魔法陣は世界をこえて

浜柔

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第七九話 一番風呂

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「おっちゃん、そろそろお昼にしなよ」
「おー、もうそんな時間か」
 テンダーが携わっているのは風呂桶の組み立てである。風呂桶は大きく重い為に全てを作り上げてから運び込むのが難しく、木工所で加工した部品を風呂場で組み立てる手筈にしたのだ。
 風呂場そのものの工事は既に終わり、テンダーの手による風呂桶と累造の手による魔法陣の設置を残すのみとなっている。
「これは差し入れだよ」
「魚とは、また珍しいものを」
 テンダーは目の前の開いて焼かれている魚を見て感心したように呟いた。しかし大した驚きは無い。今の累造やルゼの収入からすれば魚を手に入れるのは難しい話でもないためだ。
 レザンタの近くには川が有って川魚も捕られているが、それ程大きい川ではないために今のレザンタの住人全員の口に入るほどの漁獲量は無い。そのため少々割高で、魚が端から食卓に上がらない家庭も多い。テンダー家もそんな家庭の一つである。
 町がまだ小さい三〇年も前であれば事情は異なる。その頃は川魚が主なタンパク源でテンダーもよく食した。しかし、町が大きくなるにつれて豚肉や鶏肉に取って代わられたのだった。
「聞いて驚け。それは海魚だ」
「何だと!?」
 ルゼがどや顔で言った台詞に今度こそテンダーは驚いた。レザンタは海からは遙かに離れている。殆どの住民が海を話だけしか聞くことが無いままに一生を過ごすような土地柄だ。海魚などカチカチに乾涸らびた干物を目にするのが精々である。身がほっこりとした焼き上がりをしている魚などあり得ない。
「そんなものをどうやって!? いつの間に!?」
 そう尋ねながら自分で答えを導き出した。
「小僧か!」
「そうさ。それは鯵って言う魚を開いて干物にしたもので、ニナーレの故郷の食べ物なんだよ」
「小僧は何でも有りだな」
 嘆息しながら頭を掻いた。しかしルゼは首を横に振る。
「何でも有りなら、おっちゃんは今頃暇を持て余しているよ」
「違いねぇ」
 累造の魔法が不可能を可能にするものだったとしても、けして万能ではない。ゴッツイ商会で売られている商品もテンダーの手を経なければ生まれなかったものだ。累造だけでは商品化はできなかったことだろう。
 尤も、それができたのには数ヶ月前のテンダーにそれだけの時間的余裕が有ったからでもある。
 レザンタの町が大きくなるに連れて職人の専業化も進んだ。需要が増え、他の町との流通も増える中では質の良い製品を素早く製造する必要に迫られる。桶や木製食器のように数が出る製品についてはそれが顕著だ。テンダーの木工所でも幾つかの製品には専門の職人を張り付けている。その職人達は専門にしている製品だけならば今やテンダーよりも良い製品を作る。そうして専門化していった結果、テンダーがその他の雑多な製造をするような状態となった。
 そうして、何でも屋的な古いタイプの職人であるテンダーは徐々に活躍の場を失いつつあったのだが、そこに累造が現れた。
 累造が発端の新しい道具はテンダーの職人魂を刺激するものであり、尚かつそれを実現することは養い子同然のルゼを手助けすることにも繋がる。ルゼからの頼まれ事はルゼの父が他界してルゼが店を引き継ぐ時以来だ。張り切らない訳がない。
 その作業では何でも屋的な技能が大いに役立ち、そうでなければ対応できないような物でもあって腕が鳴った。調子に乗って碌に料金を取らずに累造からの依頼を受けていたために細君からお小言を貰った時も有るが、今となってはご愛敬。
 そして仕事は上手く行き、木工所の仕事も利益も格段に増え、虹の橋雑貨店も経営危機から脱し、ルゼにも昔の屈託のない笑顔が戻った。何よりの結果である。
 尤も、ルゼについては累造の存在が大きかったのが判るために若干の悔しさは有る。累造と関係なくもっと前から頼りにして欲しかったのだ。それでも喜びの方が遙かに勝るのは事実であった。
「親方、折角の差し入れが冷めちゃいますよ」
「お、おう。悪い。直ぐに昼飯にしよう」
 ついつい物思いに耽ってしまったテンダーの様子に痺れを切らしたのは同行していたテンダーの弟子達二人だった。テンダーの同意を得ると、そそくさと昼食の準備を整えて鯵の開きにかぶりつく。
「美味い!」
「美味しいです!」
「ほんとにうめぇな」
「そいつは良かった」
 テンダー達の顔が綻んでいるのを見てルゼの顔も綻んでしまう。
「それと、雪がちらついているから、遅くならないようにしなよ」
「雪? そう言や、朝は冷えてたな。ここは暖かいんですっかり忘れてたぜ」
「あたしもここに来る途中で外を覗いて初めて気付いたよ」
 ルゼも苦笑いである。雑貨店は累造の作った暖房の魔法陣でぽかぽかと暖かい。そのために外が少々冷え込んでいても気付かないのだ。接客をしていても客足が鈍い程度にしか思わなかった。
「俺っちの工場こうばにも暖房が欲しくなっちまうな」
「おっちゃんの工場用くらい、累造に頼めば直ぐに作ってくれるんじゃないか?」
「そうしたいのはやまやまだがよ、返せるものが無いから借りを作っちまう」
「おっちゃんは最近儲けてるんじゃなかったか?」
「ああ。だけどよ、小僧はもっと儲けてるだろ? 対価が金じゃ小僧の助けにはならねぇから、俺が納得できねぇ」
「変な事を気にするんだな。そんな意味じゃ、累造の方こそおっちゃんに借りが有るように思ってるみたいだぞ?」
「何故だ?」
「おっちゃんが忙しい中に仕事を割り込ませたのを気にしているようだね」
「何だそれは? 俺っちも商売なんだから、金で多少の融通を利かせるのは当然だ。金を積まれても無理なら断るんだしよ」
 割り込み仕事をこなすには職人に余分に働いて貰わないといけない。その時、職人には給金を割り増しで支払うことになる。そうでなければ不満が溜まるためだ。材料も急に仕入れようとすると割高のものを買わないといけない場合もある。そうした意味から、割り込み仕事には割り増し料金が必要になるのだ。
 テンダーが累造に依頼された割り込み仕事は石臼を回す魔動機と今回の風呂桶である。どちらも頑張れば出来ることであり、十分な料金も得ている。テンダーからすれば普通に商売をした範疇だった。それどころか、職人魂をくすぐる仕事だったために感謝すら覚える程である。
 一方の累造としては魔動機の件について札束でテンダーの頬をひっぱたいたような後ろめたさが有ったのだ。焦燥に駆られていたとは言え傲慢な態度だったと反省している。
「何だよ。おっちゃんも累造も似たもの同士じゃないか」
 ルゼはやれやれと首を横に振るのだった。

