6 / 27
第一章 夏
第六話 下見
しおりを挟む
後悔もしたし、反省もした。
送還と召喚のし直しは毎晩だけでなく、その日の作業に応じて朝にもすることがある都合、同じ屋根の下で暮らしていたのでは俺の召喚魔法がいつ発覚してもおかしくないのだ。
しかし今更「無かったことにしてくれ」とも言えない。
勿論のこと収入も欲しい。
毎日朝から晩まで美少女を観賞できる権利を捨てるのも惜しい。
特に三つ目に心躍ってしまうのを止められない。
我ながら俗物であった。
ホーリーは今、宿に荷物を取りに行っている。
この間に部屋のチェックをする。
ホーリーに充てがうのは空き部屋だった所だ。
両親が雑貨店を営んでいた頃は倉庫に使っていたものの、今は空っぽでうっすらと埃が積もるだけになっている。
その埃をホーリーを待つ間に箒で掃く。
しかし今はこれくらいで勘弁して貰おう。
壁板も床板も水拭きした方が良いと判ってはいるが、水を買いに行っている間にホーリーと入れ違ってもいけない。
後は彼女が戻って来てからだ。
しかしホーリーはなかなか戻って来ず、待ちぼうけであった。
水を買ってくるくらいは優に賄えた筈の時間が過ぎ去る。
日ももう沈みかけている。
ココココン、ココココン。
ホーリーが叩いたらしいノッカーの音が響いた。
やれやれと軽く溜め息を吐きつつ戸口を開ける。
「遅か……」
「貴方様がシモン様でいらっしゃいますね?」
遅かったな、の一言を言い終わる前に女の声が割り込んで来た。
続けてその声の主がずずずいっと目の前に迫り来る。
見るからに上品なお仕着せを着て瑠璃色の髪を頭の上で団子に丸めたその女は、開いているのか疑わしくなる糸のように細い眼に加え、細い鼻、薄い唇と、顔の造作がどこか細い印象だ。
お仕着せの上からでは判りにくいが、身体も細めのようである。
しかしその身体は十分女であることを主張していらっしゃった。
ともあれ、無意識に女の胸へと行った視線を引き剥がす。
「そうですけど、貴女は?」
「これは申し遅れました。
私はシュリーマー家に仕えておりますペッテと申します」
ペッテがお辞儀する。
「この度はこのポンコツお嬢様が大変ご迷惑をお掛けしたようで申し訳ございません」
さらっと酷い単語が混じっていた。
言った当人は身体を脇に避けつつ後ろに立つ人物を手で指し示す。
そこには片方のほっぺたを膨らませてそっぽを向くホーリーが立っていた。
表情のせいか、昼に見たより子供っぽい。
これはこれで可愛いのだから美少女とは狡いものだ。
こんなのはきっと周りが放っておかない。
でも、今の俺はそれどころではない。
「いや、その……」
とは言え、返答には困った。
魔法を撃たれたりは迷惑だったが、契約はそうではないのだ。
それに今後のためにも友好的でありたい。
そんな俺の曖昧な返事を気にする素振りも見せず、ペッテは続ける。
「通常でございましたら慰謝料及び口止め料をお支払いして手打ちとさせていただくところでございますが、シモン様のご事情と当方のポンコツ様の事情を考え合わせますと、契約通りに事を進めるのが最良と判断いたしました」
「はあ」
「しかしながらこんなポンコツ様でもシュリーマー家の大切なお嬢様に相違ございません。
一時的であっても居住するにはそれ相応の環境を整えなければなりません。
差し当り、視察させて戴きとうございます」
「それはいいんだけど……」
視界の中のホーリーの顔が真っ赤だ。
