Ωの恋煩い、αを殺す

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 学校のロータリーに着いた車が、ゆっくりと停車する。
 横に置いておいた鞄を掴んでドアノブに手を置こうとする前に、先に助手席から出た継則つぐのりが外から開いて「どうぞ」と言った。

「ドアくらい自分で開けられるよ」
「仕事ですので」

 継則は、うちのお手伝いさんである木下さんの息子だそうだ。
 二日前に顔合わせをしたばかりで、まだ慣れない。二十五歳で、大学を卒業してからはホテルでコンシェルジュをしていたそうだ。すらっと背が高く物腰たおやかで、常に伏し目がちに見える双眸は長い睫毛が印象的で、俺よりよほど色気がある。
 βなのにΩと間違えられる事も多いらしく、客から邪な視線やセクハラ紛いの扱いを受けるのが嫌で転職しようか悩んでいるところへ、前々から俺に専属の付き人を付けたがっていた母さんに声を掛けられたんだとか。
 年上を呼び捨てにするのは抵抗があるけれど、初対面にさん付けで呼んだらにっこり笑顔で「雇い主が雇い人に気を遣ってはいけません。侮られます」と叱られた。
 付き人なんて要らないのに。
 溜め息を喉の奥に飲み込んで、礼を言って車の外へ出た。俺の我儘で、前職を辞めて雇われたばかりの彼を失職させるわけにはいかない。昨日から俺の傍付きを始めてもらったのだけれど、彼の仕事ぶり自体には何の問題も無かった。

「鞄をお持ちします」
「自分で持てる」
「では、代わりに靴をお脱ぎするのを手伝っても?」
「……鞄を」
「はい」

 仕事自体には、問題無いのだけど。少し我が強いというか、『自分の仕事をする為なら主を蔑ろにしても構わない』と思っていそうな節があるのに閉口することはある。さすが母さんが選んだだけある。
 濃紺の地味なスーツを着た彼は、それでも尚見目の良さは色褪せない。好色な生徒に絡まれないように気を配ってやらなければ。
 校舎の方へ目をやると、昇降口から乾が出てくるのが見えた。
 踏み出そうとしていた足が凍りつく。じり、と後退りしそうな俺の身体を継則が後ろで抱き留めた。

「……あの方ですか?」

 小さく問われ、その目がまっすぐ乾に向いているのを悟ってゆっくり頷いた。

「夏休みはとっくに終わってるぞ、唐島」
「わざわざ嫌味を言いに校舎から靴を履き替えて出てくるなんて、君も暇な男だな。その時間を勉強に充てたらどうだい」
「……体調には問題無さそうだな」

 乾の言う通り、もう二学期はとっくに始まっていた。
 今日まで登校出来なかったのは、発情期が長引いたのと、それに関係して色々な状況が変わってしまったからだ。全く、面倒くさい。

「風邪でも引いてたのか? 鬼の霍乱だな」

 歩き出した俺と乾の間に、ごく自然に継則が身を割り込ませてきて、乾が彼を見て低い声で「下がれ」と命令する。

「申し訳ありません、私の主は透様ですので」
「俺はこいつの番候補だ。間に割り込むな、邪魔だ」
「乾。俺の付き人に絡むな。仕事をしているだけだろう」
「わざわざ間に入る必要は無いだろうが。俺の付き人みたいに、遠くから眺めてろ」

 乾が視線を向けた先に、彼の付き人が心配そうに立っている。それを見た継則が低く「怠慢だな」と呟いた。まだ勤めて数日なのに、継則のプロ意識の高さには呆れる。木下さんの真面目なところはしっかり彼に遺伝しているらしい。

「というか、お前に付き人なんて必要か?」

 なんでも自分で出来るだろ、と言われ、肩を竦めるしかない。

「今まで自由を謳歌し続けてきたツケが回ってきたんだよ」
「風邪引いて急に息子が心配になったのか? 過保護なのか放任なのか、お前の親は分からんな」
「……風邪じゃない。発情期だ」
「は」

 伸びてきた手が、俺を捉える前に継則によって掴まれて、俺は彼の身の後ろに隠される。素早い身のこなしに乾が目を見開いた。乾の付き人──長押なげしが、慌てて走ってくる。

「あの、乾さんが何か……」
「自分の主がどんな行動をとったか、見えない位置に居て何になります。貴方の仕事は待つだけの愛玩犬ですか?」
「え……」

 乾から手を離した継則は長押にまで毒を吐き、言われた長押は困惑したように眉を下げた。

「特に何もしてない。うちの犬が過剰反応しただけだ。すまないな、長押」
「透様。何もされていないのは、私が止めたからでしょう」
「乾は俺に何もしない。下がっていろ」

 評価されないのは不満とばかりに眦を吊り上げる継則に、たまらず溜め息を吐いた。有能なんだろうけれど、少しばかり過保護過ぎる。それが仕事と言われても、さすがに少し、鬱陶しい。

「乾、そういう訳だから、俺に触れないように今までより気をつけてくれ。うちの犬はまだ主人の命令が聞けないようだ」

 透様、とまた恨みがましい声音で呼ばれたけれど無視する。
 俺の数歩後ろに下がった継則を忌々しげに見て、乾が手首を摩りながら腕で長押を横に追いやって俺の方へ詰め寄ってくる。

「発情期は薬で何とかしてるんじゃなかったのか」
「してたさ。けど、どうにも抑えられなくてね」

 だいぶ困ったよ、と素っ気なく返事をして歩き出す俺に、乾がまた手を伸ばしてこようとして、開いた手を握り込んで俺の前に回り込んできた。歩みを止めた俺の正面から、乾が覗き込むように顔を寄せてきてその不気味さに息を呑む。

