神は絶対に手放さない

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神は絶対に手放さない

8、人格の善し悪しと相性は別問題

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 寮に荷物を置いて身軽になってから校舎前に行くと、もう車が待機していた。
 中に乗っていた蛍吾が降りてきて、後部座席のドアを開けた仕草で、いつもの運転手ではないのを察した。

「林様。志摩宮はもうバスから電車に乗り換えてしまったそうなので、途中の駅へ寄ることになりますがよろしいですか。別で迎えを出すことも可能ですが」
「拾ってって。俺の化粧やってもらうから」

 乗り込んだ俺が頷くと、蛍吾が運転手に目配せした。一応神子の俺の方が立場が上なので、こうしてお伺いを立てる真似をしなくてはならない。いつもの運転手はもう昔からの馴染みなのでそういった不自由が無いのだが。

「……佐藤は本日は、他の人間を送っている最中でして。帰りは佐藤に送らせますか?」
「そうして」
「了解致しました」

 車が出発して、流れていく窓の外の風景を眺めながら蛍吾に尋ねる。

「急じゃん。何かあったの?」
「調査が終わりまして、瑪瑙さんに連絡しましたら、一刻も早く終わらせろと言われてしまいまして」
「瑪瑙さんか。短気だもんな、あの人。じゃあ今日は瑪瑙さんも来るの?」
「もう現地入りしている筈です」
「さすが」

 瑪瑙というのは、トナリグミと懇意にしている刑事の一人だ。所属は生活安全課だと言っていたか。組織で受ける依頼はしばしば生きている人間に関わることもあるので、瑪瑙以外にも警察内部に何人か潜り込ませているようだ。
 瑪瑙本人はがっしりとした体躯の刑事然とした男で、しかし霊も視える体質なので話が早い。気が短いのが玉に瑕だが、生きた人間に関わる面倒事を全面的に引き受けてくれるので顔を合わせる事は少なくない。

「依頼人は?」
「奥様の方のご実家で待機されています。今日の現場がそこですね」
「ああ、奥さんの方だったんだ」

 先日の話では、旦那の方の前妻がどうのと騒いでいたのに。俺が意外だと漏らすと、あの時もしっかり霊視していた蛍吾は意味深な笑みを浮かべた。

「少し厄介そうなので、心の準備をお願いします」
「へぇ」
「あの、発言してもよろしいでしょうか」

 蛍吾がわざわざ気をつけろと言ってくるなんて珍しい。どういう意図だろうと考えるまでもなく、それまで黙っていた運転手が話に割り込んできた。

「どうぞ」

 俺が承諾すると、蛍吾の目が少し細められる。

「私にやらせて頂けませんか」
「やる? 何を?」
「本日の浄霊です。私も少しは覚えがありまして、それでこの組織に入ったのですが、いつまでもこのように運転手ばかりでして……」
「ああ、それで、一発大きい成果を上げたいのか」

 はい! と、よくよく見れば歳若いらしい運転手が嬉しそうに返事するのを、蛍吾は素知らぬ顔で聞き流している。
 若いとはいえ、俺や蛍吾からすれば年上だ。入ったばかりだとしても、蛍吾が直属ではないにしても上司なのは理解しているはず。その上司に言うのではなく、通り越して俺に直接頼むのか。いい度胸している。

「いいよ。やってみな」
「ありがとうございます!」

 どのくらい力があるのか、わざと加護に悪意をぶつけて貰えば分かるだろうが、それすらする気にならなかった。トナリグミは、俺と蛍吾の待遇を鑑みても、実力のある人間が不遇のままでいることは無い。
 蛍吾が何も言わないのは、おそらく良い機会だとでも思っているからだろう。
 運転手は一瞬蛍吾の方へ挑戦的な視線を向け、また前を向いて運転を再開した。
 自分の力を過大評価している上に、蛍吾の力すら測れていないようだ。下手したら今日が命日になりそうなんだけど、大丈夫かなこの人。