夕焼けの色だけではこうはなりそうにない。
「さっきから『ポンコツポンコツ』って雇い主相手に大丈夫なんですか?」
ペッテは小首を傾げて二、三度目を瞬かせ、それから首を戻して軽く頷いた。
「ご心配には及びません。
私の雇い主は当主様でございます。
幼少のみぎりに文字通りの尻拭いをして以降、お嬢様の尻拭いをするのが私の役目。
そしてそれは数知れず。
こんな小娘、ポンコツで十分でございます」
「ペッテ! 昔の話を持ち出すなといつも言ってるだろ!」
怒るところはそこなのか……。
自分も憶えてないような昔の話をされたら居たたまれなくなるものだ。
だからそこに抗議したくなる気持ちは判る。
しかしホーリーにはもっと追及するべきが有るのではないだろうか。
仮にも主従関係にある中で従者が主人をポンコツ呼ばわりするのは如何なものか。
しかし、第三者にそんな老婆心を想起させておきながら、当人達はその点に一切触れること無く口論を繰り広げる。
ペッテは宿で聞き出したらしい経緯を元にホーリーの不手際と不用意な発言と契約をくどくどと叱責する。
表面上は平静を装っていながら実のところ大変ご立腹だった様子。
刺の有る言葉もそれ故のようだ。
一方のホーリーはと言うと、しっかりと謝罪をしたことと、俺とホーリーの双方に利の有る契約を結んだこととで不手際を払拭したと主張する。
だから叱られる謂われが無いのだと、ふて腐れている様子だ。
それでも泉で不用意に肌を晒していたことや、居住環境を考えずにこの家での間借りを決めたことには言葉を詰まらせている。
何も知らなかったら母娘喧嘩か姉妹喧嘩のように見えただろう。
きっとこの二人にとっても似たような感覚に違いない。
つまりは普通の主従よりも遙かに近しい関係にある。
そんな風に何となくであっても二人の関係に見当が付いたので、二人が始めた口論は俺にとって無駄ではなかった。
ところが、ペッテが昔話を持ち出して説教をするに至っては終着点がまるで見えない。
「もう暗くなりそうなんですけど……」
だから俺は恐る恐る声を掛けた。
ペッテはピクッと小さく首を動かしてから説教を切り上げて俺へと振り向いた。
そしてお辞儀をしつつ言う。
「大変お見苦しいところをお見せいたしました。
申し訳ございません。
早速ですがお部屋を拝見いたしとう存じます」
やっと話が進むと安堵しつつ、俺は「どうぞ」と二人を招き入れた。
日も殆ど沈み、家の中はもう真っ暗になっている。
戸口の脇に置いているランプに火打ち石で火を着けると、直ぐに油の焼ける臭いが立ち籠めた。
世間には油壺や灯心の無い火魔法専用ランプも有るが、この家には油を燃やすものだけが有る。
勿論世間でも火魔法持ちの居ない世帯では油を燃やすものだけだ。
ランプを持って奥へ二人を案内する。
手の揺れと炎の揺らめきに誘われて踊る棚の影を横目に見ながら店舗スペースを通り抜け、階段を上って間取りを説明しつつ行き着く先は空き部屋だ。
「ベッドの用意も無しに宿泊なさるおつもりでございましたか?」
『え?』
ペッテの開口一番の言葉に俺とホーリーの声が重なった。
うっかりしていた。
これではホーリーのことを言えないではないか。
ホーリーに顔を向けた後で俺の方へと僅かに顔の向きを変えたペッテからはジト目で見られている気がするが、糸目なので真偽が判らない。
それでも自分の頬が若干引き攣るのを感じた。
「少し失礼いたします」
