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神社の御神体(六)
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そうこうしている内に、巫女装束の若い女が二人広間に入ってきた。一人が麦茶の入った大きなヤカンを、もう一人が広い盆に重ねたグラスを乗せていた。彼女らは飲み物を順に集団へ振る舞った。
身近に居ない巫女という存在に給仕されて、学生達は嬉しそうに狼狽えた。そんな微笑ましい光景の中で、教授と佐々木だけが渋い顔をしていた。
佐々木に至っては巫女が傍に寄った時、嫌そうに顔を背けていた。失礼な奴だ。
用を済ませた巫女二人が退出した後に、教授が遠い目をしてこんなことを言った。
「……陽菜さんも、ああやって巫女のアルバイトをしていたのですよね」
清美の娘が巫女をしていたとは初耳だった。
なるほど、教授と佐々木は現在の巫女達に、在りし日の陽菜を重ねてしまったのか。彼らの固い表情の理由が判った。
「陽菜さんの長く綺麗な黒髪は、巫女にとても合っていました」
教授が漏らしたその感想に、坂元が追随した。
「そうでしたね。陽菜ちゃん美人だったし、神社の看板娘的な存在だった」
美人、というキーワードに男子学生達が反応した。
「何ですか、そのヒナさんって人」
「お会いしたいなぁ。もうアルバイトは辞めちゃったんですか?」
学生達は陽菜の事件について知らないようだった。にわかに活気付いた学生達に、教授は優しい口調で残酷な事実を告げた。
「もう会えないんだ。陽菜さんは十年前に……殺されてしまったから」
男子学生達は一斉に口を噤んだ。
「夏祭りの夜に、乱暴された上に首を絞められたそうなんだ」
死因まで具体的に話してしまった教授に対して、私は怒りを覚えずにいられなかった。
人の死は無遠慮に語って良い話題ではない。特に不幸な死は。関係者同士で情報を共有する場合ならともかく、無関係な学生達にまで知らせる必要は無いだろうに。
「うわ、最悪なんだけど……」
女子学生が不快感を隠さずに吐き捨てた。
「教授、犯人はどんな奴だったんですか?」
「それが、まだ捕まっていないから判らないんだ。犯人の男は罪を償わずに十年もの間、社会に紛れてのうのうと暮らしているんだよ」
最低、酷いと女子学生達が犯人を罵る中、宮司が咳払いをして話題を替えた。
「教授、本題に移りましょう。本日は研究の為、御神体である神鏡に触れたいとのことでしたね」
「ああ、失礼しました。話が逸れておりましたね」
宮司は脇の小机に置かれていた白い手袋を手に取り、自分の前に座る教授へと差し出した。
「神鏡に触れる際には、この清めた手袋を填めて下さい。そしてお電話でも説明しましたが、神鏡に触れるのは教授お一人のみとさせて頂きます」
しかし教授は胸の前で軽く手を振った。
「私も御神体に直接触れるつもりは有りません」
「はっ?」
「いや、説明不足で申し訳ない。触れるとは、御神体の持つ神々しい空気に触れたいという意味でして。学生達に畏怖の念を知ってもらいたくて、今日はお邪魔したのです」
「畏怖……ですか?」
宮司は怪訝そうに教授に尋ねた。
「はい。信仰文化の研究に深く携わる人間は、恐ろしい体験をすることが少なくないのです。ですから軽い気持ちで他者が信じるものを否定しない、領域に踏み込まない、傾倒しない、そういった心構えが必要となるのです」
「それは強い信仰心から狂気に走ってしまう人間が、時折現れてしまうからですか?」
「それも有ります。しかしそれ以外にも、科学では解明できない恐ろしい現象に遭遇することが有るのです。見えるはずのないモノが見え、起きるはずのないコトが起きる。稲荷信仰や狗神信仰に手を出す時は、特に気を付けろと私の師が言っておりました」
「そうですね……」
宮司が頷いた。
「私もこの職に在りますので、伐ってはならない樹木、動かしてはいけない岩などの話は耳に届きます。最も有名なのは将門公の首塚でしょうか」
日本三大怨霊に数えられる平将門。平安時代中期の豪族で、新皇を自称し東国の独立を標榜した為に朝敵と見なされ討伐、斬首されてしまった人物だ。
彼の首を祀った塚を移転しようとすると、工事関係者に必ず大怪我をする者が出る。
無学な私ですら知っている将門公の名前は、文化を学ぶ学生達の間でも有名だったらしい。彼らは神妙な顔付きで教授と宮司の会話を聞いていた。
「畏れるという気持ちを、学生達に体験してもらいたいのです。こちらの御神体である神鏡にも、不思議な言い伝えが有るそうですね?」
「はい。人の本性を正しく映すと言われております」
学生の一人が挙手して質問した。
「本性って、魂の色が見えるとかですか?」
宮司は私と坂元にしたように、神鏡の謂れを学生達に話して聞かせた。
