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導きの師
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「……確かにライナスの字だな」
低く落ち着いた声が響き、部屋の空気が少し張りつめる。
わたしは思わず背筋を伸ばし、ノアは隣で尻尾をぴんと立てた。
グレイは紹介状から顔を上げ、今度はわたしをじっと見据えた。
その視線は鋭くも冷静で、逃げ場を与えない。
「魔法を学びたいとあるが……君はどこまで触れたことがある?」
問いかけは淡々としているのに、真正面から見透かされたようで、息が詰まった。
(どこまで……? 風と遊んだあのときのことは、どう説明すればいいんだろう)
ノアが横で口を開いた。
「シエルは、風を呼んだことがあるんだ。想いに応える力を持ってる」
グレイの眉がわずかに動く。
「……想い、か」
呟くように言ってから、彼は机の引き出しを開け、一冊の小さな本を取り出した。
「魔法は才能だけで成り立つものではない。知識と鍛錬があってこそ、想いは形になる。君が本気なら、明日からここで基礎を学んでもらう」
わたしは大きく息をのみ、小さくうなずいた。
硬い声に隠された誠実さが伝わってきて、不安よりも期待が胸を占めていく。
グレイは最後に紹介状を机に戻し、淡々と告げた。
「今日はここまでだ。長旅で疲れているだろうし、宿を取るといい。受付に言えば、この街で安心できる宿を紹介してもらえる」
その声音には相変わらず堅さが残っていたけれど、不思議と冷たさは感じなかった。
わたしは深くうなずき、両手をぎゅっと握りしめた。
ギルドの外に出ると、夕暮れの光が石畳を赤く染めていた。人々の声や馬車の音があちこちから響き、初めて訪れる街のざわめきに心がそわそわする。
受付で紹介された宿は、大通りを少し外れた路地にあった。木の看板には「やすらぎ亭」と刻まれていて、扉を開けると温かな灯りと煮込み料理の香りがふわりと迎えてくれる。
木の温もりが感じられる広間に、ぱっと明るい声が響いた。
「いらっしゃい!部屋はすぐ用意できるからね。安心して休んでいってね!」
顔を出したのは、元気いっぱいのおかみさんだった。大きな声と弾む調子に、旅の疲れがすっと軽くなるように感じる。
わたしは思わず小さく頭を下げ、「……お願いします」と声を返した。
「ところで、どれくらい泊まるつもりだい?」
おかみさんに聞かれ、わたしは少し迷ってから答える。
「……しばらく。町で学ぶことがあるから、長めに滞在したいの」
「なるほどね。それなら安心して。長い滞在なら、生活に必要なものも用意してあげるから、遠慮なく言ってちょうだい」
おかみさんがにこっと笑い、帳面にさらさらと書き込む。
ノアはくすっと笑って、尻尾を楽しそうに揺らした。
「いい宿に来たみたいだな、シエル」
おかみさんは帳面を閉じると、軽快な足取りでわたしたちを階段へと案内した。
二階の廊下に並ぶ扉のひとつを開けると、木の香りのする小さな部屋が現れる。
窓のそばには小さな机と椅子、そして部屋の中央にはふかふかのベッドがひとつ。白い布がきちんと敷かれ、柔らかな陽の光を受けてあたたかく見えた。
ノアはベッドに飛び乗り、ふかふかの布団を前足で押して確かめる。
「へぇ、いい寝床だな。悪くない」
その得意げな顔に、思わず笑みがこぼれた。
おかみさんは荷物を置くのを見届けると、明るい声で告げた。
「晩御飯の準備ができたら下で呼ぶからね。食堂に来ておくれ」
部屋で少し休んだあと、下の広間に呼ばれて降りていくと、もう食堂にはいくつものテーブルが並び、旅人や冒険者らしき人たちがにぎやかに話していた。木のランプが照らす温かい光の中、湯気を立てる料理の香りが空腹を刺激する。
おかみさんが大きな皿を運んできて、目の前のテーブルに置いた。
「さぁ、召し上がれ! 今日は野菜たっぷりの煮込みに、焼きたてのパンもあるよ。遠慮せずおかわりしてね!」
わたしは思わず目を丸くして、ノアと顔を見合わせた。
「……美味しそう」
「いい匂いだな」
ノアは尻尾を揺らし、待ちきれない様子で前足をテーブルにかけた。
パンをちぎってスープに浸すと、やさしい味が口いっぱいに広がる。旅の疲れがとけていくようで、自然と笑みがこぼれた。
食堂の周りでは他の客たちが談笑している。冒険者らしき一団が地図を広げて作戦を立てていたり、旅商人が酒を片手に語り合っていたり。そんなざわめきも不思議と心地よく、わたしはこの町に少しずつ馴染んでいける気がした。
ノアはパンをちぎってわたしの皿に置きながら、誇らしげに笑った。
「いい宿に来ただろ?」
「……うん」
その言葉に、自然と笑顔になり、心がほっとした。
ちょうどそのとき、隣の席から明るい笑い声が響いてきた。
「ガイル、また食べすぎ!」
「ははっ、動けば消えるさ!」
声に引かれて振り向くと、赤みがかった髪を無造作に跳ねさせた剣士の青年が豪快にパンをかじり、黒髪の女性が少し呆れ顔で笑っていた。緑がかった茶髪をポニーテールにした弓使いの少女は、落ち着いた目で二人を見ている。