ペッテが胸元からペンダントを引っ張り出してペンダントヘッドを指で摘む。
それを前に翳すと、ペンダントヘッドから光が溢れた。
「魔光石……」
魔光石は魔力を籠めると光る宝石で、主にダンジョンから産出される。
魔力を籠めている間だけ光るものや、籠めた後で一定時間光り続けるものが有る。
ただ、その場で魔力を籠めなければならないところが難点で、俺には使えない代物なのだ。
魔力を籠めると言うのは魔法を発動させる前の状態で留めることでもある。
そして召喚中の俺は全く魔法を使えない。
また、闇魔法とも相性が悪く、闇魔法の使い手も魔光石を使えない。
黒髪が魔光石を使えないとは一般常識にまでなっている。
だからか、俺の呟きは二人に拾われずに済んだ。
ペッテは魔光石を持って部屋を一周した。
「明日よりこの部屋に少し手を入れさせていただきますが、宜しゅうございますか?」
「費用がそっち持ちなら」
「では進めさせていただきます」
ペッテが軽くお辞儀する。
「もう一点でございますが、一階の店舗スペースに衝立を立て、私の寝所とさせていただいて宜しいでしょうか?」
「駄目だと言ったら?」
「毎朝夜明け前にノッカーを叩かせていただくこととなります」
「……好きに使ってください」
さすがに毎朝叩き起こされては堪らないと、想像だけで結論付けた。
◆
ホーリーとペッテを見送って戸締まりをしたら、炊事場の水甕から桶に水を汲んで洗い場へと向かう。
歯を磨いて顔を洗い、水に浸した手拭いで身体の汗を拭う。
石鹸を使ったり髪を洗ったりするには川まで行くか雨が降るかしなければ水が足りないので、拭うだけで我慢なのだ。
川が有るのはこのセバルスの南東。
小さな川が町を掠めるように南西から北東へと流れている。
主に水魔法が手立てできない町民が洗濯や沐浴をするのに使われる。
また、各家屋には屋根に降った雨水を溜められる仕組みも有り、その水も洗濯や沐浴に使われる。
生憎なことに今はその雨水用の水甕も空で、既に日が暮れて川にも行けないのであった。
少しだけさっぱりしたところで寝ることにする。
ランプの油の節約を考えたなら、理想は日の出と共に起き、日の入りと共に眠ることだが、そう上手く行くものでもない。
寝間着に着替えつつ慌ただしかった今日の一日を振り返る。
すると、ホーリーとペッテの口論に少し引っ掛かりを覚えた。
口論の内容は今日の経緯が混じっていたので俺としても他人に聞かれたくないものだったのだが、道に面した戸口先だったにも拘わらず、その方面での不安を感じていない。
何故だ。
首を捻りつつ考えること暫し。
思い至った。
二人は小声だった上、人が通り掛かると沈黙したのだ。
その合図は恐らく視線を逸らせること。
どちらかが通行人を視界に捉えたら視線を逸らし、通行人が通り過ぎたら入れ替わりで視線を逸らして十分に遠ざかるのを待った。
改めて考えれば、あの時の二人はじゃれていただけだ。
回想に脱力しつつ、出し忘れていたお金を出しておくべく財布を手に取る。
俺の身体以外も一緒に召喚できると言っても、召喚してはいけないものも有る。
お金はその一つだ。
召喚したお金で買い物をすると、送還した時にそのお金が戻ってくる。
結果、泥棒騒ぎになったり良心が痛んだりで碌でもないことになる。
だから買い物の都度必要な額だけ財布に入れて持ち歩くのだ。
今日は材木を買うはずだったお金が……。
無い。
あれ? 無い?
どうして無い?
