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神は絶対に手放さない
9、それは確かに救いに見えた
しおりを挟む車内で着替え終えて、蛍吾が外から開けてくれたドアから出る。
そこは、見た感じは普通の集落だった。一軒一軒の間にやたら広い庭──と呼んでいるただの草地──が広がる、田舎特有の住宅地。
遠目には家の灯りも見えるが、目の前の家の周り数軒だけが真っ暗。どうやら空き家のようである。
ぬるい風が腕に纏わりつく。生暖かい空気はこの季節の時間帯としては当たり前なのだが、その冷たくも暑くもない空気が、この場所を更に気持ちの悪い空間にしていた。
現場である家を見上げた。二階建ての、これまたごく普通の木造家屋だ。だが、蛍吾が先ほど言っていた通り、その家からおかしな力を感じる。ぐいぐいと、体の中身を引っ張られる感覚。俺ですらそう感じるのだから、普通の人間には堪ったものではないだろう。おそらく、近くを通れば生者ですら気をもっていかれる筈だ。
「気持ち悪いっしょ?」
蛍吾が指先で自分の掌に防邪の紋を描きながらヘラヘラと笑う。蛍吾ですら紋が必要なのに、沖は、と見ればもう家に入ろうとしていた。
沖の行くてに、よく見れば家を囲むように赤い紐が張り巡らされている。彼はそれに気付いていないかのように、紐を気にせず家の玄関ドアを開けた。
途端、シャララララララララ、と鈴の音が鳴り出す。
どこにも鈴なんて無い。だというのに、その音は止まない。
「蛍吾、これ」
「あいつ、全然気にせず入ってったな」
俺と蛍吾がその煩い鈴の音を我慢しつつ紐に近付くと、近付けば近付くほど解像度が上がるように、その紐が何であるかが見えてくる。赤い紐に、無数の赤い鈴が下がっていた。それらが、もう誰も触れていないのに鳴り響いているのだ。
「防犯ベルみたいなもんだな」
設置したやつの方が悪質だけど、と。蛍吾は毒づいて、消去の紋を空中に描こうとして、手を止めて後ろを振り返った。
「志摩宮、ちょっと来て」
何ですか、と俺達の後を黙ってついてきていた志摩宮が、呼ばれて前に出る。
「ちょっとこのへん通ってみて」
蛍吾に言われた通り、志摩宮は玄関ドアまで進み出る。
志摩宮の体は紐を通り過ぎ、そして音が止んだ。それをごく近くで観察していた蛍吾が、頷きながら「そういう感じかぁ」と唸った。
俺の位置からは、志摩宮はいつものように透過したようにしか見えなかった。蛍吾にはどう見えたのか、興味が湧いた。
「どういう感じだよ。一人で納得してないで教えろよ」
「あー、あのな。俺はてっきり、志摩宮の存在が透けてて通り過ぎてるんだと思ってたんだけどな。違うわ。志摩宮の身体に付こうとしたやつが、一瞬で剥がされてる」
「剥がされてる?」
「志摩宮の存在自体が結界みてーなもんになってる。お前が鬼を通り抜けたのも、この前の消臭スプレーで霊が剥がれてたのも、志摩宮の触れた物に志摩宮の力が移るからだろうな。現に」
蛍吾がそこで、先ほどの紐を示す。
「沖の生気を吸収して鳴ってた鈴から、それが無くなってる。志摩宮が通り過ぎる時に一緒に剥がしてた」
「……なるほど」
と言いつつ、あまりよく分かっていないのだが。
とりあえず、聞いた事もないような規格外なのだけは理解した。
「これなら、志摩宮も組織に入れて貰えるかな」
俺がわくわくしてそう聞くのに、蛍吾は一瞬黙って、「だといいけどな」とだけ答えた。
俺と蛍吾が今まで扱った依頼のレベルを鑑みれば、志摩宮は十分な戦力だと思うが。組織には組織の選考基準があるのだろうか。
「組織とかどうでもいいですけど、先輩が入れっていうなら入りますよ」
「お前が決める事じゃねぇから。もちろん俺にも蛍吾にも決めらんねーし」
肩を竦めて答えるが、志摩宮はどうでも良さそうに玄関ドアのノブに手を掛けて、「開けますか」と聞いてきた。
蛍吾はそれに頷きながら指で宙に描いた破邪の紋で赤い紐を消す。
簡単そうにやっているが、同じ事を出来る術師は組織内部にも数人しかいない。色々な依頼で組織の人間に会うが、彼ほど瞬時に必要な紋を素早く正確に描ける人間は会った事がない。蛍吾自身も、「俺以上なのはあとは幹部組くらいかな」と漏らしていた。
正直言って、もう蛍吾一人でも余裕で依頼はこなせるだろう。俺は保険みたいなものだ。
志摩宮が居ればさらに保険が増える。妹ちゃんの為に早く昇進したい蛍吾にとっても、志摩宮が蛍吾の下につくのは悪い事でもない筈だ。
「志摩宮はとりあえずまた適当に座ってて。特にやる事は無いと思うけど、必要なら指示出すから」
「はい」
蛍吾が言って、志摩宮も従う。
そこにやっと違和感を覚えた。志摩宮、蛍吾に対して素直すぎないか?
