王子、悠(はる)。二人の距離は次第に近づいていくが、実は薫が人間国に行くことになったのには理由があった……。 溺愛・甘々です。 *物語の進み方がゆっくりです。エブリスタにも掲載しています

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

処理中です...