神は絶対に手放さない

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神は絶対に手放さない

20、染井川先生の講釈

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 何体も、何体も。
 切れ目無く、死霊が湧いてくる。
 両手で浄化の紋を飛ばし、それでも抜けてきた奴は加護で強制的に浄化。俺の真後ろには紋浄班が五人ほど待機しているが、彼らは染井川の命令通り、大物──複数の人の混合体、人の意識を持つ物の怪に成り果てたもの──だけを相手にしているので、死霊に関しては俺一人で処理しなければならない。
 一体一体は弱いが、とにかく数が多い。
 浄霊が始まってから、まだ体感で二時間ほど。だが、昨日の疲れも回復しきっていない俺は、振り回す腕ももう疲れてきた。

「足縺れてんぞー。転けるなよ」

 俺の後ろで紋浄班と一緒にブルーシートに座っている染井川は、今日も煙草をふかしてサボり中だ。これだけ堂々とサボっているのに、誰も染井川に文句を言わない。対して俺は、一匹でも自分より後ろに逃すと舌打ちされる。

「威勢のいいこと言ってたが、所詮は神無神子だな。経すら唱えられねぇとは」

 拍子抜けしたような染井川に、しかし言い返すだけの気力も残っていない。
 染井川の言う通りだからだ。こんなの、経を唱えればいいだけだ。神様から供給される無限に近い俺の霊力なら、この浜辺全てをカバーして浄化し続けられる。そしてそれは、神子なら当たり前のことだろう。
 所詮、神無神子。侮蔑の言葉も、神子でもないのに俺より秀でた能力のある染井川に言われてしまえば、ただの事実だ。
 蛍吾の考えてくれた経を唱えれば、俺にだって出来ることは出来る。が、あの馬鹿っぽい経を唱えたら、染井川に更に馬鹿にされるのが目に浮かぶ。

「ぁ……」

 気が散っていたからか、三体程が俺の後ろに抜けようとした。
 ──また舌打ちされる。ただでさえ神無神子と蔑まれているのに、さらに見下げられるのは、嫌だ。

「『神よ、我らの神よ。貴方を信じ、貴方を敬う為に有るこの小さき命を導きたまえ』」

 小さく経を唱える。真っ暗な闇の中、星屑のような瞬きが俺を中心に溢れ出た。
 一節唱えただけの祝詞で、予想通り砂浜全域の霊達が一斉に消滅する。
 きらきらと輝く、しかし見間違いのような小さな光。月明かりを反射した砂のようなそれらが、波打ち際から湧いて出る霊に絡みついて強制的に浄化していく。
 ほう、と染井川が感心するような声を出したので、少しだけ胸がすっとした。
 けれど。 

「『全てを見通し常に我らと共に有る貴方への愛を』……、っ」

 不意に視界が真っ暗になる。逃げようもなく、意識が途切れた。

「──い、おい、まだ起きねぇのか。おい、静汰」

 ふ、と意識が浮上する。
 低い声が間近から聞こえる。

「静汰、おい」
「呼び捨て、すんな……」

 目を開けると、染井川の顔が真上にあった。視線を動かして確認すると、彼に膝枕されるように横たえられていた。

「どれくらい寝てた」
「三分くらいだな。ったくよ、お前、倒れる前に言えや」

 正面から倒れたのか、顔が砂まみれだ。ぺっぺ、と口の中に入った砂を吐きながら上体を起こしたら、ズン、と側頭部が重く痛んだ。

「知ってて煽った俺も悪かったがな。お前、実戦だったら死んでたからな」

 知ってて、という言葉に引っ掛かりを覚えて続きを促すと、染井川は「少し待て」と言ってから紋を描き始めたかと思えば、馬鹿デカい浄化紋を海辺に横一文字に展開させた。波と共に上がってきた死霊たちが、柵のようなその紋に触れては霧散していく。

「……すげー」
「だろ」

 思わず呟いた言葉に、染井川が得意げにふふんと笑うので唇を噛んだ。

「呼霊班は三十分休憩。デカブツに備えて紋浄班は一人ずつ交代で休憩」

 染井川が号令をかけると、浜辺の構成員たちがのそのそと施設へ戻り始めた。
 そのうちの一人が寄ってきて、俺にタオルを差し出してくれる。

「ありがとうございます」
「いや、ごめんね。うちのボス、本当いじめっこ体質で」

 年は二十代半ばくらいだろうか。中肉中背の優しそうな男に、砂払うといいよ、と言われて、自分が顔だけでなく全身砂だらけな事に気が付いた。
 砂浜に倒れ込んだのだ、当たり前だろう。借りたタオルで有り難く砂を払うと、染井川は唇を尖らせて俺を詰った。

