神は絶対に手放さない

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神は絶対に手放さない

18、想像していたよりずっと面倒で手に負えない気持ち

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 一度寝て、起きた時にはもう夕暮れ時だった。
 布団から顔を出すと、隣にもう一組敷かれた布団に志摩宮が寝ていた。どうやら一緒に寝たらしい。コンクリートの上で体育座りの格好では、十分な睡眠はとれていなかったのだろう。
 体を起こして布団から出ると、少し肌寒かった。壁に掛けられたエアコンのリモコンの画面には、室温二十二度と表示されていた。寝る前は適温だった気がするから、志摩宮が下げたのだろうか。
 彼が寝ているのを幸いと、洗濯物を袋に詰めて部屋を出た。
 旅館の本館に戻ってフロントで近場にコインランドリーが無いか尋ねたら、有料だが連泊中なら洗濯して乾燥までしてから部屋に届けてくれると言われ、有り難く頼む事にした。料金はコインランドリーより割高だったが、コインランドリーまで炎天下を歩いて行って待って帰ってする時間と金を考えれば、まあ納得できる金額だ。一枚いくら、ではなく専用の袋一枚に入りきる分なら同額なので、次に頼む時は志摩宮の分も一緒に頼もう。
 自販機でジュースと緑茶を買って部屋に戻ると、志摩宮はまだ寝ていた。
 志摩宮の分のお茶を冷蔵庫に仕舞って、さてどうしようと一息ついて窓際の椅子に座る。
 夕飯くらいまで寝ているつもりだったが、すっかり目が覚めてしまった。風呂に入るのは食後にしたいし。
 水平線に沈んでいく夕陽を眺めながら考えて、ふと思いついてスマホで蛍吾にメッセージを入れた。
 返事はすぐに来て、添付されていた画像を見てげんなりした。
 蛍吾に聞いたのは、『紋を無効化する防御紋はないのか』だ。蛍吾はメッセージを見てすぐ紙に書いてくれたらしく、それを写真に撮ってくれたようだ。注釈として『覚えるまでに時間かかるし、覚えられても普通は途中で霊力が切れる』と書いてあったが。
 霊力に関して俺は神様から無尽蔵に引き出せるから、とにかく覚えられれば描き切ることは可能になる。━━覚えられれば。
 複雑怪奇なその紋様に、どこからどう書くかでまず悩む。
 よく使う浄化の紋は円の内側に丸が三つと星から一つ角の減った変な五角形で構成されている。一番簡単な紋は破邪で、対角の二箇所が空いた円に×マークだ。構成はシンプルだが、宙に描くのに綺麗に対角に空白を入れるのにかなり練習が必要だった。
 対してこの防御紋は、曲線で構成されたQRコードみたいだ。
 線が足りなくても重複しても紋は発動しない。だというのに、まるでこの紋ときたらまるで嫌がらせのよう。
 この紋は組織の創設当時の━━確か二百年前くらいで、当時権力を持っていた陰陽師やら霊媒師やらの他組織からは邪教だと毛嫌いされたらしいが━━偉い人が考案したらしいが、なんでこんなに覚えにくい模様にしたのだろう。
 もっと覚えやすくしてくれれば、紋を飛ばしまくれるから面倒くさい経なんて必要無いのに。
 スマホの画面表示時間を制限無しにして、寝ている志摩宮の方に向けた。画面に紋を表示させたまま、それをなぞるように描いていく。
 三分の一くらい描いたところで、ごそっと霊力が減る感覚があった。霊力なんて常に神様から供給され続けているのが当たり前のものだから、減ったと感じたのが初めてだ。
 ゆらゆら、と目の前が傾いで、目眩だと気付くまで少しかかった。線を一つ引くにも、揺れる視界の中では難しい。
 集中力を切らして変な線を引いてしまって、それまで描いていた紋が消え去った。同時に、減っていた霊力が一気に戻って目眩も消える。
 どうやら、描くだけでも膨大な霊力が必要になる紋のようだ。欠乏する事は無さそうだが、目眩が厄介だ。元から集中力には自信がない方なのに、さらに集中しにくい。
 テロン、と着信が画面に表示され、相手が蛍吾だったのでそのままとった。

