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絵本のたねまき
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木原佳美(よしみ)がこの企画に誘われたのは、八年前のことだ。
すぐに断ろうと思った。
(カフェでの絵本の読み聞かせ? えー、お茶飲んでる大人の人に? そんなこと無理でしょう)
面食らいながらも話を聞いてみた。
「絵本のビブリオトークをしたいんや。木原さんは読むのうまいし、やってもらえんやろか、頼むわ」
ビブリオトークとは、本を紹介し、内容や書評を加えるという活動だ。
逡巡する佳美に、その男性はこう続けた。
「絵本の周りにいる人は、なんかあったかいやろ」
この一言が、佳美の背中を押した。
五十歳を過ぎたその頃、佳美は朗読や絵本に関わることが多くなっていた。
(児童館や幼稚園での読み聞かせとは違う難しさと面白さがあるだろうなあ。やってみよう)
そして、また、新しいドアが開いたのだ。
佳美は、大阪の人情味あふれる町で育った。両親と祖母、妹というにぎやかな家庭、その上ご近所さんにもかわいがられて遊びまわっていた。いつもまわりに面倒見のいい大人がいて、『愛されよっちゃん』がそのまま大人になり、屈託のない人間が出来上がった。
本が好き、といっても難しい本を眉を寄せて読むのは苦手だ。小学校では、教科書の音読が得意だった。図書委員のとき下級生に絵本を読んであげると、自分もとても楽しかったことをはっきりと覚えている。
特に波乱万丈なエピソードもなく、好きな人と結婚して、二人の息子の母になった。
それからは、母親として、子どもと一緒にいろんな活動をしてきた。でも、次男が家を離れたとき、ハッと思ったのだ。
(これからは○○君のお母さんではなく『木原佳美』と呼んでくれる人の中に入っていきたい!)
そんなとき、たまたま、朗読劇の市民オーディションを新聞で知った。
その舞台で、いきなりオープニングとエンディングの台詞を言う大役に抜擢された。
しかも、終わってすぐ、その演出家の劇団に呼ばれて出演させてもらうことになった。
佳美にとって、初めての新しいドアが開いた瞬間だった。
(素人の私でいいのだろうか)
と思いながらも、誘われる度にウキウキと出かけた。
「声がいい、『おはよう、起きてください』と目覚まし時計の声に吹き込みたいくらいだよ」
そんなことを言われ、ものすごくうれしくて舞い上がったこともある。
(でも、自分の声は分からないし、年齢からすると、お客様からはキャリアのある人のように見えるだろう。これはなんとかしなくては)
などと悩んでいたとき、薦められて、『朗読シアターKOBE』に入れて頂いた。
また一つドアが開いた。
しかし、入ってみると、何とも厳しい試練の連続だった。ボロクソに言われながらも、必死でしがみついていった。そうして、佳美の世界は広がった。
次に、FMラジオに出演するチャンスを得た。『心ほぐす大人の絵本タイム』という短い時間だったが、パーソナリティとして、絵本の魅力を発信していった。
そうしているうちに、また、次のドアが開いた。小さなタレント事務所に登録することになったのだ。プロフィール写真を撮ってもらうとき、
「あなたのビッグスマイルは宝物。大切にしてください」
と言われ、忘れないようにしようと、そっと誓った。
こうした日々の中、絵本の読み聞かせもあり、あちこち呼ばれていくことが多くなっていた。
そして、佳美にとっては青天の霹靂、カフェでの読み聞かせの話である。
ネイミングは、発起人さんたちといろいろ相談した。全く絵本とは馴染みのない方たちに聴いていただくのだから、まずは種まきからと『絵本のたねまき』に決まった。
カフェのオーナーの全面的な協力のもと、月一回、開かれることになった。
佳美は心配だった。
(普通のカフェで、絵本の読み聞かせなどに耳を傾けてくれる方などおられるのだろうか?)
