ぬいぐるみとの約束

misa

文字の大きさ
10 / 27

村の日々 後半

しおりを挟む
やがて食器を片付け終えると、エリーがわたしを椅子に座らせ、櫛を手に取った。
「じっとしててね。髪を結んであげる」

人に髪を触られるなんて、今まで一度もなかった。
その言葉に、心臓の鼓動がバクバクする。
逃げ出したいような、でもどこかうれしいような、不思議な気持ちに胸が揺れた。

エリーはそんなわたしの葛藤に気づかないまま、やさしく髪を梳かしはじめる。
櫛がさらりと通るたびに、くすぐったさと安心感が入り混じり、落ち着かないのにどこか心地よい。

「私ね、子どもがいたら、こんなふうに髪を結ってあげたいって思ってたの」
エリーの言葉に、胸がきゅっとなる。
母のぬくもりを、ほんの少しだけ重なった。

思わず視線を落としたとき、隣でノアがニコッと笑う。
「ほら、じっとして。せっかく綺麗にしてもらってるんだから」

エリーの指先が器用に髪を分け、片側に寄せて編み込んでいく。
櫛がさらりと通るたび、髪が小さく揺れて視界の端にかかる。
やがて耳の横からこめかみへと三つ編みが編まれていき、先を細い紐できゅっと結んだ。

「はい、できあがり」
エリーが手を離すと、髪の一部が頬にかかり、少し大人びた雰囲気を漂わせていた。

ノアは身を乗り出し、じっと見つめる。
そして、柔らかく笑って言った。
「お、いつものシエルより大人っぽいな。似合ってる」
その尻尾が誇らしげに左右へ揺れる。

思わず顔が熱くなり、わたしは編まれた髪先をそっと握りしめた。

「ふふ、じゃあせっかく綺麗にしたんだし……市場に行きましょうか」
エリーが立ち上がりながら声をかける。
「ちょうど今日、新鮮な野菜が並ぶの。シエルにも見せてあげたいわ」

ノアが尻尾を揺らしながらわたしに目を向ける。
「市場か。面白そうだな。シエル、行こう」

わたしは小さくうなずき、立ち上がった。
新しい編み込みが揺れるたび、心もそっと弾んでいく。

通りに出ると、すでに市場は人でにぎわっていた。
木の台には新鮮な野菜や果物が山のように積まれ、香ばしい焼き菓子の匂いが風に乗って広がっている。
「いらっしゃい!」「今日は朝採れだよ!」
威勢のいい声が飛び交い、通り全体が活気に包まれていた。

エリーは袋を抱えながら足を止め、鮮やかな緑の葉野菜を手に取る。
「これ、見て。今が一番美味しい季節なの」
わたしは思わず近づいて、葉の先に残る朝露をじっと見つめた。

ノアは鼻をひくひく動かし、果物の山に興味津々で覗き込む。
「こっちは甘そうだな。なぁシエル、どれが気になる?」
その尻尾がわくわくしたように揺れている。

わたしはかごに積まれた赤や黄色の果物に目を奪われ、胸が高鳴った。
前の世界では見たこともない色合いに、手を伸ばすだけで指先が震える。
「……きれい」
ぽつりともらした声に、隣の商人がにっこり笑った。
「いい目をしてるな。きれいだろう?」

エリーはそんなわたしの肩に手を置いて、やさしく笑った。

「シエル、好きなのを選んでいいのよ。市場はね、美味しいものや面白いものがいっぱいなの」

わたしは並べられた野菜や果物をきょろきょろ見渡す。色とりどりで、どれも輝いて見えた。

かごの中で山盛りになった小さな果物は、紫水晶のようにきらきらと一際輝いていた。
光を受けるたびに、表面に青や銀の反射が走り、まるで宝石箱を覗き込んでいるみたい。
「……きれい」
思わず足を止めると、エリーが微笑んで答える。
「それはコクリア。小さいけど、この村の子どもたちの大好物なの。甘酸っぱくて美味しいの」

わたしはコクリアのきらめきに目を奪われ、思わずじっと見つめてしまった。
商人はその様子に気づいてにやりと笑い、ひと粒を指先でつまんで差し出す。
「お嬢ちゃん、気になるのかい? ほら、一口食べてみな」

差し出された果実をおそるおそる両手で受け取り、わたしは小さく息をのんだ。
指先に伝わるのは、つるりとした冷たい感触。光を反射してきらめくそれは、まるで宝石を手にしているみたいだった。

そっと口に運んでかじると、薄い皮がぷちりと弾け、甘酸っぱい果汁が一気に広がった。
爽やかな香りが鼻へと抜けていき、思わず目を丸くする。

「……おいしい!」
声が自然にこぼれると、商人が嬉しそうに笑った。
「だろう? それがコクリアさ。この時期がいちばん味がいいんだ」

エリーもにっこり頷き、わたしの頭を軽く撫でる。
「気に入ってくれてよかったわ」

隣でノアが尻尾を揺らしながら、楽しそうにわたしを覗き込む。
「シエルの顔、今すごく幸せそうだぞ」

頬が熱くなり、わたしは手にしたコクリアをぎゅっと持ち直して、そっと口に残りをかじった。
甘酸っぱさがまた口いっぱいに広がり、その照れくささを優しく包み込むように溶かしていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

あなたが幸せになるために

月山 歩
恋愛
幼い頃から共に育った二人は、互いに想い合いながらも、王子と平民という越えられない身分の壁に阻まれ、結ばれることは叶わない。 やがて王子の婚姻が目前に迫ると、オーレリアは決意する。 自分の存在が、最愛の人を不貞へと追い込む姿だけは、どうしても見たくなかったから。 彼女は最後に、二人きりで静かな食事の時間を過ごし、王子の前から姿を消した。

勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。 いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。 ただし、後のことはどうなっても知りませんよ? * 他サイトでも投稿 * ショートショートです。あっさり終わります

最後に言い残した事は

白羽鳥(扇つくも)
ファンタジー
 どうして、こんな事になったんだろう……  断頭台の上で、元王妃リテラシーは呆然と己を罵倒する民衆を見下ろしていた。世界中から尊敬を集めていた宰相である父の暗殺。全てが狂い出したのはそこから……いや、もっと前だったかもしれない。  本日、リテラシーは公開処刑される。家族ぐるみで悪魔崇拝を行っていたという謂れなき罪のために王妃の位を剥奪され、邪悪な魔女として。 「最後に、言い残した事はあるか?」  かつての夫だった若き国王の言葉に、リテラシーは父から教えられていた『呪文』を発する。 ※ファンタジーです。ややグロ表現注意。 ※「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載。

無能妃候補は辞退したい

水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。 しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。 帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。 誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。 果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか? 誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

処理中です...