『さすがに無理だろ?』

 一言目にそう言われて、絶対描ききってやると心に決めた。

「三分の一くらい描いた所で、霊力バカ食いされて目眩がしてミスった」
『うは、さすが神子サマ。それな、本来は数十人がかりで描く一人に霊力を集めてから描くやつだから』
「マジか」
『組織の人間が対抗組織に寝返った時とか悪いものに憑依された時に使うやつだからな。基本的に、他の組織はうちの紋を使えないから、紋に対しての防御紋はそれ以外無いんだ』

 他の組織の人間には会った事が無いが、地域による派閥争いもあるというから、それなりに霊能者というのは居るらしい。それでも紋を使っているのはうちくらいで、他の組織は呪札を使うのが主らしい。
 確かに、その場で書いていく紋に比べて、呪札ならば事前に用意しておける分、術師の負担は少ない。大量に必要な時に嵩張るかもしれないが、その場合は術師の数を増やせばいいだけだ。
 今の組織のトップ自体は閉鎖的でもなく、むしろ他の組織との協力も柔軟に対応する方らしいが、紋に関してだけは門外秘を貫いているのだという。それほど便利なものでもないので、他組織もスパイしてまで調べようともしてこないらしいのだが。

「とりあえず、もうしばらくやってみる」
『珍しく頑張るじゃん』

 通話の向こうの蛍吾が揶揄うように語尾を上げるので、そりゃそうだろ、と些か語気を強めた。

「昨日みたいなこと、何度もやってられるか」
『そんなに志摩宮が心配か?』
「心配、って……、だってそりゃ、何も出来ないんだから守ってやらなきゃ駄目だろ」
『まあな』

 蛍吾は最後に、『左から書いてみ』とだけ言って、通話は切れた。
 画面はまた、紋の写真を表示する。
 スマホを志摩宮の方に向けると、ちょうど寝返りを打つところだった。俺に背を向けてしまった彼に、しかしその後頭部の寝癖に自然と口角が上がる。
 昨日のような怖い思いはさせないからな。
 志摩宮はきっと、そういうのを表に出さない。マイペースなようでいて割りに気遣いするところ、結構気に入っているのだ。あまりに怖い目に遭わせ過ぎて、俺から距離を置かれてしまうのは避けたい。
 蛍吾はそれを志摩宮の身を案じているのだと思ったようだが、正直言えば自分の為だった。

「守ってやるから」

 だから、ずっと俺の傍にいればいい。
 身勝手だと分かっていても、そう思ってしまう。
 志摩宮の身の安全を考えれば、俺や蛍吾と関わらない方がいいに決まっているけれど。
 せめて、と俺はまた紋を描く練習を繰り返す。
 やはり三分の一描いたあたりから、一気に使用する霊力が膨大なものになる。それでも、何度も繰り返せば慣れてくるもので。
 ぐらぐらと揺れる視界の中、スマホの画面だけを凝視してやっと描ききった。

「……あ」

 飛ばした紋が、志摩宮の周りで溶けるように霧散するのを見て、集中力が切れてスマホをとり落としてしまった。
 そうだ。染井川も言っていた。志摩宮には紋が効きにくいから、と。だから最初に周りに壁を作る、と。言っていた。聞いていたのに、失念していた。