「……蛍吾」
「大丈夫ですよ」

 名前を呼んだだけで俺の言わんとしている事を読み、蛍吾が可笑しそうに笑う。

「はい! お任せ下さい!」

 運転手だけが全く意図を読めず気合の入った返事を返してきて、頭が痛くなりそうだった。
 しばらく走ったところで駅前に着くと、蛍吾が電話で志摩宮と連絡をとって、志摩宮も車へ乗ってきた。

「これ、よろしく」

 志摩宮が乗ってくると、蛍吾が彼にいつもの着替えの袋を渡す。受け取った志摩宮は、早速中からメイクポーチを出して俺の方へ上半身を向けた。

「先輩、目ぇ閉じて。……蛍先輩、今日どれくらいかかりそうですか」
「そうだな。深夜にはならないだろうが……。門限でもあるのか?」
「いえ、一人暮らしなんで時間は大丈夫なんですけど。夕飯どうすっかなと思って」
「マックで良ければ帰りに寄らせるが」
「えー、俺、バーキンがいい」
「動かないで先輩」

 目を開けて蛍吾の方を見ようとした俺の顎を掴んで、志摩宮が動かないよう固定してくる。
 うっすら瞼を開いたら、存外近くに緑の瞳があってきゅんとした。何度見ても志摩宮の緑は良い。晴れた日に深い森の中を見上げたような色。淡い色と暗い翠と、涙が潤んだ時の眩さ。
 志摩宮が女だったら一目惚れしていただろう。

「……口がニヤニヤしてますけど。そんなに美味いですか、『バーキン』」

 俺のほのかな喜びを勘違いした志摩宮は、そっちに興味を持ったようだ。

「美味いしデカい。あとオニオンリングはバーキンが至高」

 好物の玉葱揚げについて語り出すと、運転手がバックミラー越しに不審そうな目を向けてきた。神子がジャンクフード食っちゃ悪いかよ。

「俺、あんま量食べないんでデカいのは……。余ったら食べてくれますか」
「ラーメン一杯を食べきれるならイケるって。大丈夫、美味いから」

 な、と目を開けて志摩宮を見て笑うと、つられたのか彼もふわっと笑みを浮かべた。
 きゅん、と心臓が締め付けられる。いつもニヤァ、みたいな不敵な笑い方ばかりする奴の自然な笑顔は破壊力がヤバい。

「そろそろ着くからな」

 蛍吾に言われて、志摩宮はまた化粧の続きをするから、と俺の目を閉じさせた。
 ウィッグまで被り終えると、志摩宮は今度は自分の着替えを始めた。俺も終わらせてしまいたいが、車が動いている間にシートベルトを外そうとすると蛍吾がうるさい。
 ベルトをしたまま器用にズボンを穿き変える志摩宮を横目に、外に視線を移した。
 一度目を閉じて、霊視にチャンネルを合わせる。
 時刻は十九時を回ろうとしている。季節的にまだ黄昏時で、空の下の方には微かに夕日の赤が残っているが、上空はもう濃紺だ。
 自然の浄化力を持つ太陽光が届かなくなれば、昼間は影に身を潜めてじっとしている幽霊だのが動き出す。
 ……筈なのだが、車窓から見える街はやけに静かだった。
 蠢く影が少ない。影の中を移動するのは下級の物の怪たちばかりで、ヒトの幽霊がほとんど見えない。

「なんだ、ここ……」

 思わず独り言を漏らすと、蛍吾が前を向いたまま説明してくれた。

「今日の現場が、蟻地獄のようになっておりまして。力の無い霊が近くを通ると、吸い込まれて餌にされるんです。滅多に見られるものではありませんよ」

 愉しげな様子を隠さない蛍吾に、運転手はポツリと「……下衆が」と呟いた。
 どうやら運転手は仕事に対して至極真面目な性質らしい。仕事とはいえ楽しみたいタイプの蛍吾とは、相性が悪そうだ。

「運転手さん、お名前は?」
「沖(おき)と申します。今日の仕事が上手くいきましたら、是非上へ報告の方をお願いしたく……」
「うん、上手くいったらね」

 邪魔はしないけれど、助力もしないと今決めた。確かに蛍吾は下世話な物好きだが、下衆ではない。

「着きました」

 運転手──沖は、やる気に満ち溢れた表情で車を停め、一番に車を降りて行ったのだった。

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