「誰がいじめっこだ。つーか静汰よ、お前俺にはタメ口の癖に、森には丁寧にアリガトウゴザイマス、なんておかしくねーか」
「俺は普通の人には敬語使うんだよ。年関係無く」
「普通ってなんだ、ここにいる時点で誰も普通じゃねーだろうが」
「敵意バリバリで会う度にイビってくる奴には敬語使わねーって話だっつの」
「誰が敵意なんて出した、ちょっとした軽口だろうが」
「あんたどこの京都人だよ、軽口の精度高過ぎんだよ。毎度毎度、人の傷口抉って塩水流し込んできてるじゃねーか」
「お前の傷口が浅くて柔っこすぎんだろ」

 売り言葉に買い言葉で言い合う俺と染井川の姿に、森と呼ばれた男はぽかんと口を開けて見ていた。染井川の知り合いなら、不毛でやめ時の見えないこの言い合いを止めて欲しいのに。

「ああ……すごいねぇ、静汰くんすごいねぇ。染井川さんが気に入るわけだ」
「はい?」

 俺が砂を払い終えたのを見て、森さんは俺からタオルを受け取って立ち上がる。

「染井川さんの実力見て反抗出来る人、ほとんど居ないよ。だって強すぎるもの。さすが神子様だね」
「……」

 さすが、と言われても、ひとつも嬉しくない。言っている内容はともすれば皮肉に聞こえそうなものだが、森さんの表情は明るく、とても楽しそうだ。

「じゃあ、ボスよろしくね。俺は休憩行ってくるから」
「おい、逆だろ。俺がこいつのお守りしてんだ」

 ブルーシートの上で、落とした砂を砂浜の方に落としながら、森さんに手を振った。「じゃあねー」と手を振り返してくれた森さんに好感を持った。
 組織の構成員は、あまり神子に近付かない。普通の神子が本部に引き篭もりっぱなしというのもあるだろうが、彼らは神様の加護なんて無しに、自分の実力だけで霊や怪異と対峙するものだから、加護持ちの神子に対して、染井川ほどあからさまでは無いにせよ、良い感情は持っていないのがほとんどなのだ。
 神子のくせに、この程度の場の浄化すら任せられないなんて。さっき聞こえた、いくつもの背後からの舌打ちの音が耳に蘇って、ぐっと奥歯を噛み締めた。
 深呼吸して、気持ちを切り替える。

「っ、うわ、なに」
「……お前が経で寝ちまうのは、お前の所為じゃねぇ」

 染井川に急に耳朶を触られて、ぞわっとしたものが体に走って身構えた。何をするのかと聞こうとする前に、俺の耳から払った砂を砂浜に撒いた染井川は、俺と視線を合わせて話を続ける。

「お前の『神様』だ。そいつが意図的に、経を詠いだすと気絶するようにお前の意識に仕込んでやがる」
「なにそれ。そんなの、蛍吾からも聞いたことないし」
「蛍吾じゃまだ見えねぇだろうからな」

 意味深に染井川が俺に伸ばしてきた手を、俺はいつものように振り払えない。
 染井川の瞳に、揺らめく光の色が見える。彼には、俺の神様が見えている──?

「痛っ」

 俺の頰に触れようとしてきた染井川の手に、飛んできたペットボトルが当たって目を丸くした。どこから、と投げられただろう方向を見ると、片手にもう一本ペットボトルを持った志摩宮が走ってくるところだった。

「倒れたって聞いたけど、大丈夫か」
「え、ああ、うん」

 走り寄ってきた志摩宮は、染井川に投げたペットボトルなんてどうでも良いようで。俺にお茶のペットボトルを差し出して、心配そうにブルーシートに膝をついた。

「怪我は無い?」
「どこも無いよ」
「飲み物渡したら戻れ。邪魔だ」

 心配そうに寄ってくる志摩宮を宥めていると、染井川が冷たく言い放つ。
 俺に嫌味を言う時のような揶揄う素振りの無い冷めた声音に、志摩宮が染井川を睨み上げた。

「あんたが邪魔だ。静汰に寄るな」
「何の力も無いやつが何言ってんだ。素人は素人らしく、おウチの中で守られてろ」

 睨み合う二人に危ういものを感じて、間に割って入った。この二人は喧嘩させちゃいけない気がする。

「志摩宮、飲み物ありがとう。でもまだ仕事残ってるから、ここは危ないしあっち戻ってて」
「静汰……」

 志摩宮が叱られた犬みたいな表情をするので、罪悪感に胸が痛む。でも、このままここに居させて染井川の機嫌を損ねて昨夜の二の舞になるのは御免だ。
 な、と言い聞かせると、志摩宮は素直に施設へ戻っていった。途中二度ほど振り向いたのが、なんだか小さい子供みたいで可愛かった。

