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6月28日の寮内
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18時30分。
堤が入院したばかりではなく、立川、響、藤宮、詩音の四名が身体の痛みを訴えていた。全員で午前中に病院へ行きレントゲン検査をした結果、幸い骨や内臓には異常が無く軽度の打撲傷との診断だったが、それでも迷宮へ潜るのは自殺行為だと思われた。
今日と明日は安静にして、6月最後の30日を決戦の日にしようと皆で話し合ったのだった。
(まさかコハルさんの誕生日に彼を殺すことになるなんて)
何という運命の皮肉だろう。
世良はやるせない想いを抱きながらも、痛みで不便をしている仲間の為に働いていた。
寮の二階を自室にしている彼らへ食事を運ぶ。食堂から何往復もして、階段に近い側から順に部屋を訪れた。みんな身体がつらいだろうに、訪問した世良に笑顔で感謝を述べてくれた。
(ええと、後は藤宮隊長だけだね)
灯夜が仲間内では最も奥の部屋を使っているが、彼はもう起きてレクレーションルームで恒例のテレビ視聴をしている。彼には出来上がった食事を最初に振る舞った。
食堂でお椀に豚汁をよそい、おにぎりと一緒にトレーへ乗せて藤宮の部屋へ向かった。
「藤宮隊長、高月です。夕食をお持ちしました」
ドアの前で声をかけると中から返答が有った。
「すまねぇ。鍵はかかってないから入ってくれ」
「失礼します」
片手でトレーを支えてドアを開けた。藤宮はベッドの上で壁にもたれて座っていた。傍《かたわ》らには雑誌が数冊。読書をしていたようだ。
世良は藤原の近くへトレーを置いた。
「零さないように気をつけて下さいね。豚汁、熱々ですから」
「これインスタントじゃないよな? わざわざ作ってくれたのか?」
「立川さん達が肉や野菜を補充してくれて、材料が揃っていたので」
寮には食事当番が有ったし、育った施設でも手伝いをしていた。親友の杏奈から大雑把な性格と揶揄される世良だが、料理に関してはそれなりの腕前である。
「おにぎりの中身は鮭とワカメです。嫌いじゃなければいいですが」
「どっちも好きな具だよ、ありがとうな」
藤原は豚汁を一口すすり、おにぎりを頬張った。
「うん美味い。味噌と米は日本人の心だな。身体に染み渡るよ」
調理直前までサンドイッチとポトフの組み合わせにしようかと迷ったが、喜ぶ藤宮を見て和食にして良かったと世良は思った。
「トウヤさんにも差し入れたんですよ。食べなくても平気らしいけど、久し振りに温かい食事を口にできたとお礼を言われちゃいました」
「そうか……。トウヤさんには居る間、もっといろいろ楽しんでもらいたいな」
藤宮は自分が手にかけた篤鬼のことを思い出していた。既に死んでいたとはいえ、その存在を完全に消し去ったのは藤宮だ。どう見ても灯夜と同じ十代だった。
(隊長……)
最近の世良は人の機微に敏感だった。だから藤宮の顔が曇ったことにも気がついた。
(姫様の件以外でも、昨夜はつらい事が遭ったみたいだな。隊長はまた独りで耐えてるんだろう……)
どうか自分には悩みを打ち明けて欲しいと世良は願う。
(でも毎回、女子高生に泣き付く中年戦士という図はシュール過ぎるか……)
想像して苦笑した世良を藤宮が不思議そうに見た。
「どうした?」
世良は藤宮の目を真っ直ぐに見返した。
「隊長、毎回じゃなくていいです。でもつらい目に遭ったら五回に一回くらいは私に愚痴て下さい。隊長は頑張り過ぎです」
「………………」
藤宮は目線を下へ落とし、ボソリと呟いた。
「立川さんが来たから俺はもう隊長じゃねぇよ。元々そんな器じゃなかったんだ」
多岐川を死なせ、水島を放逐してしまった。己のリーダーシップの無さに藤宮は腹を立てていた。