必死に考える。
材木を買うためのお金は確かに入れた。
その後……。
ああ! 何てことだ。
ホーリーから逃げた路地裏だ。
送還した時にあの場所に落ちたのだ。
今更探してももう誰かに拾われているだろう。
食費一〇日分程度だから致命的ではない。
致命的ではないが一〇日分なのだ。
臍を噛んだ。
送還と召喚のし直しは毎晩だけでなく、その日の作業に応じて朝にもすることがある都合、同じ屋根の下で暮らしていたのでは俺の召喚魔法がいつ発覚してもおかしくないのだ。
しかし今更「無かったことにしてくれ」とも言えない。
勿論のこと収入も欲しい。
毎日朝から晩まで美少女を観賞できる権利を捨てるのも惜しい。
特に三つ目に心躍ってしまうのを止められない。
我ながら俗物であった。
ホーリーは今、宿に荷物を取りに行っている。
この間に部屋のチェックをする。
ホーリーに充てがうのは空き部屋だった所だ。
両親が雑貨店を営んでいた頃は倉庫に使っていたものの、今は空っぽでうっすらと埃が積もるだけになっている。
その埃をホーリーを待つ間に箒で掃く。
しかし今はこれくらいで勘弁して貰おう。
壁板も床板も水拭きした方が良いと判ってはいるが、水を買いに行っている間にホーリーと入れ違ってもいけない。
後は彼女が戻って来てからだ。
しかしホーリーはなかなか戻って来ず、待ちぼうけであった。
水を買ってくるくらいは優に賄えた筈の時間が過ぎ去る。
日ももう沈みかけている。
ココココン、ココココン。
ホーリーが叩いたらしいノッカーの音が響いた。
やれやれと軽く溜め息を吐きつつ戸口を開ける。
「遅か……」
「貴方様がシモン様でいらっしゃいますね?」
遅かったな、の一言を言い終わる前に女の声が割り込んで来た。
続けてその声の主がずずずいっと目の前に迫り来る。
見るからに上品なお仕着せを着て瑠璃色の髪を頭の上で団子に丸めたその女は、開いているのか疑わしくなる糸のように細い眼に加え、細い鼻、薄い唇と、顔の造作がどこか細い印象だ。
お仕着せの上からでは判りにくいが、身体も細めのようである。
しかしその身体は十分女であることを主張していらっしゃった。
ともあれ、無意識に女の胸へと行った視線を引き剥がす。
「そうですけど、貴女は?」
「これは申し遅れました。
私はシュリーマー家に仕えておりますペッテと申します」
ペッテがお辞儀する。
「この度はこのポンコツお嬢様が大変ご迷惑をお掛けしたようで申し訳ございません」
さらっと酷い単語が混じっていた。
言った当人は身体を脇に避けつつ後ろに立つ人物を手で指し示す。
そこには片方のほっぺたを膨らませてそっぽを向くホーリーが立っていた。
表情のせいか、昼に見たより子供っぽい。
これはこれで可愛いのだから美少女とは狡いものだ。
こんなのはきっと周りが放っておかない。
でも、今の俺はそれどころではない。
「いや、その……」
とは言え、返答には困った。
魔法を撃たれたりは迷惑だったが、契約はそうではないのだ。
それに今後のためにも友好的でありたい。
そんな俺の曖昧な返事を気にする素振りも見せず、ペッテは続ける。
「通常でございましたら慰謝料及び口止め料をお支払いして手打ちとさせていただくところでございますが、シモン様のご事情と当方のポンコツ様の事情を考え合わせますと、契約通りに事を進めるのが最良と判断いたしました」
「はあ」
「しかしながらこんなポンコツ様でもシュリーマー家の大切なお嬢様に相違ございません。
一時的であっても居住するにはそれ相応の環境を整えなければなりません。
差し当り、視察させて戴きとうございます」
「それはいいんだけど……」
視界の中のホーリーの顔が真っ赤だ。
夕焼けの色だけではこうはなりそうにない。
「さっきから『ポンコツポンコツ』って雇い主相手に大丈夫なんですか?」
ペッテは小首を傾げて二、三度目を瞬かせ、それから首を戻して軽く頷いた。
「ご心配には及びません。
私の雇い主は当主様でございます。
