見鬼の女官は烏の妻となる

白鷺雨月

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第十五話 もう一人の夫人

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 張飛燕が正式に貴妃に任じられてから、七日が過ぎた。季節は竜帝国でもっとも過ごしやすい四月の下旬のころである。
 烏明鈴は燕貴妃の首席女官として宮廷及び後宮の出入り自由を皇帝からじきじきに許された。
 また燕貴妃にはお世話係として、数人の女官がつくことになった。
 そのうちの一人に烏小梅ウシャオメイも選ばれた。
 それは明鈴の推薦であった。
 すこしでも気心のしれた人物を燕貴妃のそばにおきたかったからだ。


 皇帝竜星命が公務からもどられたというので、燕貴妃は明鈴と小梅をともない出迎えに行く。
 
 宮廷と後宮をつなぐ廊下は一本しかない。
 これは警備上の理由と皇帝の私的な場プライベートスペースに信頼を得ていないものを入れないためのものである。
 その廊下を通り、宮廷から後宮に出入りする事ができる男性は基本的には皇帝唯一人である。付き添いの宦官も出入りはできるが、彼らは男子としてみなされていない。

 皇帝竜星命は烏次元一人をつれ、後宮にやってきた。

 すでに廊下の右端には背の高い女性が十人ほどの女官をひきつれ、壁際にたっていた。
「ご機嫌うるわしゅう、霊賢妃様」
 燕貴妃が挨拶した相手はもう一人の夫人の地位にある霊文姫れいぶんきという名の女性であった。
 本来夫人の地位にあるものは四人であった。
 皇帝竜星命の削減政策により、一人にまで減らされた。
 それが燕貴妃の出現により、二人に増えた。ちなみに正室である皇后はいまだに決まっていない。淑妃と徳妃は不在である。
 その正室である皇后候補が毎夜のように呼ばれている燕貴妃ではないかというのが、後宮の女官たちの噂であった。

 霊賢妃はちらりとこちらを見ただけで、声をだして挨拶などしない。
 それは身分の低い出のものと直接話すと自身の身が穢れるという思想からくるものだ。これは何も霊賢妃だけのことではなく、皇族貴族の基本的な思想であった。
 誰とでもわけへだてなく話す皇帝竜星命のほうが異質であった。

「何よ、おたかくとまっちゃってさ。陛下に一度もお声がけされたことがないのに」
 霊賢妃の態度を見て、小梅がわかりやすい悪態をつく。
 その声は小さかったが、霊賢妃のお付きの女官には聞こえていたようだ。明らかに殺意のこもった目で小梅はにらまれた。とうの小梅はどこ吹く風であるが。
「ひかえなさい、小梅シャオメイ。もうすぐ皇帝陛下がいらっしゃるわ」
 明鈴は小梅をたしなめる。
 小梅ははーいと悪ぶれることなく、口だけの返事をする。
 まったくと明鈴は頭が痛くなる思いだった。
 こんなつまらないいざこざに気をつかいたくないのに。
 女同士の争いなんて何の生産性もない。こんなことに明鈴は精神をつかいたくなかった。
 明鈴自身は争う気はないが、向こうから嫌がらせをふっかけてくるのでうんざりする。


 皇帝竜星命がその唯一の廊下をわたり、後宮に入ってきた。
 ゆっくりと霊賢妃はお辞儀をする。
 それは完璧な所作であった。
 化粧も着ている着物も最上級のものだ。
 霊賢妃は夫人として完璧であった。

「出迎えご苦労……」
 その霊賢妃に皇帝竜星命は事務的にそういうだけであった。

 すたたっと駆けるように皇帝に近づき、燕貴妃は皇帝に抱きつく。
 皇帝は燕貴妃の小さな体をぎゅっと抱きしめる。
「お仕事お疲れ様です、お兄ちゃん。今日もがんばって偉いね」
 燕貴妃は皇帝の頬に自分の頬をすりつけながら、そういった。
 それは不敬で無礼な物言いであった。
 だが、彼女はけっしてとがめられることはない。
 むしろそうすることによって皇帝に深く愛されるのだ。
 それは決して霊賢妃にできることではなかった。名門貴族出身の彼女にはそんなことはできない。
 今日も皇帝は燕貴妃をともない、自室に向かうのであった。
 霊賢妃はそれをだまって見送るだけであった。


「あの悔しそうな顔見た、明鈴姉さん」
 小梅は鼻歌まじりにそういった。
「そうね……」
 霊賢妃はたしかにくやしそうな顔をしていた。
 苦虫を噛み締めた顔とはこのことだと明鈴は思った。
 ぽっとでの身分の低い燕貴妃に皇帝の愛を奪われたのだ。
 まあもともと愛されていなかったがそれは他の後宮の美女たちも同じだから、それはそれでよかったのだ。
 だが、いきなりあらわれた張飛燕という不美人が皇帝に愛されるなんて。
 そんなことはおきてはならないことだった。
 明鈴が霊賢妃がはらわたが煮えくりかえっているのが手に取るようにわかった。
 以前、霊賢妃が使っていた匙を偶然もったことがあるからだ。
 そこから得られた印象イメージはどす黒いものであった。
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