「蛍吾、あとで聞きたい事あるから時間作れ」
「……あー、はいよ」
蛍吾が嫌そうな顔をした。何かしら覚えがあるらしい。
俺の予想が正しければ、蛍吾は志摩宮に対して術を掛けている。
蛍吾の紋を使った術の利用用途は多岐に渡り、頻繁に使う防邪や破邪はもちろん、邪悪なモノを弾く結界を作る紋や引き寄せる紋もある。そして、あまり使わないようにしているらしいが、生きた人間に作用する紋もある。
浄化の紋なんかは最たるもので、穢れで傷付いたら紋を刻んだ布を巻いておけば、そのままにしておくより抜けが早い。浄化の紋がそのまま人体に当たると、何故か結構痛いのだ。組織に入って慣れない頃は加護の使い方もよく分からず、しょっちゅう悪霊に憑かれてそれを無理やり引き剥がす為によくやられたものだ。
そして、滅多に使わない──俺も数度しか見た事が無い──が、人の意識に作用する紋もあるらしい。
依頼の中で、投身自殺した霊に憑かれた少女がいた。目の前に飛び降り自殺した人間が落ちてくる幻。何度も、何年もそれを見続けた少女は、除霊した後も「気を抜いたらまた見えるんじゃないかと思って安心できない」と依頼後に泣きついてきた。その時に蛍吾は見たことのない紋を描き、少女に押し当てた。そして少女はどうして自分がそこに居るのかも忘れて、不思議そうにしながら帰宅していった。あれはたぶん、彼女の記憶を消したんだと思う。
それから、あと何度かは、俺たちを罠に嵌めて悪霊を憑かせようとした同業者に紋を当てて帰した事があった。蛍吾の言うままになっていた彼らと、今の志摩宮の素直さが、なんとなく同じような雰囲気を感じたのだ。
「先輩、入らないんですか」
志摩宮が、ドアマンの如く俺を待っていた。
蛍吾の描く紋は複雑で、俺が表面的にさらっただけの知識では到底視ることすら出来ない。試しに志摩宮の腕に触れて痕跡を辿ってみたが、そもそも俺に対して悪意を持つような紋でもないものを察するのは俺には無理だった。
「具合でも悪いんですか?」
「なんでもない」
それ以上志摩宮を待ちぼうけさせるのも悪いかと、手を離して中に入った。
途端、一番外側の加護がパリン、と弾けて消えた。
「わ、お」
「だから気ぃ抜くなって言ったろ」
先に入って瑪瑙さんと話していた蛍吾が、それ見ろと腕を組んで俺を睨んだ。
「あーはいはい、気をつけますって。久しぶり、瑪瑙(めのう)さん」
「オーウ、神子ちゃん。今夜はなかなか別嬪さんだな」
「メイク担当が入ったんで。もう『背中を見せたら掘られそう』では無いでしょ?」
「まあ、そのナリなら逆に掘ってもいいな」
軽口を交わせば、背後から殺気が飛んできて俺の加護にヒビを入れた。
「志摩宮、知り合いだから警戒しなくていいぞ」
「……」
俺の後をついてきた志摩宮は瑪瑙さんに対して逆毛を立てた猫のような雰囲気で、だから落ち着かせようとそう言ったのだが、警戒心バリバリで俺を隠すように瑪瑙さんと俺の前に立った。
といっても、猫背の志摩宮では衝立にもならず、普通に瑪瑙さんと目が合って二人で苦笑する。
「志摩宮。この人は刑事さんで、味方。俺に何かする人じゃないって」
「……そーいう事じゃないと思うけどなァ」
瑪瑙さんは肩を竦めて、蛍吾の方へ視線を向けた。蛍吾は目を逸らす。
二人の無言の会話が何を示しているのか分からず、どういう事かと志摩宮を見るが、志摩宮は瑪瑙さんが俺から視線を外した事に満足したのかいつもの無表情に戻っていた。殺気も消えている。
「あの、もうそろそろ……いいでしょうか。遅い時間になりますと、娘もいるので……」
奥の部屋から、先日会った奥さんが出てきた。
グレーのブラウスに黒のアンクルパンツ姿の彼女は、前よりも幾分か顔色が悪いようだった。
彼女の背後に、穏やかな表情の老婆が見えた。先祖の霊だろうか。おそらく、蛍吾が言っていた彼女の強力な守護霊というのがこの老婆だろう。
うっ、と口を押さえて吐き気に耐えた。……臭い。肉の腐った臭いがする。
「大丈夫ですか」