幼少のみぎりに文字通りの尻拭いをして以降、お嬢様の尻拭いをするのが私の役目。
そしてそれは数知れず。
こんな小娘、ポンコツで十分でございます」
「ペッテ! 昔の話を持ち出すなといつも言ってるだろ!」
怒るところはそこなのか……。
自分も憶えてないような昔の話をされたら居たたまれなくなるものだ。
だからそこに抗議したくなる気持ちは判る。
しかしホーリーにはもっと追及するべきが有るのではないだろうか。
仮にも主従関係にある中で従者が主人をポンコツ呼ばわりするのは如何なものか。
しかし、第三者にそんな老婆心を想起させておきながら、当人達はその点に一切触れること無く口論を繰り広げる。
ペッテは宿で聞き出したらしい経緯を元にホーリーの不手際と不用意な発言と契約をくどくどと叱責する。
表面上は平静を装っていながら実のところ大変ご立腹だった様子。
刺の有る言葉もそれ故のようだ。
一方のホーリーはと言うと、しっかりと謝罪をしたことと、俺とホーリーの双方に利の有る契約を結んだこととで不手際を払拭したと主張する。
だから叱られる謂われが無いのだと、ふて腐れている様子だ。
それでも泉で不用意に肌を晒していたことや、居住環境を考えずにこの家での間借りを決めたことには言葉を詰まらせている。
何も知らなかったら母娘喧嘩か姉妹喧嘩のように見えただろう。
きっとこの二人にとっても似たような感覚に違いない。
つまりは普通の主従よりも遙かに近しい関係にある。
そんな風に何となくであっても二人の関係に見当が付いたので、二人が始めた口論は俺にとって無駄ではなかった。
ところが、ペッテが昔話を持ち出して説教をするに至っては終着点がまるで見えない。
「もう暗くなりそうなんですけど……」
だから俺は恐る恐る声を掛けた。
ペッテはピクッと小さく首を動かしてから説教を切り上げて俺へと振り向いた。
そしてお辞儀をしつつ言う。
「大変お見苦しいところをお見せいたしました。
申し訳ございません。
早速ですがお部屋を拝見いたしとう存じます」
やっと話が進むと安堵しつつ、俺は「どうぞ」と二人を招き入れた。
日も殆ど沈み、家の中はもう真っ暗になっている。
戸口の脇に置いているランプに火打ち石で火を着けると、直ぐに油の焼ける臭いが立ち籠めた。
世間には油壺や灯心の無い火魔法専用ランプも有るが、この家には油を燃やすものだけが有る。
勿論世間でも火魔法持ちの居ない世帯では油を燃やすものだけだ。
ランプを持って奥へ二人を案内する。
手の揺れと炎の揺らめきに誘われて踊る棚の影を横目に見ながら店舗スペースを通り抜け、階段を上って間取りを説明しつつ行き着く先は空き部屋だ。
「ベッドの用意も無しに宿泊なさるおつもりでございましたか?」
『え?』
ペッテの開口一番の言葉に俺とホーリーの声が重なった。
うっかりしていた。
これではホーリーのことを言えないではないか。
ホーリーに顔を向けた後で俺の方へと僅かに顔の向きを変えたペッテからはジト目で見られている気がするが、糸目なので真偽が判らない。
それでも自分の頬が若干引き攣るのを感じた。
「少し失礼いたします」
ペッテが胸元からペンダントを引っ張り出してペンダントヘッドを指で摘む。
それを前に翳すと、ペンダントヘッドから光が溢れた。
「魔光石……」
魔光石は魔力を籠めると光る宝石で、主にダンジョンから産出される。
魔力を籠めている間だけ光るものや、籠めた後で一定時間光り続けるものが有る。
ただ、その場で魔力を籠めなければならないところが難点で、俺には使えない代物なのだ。
魔力を籠めると言うのは魔法を発動させる前の状態で留めることでもある。
そして召喚中の俺は全く魔法を使えない。
また、闇魔法とも相性が悪く、闇魔法の使い手も魔光石を使えない。
黒髪が魔光石を使えないとは一般常識にまでなっている。
だからか、俺の呟きは二人に拾われずに済んだ。
ペッテは魔光石を持って部屋を一周した。
