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神と貴方と巡る綾
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しおりを挟む静汰と志摩宮が小道の奥で姿を消すと、晴れていた筈の空が急激に崩れ始めた。しとしとと小雨が降り出したと思ったら、すぐに土砂降りになった。
この仕事の最中はヤマの気配を感じた妖怪が付近で暴れ始めるから、他の組織の術師たちも大量に待機している。それらが慌てて木陰や屋根のある場所を求めて近くの公園へ向かってしまったものだから、黒スーツの集団で埋め尽くされるという異様な光景が出来上がってしまった。
自分の周りに壁の紋を掛けて周辺の妖怪の気配を探って、それから「やられた」と舌打ちした。
「なにか言いましたか、染井川さん?」
豪雨で声が届き辛く、森が聞き返してくるのに、公園の外を指差して出せる限りの声量で叫んだ。
「今すぐ公園から出ろ!! 全員だ!!」
何事かとこちらを見る術師たちに先じて、俺の言葉通り森が公園の外へ向けて走り出す。が、見えない境目に当たって尻餅をついた。森の姿を見て、ハッと気付いた術師から自分の持てる術を使ってその場からの脱出を試み始めた。
「クソッ、なんだこれ、壊れない! 結界じゃないのか!?」
「外側に出られない! 向こう側に繋がらない!」
「おい『トナリグミ』! お前らんとこの紋は!」
「無理です、こっちも効きません!」
一箇所に集められた数百の術師が、どれだけ術を行使しても『ここ』から出られない。誘い込まれたのだ。どうにか出来ないかと他組織との術と絡めたりしてみるが、誰もが突破口を見い出せないままでいるうち、その場にまた存在が増えた。
──数百の、妖怪の気配。誰もが息を呑んで、一箇所を見つめた。
「無理だよ。もう逃げられない。この中が最後の一人になるまでは、誰一人として出られない」
大量の沸き立つ妖怪を後ろに従え、小柄な少年が立っていた。
愛らしい造りの顔に、醜悪に歪んだ表情。一目で誰が敵かを分からせる、圧倒的な邪の気配。
ここに来ているということはそれなりの術師だろうに、可哀想にその気配だけで心を侵されてその場で嘔吐を始めた者も居る。
おそらくこの場で一番力があるのは自分だと、奮い立たせて一歩前に出た。
じゃり、と砂を踏んだ音に、少年の視線がこちらへ向いて、薄ら笑いを向けてくる。
「あれ、君がこっちだったのかぁ。神様を狙うって言えば、静汰くんはこっちに回してくれると思ったのに、残念だよ。あの子、霊力量はそれほどでもないけどすごく美味しそうな魂だから」
きっとこの子たちの美味しい餌になってくれたのに、と目を細めた少年に、俺も笑みを返した。気迫で負けたらその時点で終わりだ。神子である俺が負けたら、この中の全員が負ける。
「バレバレなんだよ。つーか、人間ですら箱に封じるのに失敗してきたような三流術師程度が神を狙うなんて、ありえねー嘘に騙されるわけねぇから」
ハ、と嘲笑うと、少年は眉間に皺を寄せた。三流と呼ばれてプライドが傷付いたのか。自分の為に他人を犠牲にするのを厭わない程度の精神年齢の彼には、自分を見下げられるのは耐えられないのだろう。
「バレバレなら、どうしてこんな簡単な罠にかかったのさ?」
「こんな結界、ここに居る術師が全員でやりゃあすぐ解ける」
「解けないよ。これは結界じゃなく蠱毒だから」
フフン、と少年は自慢げに俺の言葉を鼻で笑った。
「……蠱毒だと?」
「そうだよ。ここは現実じゃない。僕の作った箱の中だ。この箱の中で、君たちは皆で殺し合う。最後の一人にならないと外には出られない」
少しだけ動揺しているように見せる為、周囲に視線を回して見せる。俺の視線を受けた術師たちが、『分かっている』者たちは目で頷いてきた。このままもう少し話をさせて、ここがどんな造りなのかを解き明かす。少年をどうにかするのはそれからだ。
「……そんなん、作り手のお前を殺せば」
「浅慮だなぁ。僕を殺したら誰もこの箱から出られなくなるよ?」
「……」
「僕が死んだら向こうとの繋がりが切れるように作ったんだ。つまりね、君たちのうち誰が生き残ったとしても、僕を殺さなければ『最後の一人』にはなれないし、僕を殺せば向こうには帰れなくなる」
理解出来た? と言われ、「反吐が出る」と吐き捨てた。
少年が勝者になるしか有り得ない蠱毒。ここに居る術師も妖怪も、全てを練り合わせて自分の糧とするつもりで作ったのか。静汰を向こうに回して良かった、と心の底から安堵した。
「俺たちが殺し合わないと言ったらどうするんだ」
「そうなったらずっと一緒にこの蠱毒の中で生きていくしか無いかなぁ。ここは時間とも切り離されてるから、餓死もしないし」
「──つまり、お前自身も自分の意思では外には出られないってことか」