しかし世良は言ったのだ。
「私にとっては藤宮さんがずっと隊長です。私が一番頼れる大人は藤宮さんなんです。言ったじゃないですか、隊長のことが好きだって」
「……あのな、好きの意味がどうであれ、男にホイホイそういう台詞を言うもんじゃない」
「ちゃんと言う相手を選んで言ってますから大丈夫です」
大丈夫じゃないんだよ、藤宮は頭を抱えそうになった。ロリータ・コンプレックスの気が無いはずなのに心臓が高鳴っている。世良の綺麗な瞳には魔力が有る。
「食べ終わった食器は、トイレに行く時にでも廊下へ出しておいて下さい。後で回収します」
「食堂まで自分で持っていくよ。男用のトイレは一階だしな」
もっと話していたかったが、食べる姿を一方的に見られるのは落ち着かないよな、と世良は藤宮を気遣い部屋を出ることにした。
ただドアの前で世良は振り返った。
「隊長、愚痴るのは三回に一回でもいいですよ? 私はいつでもウェルカムですから遠慮せずに」
「……ばーか。いいからおまえも早く休め」
藤宮は手を振って世良を追い払った。長く一緒に過ごしたら、本当に世良へ弱い自分を見せて依存してしまいそうだったから。
世良は一度笑ってから廊下へ出た。
そしてドアを閉めた途端、急激に気持ちが沈んだ。
(隊長と居る間は前向きな思考になれるのに、別れた途端にまたへこんでしまう。やだなぁ、躁鬱の症状でも出ているのかなぁ)
世良の心の大部分を占めているのは水島だ。
彼は今どうしている? 肉体の変化に引き裂かれていないだろうか? それに耐えられても仲間に殺されるのだ。あまりにも救いが無い。
彼の笑顔と一度見せた泣き顔が交互に浮かんでくる。
(コハルさん……。逢いたいよ、苦しいよ)
食欲が無いが自分も少し食べておかないと。心だけではなく身体も参ってしまう。トボトボと世良は階段を降りた。
食堂にはお椀を持った灯夜がいた。
『すまん高月、汁物のおかわりが欲しいのだが現代のかまどの使い方が判らん』
世良は軽く噴き出してから、思いがけず笑顔にしてくれた相手に感謝した。
堤が入院したばかりではなく、立川、響、藤宮、詩音の四名が身体の痛みを訴えていた。全員で午前中に病院へ行きレントゲン検査をした結果、幸い骨や内臓には異常が無く軽度の打撲傷との診断だったが、それでも迷宮へ潜るのは自殺行為だと思われた。
今日と明日は安静にして、6月最後の30日を決戦の日にしようと皆で話し合ったのだった。
(まさかコハルさんの誕生日に彼を殺すことになるなんて)
何という運命の皮肉だろう。
世良はやるせない想いを抱きながらも、痛みで不便をしている仲間の為に働いていた。
寮の二階を自室にしている彼らへ食事を運ぶ。食堂から何往復もして、階段に近い側から順に部屋を訪れた。みんな身体がつらいだろうに、訪問した世良に笑顔で感謝を述べてくれた。
(ええと、後は藤宮隊長だけだね)
灯夜が仲間内では最も奥の部屋を使っているが、彼はもう起きてレクレーションルームで恒例のテレビ視聴をしている。彼には出来上がった食事を最初に振る舞った。
食堂でお椀に豚汁をよそい、おにぎりと一緒にトレーへ乗せて藤宮の部屋へ向かった。
「藤宮隊長、高月です。夕食をお持ちしました」
ドアの前で声をかけると中から返答が有った。
「すまねぇ。鍵はかかってないから入ってくれ」
「失礼します」
片手でトレーを支えてドアを開けた。藤宮はベッドの上で壁にもたれて座っていた。傍《かたわ》らには雑誌が数冊。読書をしていたようだ。
世良は藤原の近くへトレーを置いた。
「零さないように気をつけて下さいね。豚汁、熱々ですから」
「これインスタントじゃないよな? わざわざ作ってくれたのか?」
「立川さん達が肉や野菜を補充してくれて、材料が揃っていたので」