志摩宮に背中を撫でられ、瞬時に吐き気が消えていく。あ、これ、すごく便利。
「志摩宮、そのまましばらく静汰についてて」
「言われなくてもそうします」
奥の部屋に戻る奥さんの後ろから、蛍吾、瑪瑙さん、俺、志摩宮の順で進む。家の奥へ歩みを進めるにつれ、臭いは強くなっていく。
さっき志摩宮の殺気でひび割れていた外側の加護も割れてしまった。残り三枚。蛍吾はあと一枚、よく分からないのがあると言っていたが、それはアテにしないように気を張った。
家に憑いているのだろうか。強大な気配のそれは、しかし一人、いや一匹だ。一匹の霊が、この周辺の小物を喰らって増幅されて酷い腐臭を放っている。
奥の一部屋の襖を開けると、六畳の和室が三室続いていた。間の襖は取り払われ、広間になっているようだ。その一番奥に、仏壇があった。一般家庭でよく見る大きさの、特になんの違和感もない代物だ。
仏壇の前に、沖と旦那さん、それから澄恋ちゃんが待っていた。少女は眠いのか、抱いたぬいぐるみに半分顔を埋めて船を漕いでいる。
旦那さんの真横に、俺のところへ憑いてきていた女の霊が座っていた。俯いて旦那さんの耳元に何事かぶつぶつと囁いているようだが、旦那さんがそれに気付いている様子は無く、彼は娘がいつ眠りに落ちてもいいように背中を抱いて見守っているようだ。
「それでは、始めてよろしいでしょうか」
沖はズボンのポケットから数珠を取り出し、皆が出された座布団に座ったのを確認してからかなり抑えた声量で言った。眠そうな少女に気を遣ったのだろうか。
全員が座った後、蛍吾がこっそりと依頼人達と瑪瑙さんに紋を飛ばしていた。俺の横の瑪瑙さんへ飛んできたそれを横目で確認すると、どうやら体の自由を奪う類のものらしいと読み取れた。
沖はゆっくりと紋を描きながら、旦那さんに向かって何事か呪文を唱え始める。
女の霊がゆらりと立ち上がると、沖が語気を強めて紋を放った。だいぶガタつきが見えるが、しっかりと破邪の紋だ。しかし、女の霊に当たったそれは霊体のどこも傷付けることなく消え去った。
「な……」
動揺した沖が一瞬呪文を唱えるのが途切れると、女の霊の腕が伸びて彼の胸を押した。突き飛ばしたようなそれだけで、沖は跳ね飛ばされて背後の仏壇に強かに体を打つけられた。
霊など見えず、急に人が吹き飛んだのを見た旦那さんと奥さんは「ヒッ」と声を上げて体を動かそうとして、動けない事に気付いたようだった。
「う、動けない……! なんでっ」
「い、イヤ! 何なんですか!? 何が起こってるんですか!?」
やおら叫びだした二人に対して、娘の少女は静かに寝息を立てていた。さすが、志摩宮に臆せず遊びを仕掛ける子だけある。この状況で泣き出されても困るので、逆に安心した。
「大丈夫です。動けないようにしたのは私です。下手に動くと呪物に触れてしまうので」
至って冷静に蛍吾が答えると、旦那さんの方は少し落ち着いたようだったが、奥さんの方は暴れ出した。無理に立ち上がろうとして、足の辺りから蛍吾の紋が綻びをみせていく。依頼人の体を保護するためにだろう、弱く作ったのが仇になったようだ。
「奥さん。動かないで下さい」
「でも、でも、仏壇が……!」
色々と物が落ちた仏壇を背に、沖がふらふらと立ち上がる。
それでも除霊を続ける気概はあるらしく、踏み出した足で何かを踏んだ瞬間、もんどり打って転げ回って痛みに叫んだ。
「うああああああ! ああああああああああっ!!!!」
「なんて事を!!」
同時に、奥さんがとうとう紋を壊して仏壇に駆け寄った。そして、沖が踏みつけたであろう物体を手で大事そうに持ち上げ、傷が無いか検分し始める。
蛍吾が沖に破邪の紋を飛ばして呪詛を解いてやると、彼はぐったりとして呻くこともなく動かなくなった。
「……足で踏むだなんて、酷いことをするからよ」
奥さんは倒れた沖を見て静かにそう言った。旦那さんが、信じられないものを見る目で彼女を見る。
「それが、千紗ちゃんですか」
蛍吾が、奥さんの手の中の白い物体を見て呟く。
千紗ちゃん?