「明日よりこの部屋に少し手を入れさせていただきますが、宜しゅうございますか?」
「費用がそっち持ちなら」
「では進めさせていただきます」
ペッテが軽くお辞儀する。
「もう一点でございますが、一階の店舗スペースに衝立を立て、私の寝所とさせていただいて宜しいでしょうか?」
「駄目だと言ったら?」
「毎朝夜明け前にノッカーを叩かせていただくこととなります」
「……好きに使ってください」
さすがに毎朝叩き起こされては堪らないと、想像だけで結論付けた。
◆
ホーリーとペッテを見送って戸締まりをしたら、炊事場の水甕から桶に水を汲んで洗い場へと向かう。
歯を磨いて顔を洗い、水に浸した手拭いで身体の汗を拭う。
石鹸を使ったり髪を洗ったりするには川まで行くか雨が降るかしなければ水が足りないので、拭うだけで我慢なのだ。
川が有るのはこのセバルスの南東。
小さな川が町を掠めるように南西から北東へと流れている。
主に水魔法が手立てできない町民が洗濯や沐浴をするのに使われる。
また、各家屋には屋根に降った雨水を溜められる仕組みも有り、その水も洗濯や沐浴に使われる。
生憎なことに今はその雨水用の水甕も空で、既に日が暮れて川にも行けないのであった。
少しだけさっぱりしたところで寝ることにする。
ランプの油の節約を考えたなら、理想は日の出と共に起き、日の入りと共に眠ることだが、そう上手く行くものでもない。
寝間着に着替えつつ慌ただしかった今日の一日を振り返る。
すると、ホーリーとペッテの口論に少し引っ掛かりを覚えた。
口論の内容は今日の経緯が混じっていたので俺としても他人に聞かれたくないものだったのだが、道に面した戸口先だったにも拘わらず、その方面での不安を感じていない。
何故だ。
首を捻りつつ考えること暫し。
思い至った。
二人は小声だった上、人が通り掛かると沈黙したのだ。
その合図は恐らく視線を逸らせること。
どちらかが通行人を視界に捉えたら視線を逸らし、通行人が通り過ぎたら入れ替わりで視線を逸らして十分に遠ざかるのを待った。
改めて考えれば、あの時の二人はじゃれていただけだ。
回想に脱力しつつ、出し忘れていたお金を出しておくべく財布を手に取る。
俺の身体以外も一緒に召喚できると言っても、召喚してはいけないものも有る。
お金はその一つだ。
召喚したお金で買い物をすると、送還した時にそのお金が戻ってくる。
結果、泥棒騒ぎになったり良心が痛んだりで碌でもないことになる。
だから買い物の都度必要な額だけ財布に入れて持ち歩くのだ。
今日は材木を買うはずだったお金が……。
無い。
あれ? 無い?
どうして無い?
必死に考える。
材木を買うためのお金は確かに入れた。
その後……。
ああ! 何てことだ。
ホーリーから逃げた路地裏だ。
送還した時にあの場所に落ちたのだ。
今更探してももう誰かに拾われているだろう。
食費一〇日分程度だから致命的ではない。
致命的ではないが一〇日分なのだ。
臍を噛んだ。
0
あなたにおすすめの小説
【最強モブの努力無双】~ゲームで名前も登場しないようなモブに転生したオレ、一途な努力とゲーム知識で最強になる~
くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
アベル・ヴィアラットは、五歳の時、ベッドから転げ落ちてその拍子に前世の記憶を思い出した。
大人気ゲーム『ヒーローズ・ジャーニー』の世界に転生したアベルは、ゲームの知識を使って全男の子の憧れである“最強”になることを決意する。
そのために努力を続け、順調に強くなっていくアベル。
しかしこの世界にはゲームには無かった知識ばかり。
戦闘もただスキルをブッパすればいいだけのゲームとはまったく違っていた。
「面白いじゃん?」
アベルはめげることなく、辺境最強の父と優しい母に見守られてすくすくと成長していくのだった。
役立たずと言われダンジョンで殺されかけたが、実は最強で万能スキルでした !