「にやけたツラしやがって」

 心と一緒に顔面も緩んでいたのか、俺を見た染井川が鼻で笑った。その言い方はまたさっきまでの皮肉を含んだ調子で、何故志摩宮が絡むと変わってしまうのか首を傾げる。

「で、さっきの続きだけどな」

 染井川は志摩宮に投げつけられたペットボトルの蓋を開けて水をがぶ飲みすると、ふぅと一息吐いて俺にまた手を伸ばしてきた。

「俺の目を見てろ。断片くらいなら映るはずだ」

 顎を掴まれ、吐息のかかる距離まで詰められて動けなくなる。
 染井川は目の前の俺ではなく、俺の後ろを見ていた。左に寄った彼の目玉に、微かに色が映る。
 ──緑色。
 恋しい相手を連想させる色に、一瞬息を飲んだ。俺はどうやら、緑色に惹かれる性質があるようだ。

「っつう」
「……大丈夫?」

 目頭を押さえて痛がる様子の染井川に、彼の持っていたペットボトルの蓋を開けて口元に持っていってやると、「ありがとな」と、やけに素直にそれを飲んだ。

「ちったぁ見えたか」
「なんか、緑色のが」
「緑、緑な……。ああ、まぁ緑か。俺には真っ黒に見えたがな」

 染井川は考え込むようだが、色が見えただけでどうだというのか。

「お前の神様はな、人に害をなす神じゃねえ。だが、俺に言わせりゃ厄介なタイプだ。お前が経を詠えないのは、お前が『他の神の為に作られた経で他の神に愛を乞うのが許せないから』だ」
「他の神の為に……え?」
「要は、自分以外の神を敬うな、って思ってんだ、お前の神様は」

 聞き返した俺に、染井川が分かりやすく要約してくれた。
 うん、分かりやすい。分かりやすいが……なんなんだ、俺の神様。

「姿も見せてくれないくせに……」

 呆れて口に出すと、染井川が真面目な顔で首を振る。

「姿を現さねぇのは、神様の親切心かもしれねぇぞ。俺の経験上、こういうタイプの神様はかなり執着心と独占欲が強い。姿を見たら最後、そのまま依代として魂連れてかれちまうってのも有り得る」
「マジで」
「大いに有り得る」

 染井川は、大袈裟に言っている訳でも、俺を怖がらせようと嘘を言っているようにも見えない。本当だとすれば、相当厄介なんだけど。

「弱すぎて他の神様に存在が感知されないって聞いたんだけど、そんな神様でもやっぱ厄介?」
「弱い? 逆だ馬鹿、強いから感知できねぇように隠れられるんだろうが」

 馬鹿呼ばわりされて、言い訳がましく「でも蛍吾が……」と呟いたら、はあ~、とため息付きで呆れられた。

「蛍吾の事、信用してるみてーだけどな。あいつ、お前を守る為ならお前にも大嘘吐く奴だぞ」
「……それは知ってる」
「だろ。つまり、お前もそろそろテメエの頭で考えろって事だ」

 わしゃわしゃと頭を撫でくり回されて、髪の間に入っていた砂粒が落ちてきて顔が痒くなった。顔を掻いて砂を落としていると、染井川が大きく伸びをして立ち上がった。

「で、だ。まずお前は、経を読めるようになれ」
「え。俺の神様のせいで詠えないって言ったの、染井川さんじゃん」
「『さん』が付いたな。俺も普通の範囲になったか?」
「いや、口が悪いだけの人だって分かったから怖くないかなって」
「お前な。……まあいい、見てろ」

 染井川は咥えた煙草に火を点けると、右手をまっすぐ前に出した。
 すう、と大きく吸って、はぁ、と小さく長く吐く。
 彼がしたのは、確かにそれだけだった筈なのに。
 染井川の周囲に、経を唱えた時と同じ、空間を浄化する効果が表れた。俺のように光が瞬いたりはしない。他の構成員たちのように、目視では特に何も変化なく、ただ確かに空間は浄化されていく。

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