誰のことだ、と聞くまでもなく、女の霊が奥さんに駆け寄ってその白い物体を奪おうとした。だが、奥さんの守護霊のお婆さんが前に踊り出て、笑いながら女を弾き飛ばした。女の片腕が消し飛ぶ。いや、消えたのではない。お婆さんの背中から、女の腕がにゅうと生えた。
お婆さんの開いた目は、真っ黒に落ち窪んでいた。
「そっちが本命かよ」
俺が呟くと、蛍吾と瑪瑙さんが馬鹿を見る目で見てきた。しょうがないだろ、だって前回は俺、霊視してなかったし。
志摩宮はこの状況でどうしているだろう、と見れば、ニコニコしながら俺の手を握っていた。……周りなんてどうでもいいらしい。
「それ、渡して貰えますか」
「これは、先祖代々伝わる、我が家の神様よ。ただの石です」
「なら渡せるでしょう。ただの石なら」
「石ですが、御神体ですから。家の外には出せません」
「それは困りますね」
白い物体を抱える奥さんに、蛍吾は容赦無く破邪の紋を飛ばすが、ことごとくを笑うお婆さんに弾かれていた。さすが、ここら一帯の霊を何年も吸収し続けただけはある。
下手に前に出ても邪魔になるかと、体が消し飛びながらも奥さんの腕の中の物体に這い寄ろうとしている女の霊の方にいびつながら防邪の紋を飛ばしてみた。女の霊がこちらを見て、助けを求めるような顔をするのが居た堪れない。
「蛍吾、俺がやる?」
「俺が失敗したらやって」
割とプライドの高い蛍吾は、難易度の高い相手こそが燃えるみたいに、いつもより早く多く紋を飛ばして、段々と押しつつあるようだ。
「あっ!」
奥さんが驚きに声をあげる。
大量の破邪の紋の中に、一つだけ突風を起こす紋を混ぜ込んでいたらしい。急に部屋に巻き起こった風が奥さんの腕の中の白い物体を吹き飛ばし、それは部屋の隅に転がった。
即座に女の霊がそれに飛びつき、縋って泣き出した。
「なんなの!」
奥さんが白い物体の方へ気が逸れた隙を見逃さず、蛍吾は奥さんの腕を捕まえた。ゼロ距離で奥さん自身に破邪の紋を叩き込むと、お婆さんの顔に大穴が空いた。直後、全てが消し飛ぶ。ぼたぼたぼた、と奥さんの守護霊だったそれが真っ黒の穢れを撒き散らして消え去ると、奥さんはその場に座り込んだ。
「だめよ……、それは、私の大切な」
「お友達、ですよね。多田 千紗ちゃん。御神体ではなく、あなたが殺したお友達の骨でしょう」
腕を掴んだままの蛍吾を見上げ、奥さんが何の感情も見せない顔で首を振る。
「殺してないわ」
「じゃあ何故、行方不明の女の子の骨がここにあるんですか」
「骨じゃないわ。石よ」
「警察で鑑定すれば分かります。そこの瑪瑙さんは、うちの組織の人間じゃなく、警察の方なんですよ」
自然と視線が集まった瑪瑙が、やや居心地悪げに咳払いし、「生活安全課ですがね」と蛍吾の言葉を肯定した。
「だめ。大切な物だから、持っていかせないわ」
「あれは骨です。職業柄、何度も見ているので断言出来ます。警察で調べれば確実に身元も分かります」
「石に身元なんて無いわ。何度言ったら分かるの」
「奥さん。貴女と貴女の旦那さんに取り憑いていたのは、千紗ちゃんのお母さんです。千紗ちゃんを奪った犯人を呪い殺したい、その一心で呪いをかけて死んだお母さんです」
蛍吾の言葉に、奥さんが黙った。しかし、またすぐに口を開く。
「千紗ちゃんは確かに友達だったけど、あれは千紗ちゃんじゃない。千紗ちゃんがいなくなった時、私はまだ小学二年生だった。私じゃないです」
「初めての殺人が小学生ですか。よく二度目を我慢しましたね」
「やめてください。友達を殺すなんて……そんなこと」
「お母さんはね、千紗ちゃんと同じ目にあわせてやろうと思って死んだみたいですよ。だから何度も何度も首を絞めて殺そうとした。何度も貴女に同じ恐怖を味合わせようとした」
「そんなわけない」
