Ωの恋煩い、αを殺す

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「透先輩、そのキノコの肉巻き美味しそうですね」
「エリンギのこれかい? うーん……じゃあ、そっちの肉団子と交換ならいいよ」
「交渉成立~」

 俺の弁当箱に肉団子を入れていった奥田の箸が、エリンギの肉巻きを摘んで自分の弁当箱へ戻っていく。
 継則が眉を顰めているけれど、何も言わないので彼的にギリギリセーフなんだろう。
 生徒会室には、俺と奥田、そして継則。
 中間考査まで、あと一週間を切った。
 俺が新学期に学校へ通うようになってから、乾はここへ来ていない。
 継則は最初の数日は生徒会室の前の廊下で待っていたが、母さんが彼の分の弁当も作って持たせるようになったので一緒に食べるようになった。それから数日して奥田が顔を見せて、一緒に食べていいかと聞いてきたので了承した。
 そういう経緯で、ここ二ヶ月は三人で長机に弁当を広げて昼食をとっている。

「……奥田様」

 継則が箸を止めて奥田へ視線を向けたので、止めはしないけれど注意はされるんだろうか、と様子を窺ったら、じっと自分の弁当箱を見てから、「エリンギ、お好きですか」と呟いた。

「好きだけど?」

 奥田が首を傾げると、継則はエリンギの肉巻きを摘んで奥田の弁当箱へ入れた。

「……継則。君、もしかして」
「誰にでも苦手はあるものです」

 ニヤニヤと口元を笑ませると、鋭い視線に睨まれた。

「母さん、苦手だって言えば減らしてくれるよ?」
「好意で作って頂いているものに文句を言うなど……」
「いや、料理は母さんの少ない趣味だから。美味しいって思われたくて作っているから嫌いな物は入れないんだ、って以前言っていたよ」

 自分で言いにくいなら俺からそれとなく伝えておくね、と続けたら、継則は珍しく行儀悪く箸先を噛んだ。

「……エリンギだけが、苦手なんです。椎茸もなめこもシメジもエノキも大丈夫なのですが」
「分かった」

 いつも険しい顔の継則が眉尻を下げているのを見て、本当に苦手なんだな、と微笑ましい気持ちになる。二個入っていたうちの一個は早々に食べていたみたいだから、嫌いでも食べないという選択肢は取らないのが彼らしい。
 俺の付き人として彼が朝から晩まで働くようになって二ヶ月あまり。最初はどう扱えばいいのか分からず幾度も注意されたけれど、付き人としての彼の仕事を邪魔するような行動──例えば車の乗り降りでドアの開閉をさせなかったり、授業が予定より早めに終わって別の教室へ移動するのに彼に連絡を入れないとか──をしなければ、そんなに口煩いというほどでもなかった。

「それじゃ、俺はそろそろ」

 弁当を食べ終えると継則が持参したポットからお茶を振る舞い、それを飲みながら少し雑談をして、奥田は生徒会室を出ていった。
 それを見届けてから俺は生徒会室に鍵を掛けて、そして昼寝を始める。
 俺の昼寝癖を知らなかった奥田と継則にはそれこそ当初の乾よろしく「こんな所で」なんて叱られたけれど、それが抑制剤の副作用であることを説明すると渋々納得したようだった。
 無防備なΩを前に自制出来る自信が無いから、なんて言って奥田は昼寝を始める前には去っていく。

「何故奥田様を選ばないのか、不思議でなりません」

 ドアに鍵を掛けた継則は俺の隣へ座って、そしてそこで予鈴がなるまでじっとしている。本を読むとかスマホを使うとか、何かしていてくれた方がいいのだけど、それを言うとまた叱られるから俺が慣れるしかない。
 片付けた長机に腕を組んで突っ伏して目を閉じてはみるけれど、正直まだ一度もちゃんと眠れたことがない。眠いのにしっかり眠れず、しかし目を閉じているだけでも休息にはなっているようで午後の授業に差し支えはしない。
 眠いのに、どうしても眠れない。微かな物音ですら神経に障るみたいで、意識が落ちていかない。乾が居てくれた時には無かったことで、けれど、きっともう彼はここへは来ない。