その剣士の青年がふとこちらに気づき、にかっと笑って声をかけてきた。
低く落ち着いた声が響き、部屋の空気が少し張りつめる。
わたしは思わず背筋を伸ばし、ノアは隣で尻尾をぴんと立てた。
グレイは紹介状から顔を上げ、今度はわたしをじっと見据えた。
その視線は鋭くも冷静で、逃げ場を与えない。
「魔法を学びたいとあるが……君はどこまで触れたことがある?」
問いかけは淡々としているのに、真正面から見透かされたようで、息が詰まった。
(どこまで……? 風と遊んだあのときのことは、どう説明すればいいんだろう)
ノアが横で口を開いた。
「シエルは、風を呼んだことがあるんだ。想いに応える力を持ってる」
グレイの眉がわずかに動く。
「……想い、か」
呟くように言ってから、彼は机の引き出しを開け、一冊の小さな本を取り出した。
「魔法は才能だけで成り立つものではない。知識と鍛錬があってこそ、想いは形になる。君が本気なら、明日からここで基礎を学んでもらう」
わたしは大きく息をのみ、小さくうなずいた。
硬い声に隠された誠実さが伝わってきて、不安よりも期待が胸を占めていく。
グレイは最後に紹介状を机に戻し、淡々と告げた。
「今日はここまでだ。長旅で疲れているだろうし、宿を取るといい。受付に言えば、この街で安心できる宿を紹介してもらえる」
その声音には相変わらず堅さが残っていたけれど、不思議と冷たさは感じなかった。
わたしは深くうなずき、両手をぎゅっと握りしめた。
ギルドの外に出ると、夕暮れの光が石畳を赤く染めていた。人々の声や馬車の音があちこちから響き、初めて訪れる街のざわめきに心がそわそわする。
受付で紹介された宿は、大通りを少し外れた路地にあった。木の看板には「やすらぎ亭」と刻まれていて、扉を開けると温かな灯りと煮込み料理の香りがふわりと迎えてくれる。
木の温もりが感じられる広間に、ぱっと明るい声が響いた。
「いらっしゃい!部屋はすぐ用意できるからね。安心して休んでいってね!」
顔を出したのは、元気いっぱいのおかみさんだった。大きな声と弾む調子に、旅の疲れがすっと軽くなるように感じる。
わたしは思わず小さく頭を下げ、「……お願いします」と声を返した。
「ところで、どれくらい泊まるつもりだい?」
おかみさんに聞かれ、わたしは少し迷ってから答える。
「……しばらく。町で学ぶことがあるから、長めに滞在したいの」
「なるほどね。それなら安心して。長い滞在なら、生活に必要なものも用意してあげるから、遠慮なく言ってちょうだい」
おかみさんがにこっと笑い、帳面にさらさらと書き込む。
ノアはくすっと笑って、尻尾を楽しそうに揺らした。
「いい宿に来たみたいだな、シエル」
おかみさんは帳面を閉じると、軽快な足取りでわたしたちを階段へと案内した。
二階の廊下に並ぶ扉のひとつを開けると、木の香りのする小さな部屋が現れる。
窓のそばには小さな机と椅子、そして部屋の中央にはふかふかのベッドがひとつ。白い布がきちんと敷かれ、柔らかな陽の光を受けてあたたかく見えた。
ノアはベッドに飛び乗り、ふかふかの布団を前足で押して確かめる。
「へぇ、いい寝床だな。悪くない」
その得意げな顔に、思わず笑みがこぼれた。
おかみさんは荷物を置くのを見届けると、明るい声で告げた。
「晩御飯の準備ができたら下で呼ぶからね。食堂に来ておくれ」
部屋で少し休んだあと、下の広間に呼ばれて降りていくと、もう食堂にはいくつものテーブルが並び、旅人や冒険者らしき人たちがにぎやかに話していた。木のランプが照らす温かい光の中、湯気を立てる料理の香りが空腹を刺激する。
おかみさんが大きな皿を運んできて、目の前のテーブルに置いた。
「さぁ、召し上がれ! 今日は野菜たっぷりの煮込みに、焼きたてのパンもあるよ。遠慮せずおかわりしてね!」
わたしは思わず目を丸くして、ノアと顔を見合わせた。
「……美味しそう」
「いい匂いだな」
ノアは尻尾を揺らし、待ちきれない様子で前足をテーブルにかけた。
パンをちぎってスープに浸すと、やさしい味が口いっぱいに広がる。旅の疲れがとけていくようで、自然と笑みがこぼれた。
食堂の周りでは他の客たちが談笑している。冒険者らしき一団が地図を広げて作戦を立てていたり、旅商人が酒を片手に語り合っていたり。そんなざわめきも不思議と心地よく、わたしはこの町に少しずつ馴染んでいける気がした。
ノアはパンをちぎってわたしの皿に置きながら、誇らしげに笑った。
「いい宿に来ただろ?」
「……うん」
その言葉に、自然と笑顔になり、心がほっとした。
ちょうどそのとき、隣の席から明るい笑い声が響いてきた。
「ガイル、また食べすぎ!」
「ははっ、動けば消えるさ!」
声に引かれて振り向くと、赤みがかった髪を無造作に跳ねさせた剣士の青年が豪快にパンをかじり、黒髪の女性が少し呆れ顔で笑っていた。緑がかった茶髪をポニーテールにした弓使いの少女は、落ち着いた目で二人を見ている。
その剣士の青年がふとこちらに気づき、にかっと笑って声をかけてきた。
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