はい? と少年は首を傾げた。
「外に出たらせっかく作った蠱毒の力が手に入らないでしょ。俺が勝たないと誰も出られないんだから、大人しく殺し合うかこいつらに喰われてよ」
もう質問タイムは終わり、と妖怪を嗾しかけようとした少年へ向かって、大きく笑い出した。ハハハハ、と心底楽しいみたいに笑う俺に、少年は警戒したように動きを止める。
「おいお前ら、この妖怪共だけならいけるな?」
背後の術師連中を振り返り、笑いを止めて実質命令を下した。森や沖、昔の俺の部下たちは黙って頷いてくれる。
「何を言って……」
「シマミヤ!」
俺の意図が分からなくて苛立つ少年の前で、神様を呼び付けた。
ひらりと薄衣を翻し、最初からそこに居たみたいに、シマミヤは俺を見つめていた。
「これだろ、お前の言ってた『数百人』と『三人』」
彼は俺を見つめたまま、何も答えない。それでいい。それが答えだ。
「神様。依代になる俺の魂を引き換えに、奇跡を起こしてくれ。この蠱毒の中から、俺とそいつ以外を出せ」
「なっ……!」
目を剥く少年の前で、シマミヤは踊るように腕を振った。くるりと回った後、彼の姿と共に、そこに居た術師と妖怪、全ての気配が掻き消える。
この場に残ったのは、俺と少年の二人きり。
「何をした!」
土砂降りの中、どれだけ少年が首を振っても、俺以外の人間は見えないだろう。
「聞いてたろ? 神様に奇跡を起こしてもらったんだよ」
「お前……! ふざけるな! 僕がどれだけ苦心してこの箱を作ったと……!」
「殺人鬼の道具自慢とか興味無ぇんだよ」
地団駄を踏んで悔しがる様に、急に煙草を吸いたくなって胸ポケットから取り出して火を点けた。すぅ、と苦い煙を吸うと、肺の奥が重く煙る。
これでいい。これで良かった。静汰一人を救うよりきっと、この道の方が静汰は喜ぶ。静汰もきっと、こちらを選ぶ。自分一人の満足より、きっとあいつは多くの笑顔を選ぶ奴だから。
「──父さんの仇、とらせてもらうぞ」
半分ほど吸ってから、それを地面に落として靴底で擦り消した。ここは蠱毒の中だし、このままにしても問題ないだろう。
「はあ? だから、僕を殺せばお前は向こうに帰れないって」
「何度も言わなくても分かってっから」
シマミヤを喚べたということは、向こうからの供給は続いているということだ。蠱毒の中ですら俺は神子で、つまり、周囲が壊れるだのなんだの、細かい事を気にせず暴れ放題なわけだ。
「出来過ぎなくらい、復讐にうってつけの舞台だ」
神様の采配か、と笑った俺の表情に、少年が初めて怖気付いたみたいに後退った。
手っ取り早く、破邪を馬鹿みたいに重ね掛けして投げ付ける。大量のそれに隠れるようにして自分へ身体強化の紋を掛けて、物理的に殴りに行った。
俺の霊力は無尽蔵。
対して、少年は術師としての格は俺より上のようだったが、それは霊力あってのものだ。
彼からどんな攻撃を受けても俺は即座に治癒の紋で治せるし、割られても割られても壁の紋を掛けられる。
カシャ、カシャ、と使い終えた箱が少年の懐から落ち、彼が術を行使する度、その見た目を崩していく。
勝負は、始まった時点で決まっていた。
「……あぁ、もう、やめだ」
ごとりと最後の箱を落とした少年──で、あったものが、ギリギリそう聞こえる声で呟いた。崩れた肉の塊のような物体が、頭らしきところから声を出す。
数十歳どころじゃない。一体どれだけ生きれば、肉体がここまで朽ちるのか。ここまで生きてさえ、まだ生きたいか。
「僕を殺したら……お前、一生ここで……一人なんだよ……? 馬鹿じゃないの……」
動くのをやめたのをそれ以上いたぶる趣味もなく、彼に向けてゆっくりと紋を作る。
肉体の消滅。魂の崩壊。輪廻からの切り離し。俺の中にある全ての恨みを込めて作ったのに、その紋へ霊力を通している間、心は静かに凪いでいた。
「構わねぇよ」
十分に霊力を込め、少年だったものに紋を飛ばした。
ぼしゅ、と一つ黒煙を上げて、そして消え去る。残ったのは、黒い煤。燃えた証のような、地面の焦げ跡だけだった。それも、強く降り続ける雨に溶けて消えていく。
「……っぅ」
胸に痛みが走り、その場に倒れ込んだ。
ああ、そうだ。あいつを殺すと、外側との繋がりが切れるんだったか。シマミヤとの繋がりが切れたから、霊力の供給が断たれた。つまり俺は、終わりだ。
ぬかるむ泥は冷たく、頬に当たる雨粒はでかくて痛い。
ここは向こうから切り離された。俺がこの蠱毒の中で死んでも、魂は向こうへ還れない。蠱毒がそのままの限り、俺はシマミヤの依代として彼の元へ行くことも出来ず、ただこの中で永遠に彷徨い続ける。
「ごめんな」
最後くらい、俺の甘えを叶えてくれよ。
降り続ける雨に打たれながら、霞む意識の向こうに静汰の姿を見たくて目を閉じた。
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