寮には食事当番が有ったし、育った施設でも手伝いをしていた。親友の杏奈から大雑把な性格と揶揄される世良だが、料理に関してはそれなりの腕前である。
「おにぎりの中身は鮭とワカメです。嫌いじゃなければいいですが」
「どっちも好きな具だよ、ありがとうな」
藤原は豚汁を一口すすり、おにぎりを頬張った。
「うん美味い。味噌と米は日本人の心だな。身体に染み渡るよ」
調理直前までサンドイッチとポトフの組み合わせにしようかと迷ったが、喜ぶ藤宮を見て和食にして良かったと世良は思った。
「トウヤさんにも差し入れたんですよ。食べなくても平気らしいけど、久し振りに温かい食事を口にできたとお礼を言われちゃいました」
「そうか……。トウヤさんには居る間、もっといろいろ楽しんでもらいたいな」
藤宮は自分が手にかけた篤鬼のことを思い出していた。既に死んでいたとはいえ、その存在を完全に消し去ったのは藤宮だ。どう見ても灯夜と同じ十代だった。
(隊長……)
最近の世良は人の機微に敏感だった。だから藤宮の顔が曇ったことにも気がついた。
(姫様の件以外でも、昨夜はつらい事が遭ったみたいだな。隊長はまた独りで耐えてるんだろう……)
どうか自分には悩みを打ち明けて欲しいと世良は願う。
(でも毎回、女子高生に泣き付く中年戦士という図はシュール過ぎるか……)
想像して苦笑した世良を藤宮が不思議そうに見た。
「どうした?」
世良は藤宮の目を真っ直ぐに見返した。
「隊長、毎回じゃなくていいです。でもつらい目に遭ったら五回に一回くらいは私に愚痴て下さい。隊長は頑張り過ぎです」
「………………」
藤宮は目線を下へ落とし、ボソリと呟いた。
「立川さんが来たから俺はもう隊長じゃねぇよ。元々そんな器じゃなかったんだ」
多岐川を死なせ、水島を放逐してしまった。己のリーダーシップの無さに藤宮は腹を立てていた。
しかし世良は言ったのだ。
「私にとっては藤宮さんがずっと隊長です。私が一番頼れる大人は藤宮さんなんです。言ったじゃないですか、隊長のことが好きだって」
「……あのな、好きの意味がどうであれ、男にホイホイそういう台詞を言うもんじゃない」
「ちゃんと言う相手を選んで言ってますから大丈夫です」
大丈夫じゃないんだよ、藤宮は頭を抱えそうになった。ロリータ・コンプレックスの気が無いはずなのに心臓が高鳴っている。世良の綺麗な瞳には魔力が有る。
「食べ終わった食器は、トイレに行く時にでも廊下へ出しておいて下さい。後で回収します」
「食堂まで自分で持っていくよ。男用のトイレは一階だしな」
もっと話していたかったが、食べる姿を一方的に見られるのは落ち着かないよな、と世良は藤宮を気遣い部屋を出ることにした。
ただドアの前で世良は振り返った。
「隊長、愚痴るのは三回に一回でもいいですよ? 私はいつでもウェルカムですから遠慮せずに」
「……ばーか。いいからおまえも早く休め」
藤宮は手を振って世良を追い払った。長く一緒に過ごしたら、本当に世良へ弱い自分を見せて依存してしまいそうだったから。
世良は一度笑ってから廊下へ出た。
そしてドアを閉めた途端、急激に気持ちが沈んだ。
(隊長と居る間は前向きな思考になれるのに、別れた途端にまたへこんでしまう。やだなぁ、躁鬱の症状でも出ているのかなぁ)
世良の心の大部分を占めているのは水島だ。
彼は今どうしている? 肉体の変化に引き裂かれていないだろうか? それに耐えられても仲間に殺されるのだ。あまりにも救いが無い。
彼の笑顔と一度見せた泣き顔が交互に浮かんでくる。
(コハルさん……。逢いたいよ、苦しいよ)
食欲が無いが自分も少し食べておかないと。心だけではなく身体も参ってしまう。トボトボと世良は階段を降りた。
食堂にはお椀を持った灯夜がいた。
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