「クソッ」

 自分を罵倒して拳で膝を叩くと、スマホを落とした音で目を覚ましてしまったのか、志摩宮が寝返りを打ってこちらを向いた。

「ごめん、大きい音出して」
「……どうかしましたか」
「スマホ落としただけ。もう起きるか?」

 瞼を擦る志摩宮は、まだ眠そうに見える。
 だが、もぞもぞと布団から出てきて充電していた自分のスマホをケーブルから外した。

「そろそろ、夕飯の時間ですね」
「時間の感覚狂ってるから、朝飯感覚だけどな」

 混まないうちに行くか? と聞くと、志摩宮は少し考えてから首を横に振った。

「先に風呂入ってからでもいいですか」
「別にいいけど」
「寝汗で体気持ち悪くて。先輩はどうします?」

 言外に一緒に入りますか、と聞かれているのだろうか。
 前に一緒に入った時は股のデカブツに意識が持っていかれてしまったが、今はたぶん志摩宮の裸を見るのもアウトな気がする。

「いや、俺は飯の後でいいや」
「そうですか」

 俺のが反応してしまったら事なので遠慮した。
 志摩宮が着崩れた浴衣の腰紐を緩めながら脱衣所に向かうので、慌てて視線を逸らす。はだけた胸元から素肌が見えるのだけでも鼓動が早くなってしまう。一緒に入ったりしたら……、うん、無理。
 落としたままだったスマホを持ち上げ、志摩宮が風呂に入ってる間は部屋から出ている事にしようと立ち上がった。
 部屋の窓から露天が見えるのは、カップルや小さい子供連れなら良いのだろうが、今の俺には酷だ。いや、片想い相手と同じ部屋に泊まるこんな状況自体、普通想定できないものではあるのだろうけど。

「……静汰、どこ行くの」

 テーブルに置いておいた部屋の鍵を取ろうとした俺の手に、志摩宮の手が重ねられて一気に心臓が跳ねた。

「ちょ、ちょっと、外に……少し腹減ったから、お菓子でも買ってこようかと」

 顔を上げたら、俺を見下ろす緑の瞳とぶつかった。
 敬語がなくなっているから、ようやく目が覚めたらしい。

「俺も行きたいから、上がるまで待ってて」
「あ、うん」

 さす、と手の甲を撫でられて、思わず頷いてしまった。志摩宮の指は温かくて、意外とすべすべした感触だった。それが俺の手の甲を何度か撫でて、最後にとんとん、と軽く叩いてから離れていった。
 ちゃんと待ってろよ、と言われた気がする。
 今度こそ脱衣所に向かった志摩宮は、どうやら露天ではなく内風呂に入ったようだ。何枚かの扉越しに、シャワーの音が聞こえてきた。

「……びっくりした」

 志摩宮に触れられたそこに反対の手で触れてみようとして、勿体無い気がしてやめる。憧れの芸能人と握手して「もう一生洗いません!」なんてベタなのを、いや洗えよ、と笑っていたが。やっとその気持ちが理解できた。触れてもらえたそこが、素晴らしく特別な場所に思える。
 洗いたくないわ、これは。
 自身の手の甲を見下ろし、苦笑した。
 恋というのは、かなり知能指数を下げるらしい。
 ここにキスしても間接キスになるだろうか、なんて考えて、更に志摩宮の指に唇を寄せるのを想像してしまって、手の甲がむず痒くなってくる。
 指に唇を寄せたら、志摩宮はどんな反応をするだろう。驚くだろうか。引くだろうか。一番ありそうなのは、真顔で困る、か。
 どれでもいい。志摩宮に触れて、キスしたい。
 抱き締めて押し倒して、彼の身体を舐め回したい。
 突然湧き出した劣情を、瞼を閉じて必死で抑えこもうとする。それをしたら、志摩宮は離れていくぞ、と何度も自分に言い聞かせた。
 メリットよりもデメリットが上回る事はしない。それが俺だろう、と。頭の冷静な部分は確かにそう言っている筈だし、それに納得もしているのに。嫌だ、と叫ぶ心がうるさい。
 志摩宮が風呂から上がってくるまで、俺はそうして自分と戦っていたのだった。

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