「誰と過ごした」
「……?」
「俺には連絡が来なかった。俺を番候補にした後だろう。誰と過ごした。誰を選んだ。俺以外に触れさせるなと、約束したのを忘れたのか」

 低い声でボソボソと話すのは、周囲に聞かれたくないからだろうか。
 始業ベルが鳴るまであまり時間も無く、周囲には急ぎ足の生徒がまだ多い。さっきからの遣り取りも見られている自覚はあって、だからあまり知られたくないのだろう。俺の番候補になったなんていうのは。

「誰も呼んでない。俺は約束は守るよ」
「そんな訳が……」
「初めての経験だったけれど、……散々だったよ。寝てる間に点滴されてどうにか生きていたらしいけれど、二週間近くまともな思考が戻ってこなかった。もう二度と経験したくないね」

 ああ恐ろしい、と自分の腕を抱いて震える仕草をすると、目を細めた乾が舌打ちした。

「まあ、この程度、次の定期考査に支障は無いけれどね」

 だから君が不安に思うことは何も無いよ、と乾の横を通り過ぎようとして、その前に通せんぼでもするみたいに腕が伸ばされて首を傾げた。

「そろそろ始業だよ?」
「なんで呼ばなかった」

 何で、って。口を噤み、ただ口元を微笑ませるのを答えにする。
 嫌がる君に抱かれたくない、なんて。言葉にしたらきっと、また発情期の最中みたいにみっともなく泣いてしまう気がする。
 ちょうど良く予鈴が鳴ったので、乾の腕をどかして足を動かした。制服の上に薄いカーディガンを羽織った彼の体温は分からない。それでも、触れた時に心臓が跳ねた。ああ、やっぱり俺は、乾が好きみたいだ。

「……あ。言い忘れていた」

 伝えるかどうかすら迷っていたのだけれど、今こうして顔を合わせているのだから、ついでに話しておいてもいいかと乾を振り返った。
 バチ、と合った視線が、熱に絡め取られて一瞬目眩のように視界が揺らいだ。
 フラついた身体を継則が駆け寄ってきて抱き留め、心配そうに声を掛けてくる。

「透様、まだお加減が?」
「いや、そんな事は……」

 体調は悪くなかった筈だ。外で立ち話をするには少し長かったかと、照り始めた太陽を仰いだ。
 乾に視線を戻そうとすると、鼻腔に馴染み深い香りが漂ってきた。──ラベンダーのような、落ち着く香り。布団に入るといつもする、あの匂い。
 どうして屋外のここで、と周囲を見回してみるけれど、当然匂いの元になりそうな花は見当たらない。

「唐島」
「ん? ああ、話の途中だった」
「次にもし、発情期が薬で抑えられないことがあったら……」
「そう、その話だ」

 スン、と嗅ぐと、どうやら匂いは乾からのような気がする。さっきまでしなかったそれが、どうして急に。
 しかし不思議がっているのは俺だけで、長押も継則も気にした様子は無い。
 何の匂いだろう。ひどく落ち着く。眠りを誘われてしまいそうになる。この匂いは、俺を安心させる匂い。毎晩俺を抱いて寝てくれる匂い。
 フラフラと吸い寄せられるように数歩乾の方へ歩いて、しかし継則に止められてしまう。

「乾様。貴方、何かしていますか」
「……何のことだ」

 乾の視線が、俺ではなく継則に向いているのが、無性に嫌な気がする。

「乾」

 俺が呼ぶと、乾はすぐにこちらを見てくれた。それでいい。乾は俺を見てくれていればいい。
 頭がふわふわする。どうしてだ。発情期は終わった筈なのに。
 目元を擦り、目眩を取りたくて頭を振った。何か、おかしい気がする。

「唐島、話ってなんだ」
「ああそう、そうだ。話、発情期の……次の発情期がくる前に」

 俺の話す言葉を一言すら聞き漏らすまいとしているみたいに、乾がじっと見ている。
 しかし、続けた言葉に、乾は返事をしてくれなかった。

「定期考査があるだろう。次が、お前の相手をしてやれる最後だ。悪いな」
「……え、えええぇっ!? あの、唐島様!? 定期考査は三学期もありますよ? それに、乾様は大学も唐島様と同じく」
「次の発情期が来る前に、見合いをする事になったんだ。誰が相手か知らないが、番えばもう俺は好きなだけ勉強していればいい、なんて環境には置いてもらえないだろう」
「み、見合い!? なんでそんな急にっ」

 乾の代わりに驚いたような長押が話し掛けてきて、それを継則が片手で押し留めた。長押が直接俺に話し掛けてきたのは初めてだけれど、気後れしないその勢いにさすが乾の付き人を務めているだけある、と納得した。

「発情期で熱に浮かされて色々父に話してしまったみたいで……、発情期を共に出来ないような番候補しか選べないなら、勝手に親が選ぶ、と」
「そんな……唐島様の母上は、恋愛至上主義で有名でしたのに」
「あまりにも俺が不甲斐ないから、かな。……もっと遊んでいたかったのに、ごめんね」

 黙ったままの乾に、ニコ、と微笑みかけるが、やはり何も言ってくれない。
 俺を見る視線は冷たく、そういえばいつの間にかあの花の匂いも消えていた。なんだったのだろう。

「──次は」

 これで話は終わり、と歩き始めた俺の背に、やっと乾の声が掛かる。

「絶対に、お前に勝つ」

 ああ。
 結局、それだけが俺の価値なんだな。
 振り向きもせず手を振って、「期待してるよ」と呟いた。

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