「怖かったでしょう? 女の霊も、何度も千紗ちゃんの名前を呼びながら、貴女の首を絞めたんでしょう? 貴女がやったみたいに」
「私は首なんか絞めてない! 突き飛ばしただけ!!」
執拗に、いやらしい質問を続けていた蛍吾が黙る。奥さんも黙り、旦那さんが両手で顔を覆って低く呻いた。
「瑪瑙さん、その骨、鑑識へお願いします」
蛍吾が瑪瑙の紋を解くと、心得たとばかりに瑪瑙さんは立ち上がり、部屋の隅の骨の方へ歩み寄った。
骨を前に泣き続ける女の霊は、瑪瑙さんが手袋をして骨を拾って透明の袋に入れるのを止めることなく見ていた。瑪瑙さんが電話を始める。どうやら、応援の刑事がくるらしい。
何にもする事無かったなぁ、と志摩宮に笑いかけようとして、それまで静かだった仏壇から異様な気配が湧き出て全身が凍ったように動けなくなった。
蛍吾も瑪瑙さんも、旦那さんも奥さんも。全員が動きを止め、しかし視線が一点に集まる。
仏壇の中、木組みの箱があった。
その箱から、手が出ていた。
白く美しい肌。長い指。光り輝くようなそれは、しかし悪意と穢れに塗れて部屋中を侵していた。酷い悪臭の原因は、これだ。
俺の加護が、続けて三枚、呆気なく割れた。俺と志摩宮以外の人間がその場に倒れ込む。加護が割れた俺はその白い手の重圧に動くことも出来ず、しかし志摩宮のおかげで気を失うことも出来ない。
志摩宮の力で、呪詛は俺に張り付けない。けれど、動く事も出来ないのでは、あの腕が気紛れで箱の中に戻ってくれるのを願うしかなかった。
悪意は満載だが、今のところ、俺たちに害を与える気配は無さそうだ。
そんな油断をしていたのが、間違いだった。
白い手は、ゆっくりと動いた。おいでおいでをするように、優雅に揺れた。
そして、眠っていた少女が起き上がる。瞼は閉じたまま、手に招かれるように、歩き出す。
立ち上がって、少女を止めようと走り出そうとした。だが、動いたのは片脚だけ。立ち上がる事すら許されず、それでも動こうとしたら見えない最後の加護にヒビが入る音がした。
少女が、歩いていく。
箱に触れてはいけない。止めたいのに。止めなきゃいけないのに。
少女の背に向けて、必死に手を伸ばした。最後の加護が割れ、五本の指が全てデタラメな方向へ捻じ曲がった。
叫ぼうにも、何も喉から出なかった。
俺は、神様の加護が無ければ何も出来ない。
ましてや。最後の加護を割られて気付いた。あの手は、神様だ。
絶望しそうになった俺の視界を、志摩宮が平然と歩いて行く。
「ソッチ、ダメ。コワレテル、ケガスル」
片言の外人ごっこはまだ続いているのか、志摩宮が少女を捕まえて、旦那さんの方へ連れて戻ってきた。
白い手が、にゅうと伸びて志摩宮と少女を通り抜け、ふよふよと漂った後、諦めたように箱へ戻っていった。
手が消えた瞬間、蛍吾が這いつくばったまま箱に向かって多重結界の紋を飛ばした。
「志摩宮! 箱! 木箱壊せ!!」
俺が叫ぶと、仏壇に戻った志摩宮は木箱をひょいと持ち上げて、躊躇なく仏壇に叩きつけて破壊した。
「これで良かったですか?」
志摩宮はバラバラになった木片をそのまま仏壇の中に振り落とし、俺の方へ戻ってきて目を丸くした。
「え、それ、指、大丈夫ですか」
「指……」
突拍子も無い方向に曲がっているそれらを見て、急に痛みが襲ってくる。
「うわ、やっば。痛い。かなり痛い」
その場に膝をつくと、蛍吾がお手製の包帯を投げてくる。どうやら、彼もまだ起き上がるだけの体力が無いらしい。
「巻けばいいんですか」
「いや、痛みをとるだけのやつだから、ふわっと上に被せる感じで。……うん、さんきゅ」
甲斐甲斐しく志摩宮が俺の指に包帯を被せて、とれないように端を巻きつけてくれると、痛みはほとんど無くなった。あとは病院に行ってどうにかしてもらおう。
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