 翌日の昼前には風呂桶の組み立てと設置が完了し、湯を張ってみるだけとなった。
「じゃあ、入れてみます」
 累造が温水の魔法陣でお湯を入れていく。水の魔法陣と比べると勢いは弱い。
「何だかのんびりしたもんだな」
 テンダーが少しじれったそうに呟いた。
「この魔法陣から直接お湯を浴びることも想定していますので、量を絞ってます」
 出る量を絞っていても実際に出ている湯量はそれなりに多い。しかし、その湯を入れている風呂桶は三人が余裕で入れる程に大きく、入る湯量も多い。その大きさ故にのんびり溜まっているように見えているのである。
 程なくして湯を張り終わると、テンダーとその弟子達が水漏れがないかを確認して回る。累造からすれば目に見えて減らないのであればそれで良かった。湯を足せば済むからである。しかし、職人のテンダーとしては気になる点だ。
「大丈夫だな。これで仕事は完了だ」
 確認をし終えたテンダーは満足げに宣言した。
「そんじゃ、最初におっちゃんと累造で使いな」
「は?」
「はい?」
 テンダーと累造はルゼの突然の申し出に面食らった。
「おっちゃんと累造は少し話し合う必要がありそうだからね。ここなら邪魔も入らないだろ」
 昨日の話の件だと察したテンダーは、してやられたとばかりに苦虫を噛み潰したような顔になった。どうしてそうなるのか判っていない累造はキョトンとするばかりである。
「それじゃ、お言葉に甘えるとしようか。なあ、小僧?」
「ええっ!?」
「何だ? 嫌なのか?」
「いえ、そう言う訳では……」
 若干目が泳いでしまう累造であったが、ここでは頷く選択肢しかなかった。

 累造が入浴手順を簡単に説明をした後、いよいよ入浴だ。身体を洗ってから湯船に浸かる。二人はどちらからともなく「ほーっ」と息を吐いた。
 暫くすると、気が緩んだのか累造が気にしていたことをぽつぽつと語り出した。
 テンダーは黙って聞き、累造が語り終えた後、ルゼに話したのと同じことを累造にも話した。
 累造の目が驚きで見開かれる。
「まあ、お互い様ってやつだ」
 テンダーの呟きが風呂場に木霊した。
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