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第六章:扶桑騒乱
第32話 泡沫の夢
しおりを挟む「よぉ、チャンス」
「あれ、富貴?」
「……少し、いいか?」
ユイたちの部屋から退室したチャンスは自分に割り当てられた部屋に戻る前に富貴に声をかけられ、チャンスは移動する。
「まぁ、用があるのは俺じゃなくてぇ………」
「吾じゃよ」
富貴とともにやってきたのは宿屋の中庭。そこには吉比姫がいた。
「用、とは?」
「お主、何者じゃ?」
チャンスが要件を聞くと吉比姫はチャンスが何者かと問う。
富貴は飄々とした表情のままチャンスの背後に回り、チャンスが不審な動きをしたり、吉比姫が命じれば即座に命を奪えるよう構えている。
「ええっと……何者かといわれても記憶喪失で……今はただのカッパーランクの冒険者だとしかいえないです」
「いやいや、さすがにあの式神を見せられてはその言葉は信用できぬぞ? ならば問おう、お主が本当に記憶喪失で何者かわからないと、シディアスとエレナの名に誓えるか?」
チャンスは何者かと吉比姫に問われて記憶がないと答える。だが吉比姫は、信用できないと伝え、シディアスとエレナという人物に誓えるかと問う。
「? ええっと……どういう人か知りませんけど、それで信用してもらえるならシディアスとエレナという人の名に誓います」
「……やっぱ、気分悪いぞ、姫」
「一瞬で挫けてどうする!?」
何の躊躇なく誓いを立てるチャンスを見て、富貴が良心の呵責に耐えきれなかったのか挫ける。
富貴が挫けて構えを解くのを見た吉比姫は富貴に突っ込む。
「えっとな、チャンス……シディアスとエレナってのは、邪神の名前でねぇ。それに誓えって言うのは西大陸の人にとって最大の侮辱言葉で場合によっては刃傷沙汰なんだよぉ」
「え? そうなの?」
「……姫、こりゃチャンスは本気で記憶喪失だよぉ。悪いなチャンス、姫は頭がいいんだ、こんな性格だが」
「おいこら、こんな性格とはなんじゃ! そこになおれ、吾が直々に成敗してくれるっ!!」
「はぁ……」
(殴ってるのに、ビクともしてねぇ……非力だなー)
怒った吉比姫が本気で富貴を殴っているが、富貴は軸が揺れることなく立っており、逆にゼーハーと息を切らして汗だくになる吉比姫。
吉比姫が殴る音もバシッではなくポフッという殴ってるようには聞こえない音だった。
「ゼーハー……疑って悪かった。吾としては今のスオウに火種を持ち込みたくなかったのじゃ」
「……もちろん悪意なんてないですよ?」
「あったらとうの昔に富貴をけしかけておるわ! たわけっ!!」
「だから言っただろぉ、チャンスはいい奴だって」
「それでも疑ってかかるのが吾の仕事じゃ。ともかく今はお主のことは信じよう。これにて解散じゃ」
吉比姫が強引に場を纏めると富貴の肩に乗る。
「疑って悪かったなチャンス。明日からよろしく頼むよぉ」
富貴は肩に乗せた吉比姫と共に部屋に戻る。
「……僕も帰るかな」
チャンスも割り振られた部屋へ戻ると就寝する。
その日、チャンスは夢を見た。
夢の中にはユイがいた。
ユイは、自分の父親を直接会ったことはない。ユイの母は神官であり、ユイの父は元国王――あってはならない子供だった。
母親の血を、色濃く引き過ぎたのも災いだ。彼女は法の守護と神罰執行を司る神ルクレチウスの守護と契約を生まれながら受け継いでいた。そんなもの、幼い少女が何故望もうか?
人々は、ユイも忌み嫌った。もしかしたら、あの神の審判で罰せられるかもしれない。
人は、己の清廉さを心の底から信じられない。ある意味で、当然の反応だったのかもしれない。
疑念は恐れを呼び、恐れはその心を焼き潰した。
いっそ殺してしまおう、そう思った人間は多い。
――人間は、恐ろしい。
自分よりも幼い殺し屋が現われた時は、ユイは心底そう思った。
希望などない、絶望の日々。
死に逃げることさえ考え付かない幼子の地獄。
その日々は、唐突に終わる。
ユイを救ったのはユイの異母姉だった。父である国王を追いやった現国王である。
『よし、そなたは余の唯一の妹――余を姉と呼んでいいぞ? ん?』
黄金のような金色の髪、自信に満ちた碧い瞳、色白の肌、深紅の薔薇のような赤いドレスに身を包んだ自信に満ちた……自信そのものが美しい人の形となったような女性だった。
……強引な女だった、しかし、この時にユイの胸を打った家族論が、全てを動かした。
よく言えば豪快、悪く言うと脳筋。
『神なんぞ恐くって、女ができるか』
良くも悪くも傑物であった。
義姉と出会ったことでユイの世界が、『色』を取り戻していく。
時間にすれば、人生のわずかな間――だが、それがいかほどに価値を持つか?
ユイは義姉と出会い『時間』を取り戻していく。
ユイは義姉と出会い『感情』を取り戻していく。
ユイは義姉と出会い『自分』を取り戻していく。
その数年は、ユイの全てだったと言っていい。
......名前も与えられなかった少女は、ユイと言う名前を、そして多くのものを義姉からもらった。
もらったからこそ、これ以上居心地のいいそこにはいられなかった。
姉もまた、止めなかった。
自分は犬猫を育てたのではない、妹と共にあったのだ。
だからこそ、信じておくりだそう――その夜は、少し泣いたけれど。
ユイにとって、冒険者とは天職だった。
技を磨き、成長を実感する日々。
義姉と共にいたのとは別の、充実した時間だった。
そして、少女は冒険の旅先で最後の希望と出会う。
「もう、早く起きなさいって、チャンス!」
「ふあ!?」
チャンスが目を覚ますと、腰に手を当てて少し怒ったような表情で見下ろしているユイの顔が視界に入った。
「おはよう」
「え、おは? ユイ……?」
自分の部屋になぜユイがいるのか理解できないチャンス。ユイの部屋に寝ぼけて行ったのかと周囲を見回す。
「フソウ行の定期便が港についたそうよ? 吉比姫さんがすぐに出発したいから、皆起こして来いって」
「え、ほんと!?」
「嘘言って、どうするのよ。……アズラエルだって、用意終わらせてるんだから、お父さんがそれで、どうするの?」
(ちょっと悪い気がして、寝顔観察しちゃったけど)
ユイはチャンスを起こしに向かって、気持ちよさそうによく眠っているチャンスの寝顔をしばらく観察して、満足してから起こしていた。
「あ、うん……今すぐ準備する!」
「まとめられる分はまとめて置いてあげたから、残りは自分でちゃんとしなさい? じゃあ、もうすぐだってみんなに言っとくわ」
ユイはそう言うとチャンスの部屋から出ようとする。
「あ、ユイ」
出ていこうとするユイに声をかけるチャンス。
ユイに関する重大なことを夢で見たような気がしたが、それが何だったのかチャンスは思い出せない。
「……? なに?」
呼び止めておいて二の句が出てこないチャンスの様子にユイは首をかしげる。
「――ありがとう」
「どういたしまして」
荷物を纏めてくれたことにチャンスは礼を述べて、ユイは微笑みながらチャンスの礼を受け入れた。
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