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白鷺雨月

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第七十八話 取調室

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 そろそろ年末になろうとしていたある日のことだ。
 同僚の女性社員竜崎翼が私を呼び止めた。
「白鷺さん、お客様がお見えですよ」
 竜崎翼はそう言うと自分のデスクに戻った。
 この日、仕事が珍しく定時に終わった私は帰宅の準備をしていた。
 一組の男女が会社内のパーティションで囲まれた一角に置かれたパイプイスに座っていた。
 そこは会社内で小会議や面談が行なわれるスペースであった。
 その一組の男女のうちの童顔の男が立ち上がる。
 次におそらく二十代後半と思われる黒髪の女性が立ち上がる。
 ふたりとも眼鏡をかけていたのが私的にツボにはまりつい笑いそうになった。
 初対面の人間を見て、笑うのは失礼極まりないので私はひそかに笑いを噛み殺す。
「こんにちは、私は大阪府警の殺人課の早川といいます」
 男のほうが言った。
 童顔の男は縁無しのメガネをかけていて、刑事というよりも市役所なんかの公務員を連想させた。
 早川はジャケットの胸ポケットから警察手帳を開いて、私に見せる。
 そこには目の前の童顔が制服を着た写真と氏名が書かれていた。早川宗介という名前で階級は巡査部長であった。
 もうひとり黒髪の女もジャケットから警察手帳を取り出し、私に見せた。
 下日尾千穂《しもひおちほ》という名前で階級は警部であった。
 この女性はこの若さで警部ということはきっとキャリア組に間違いない。
 だいぶ前に見た刑事ドラマの知識だ。
 ちなみに下日尾千穂のほうは黒縁眼鏡をかけていて、そのレンズの奥の目はよく見えなかった。
 警察手帳の写真も蛍光灯の反射でよく見えなかった。
 ただジャケットの奥の胸元はかなり豊かであるのはみてとれた。
 ちょっと羨ましい。
「殺人課ですか。捜査一課ではなくて」
 私が言うと早川は不思議そうな顔をした。
 下日尾千穂のほうは眼鏡のせいでその表情はよくわからない。たぶん無表情だ。
「捜査なんとかという部署は警察にはありませんよ、白鷺さん。私どもは殺人課の警察官です。少しお話を聞きたいことがありまして、このあとよろしければ署までご同行願えませんか」
 早川は警察手帳をしまうと私にそう言った。
 下日尾千穂も警察手帳をその豊かな胸元の内ポケットにしまう。
 あら、まさかいたって平凡な会社員の私が警察に同行を求められるとは。
 この前の百円玉を拾って、それで激安自動販売機で麦茶を買ったのがばれたのだろうか。
 それとも横断歩道がない道路をわたったのがばれたのか。
 スーパーでお釣りを多くもらい、そのまま返さなかったのがばれたのか。
 私は悪い女だ。
 こんなに悪いことをしたのなら、警察が捕まえにきてもおかしくない。
「もしかして昨日スーパーに行くのにスマートフォンを見ながら自転車に乗ったのがいけなかったのかしら」
 私は道路交通法違反を自白した。
 しかし、その罪で捜査一課じゃなくて、殺人課が私の前に来るのだろうか。
 殺人課というからには殺人事件を捜査しているはずだ。
 誓って言うが私自身は殺人などという重大な犯罪を犯したことはない。
 殺人事件をテーマにしたホラーやミステリーは大好きだが、私自身はそんなことをしない。
 よく創作物に影響されて犯罪をするという人がいるけれど、そうしたらミステリーを読んだ人は全員殺人をしなければ辻褄は合わない。
「いや、それは違います」
 私の言葉を聞いた早川がクスクスと笑う。
 この早川という刑事は笑うとその童顔さがさらに増す。こんな容貌で刑事というのだから、驚きだ。
「実はですね、とある殺人事件を捜査しておりまして。そのことで白鷺月子さんにぜひお話を聞きたいことがあるのです。あなたを疑っているわけではありません」
 早川はきっぱりと言った。
 私が殺人事件のことで知っていることなど何もないと思うのだが。
 こんな平凡なアラサーの会社員と殺人事件というものはかなりかけ離れていると思うのだが。
 でも私はあることに思い至った。
 警察の取調室に行くことなど、普通に生活していたらまずありえない。
 これは得難い経験である。
 もしかするとこれからの創作活動に活かせるかも知れない。
 そう思った私は早川たちに付いていき、警察署に行くことにした。

 私が通された部屋はドラマでよく見るような鉄の机があり、ライトが置かれているあの定番の取調室ではなかった。
 LEDライトが眩しい、清潔な会議室であった。
 どこぞの大企業の会議室と言われたら、そう思うほどには綺麗で整っていた。
 私は早川にうながされて、長机をはさみ、向かいに座る。
 早川の隣には下日尾千穂がノートパソコンを開いて、腰掛ける。
 そのパソコンを見て、私は新しいパソコンが欲しいと思った。今つかってるのがしょっちゅうフリーズするようになってるのよね。
 パソコンが消耗品なんてのは本当に嫌だ。

 私はコートを脱ぎ、それを畳んで膝の上に乗せる。最近肘や膝が冷えて困る。
 早川が気を利かせてエアコンの暖房を入れてくれた。
 すぐに緑茶をトレイにのせた女性警官が入室して来て、それを私たちの前に置いた。
「あの……カツ丼って食べさせてもらえますか」
 私は前々から気になっていたことを訊いた。
 取調室と言えばカツ丼は定番だろう。
「お腹が空いていらっしゃるのならデリバリーでも取りますが。残念ながら費用は白鷺さん持ちになります」
 早川さんはていねいに説明した。
 公務員は人におごったりできないということだ。
 なんだ、残念だ。
 私はじゃあいいですと早川さんに言い、緑茶を一口すする。緑茶はとくに美味しくもなく、不味くもなかった。

「白鷺月子さん、二十八歳、会社員、大阪市在住で間違いありませんね」
 手元の資料を早川さんは読み上げる。
 私は間違いありませんと答える。
 こうあらたまって自分のことを言われると恥ずかしい。
 下日尾千穂は黙々とキーボードを叩いていた。
「白鷺月子さん、この女性をご存知ですか?」
 早川は一枚の似顔絵を私に見せた。
 それは細井瞳の似顔絵であった。
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