もっと僕を見て

wannai

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 その日潮島が見せてきた写真は、悪くなかった。
 ポラロイドで撮ったらしいそれは、中央に青年が立っている。階段の中ほどで手擦りに肘をついた青年は、首から下しか見えない。黒に細いオレンジのボーダーが入った半袖Tシャツと、ダメージデニム。
 顔は見えないのに、イケメンだと雰囲気が伝えてくる。
 いいな、このTシャツ。欲しい。そろそろ衣替えだし、今年はこういうのが流行るのかな。
 『これを着ればこう見えるよ』。写真がビンビンに伝えてくる意図は、以前の彼の写真より直球で好ましかった。

「いいね」

 僕の言葉に、右斜向かいでランチの鯖フライに齧り付いた白田が目を見開いて止まる。僕の左隣の鏡田がミートボールを箸から落とした。正面の潮島なんて、自分で自信満々に寄越してきたくせに信じられないものを見るような目でポカンと口を開けている。右隣に座る大山だけが、僕の反応なんて丸無視でサンドイッチをもぐもぐしながら僕のトレーと潮島のトレーの間に置かれた写真を前のめりに見つめていた。

「……なんだ、その反応は。僕だって良い物は褒めるよ」
「い……良いんだな? 本当に?」

 潮島は疑り深く、数枚のポラロイド写真を並べ直して、「これとこれだったら?」と、色違いのシャツを着た男女の、ポーズ違いの写真を僕の方に出してきた。

「こっちだ。女の子の視線が良い。ボートネックのメンズ服は少ないから、鎖骨好きにはたまらないだろう」

 食後の温かいお茶を啜りながら返事をすると、潮島はしばらく俯いて震えてから、急に立ち上がってトレーを持ってどこかに行ってしまった。
 彼の期待していた反応では無かったのだろう。『高久田』の僕が彼を素直に褒めるのは少しばかり勇気が要ったのに、余計な事をしたかと気が滅入った。トレーを返却口に置いた潮島は、こちらを振り向くことなく食堂を出て行く。
 彼の背を追って見た窓からは、中庭の桜が緑の葉をざわめかせていた。花はとっくに散っているのに、潮島が最初に僕に見せてくれた写真を思い出させた。

「今日の写真はいつもと違ったね」
「そうだな。まるでブランド服の広告みたいだった」

 先に食べていた僕と潮島を見つけて、後から自然と集まってきた白田と大山たちは、まだもう暫く食べ終わらないようだ。急ぐ必要もないから、そのまま彼らが食べ終えるのを待つことにする。

「……良かったんだけどな」

 本音から良いと思ったのに、あんな風に機嫌を損ねられてしまうなら、いつものように酷評しておけば良かった。
 ここ最近の潮島は、変わらず写真を持ってはくるけれど、それほど喧嘩越しでも無かったのだ。お目付け役みたいな白田が一緒に居ても、僕に絡みに来るのを止めなくなった程度には。
 僕が──モルフォが、彼の従順な奴隷だからかもしれない。あのホテルの中では立場が逆転すると分かっているから、僕の日頃の態度も許せるのかもしれないと、そう思って無理に彼を避けるのも諦めたのに。
 潮島から、プレイでもないのに冷たくされると、ひどく落ち込んでしまう。
 彼の前ではそんな風には見せないけれど、もう彼はいない。遠慮無く溜め息を吐くと、鏡田が僕の頭を撫でてきた。

「なんだ、やめてくれ」
「落ち込んでる友人を慰めてる」
「君が僕を撫でたいだけだろう」
「当たり」

 鏡田の手を払うと、白田が何か言いたそうに僕を見ているのに気が付いた。

「どうしたの、白田。居心地悪いなら席を変えてもいいよ?」
「いや、そうじゃなくて。……あいつ、別に怒ってなかったから。勘違いしてるんだったら訂正しとこうかと思って」

 モデルの仕事が忙しいとかであまり大学に来ていない白田が心を許しているのは、僕が見た感じだと潮島だけだ。潮島が絡んでいるから僕とその友人と食事の席を共にはしているが、居辛いなら我慢しなくていいぞと思ったのだが、どうやら全くの見当違いだった。

「いや、どう見ても怒ってただろう。きっと僕が、彼の自信があった方を選ばなかったから」
「逆かな。やっと自分の自信作が高久田に認めて貰えたから、嬉しくてたまらんって感じだったよ」
「……? 白田、天然か? 感覚が結構ズレてるんじゃないか?」

 どう見ても怒ってた、と白田の言葉を否定する僕に、鏡田もウンウンと同調する。

「あれは相当怒ってたよ。写真置いてっちゃうくらいだし。自信作だったらちゃんと持って帰るでしょ」
「あんたは黙っててくれるかな」

 僕の前から写真を持っていって穴が空くほど見ている大山を指差して鏡田が笑うのを、白田が笑顔で切り捨てた。いつも穏やかで口数少ない白田の反応に、鏡田が少し動揺した。

「だ、黙れって、そんな言い方は」
「高久田狙いなのは構わないけど、だからって潮島との仲を悪くさせるような事は言わないでほしいな。あいつはさっき怒ってなかった。絶対に」

 断言するよ、と言い切られて、その語調の強さと笑顔のギャップに戸惑った。でも、潮島との付き合いは白田の方が確実に長い。彼がそこまで言うなら、そうなのかもしれない。
 ほんのり胸の辺りが暖かくなる。僕の言葉で喜んでくれたのが本当なら、すごく嬉しい。うん、嫌われていると分かっていても、怒らせるよりよっぽどいい。

「べっ、別に俺は真広狙いなんかじゃ」

 僕をチラチラ横目で見ながら小さな声でごにょごにょ言い訳している鏡田が若干うざったい。どう考えても、誰が見ても僕狙いだってバレてるから安心しろ。むしろ早く告白なりなんなりしてくれ、僕だって言われなければ断れないんだから。

「なあ鏡田」
「ん? なに、真広」
「明日、暇? どっか一緒に遊びに行く?」

 そうだ、なんでもっと早く気付かなかったのか。告白されれば断れるんだから、お膳立てをしてやれば良かったのだ。常に人目のある大学内で会うだけでは、鏡田でなくとも告白なんて出来ようが無い。

「……俺も」
「俺も行っていい?」

 僕がそう考えて鏡田を誘ったら、珍しいことに大山が僕の服の袖を引っ張ってきた。続けて白田までもが乗ってくるので困ってしまった。二人と遊ぶのは、まあ悪くない。写真最優先で、大学で出来た友達と遊びに行ったことなんて皆無だから、きっと楽しいはずだ。けど、鏡田を誘ったのは、鏡田をフる為で──。

「ダメダメ、誘われたのは俺なんだから、明日は俺と真広だけ!」

 悩む僕を二人から隠したいみたいに、鏡田が僕の頭に腕を回して抱き寄せてきた。苦しい。

「やめろ」
「嬉しい、嬉しいよ真広」
「……」

 この超絶ポジティブ男は、まるで僕から告白されたみたいに舞い上がって、僕の頭をわしわしと撫でてくる。
 断りたいんだってば。君と付き合うなんて絶対に御免だぞ僕は。鏡田の腕を強めに叩いて跳ね除けるが、しかしそれは口に出来なかった。
 悪意の無い無邪気な笑顔で喜ばれたら、ぶち壊すような言葉なんて掛けられない。

「楽しみだな~っ」

 連絡先すら交換していなかった鏡田と電話番号を教え合って、ついでに大山と白田とも連絡先を交換した。珍しく大山は不服そうだったけれど、「次は絶対に大山を誘うから」と言ったら、それ以上は何も言ってこなかった。彼にも普通に友人と遊びたいという感情がある事に驚いた。
 授業を終えて帰宅したら、スマホに鏡田から着信があった。行き先は決めていないから僕から後で連絡すると言っておいたのに、見たい映画があるからそれでもいいかと聞いてきた。
 承諾して、まだ話し足りなそうなのを感じ取ったが手短に切ってベッドに倒れ込む。

「……こわ」

 なんで、僕なんかをあれだけ一途に好きなんだろう。彼に何かしてやった覚えは無いし、むしろ冷たくあたっている筈だ。
 鏡田はマゾなのか? と考えて、むしろ僕こそそうだろうがと失笑が浮かんだ。
 そうだ。僕はマゾだ。自分を嫌っている人間に抱かれて喜ぶ、変態だ。

「クソッ」

 手近に掴んだ枕を投げ飛ばす。ぼふ、と壁に当たって床に落ちたそれは、最近投げられ過ぎて中の綿が崩れてきていた。拾って、もう一度壁に向かって投げる。僕が出来る唯一の八つ当たりだ。
 抱かれているなら、まだマシだ。抱かれすらしない。彼は、潮島は、僕を翻弄するだけで、彼自身が乱れる事は無い。
 僕が憎いから。嫌いな僕をマゾに堕とすのが楽しいだけで、だから彼は僕を抱こうとは思わないのだろう。僕がどれだけ甘えて乞うても、彼はデニムの股間を寛げる事もせず、吐精する事もしない。彼が僕を『使った』のは、初めてのあの夜だけだ。

「馬鹿だ、」

 僕は。あんな男を好きになるなんておかしい。抱いてもくれない男を一途に好くなんて、絶対しちゃいけない。
 そう思っているのに、潮島に呼ばれれば、何を置いても向かってしまう。本当に馬鹿だと、つくづく呆れる。
 枕を拾って、抱えてベッドに寝転んだ。
 あの声が悪い。あの顔が悪い。あの手つきが悪い。あの体温が悪い。あいつが悪い。嫌って、寄らないでくれれば良かったのに。僕を玩具にするのを、彼は本当に愉しんでいるから──好きになってしまった。
 キンコン、とメッセージの着信音がする。
 また鏡田だろうか。面倒くさい。寝たい、と思う腕をなんとか動かし、ベッドの上に放っておいたスマホを掴んで宛名を見てすぐ開く。

『明日の昼14時に六号室で』

 喜んでしまった心が、瞬時に枯れていく。
 のたのたと指を動かして、断りの返事を書いた。昼間に呼ばれるなんて、滅多に無い。いつも終電間際に呼び出されて翌昼までのコースだから、昼間から始めたら一体何時間遊んで貰えたのか。
 さっきまで不満轟々だった癖に、潮島から連絡がくれば僕はこのザマだ。
 僕の返事に既読がついて、でも潮島からの返事は無かった。
 明日は土曜。じゃあ日曜に、なんて返事を期待したのに、それも無い。
 たまたま明日が空いたから連絡してきたのだろうか。他に二人も奴隷を飼ってるらしいから、管理にそれなりに忙しいのかもしれない。前回呼ばれたのはいつだっけ、確か二週間前くらいか。
 うだうだ考えているうち、気が付いたらそのまま寝てしまっていたらしい。
 起きてスマホを見たら、鏡田との約束まであまり時間が無かった。急いでシャワー浴びて、諸々の支度をして家を出る。
 電車でスマホを確認したら、夜中に一度だけ潮島から着信が入っていた。五秒ほどで切れたらしく、その後にも前にもメッセージは無い。間違いかもしれない。

「真広ー、こっちこっち」

 ショッピングモールの入り口の前ではしゃぐ声に大きく呼ばれて恥ずかしい思いをした。

「鏡田うるさい」
「えー? 俺いつもこんなじゃん?」
「そうだけど……いつもうるさい」
「わはは」

 笑ってないで声を抑えて欲しいのに、鏡田は始終その調子だった。
 映画の上映中だけは黙ってくれたので、それだけはホッとする。勝手に手を繋がれたけれど、真っ暗だし誰に見られている訳でもないから放っておいた。
 話題のアクション映画を見終えて、モールの中のフードコートでご飯を食べながら映画の感想を言い合って。コーヒーショップでコーヒーを買って、少し雑談してそのまま解散した。
 普通の友人としてならマトモなんだと、鏡田の事を見直した程度には、楽しい時間が過ごせてしまった。
 そう。何事もなく、終えてしまった。
 帰りの電車の中で首を傾げる。鏡田は僕が好きなんじゃなかったのか。映画館では確かに手を繋いできたけれど、それだけだ。それ以上は何もしてこないし、むしろいつもよりボディタッチは少なかったくらいだ。
 告白なんて雰囲気では全くなく、じゃあまた、と解散を言い出したのも鏡田の方だった。
 分からない……。
 しかし、鏡田の事で考え込むのも癪なので、考えない事にした。これ以上踏み込んでこないつもりならそれでいい。もしかしたら、今の『ちょっと距離感が近い友人』くらいが好きな奴なのかもしれない。
 映画が面白かったおかげで、時間を無駄にした感じはしないのがせめてもの救いだった。
 乗り換え駅で時間を確認すると、ちょうど十六時だった。昨日の潮島からの誘いに乗っていれば、今頃。想像しそうになって、慌てて頭を振った。ベンチの隣に座っていたおばさんが僕を不審そうに見る。
 考えちゃいけないと思うのに、そういう時を見計らったみたいに、潮島は連絡してくるのだ。
 いまだに『胡椒さん』で登録してある彼の名前が表示されたスマホを握りしめて、出るべきか迷う。迷わせた指が結局通話ボタンを押して、スマホを耳に当てた。

「はい」
『今、何時?』
「え……。十六時だけど」

 潮島の声は穏やかで、だから思わずそう答えてしまった。彼がそんな単純な返事を求めているはずがないのに。

『待ってるんだよね、俺』

 はぁ、と溜め息混じりに呆れたような声で言われて、それが僕を責める電話だと知った。

「あ、あの、でも、昨日ちゃんと行けないって」
『来るの? 来ないの?』
「……今から行きます」
 
 舌打ちしそうな勢いに負けて、そう答えていた。電話の向こうで、潮島が笑う呼吸音。やめろ、笑顔が目に浮かんで喜んでしまう。
 通話は向こうから勝手に切られて、僕はベンチから立ち上がって路線の違う乗り降り口へと歩き出した。










 ドアの前に着いたら、いつも通り潮島が内側から開けてくれる。いつも、待ち切れないみたいにこれをされると、何でも許してしまいたくなる。だってまるで、潮島に好かれているみたいで。

「風呂入ってきて」

 電話ではあんなに優しい声を掛けてくれたのに、目の前の彼は平坦な声でそう告げた。
 早足で来たから軽く息を切らしている僕を視界に入れたくないみたいにすぐに踵を返して、ソファに座ってスマホを使い出してしまう。
 
「はい……」

 返事をしても、こちらを見すらしない。
 部屋に入る時いつも舞い上がってしまう僕が、ただの奴隷だっていうのを思い出させてくれる。
 シャワーを浴びて出てくると、ベッドに座るよう指示された。

「今日って、昼飯何時に食べた?」

 急にそんな事を聞かれ、起きてからを反芻して思い出す。

「えっと、……十時からの映画見て、十二時過ぎに終わってたから……、十二時半頃、です」
「それ以降は飲み食いしてない?」
「いえ、三時くらいまでコーヒーは飲んでましたけど……」
「ふーん……。ねぇ、食べた物って四十時間くらいで排泄されるんだって」

 はあ、と会話の意図が分からず中途半端な返事をした。
 続く潮島の言葉に、ただ耳を疑った。

「俺より優先して会った奴と一緒に食べたものが腹にあるってさぁ、萎えるよね。やっぱ帰っていいよ」

 呼んでおいてそれはないだろう、と怒るべきなのに、僕の唇から怒りの言葉は出ていかない。噛んだ唇が痛くて、でも『大人しく従順なモルフォ』はご主人様に反抗なんか出来ない。

「帰って」

 ベッドの上に座ったまま、微動だにしない僕を、しかし潮島も見ようとはしない。

「下剤で」
「だから、消化が終わるのは食べてから四十時間だって。食べてから数時間しか経ってないでしょ」

 だったらどうしろというのだろう。帰れと言っているのだけれど。帰りたくないし、たぶん潮島が求めているのは素直に帰ることじゃない。
 お腹に食べ物があるのが嫌だと言うなら、出すしかない。

「……吐いてきます」

 それでいいですか、と視線を上げたら、潮島はゆっくりと顔を上げて、見惚れそうなほど穏やかな顔で笑ってくれた。

「うん」

 頰が熱くなる。良かった、潮島の意思を正しく汲めたようだ。
 ベッドから降りてトイレに向かおうとしたら、潮島もソファから立ち上がった。やおら上どころか下のズボンも脱ぎ出したので、ギョッとして「どうしたんですか」と声を掛けた。

「手伝ってあげようと思って。吐いたのかかったらヤでしょ」

 全裸になった潮島の方を見られなくて、言った内容を理解する前に足早にトイレに逃げ込んだ。
 さて、吐いてくるとは言ったけれど、具合が悪い訳でもないのにどうすればいいのか。大食いタレントの中には自分で喉に手を入れて吐いている人も居るというから、そうやって手を入れれば吐けるだろうか。
 痛いのは嫌だな、と思いながら便器の前に膝をついて自分の喉に手を入れようとしていたら、背後でトイレのドアが開いた。鍵を掛けるのを忘れてた、と振り返ろうとしたら、潮島に髪の毛を鷲掴まれて引っ張られ、そのまま力ずくで立ち上がらされる。

「い、たぃ」
「手伝ってあげる、って言ったよね? ご主人様の言う事はちゃんと聞こうね?」
「いッ……!」

 髪の毛を掴んで引きずるようにしてトイレから風呂の方へ移動させられた。痛いと呻く僕を見ても潮島は眉一つ動かさない。膝裏を蹴られ、タイルの床に膝をついた。

「はい、あーんして」

 潮島の指が僕の唇を撫でる。
 それが喉の中に入ってくるのを想像して、怖くて開けられない僕を見て彼は薄く笑った。

「自分でやるの、怖いでしょ? 俺がやってあげるから、ほら、安心してお口開けて?」

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