発起人は、いたってのんびり構えていたが、
(いや、お客さん来てもらわないと)
と友人に話したり、あちこち声掛けして集まってもらった。
そのうち、
(なんやわからんけど面白いことやっとうなあ)
などと大きなテーブルに集まってくれる人が増えてきた。何しろドリンク一杯注文すれば無料である。
(絵本て子どものもんや思てたけど、おもしろいなあ。深いなあ)
などと言われる男性も現れるようになった。その間に、小さかったお子さんがすっかり成長して、今も仲良しでいられるなんて嬉しすぎる。
もちろん楽しいことばかりではない。
毎回の選書では頭を悩ませ、どこにいても絵本のことばかり考えている。
遠い町や、外国へ旅行しても、本屋ばかりに目が行くのには、我ながら笑ってしまう。
今、佳美は思う。
『絵本のたねまき』が、細々ながら続いているのは、この上なくうれしいことだと。
自分がこれはと思った本を集まってくださった方に届けたい。
そう思って、分からないなりに必死で勉強もしてきた。
そんな佳美に、夫が
(また何やら面白そうなこと始めたな)
と、いつも、黙ってみていてくれるのはありがたい。時にはさりげなく新聞の絵本の紹介記事などを置いてくれている。
そんな時は、むくむく力が湧いてくる。
今月の『絵本のたねまき』が終わった。
土曜の午後、帰宅を急ぐ方もいるが、たいていの方はそのままおしゃべりをする。
それがすごいなあと、佳美はいつも思うのだ。
見ず知らずの人が、何の違和感もなく楽しそうに話している。
赤ちゃんを連れたパパやママ、高齢の方、それぞれの仕事で忙しい方。
(ゼロ歳から百歳までの人が楽しめる絵本って、本当にすごい!)
そう痛感する。
集まってこられる人の中から、ミュージシャンたちとのつながりも自然にでき、また新しいドアが開いた。
佳美は、自分の今までをふり返って、つくづく幸せだなあと思う。
高い志や目標に向かっていった、というより、引き寄せられるように目の前で開いたドアを進んでいった気がする。
そしてその場で、がむしゃらにやってきた。
だから、これからも、気負わず『ビッグスマイル』で、次にドアが開くのを待とうと思う。
そのドアを進めば何が待っているのだろう。それを楽しみたい!
たねが芽吹き育つことを夢みつつ……
すぐに断ろうと思った。
(カフェでの絵本の読み聞かせ? えー、お茶飲んでる大人の人に? そんなこと無理でしょう)
面食らいながらも話を聞いてみた。
「絵本のビブリオトークをしたいんや。木原さんは読むのうまいし、やってもらえんやろか、頼むわ」
ビブリオトークとは、本を紹介し、内容や書評を加えるという活動だ。
逡巡する佳美に、その男性はこう続けた。
「絵本の周りにいる人は、なんかあったかいやろ」
この一言が、佳美の背中を押した。
五十歳を過ぎたその頃、佳美は朗読や絵本に関わることが多くなっていた。
(児童館や幼稚園での読み聞かせとは違う難しさと面白さがあるだろうなあ。やってみよう)
そして、また、新しいドアが開いたのだ。
佳美は、大阪の人情味あふれる町で育った。両親と祖母、妹というにぎやかな家庭、その上ご近所さんにもかわいがられて遊びまわっていた。いつもまわりに面倒見のいい大人がいて、『愛されよっちゃん』がそのまま大人になり、屈託のない人間が出来上がった。
本が好き、といっても難しい本を眉を寄せて読むのは苦手だ。小学校では、教科書の音読が得意だった。図書委員のとき下級生に絵本を読んであげると、自分もとても楽しかったことをはっきりと覚えている。
特に波乱万丈なエピソードもなく、好きな人と結婚して、二人の息子の母になった。
それからは、母親として、子どもと一緒にいろんな活動をしてきた。でも、次男が家を離れたとき、ハッと思ったのだ。
(これからは○○君のお母さんではなく『木原佳美』と呼んでくれる人の中に入っていきたい!)