本条蒼依
ファンタジー
地球とは違う異世界シンアースでの物語。
主人公マルクは神聖の儀で何にも反応しないスキルを貰い、絶望の淵へと叩き込まれる。
その役に立たないスキルで冒険者になるが、役立たずと言われダンジョンで殺されかけるが、そのスキルは唯一無二の万能スキルだった。
そのスキルで成り上がり、ダンジョンで裏切った人間は落ちぶれざまあ展開。
主人公マルクは、そのスキルで色んなことを解決し幸せになる。
ハーレム要素はしばらくありません。
【完結】うさぎ転生 〜女子高生の私、交通事故で死んだと思ったら、気づけば現代ダンジョンの最弱モンスターに!?最強目指して生き延びる〜
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
女子高生の篠崎カレンは、交通事故に遭って命を落とした……はずが、目覚めるとそこはモンスターあふれる現代ダンジョン。しかも身体はウサギになっていた!
HPはわずか5、攻撃力もゼロに等しい「最弱モンスター」扱いの白うさぎ。それでもスライムやコボルトにおびえながら、なんとか生き延びる日々。唯一の救いは、ダンジョン特有の“スキル”を磨けば強くなれるということ。
跳躍蹴りでスライムを倒し、小動物の悲鳴でコボルトを怯ませ、少しずつ経験値を積んでいくうちに、カレンは手応えを感じ始める。
「このままじゃ終わらない。私、もっと強くなっていつか……」
最弱からの“首刈りウサギ”進化を目指して、ウサギの身体で奮闘するカレン。彼女はこの危険だらけのダンジョンで、生き延びるだけでなく“人間へ戻る術(すべ)”を探し当てられるのか? それとも新たなモンスターとしての道を歩むのか?最弱うさぎの成り上がりサバイバルが、いま幕を開ける!
婚約破棄&濡れ衣で追放された聖女ですが、辺境で育成スキルの真価を発揮!無骨で不器用な最強騎士様からの溺愛が止まりません!
黒崎隼人
ファンタジー
「君は偽りの聖女だ」――。
地味な「育成」の力しか持たない伯爵令嬢エルナは、婚約者である王太子にそう断じられ、すべてを奪われた。聖女の地位、婚約者、そして濡れ衣を着せられ追放された先は、魔物が巣食う極寒の辺境の地。
しかし、絶望の淵で彼女は自身の力の本当の価値を知る。凍てついた大地を緑豊かな楽園へと変える「育成」の力。それは、飢えた人々の心と体を癒す、真の聖女の奇跡だった。
これは、役立たずと蔑まれた少女が、無骨で不器用な「氷壁の騎士」ガイオンの揺るぎない愛に支えられ、辺境の地でかけがえのない居場所と幸せを見つける、心温まる逆転スローライフ・ファンタジー。
王都が彼女の真価に気づいた時、もう遅い。最高のざまぁと、とろけるほど甘い溺愛が、ここにある。
アルフレッドは平穏に過ごしたい 〜追放されたけど謎のスキル【合成】で生き抜く〜
芍薬甘草湯
ファンタジー
アルフレッドは貴族の令息であったが天から与えられたスキルと家風の違いで追放される。平民となり冒険者となったが、生活するために竜騎士隊でアルバイトをすることに。
ふとした事でスキルが発動。
使えないスキルではない事に気付いたアルフレッドは様々なものを合成しながら密かに活躍していく。
⭐︎注意⭐︎
女性が多く出てくるため、ハーレム要素がほんの少しあります。特に苦手な方はご遠慮ください。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
転生貴族の移動領地~家族から見捨てられた三子の俺、万能な【スライド】スキルで最強領地とともに旅をする~
名無し
ファンタジー
とある男爵の三子として転生した主人公スラン。美しい海辺の辺境で暮らしていたが、海賊やモンスターを寄せ付けなかった頼りの父が倒れ、意識不明に陥ってしまう。兄姉もまた、スランの得たスキル【スライド】が外れと見るや、彼を見捨ててライバル貴族に寝返る。だが、そこから【スライド】スキルの真価を知ったスランの逆襲が始まるのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる