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村の日々 後半
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やがて食器を片付け終えると、エリーがわたしを椅子に座らせ、櫛を手に取った。
「じっとしててね。髪を結んであげる」
人に髪を触られるなんて、今まで一度もなかった。
その言葉に、心臓の鼓動がバクバクする。
逃げ出したいような、でもどこかうれしいような、不思議な気持ちに胸が揺れた。
エリーはそんなわたしの葛藤に気づかないまま、やさしく髪を梳かしはじめる。
櫛がさらりと通るたびに、くすぐったさと安心感が入り混じり、落ち着かないのにどこか心地よい。
「私ね、子どもがいたら、こんなふうに髪を結ってあげたいって思ってたの」
エリーの言葉に、胸がきゅっとなる。
母のぬくもりを、ほんの少しだけ重なった。
思わず視線を落としたとき、隣でノアがニコッと笑う。
「ほら、じっとして。せっかく綺麗にしてもらってるんだから」
エリーの指先が器用に髪を分け、片側に寄せて編み込んでいく。
櫛がさらりと通るたび、髪が小さく揺れて視界の端にかかる。
やがて耳の横からこめかみへと三つ編みが編まれていき、先を細い紐できゅっと結んだ。
「はい、できあがり」
エリーが手を離すと、髪の一部が頬にかかり、少し大人びた雰囲気を漂わせていた。
ノアは身を乗り出し、じっと見つめる。
そして、柔らかく笑って言った。
「お、いつものシエルより大人っぽいな。似合ってる」
その尻尾が誇らしげに左右へ揺れる。
思わず顔が熱くなり、わたしは編まれた髪先をそっと握りしめた。
「ふふ、じゃあせっかく綺麗にしたんだし……市場に行きましょうか」
エリーが立ち上がりながら声をかける。
「ちょうど今日、新鮮な野菜が並ぶの。シエルにも見せてあげたいわ」
ノアが尻尾を揺らしながらわたしに目を向ける。
「市場か。面白そうだな。シエル、行こう」
わたしは小さくうなずき、立ち上がった。
新しい編み込みが揺れるたび、心もそっと弾んでいく。
通りに出ると、すでに市場は人でにぎわっていた。
木の台には新鮮な野菜や果物が山のように積まれ、香ばしい焼き菓子の匂いが風に乗って広がっている。
「いらっしゃい!」「今日は朝採れだよ!」
威勢のいい声が飛び交い、通り全体が活気に包まれていた。
エリーは袋を抱えながら足を止め、鮮やかな緑の葉野菜を手に取る。
「これ、見て。今が一番美味しい季節なの」
わたしは思わず近づいて、葉の先に残る朝露をじっと見つめた。
ノアは鼻をひくひく動かし、果物の山に興味津々で覗き込む。
「こっちは甘そうだな。なぁシエル、どれが気になる?」
その尻尾がわくわくしたように揺れている。
わたしはかごに積まれた赤や黄色の果物に目を奪われ、胸が高鳴った。
前の世界では見たこともない色合いに、手を伸ばすだけで指先が震える。
「……きれい」
ぽつりともらした声に、隣の商人がにっこり笑った。
「いい目をしてるな。きれいだろう?」
エリーはそんなわたしの肩に手を置いて、やさしく笑った。
「シエル、好きなのを選んでいいのよ。市場はね、美味しいものや面白いものがいっぱいなの」
わたしは並べられた野菜や果物をきょろきょろ見渡す。色とりどりで、どれも輝いて見えた。
かごの中で山盛りになった小さな果物は、紫水晶のようにきらきらと一際輝いていた。
光を受けるたびに、表面に青や銀の反射が走り、まるで宝石箱を覗き込んでいるみたい。
「……きれい」
思わず足を止めると、エリーが微笑んで答える。
「それはコクリア。小さいけど、この村の子どもたちの大好物なの。甘酸っぱくて美味しいの」
わたしはコクリアのきらめきに目を奪われ、思わずじっと見つめてしまった。
商人はその様子に気づいてにやりと笑い、ひと粒を指先でつまんで差し出す。
「お嬢ちゃん、気になるのかい? ほら、一口食べてみな」
差し出された果実をおそるおそる両手で受け取り、わたしは小さく息をのんだ。
指先に伝わるのは、つるりとした冷たい感触。光を反射してきらめくそれは、まるで宝石を手にしているみたいだった。
そっと口に運んでかじると、薄い皮がぷちりと弾け、甘酸っぱい果汁が一気に広がった。
爽やかな香りが鼻へと抜けていき、思わず目を丸くする。
「……おいしい!」
声が自然にこぼれると、商人が嬉しそうに笑った。
「だろう? それがコクリアさ。この時期がいちばん味がいいんだ」
エリーもにっこり頷き、わたしの頭を軽く撫でる。
「気に入ってくれてよかったわ」
隣でノアが尻尾を揺らしながら、楽しそうにわたしを覗き込む。
「シエルの顔、今すごく幸せそうだぞ」
頬が熱くなり、わたしは手にしたコクリアをぎゅっと持ち直して、そっと口に残りをかじった。
甘酸っぱさがまた口いっぱいに広がり、その照れくささを優しく包み込むように溶かしていった。
「じっとしててね。髪を結んであげる」
人に髪を触られるなんて、今まで一度もなかった。
その言葉に、心臓の鼓動がバクバクする。
逃げ出したいような、でもどこかうれしいような、不思議な気持ちに胸が揺れた。
エリーはそんなわたしの葛藤に気づかないまま、やさしく髪を梳かしはじめる。
櫛がさらりと通るたびに、くすぐったさと安心感が入り混じり、落ち着かないのにどこか心地よい。
「私ね、子どもがいたら、こんなふうに髪を結ってあげたいって思ってたの」
エリーの言葉に、胸がきゅっとなる。
母のぬくもりを、ほんの少しだけ重なった。
思わず視線を落としたとき、隣でノアがニコッと笑う。
「ほら、じっとして。せっかく綺麗にしてもらってるんだから」
エリーの指先が器用に髪を分け、片側に寄せて編み込んでいく。
櫛がさらりと通るたび、髪が小さく揺れて視界の端にかかる。
やがて耳の横からこめかみへと三つ編みが編まれていき、先を細い紐できゅっと結んだ。
「はい、できあがり」
エリーが手を離すと、髪の一部が頬にかかり、少し大人びた雰囲気を漂わせていた。
ノアは身を乗り出し、じっと見つめる。
そして、柔らかく笑って言った。
「お、いつものシエルより大人っぽいな。似合ってる」
その尻尾が誇らしげに左右へ揺れる。
思わず顔が熱くなり、わたしは編まれた髪先をそっと握りしめた。
「ふふ、じゃあせっかく綺麗にしたんだし……市場に行きましょうか」
エリーが立ち上がりながら声をかける。
「ちょうど今日、新鮮な野菜が並ぶの。シエルにも見せてあげたいわ」
ノアが尻尾を揺らしながらわたしに目を向ける。
「市場か。面白そうだな。シエル、行こう」
わたしは小さくうなずき、立ち上がった。
新しい編み込みが揺れるたび、心もそっと弾んでいく。
通りに出ると、すでに市場は人でにぎわっていた。
木の台には新鮮な野菜や果物が山のように積まれ、香ばしい焼き菓子の匂いが風に乗って広がっている。
「いらっしゃい!」「今日は朝採れだよ!」
威勢のいい声が飛び交い、通り全体が活気に包まれていた。
エリーは袋を抱えながら足を止め、鮮やかな緑の葉野菜を手に取る。
「これ、見て。今が一番美味しい季節なの」
わたしは思わず近づいて、葉の先に残る朝露をじっと見つめた。
ノアは鼻をひくひく動かし、果物の山に興味津々で覗き込む。
「こっちは甘そうだな。なぁシエル、どれが気になる?」
その尻尾がわくわくしたように揺れている。
わたしはかごに積まれた赤や黄色の果物に目を奪われ、胸が高鳴った。
前の世界では見たこともない色合いに、手を伸ばすだけで指先が震える。
「……きれい」
ぽつりともらした声に、隣の商人がにっこり笑った。
「いい目をしてるな。きれいだろう?」
エリーはそんなわたしの肩に手を置いて、やさしく笑った。
「シエル、好きなのを選んでいいのよ。市場はね、美味しいものや面白いものがいっぱいなの」
わたしは並べられた野菜や果物をきょろきょろ見渡す。色とりどりで、どれも輝いて見えた。
かごの中で山盛りになった小さな果物は、紫水晶のようにきらきらと一際輝いていた。
光を受けるたびに、表面に青や銀の反射が走り、まるで宝石箱を覗き込んでいるみたい。
「……きれい」
思わず足を止めると、エリーが微笑んで答える。
「それはコクリア。小さいけど、この村の子どもたちの大好物なの。甘酸っぱくて美味しいの」
わたしはコクリアのきらめきに目を奪われ、思わずじっと見つめてしまった。
商人はその様子に気づいてにやりと笑い、ひと粒を指先でつまんで差し出す。
「お嬢ちゃん、気になるのかい? ほら、一口食べてみな」
差し出された果実をおそるおそる両手で受け取り、わたしは小さく息をのんだ。
指先に伝わるのは、つるりとした冷たい感触。光を反射してきらめくそれは、まるで宝石を手にしているみたいだった。
そっと口に運んでかじると、薄い皮がぷちりと弾け、甘酸っぱい果汁が一気に広がった。
爽やかな香りが鼻へと抜けていき、思わず目を丸くする。
「……おいしい!」
声が自然にこぼれると、商人が嬉しそうに笑った。
「だろう? それがコクリアさ。この時期がいちばん味がいいんだ」
エリーもにっこり頷き、わたしの頭を軽く撫でる。
「気に入ってくれてよかったわ」
隣でノアが尻尾を揺らしながら、楽しそうにわたしを覗き込む。
「シエルの顔、今すごく幸せそうだぞ」
頬が熱くなり、わたしは手にしたコクリアをぎゅっと持ち直して、そっと口に残りをかじった。
甘酸っぱさがまた口いっぱいに広がり、その照れくささを優しく包み込むように溶かしていった。
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