そんなとき、たまたま、朗読劇の市民オーディションを新聞で知った。
その舞台で、いきなりオープニングとエンディングの台詞を言う大役に抜擢された。
しかも、終わってすぐ、その演出家の劇団に呼ばれて出演させてもらうことになった。
佳美にとって、初めての新しいドアが開いた瞬間だった。
(素人の私でいいのだろうか)
と思いながらも、誘われる度にウキウキと出かけた。
「声がいい、『おはよう、起きてください』と目覚まし時計の声に吹き込みたいくらいだよ」
そんなことを言われ、ものすごくうれしくて舞い上がったこともある。
(でも、自分の声は分からないし、年齢からすると、お客様からはキャリアのある人のように見えるだろう。これはなんとかしなくては)
などと悩んでいたとき、薦められて、『朗読シアターKOBE』に入れて頂いた。
また一つドアが開いた。
しかし、入ってみると、何とも厳しい試練の連続だった。ボロクソに言われながらも、必死でしがみついていった。そうして、佳美の世界は広がった。
次に、FMラジオに出演するチャンスを得た。『心ほぐす大人の絵本タイム』という短い時間だったが、パーソナリティとして、絵本の魅力を発信していった。
そうしているうちに、また、次のドアが開いた。小さなタレント事務所に登録することになったのだ。プロフィール写真を撮ってもらうとき、
「あなたのビッグスマイルは宝物。大切にしてください」
と言われ、忘れないようにしようと、そっと誓った。
こうした日々の中、絵本の読み聞かせもあり、あちこち呼ばれていくことが多くなっていた。
そして、佳美にとっては青天の霹靂、カフェでの読み聞かせの話である。
ネイミングは、発起人さんたちといろいろ相談した。全く絵本とは馴染みのない方たちに聴いていただくのだから、まずは種まきからと『絵本のたねまき』に決まった。
カフェのオーナーの全面的な協力のもと、月一回、開かれることになった。
佳美は心配だった。
(普通のカフェで、絵本の読み聞かせなどに耳を傾けてくれる方などおられるのだろうか?)
発起人は、いたってのんびり構えていたが、
(いや、お客さん来てもらわないと)
と友人に話したり、あちこち声掛けして集まってもらった。
そのうち、
(なんやわからんけど面白いことやっとうなあ)
などと大きなテーブルに集まってくれる人が増えてきた。何しろドリンク一杯注文すれば無料である。
(絵本て子どものもんや思てたけど、おもしろいなあ。深いなあ)
などと言われる男性も現れるようになった。その間に、小さかったお子さんがすっかり成長して、今も仲良しでいられるなんて嬉しすぎる。
もちろん楽しいことばかりではない。
毎回の選書では頭を悩ませ、どこにいても絵本のことばかり考えている。
遠い町や、外国へ旅行しても、本屋ばかりに目が行くのには、我ながら笑ってしまう。
今、佳美は思う。
『絵本のたねまき』が、細々ながら続いているのは、この上なくうれしいことだと。
自分がこれはと思った本を集まってくださった方に届けたい。
そう思って、分からないなりに必死で勉強もしてきた。
そんな佳美に、夫が
(また何やら面白そうなこと始めたな)
と、いつも、黙ってみていてくれるのはありがたい。時にはさりげなく新聞の絵本の紹介記事などを置いてくれている。
そんな時は、むくむく力が湧いてくる。
今月の『絵本のたねまき』が終わった。
土曜の午後、帰宅を急ぐ方もいるが、たいていの方はそのままおしゃべりをする。
それがすごいなあと、佳美はいつも思うのだ。
見ず知らずの人が、何の違和感もなく楽しそうに話している。
赤ちゃんを連れたパパやママ、高齢の方、それぞれの仕事で忙しい方。
(ゼロ歳から百歳までの人が楽しめる絵本って、本当にすごい!)
そう痛感する。
集まってこられる人の中から、ミュージシャンたちとのつながりも自然にでき、また新しいドアが開いた。
佳美は、自分の今までをふり返って、つくづく幸せだなあと思う。
高い志や目標に向かっていった、というより、引き寄せられるように目の前で開いたドアを進んでいった気がする。
そしてその場で、がむしゃらにやってきた。
だから、これからも、気負わず『ビッグスマイル』で、次にドアが開くのを待とうと思う。
そのドアを進めば何が待っているのだろう。それを楽しみたい!
たねが芽吹き育つことを夢みつつ……
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