「同感だよ」

 一度だけ、乾の付き人の長押が生徒会室へ顔を出したことがあった。乾は勉強に集中したいから中間考査が終わるまでここへは来ないつもりらしい、何も言わずに来なくなって申し訳ありません、と謝られた。
 乾からの言伝ではない。
 約束していた訳ではないから、と返したけれど、正直、乾にとってここでの時間はそれほど大切でも無かったんだろうと思うと胸が苦しくなった。付き人が居るなら自分が守らなくても構わないだろうと、その程度だったのだろう。
 嫌味の応酬を、穏やかな微睡みの時間を、楽しんでいたのは俺だけ。

「……早く、終わりたい」

 中間考査が終われば、見合いで俺の番が決まる。
 相手がどんな人間なのか全く聞かされていないが、そんなことはどうでもいい。頸を噛まれて番になれば本能ってやつが相手のαを愛するようにしてくれるらしいから、どうでもいい。
 早くそうなって欲しい。ハッキリと乾へ恋愛感情をもってしまってから、胸が苦しくてたまらない。毎夜毎夜、夢に見る。振り向いてくれない彼を追いかける。他のΩには笑う彼が、自分を睨みつける。キスをした後に後悔したような表情をする。せめて夢くらい幸せなものを見たいのに、過去に経験した現実と変わらない辛いものばかり。
 瞼を閉じても結局今日も眠れる気はせず、諦めて起きて勉強でもしようかと思い始めた頃。
 バン! と大きな音がして、驚いて目を開けた。
 顔を上げると継則はもう椅子から立ち上がってドアの方へ走っていた。

「──」
「──」
「──」

 どうやらドアの外、廊下から誰かがドアを蹴ったか叩いたかしたらしい。
 その相手と継則が言葉を交わして、けれど小さくて何を言っているか俺まで聞こえてこない。数メートルしか離れていないここまで聞こえないなんて、そんな小さな声で話すって事は継則の知り合いか何かなんだろうか。
 何事か起きたのでなければいいか、と会話を聞くつもりは無いんだと示すように頭を腕の上に戻した。
 廊下の誰かが去ったら、起きて勉強をしよう。
 そのつもりでどの教科にするか考えを巡らせていたら、急にふわりと花の匂いがした。頭が痺れるような、眠気のくる匂い。

「唐島」

 呼ぶ声に頭を上げる前に、後頭部に掌の温かさを感じた。

「眠れないよな」

 確認するような声に、微かに頷くと一気に匂いが強くなって、意識が遠のく。

「おやすみ」

 優しい声。そんな声も出せたのか、君は。そういうのは番にとっておけよ。
 嫌味を言いたいのに、もう唇は動かない。掌が、俺の頭を撫でる。一撫でする度に、落ちていく。









 見合い相手のプロフィールを渡されたのは、中間考査の前夜だった。
 母がやたらニヤニヤしていたから、思った通りの反応を見せるのも癪だったので部屋に戻ってからそれを開いた。
 苗字を見て一瞬止まって、そして家族構成を確認して溜め息を吐く。
 つくづく、性格の悪さは母譲りだと実感せざるを得ない。彼女が恋愛至上主義でなかったら、姉の蒼なんか今頃どんな相手と番わされているのやら。
 『乾 統理』の文字を指で撫でて、笑う。
 乾家の長兄。片思いの相手の親類を見合い相手に選ぶなんて、よくもまぁこんな非道なことを思い付くものだ。いや。彼女からしてみれば、せめてもの優しさかもしれないけれど。
 貼り付けられた写真に映る男は、俺のよく知る乾と似ているような、似ていないような。αだから見目は良いのは当たり前だけれど、見た目の良さだけなら奥田に軍配が上がる気がする。光が当たったところがオレンジがかる黒髪で、灰色がかった乾とは印象が違う。
 これが、俺の番う相手。
 興味も持てず、それを閉じてゴミ箱に放り投げた。部屋の隅に立っていた継則が、音もなく寄ってきて無言でそれを拾って、勝手に本棚に差し込んだ。
 どうでもいい。
 明日から三日間が、乾と遊べる最後の機会。
 ペンを握り、勉強を再開する。見合い相手が誰だろうと関係無い。
 最後まで全力で叩き潰すのを楽しむ。それだけだ。


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