「へえぇ、じゃあ、大人しそうなヤツが鬼のような姿で映ることも有るんですか?」
「その者の本性がそうであるなら、映るのでしょうね」
「え、やだ、怖い……」
大なり小なり人は皆、仮面を付けて本心を隠している。それを暴かれてしまうというのは確かに恐ろしい。
身近に居ない巫女という存在に給仕されて、学生達は嬉しそうに狼狽えた。そんな微笑ましい光景の中で、教授と佐々木だけが渋い顔をしていた。
佐々木に至っては巫女が傍に寄った時、嫌そうに顔を背けていた。失礼な奴だ。
用を済ませた巫女二人が退出した後に、教授が遠い目をしてこんなことを言った。
「……陽菜さんも、ああやって巫女のアルバイトをしていたのですよね」
清美の娘が巫女をしていたとは初耳だった。
なるほど、教授と佐々木は現在の巫女達に、在りし日の陽菜を重ねてしまったのか。彼らの固い表情の理由が判った。
「陽菜さんの長く綺麗な黒髪は、巫女にとても合っていました」
教授が漏らしたその感想に、坂元が追随した。
「そうでしたね。陽菜ちゃん美人だったし、神社の看板娘的な存在だった」
美人、というキーワードに男子学生達が反応した。
「何ですか、そのヒナさんって人」
「お会いしたいなぁ。もうアルバイトは辞めちゃったんですか?」
学生達は陽菜の事件について知らないようだった。にわかに活気付いた学生達に、教授は優しい口調で残酷な事実を告げた。
「もう会えないんだ。陽菜さんは十年前に……殺されてしまったから」
男子学生達は一斉に口を噤んだ。
「夏祭りの夜に、乱暴された上に首を絞められたそうなんだ」
死因まで具体的に話してしまった教授に対して、私は怒りを覚えずにいられなかった。
人の死は無遠慮に語って良い話題ではない。特に不幸な死は。関係者同士で情報を共有する場合ならともかく、無関係な学生達にまで知らせる必要は無いだろうに。
「うわ、最悪なんだけど……」
女子学生が不快感を隠さずに吐き捨てた。
「教授、犯人はどんな奴だったんですか?」
「それが、まだ捕まっていないから判らないんだ。犯人の男は罪を償わずに十年もの間、社会に紛れてのうのうと暮らしているんだよ」
最低、酷いと女子学生達が犯人を罵る中、宮司が咳払いをして話題を替えた。
「教授、本題に移りましょう。本日は研究の為、御神体である神鏡に触れたいとのことでしたね」
「ああ、失礼しました。話が逸れておりましたね」
宮司は脇の小机に置かれていた白い手袋を手に取り、自分の前に座る教授へと差し出した。
「神鏡に触れる際には、この清めた手袋を填めて下さい。そしてお電話でも説明しましたが、神鏡に触れるのは教授お一人のみとさせて頂きます」
しかし教授は胸の前で軽く手を振った。
「私も御神体に直接触れるつもりは有りません」
「はっ?」
「いや、説明不足で申し訳ない。触れるとは、御神体の持つ神々しい空気に触れたいという意味でして。学生達に畏怖の念を知ってもらいたくて、今日はお邪魔したのです」
「畏怖……ですか?」
宮司は怪訝そうに教授に尋ねた。
「はい。信仰文化の研究に深く携わる人間は、恐ろしい体験をすることが少なくないのです。ですから軽い気持ちで他者が信じるものを否定しない、領域に踏み込まない、傾倒しない、そういった心構えが必要となるのです」
「それは強い信仰心から狂気に走ってしまう人間が、時折現れてしまうからですか?」
「それも有ります。しかしそれ以外にも、科学では解明できない恐ろしい現象に遭遇することが有るのです。見えるはずのないモノが見え、起きるはずのないコトが起きる。稲荷信仰や狗神信仰に手を出す時は、特に気を付けろと私の師が言っておりました」
「そうですね……」
宮司が頷いた。
「私もこの職に在りますので、伐ってはならない樹木、動かしてはいけない岩などの話は耳に届きます。最も有名なのは将門公の首塚でしょうか」
日本三大怨霊に数えられる平将門。平安時代中期の豪族で、新皇を自称し東国の独立を標榜した為に朝敵と見なされ討伐、斬首されてしまった人物だ。
彼の首を祀った塚を移転しようとすると、工事関係者に必ず大怪我をする者が出る。
無学な私ですら知っている将門公の名前は、文化を学ぶ学生達の間でも有名だったらしい。彼らは神妙な顔付きで教授と宮司の会話を聞いていた。
「畏れるという気持ちを、学生達に体験してもらいたいのです。こちらの御神体である神鏡にも、不思議な言い伝えが有るそうですね?」
「はい。人の本性を正しく映すと言われております」
学生の一人が挙手して質問した。
「本性って、魂の色が見えるとかですか?」
宮司は私と坂元にしたように、神鏡の謂れを学生達に話して聞かせた。
「へえぇ、じゃあ、大人しそうなヤツが鬼のような姿で映ることも有るんですか?」
「その者の本性がそうであるなら、映るのでしょうね」
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