村長奇譚 ~夏祭りの惨劇と少女の亡霊~

水無月礼人

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土地に縛られるモノ(三)

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 そういえば朝食を食べていなかった。食欲は今一つだったが何か腹に入れておこうと、私は台所に立った。冷蔵庫に卵とハムが有ったはずだ。
 両親の代から使っている台所は旧式の造りだ。昭和の女性の平均身長に合わせたのか、タイル張りの流し台とガスコンロ設置台は低めの位置に在る。男性の平均的身長を持つ私は、少し身体を屈めて調理に当たらなければならなかった。

 ピリッ。

 まただ。首の後ろに細い針を刺されたかのような感覚。昨日よりも起こる間隔が短くなっていた。
 私は上下左右に首を倒して簡単なストレッチをした。痛みが解消されたのでフライパンの中でハムエッグを完成させた。
 料理を皿に移そうと食器棚のガラス戸に手をかけた。古くなったガラスはぼんやりと、しかし確実に台所の現実を映していた。

 疲れた顔をした私の後ろに、花模様の浴衣ゆかた女が居た。

「!」

 反射的に振り返ろうとしたがこらえた。素知らぬ振りをして下さい、宮司の言葉が私の迂闊うかつな行動を止めたのだった。
 ガラス戸を開けて料理に適した大きさの皿を選び取った。そして平常心を心がけて振り返った。

「………………」

 陽菜が居た。今日は笑みではなく、恨めしそうに私を見ていた。
 恐ろしい。正直な気持ちを言えば、皿を彼女に投げ付けて逃げ出したかった。
 まさか家にまで来るとは。いいや、おそらく彼女はずっと、私と一緒に過ごしていたのだ。陽菜は放火事件の時に私へ取り憑いた。
 それから常に私の傍に居て、何度も私に話しかけ、私の顔を覗き込み、夜は眠る私を見下ろしていたのだろう。
 しかし私の最大の関心事は清美のことだった。清美が実兄に保護されると宮司から聞かされるまで、私の頭は清美のことでいっぱいだった。陽菜の入る隙間など無かった。
 そう、私は陽菜の霊を自宅に連れ帰ったことに気づかず、結果として今の今まで彼女を無視していたのだ。

「我ながら美味そうにできた。さぁ食うぞ」

 わざと大きな声で明るく言った。醤油をハムエッグに垂らして、皿に箸を添えた。睨む陽菜の脇を素通りして居間へ戻った。
 けっ放しだったテレビは、スイーツレポートから農作物の盗難事件の報道に移っていた。私はテレビリモコンを操作して番組一覧を出した後、最も賑やかそうな通販番組にチャンネルを合わせた。

 ピリリッ。

 首の後ろに痛みが走る理由が判った。これは危険を知らせる信号の一種だ。私自身の本能が発しているのか、守護霊と呼ばれる者からの警告なのか。
 危険とは間違いなく陽菜の幽霊だ。
 だからといって私は何もしない。陽菜が私と宮司の電話を聞いていたのなら、今さらとぼけるのは遅いのかもしれない。それでも。陽菜に無駄だと思わせる為に無視を決め込む。何もしないし、何もできない。
 どうか私から離れてくれ、陽菜よ。この言葉のみを何度も心の中で呪文のように繰り返した。テレビの内容など頭に入ってこなかった。

 さわり。

 テーブルの前に胡坐あぐらを掻いて座っていたのだが、ショートパンツから出ていた素足に何かが触れた。
 田舎は虫が多いから入り込んでしまったのだろう。私はテーブルの下を覗き込んだ。

 そこには黒髪を振り乱した陽菜が居た。

「んぐっ」

 私はハムを喉に詰まらせそうになった。
 這う姿勢でテーブルの下に収まった陽菜が、胡坐あぐらを掻いた私の足に細い指を乗せていたのだ。

「ふおぉっ!」

 もう駄目だった。とても平常心でなんていられなかった。
 だってそこに居るのだ。この世に居てはならないはずの、彷徨さまよえる亡者が。
 体勢を崩した私は胡坐あぐら姿のまま後ろへ倒れた。

「はふっ、ほふぃ、ふおらぁあっ」

 不思議な擬音が口から漏れた。たぶん悲鳴のできそこないだ。真に恐怖を感じた時、人はまともに悲鳴すら上げられないのだとこの時知った。

「はひっ、はひっ」

 逃げようにも下半身に力が入らなかった。完全に腰が抜けていた。その足に確かな重量が加えられた。

 ずるり。

 陽菜が机の下から這い出して、仰向けに倒れた私の身体を登ってきていた。霊体にも重さが有るのか。
 やめてくれ、来ないでくれ。
 ゆっくり、ずるずると、足から腹へと圧力が移動していき、そして胸部に息苦しさが到達した時、陽菜の白い顔はもう私の顔の目の前に有った。

「ひ……」

 目をらしたいのにできなかった。陽菜は怒りの色がともる瞳を私に向け、そしてか細い腕を私の首へ伸ばしてきた。
 私には何もできません。許して、許して下さい。必死の懇願は陽菜に届かなかった。

「ぐっ!?」

 陽菜の両手が私の首を絞め付けた。女が持つ力ではなかった。私の気道は塞がれ酸素の供給が止まった。

「が……はっ……」

 ぐいぐいと凄まじい強さで絞め続けられ、鼻の奥が痛くなった。動く腕をデタラメに振り回して抵抗を試みたが、相手の力の方が勝っていた。

「は……」

 意識が薄れていき私は死を覚悟した。しかし、霞む目で私は見た。
 私の上に馬乗りになって、首を絞めていたのは陽菜ではなかった。

「!?」

 血走る目で殺人を犯さんとしていたのは、前髪が目に掛かりそうな若い男だった。

(誰だ、コイツ……?)

 脳が結論を出す前に視界が暗くなった。今度こそ私の意識は深淵に沈もうとしていた。
 何故自分が殺されなければならないのか。理不尽な怒りと絶望。殺された陽菜もきっと、同じように思ったのだろう。
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