射手と狼少年

ささがき

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一日目

第5話 月宵亭

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 アロウがシンを連れて向かったのは、大通りだった。
 通りは雨にけぶり、行きかう人は少ない。
 アロウは迷いなく大通りを中心部へと歩き、一軒の店の前で立ち止まる。
 壁からぶら下がる金属製の看板は、植物の葉と月の紋様。
 ―月宵亭―と、書かれている。
 アロウは扉を開くと、「店主、客を連れてきた」と声をかけた。
 ろうそくの明かりが揺らめく店内の奥から人が動く気配がする。
 アロウはシンの外套を軽く叩いて水滴を落とし、店内へと押しやった。
「同じものが売られているか見てこい」
「えっ…でもボク…」
 シンは不安そうな表情でアロウを振り返る。
 今は外套をかぶっているとはいえ、シンは見るからに貧相な子供だ。
 普通の店に入ろうとしても、追い立てられた記憶が蘇る。
 下手をすれば何もしていないのに窃盗の疑いをかけられたりする。
 足がすくむ。
「大丈夫だ」
 アロウは戻ろうとするシンの肩に手を置き押しとどめる。
「これはまた随分とかわいらしいお客さんを連れてきたね、アロウ君。」
 柔らかな声がシンの頭上から降ってきた。
 振り仰ぐと、眼鏡の奥で細められた柔和な目と視線が合う。
 くすんだ藁色の髪に、細い顎。
 中性的な印象の顔で年齢はよくわからないが、壮年の男性だろうか。
 いつの間にか半開きの扉に手をかけて、店主と思しき男が立っていた。
「いらっしゃい。…ようこそ月宵亭へ。」
 そう言って彼は恭しく一礼した。


 薄暗い店内の両側の壁に大人の身長ほどの棚が設けられ、たくさんの品物が並んでいる。
 更にその頭上にはロープが張り巡らされ、たくさんの植物の束や実のついた枝がぶら下がっていた。
 奥の壁でで揺れるろうそくの光が、それらを照らして複雑な影を落としている。
 様々な嗅ぎなれない香りが充満しているが、それは裏通りの澱んだにおいとは全く別のものだった。
 落ち着かない様子ですんすんと鼻を鳴らしながら、シンはそーっと棚を覗き込む。
 そこには色とりどりの石が表面にろうそくの炎の色を揺らめかせながら並んでいた。


 恐る恐るといった様子で店内を進むシンの姿を窓越しに見ながら、アロウは軒先でびしょ濡れになった服の裾を絞る。
 その様子を扉のそばに佇む店主は、興味深そうに眺めて尋ねる。
「あの子はあなたのパートナーですか?」
「笑えない冗談だな。…ただの仕事だ」
「へえ…銅貨の数枚であなたを雇えるとは初耳ですね」
「…」
 店主は正確にシンの懐事情まで見極めているようだ。
 口ではかなわないことがわかっているアロウは答えない。
 銅貨3枚程度の収入に見合うかと言われると渋い顔をするしかない。
「客の事情にまで立ち入るのかこの店は。」
「いえいえとんでもない!あなたのパートナーならお得意様になるでしょうから、確認しただけですよ。」
「そうかよ。次からあいつ一人で買いに来ると思うが、"知人として"よろしく頼む。」
「はいはい。」
 ふわっと真意の見えない笑みを浮かべて、店主は店の中へと戻っていく。
 アロウはため息をついて店の外壁に寄りかかった。
 シンの買い物を詮索するつもりはない。
 軒先から滴る雨粒を留まることを知らず、雨の終わりはまだ遠いようだった。


 そっと次の棚を覗き込む。
 今度の棚には、透明なガラス瓶がたくさん並んでいる。
 赤、黄、橙、緑、青、そして黒。
 それぞれの瓶に、色や形の違う粒子が納められている。
 シンは瓶をじっと見つめるが、添えられた値札に何が書かれているのかはほとんどわからない。
 黒くて、粉状のもの。
 記憶にある品物と近いものが収められた瓶に手を伸ばす。
「何をお探しですか?」
 背後から響く声に、シンの肩がびくっと跳ねる。
「…えっと。ドグラの実の染め粉がほしいんだけど」
 おっかなびっくりシンは店主を見上げる。
 なんのために、とか、どこで買っていたのか、とか聞かれたらどうしよう。
「ふむ。ドグラの実ですか…」
 店主は考え込むふりをして、シンから見えない角度でそっと店外に視線を送る。
 軒先のアロウと窓越しに目が合った。
 鋭い目つきが"余計なことはするな"と言っているようだった。
 店主は苦笑して、シンに向き直る。
「…染物用のものが確かあったはずです。少々お待ちを」
 あっさり返事が返ってきて、シンはほっと胸をなでおろす。
 店主は隣の棚の上の方に手を伸ばすと、引き出しを開けていくつか紙包みを取り出す。
「こちらへどうぞ、お客さん。」
 ゆったりとした動作で店の奥に向かう店主に促されて、シンはカウンターの端に恐る恐る近づいた。
 木の一枚板でできた重厚なカウンターの上で、店主は紙包みを開いていく。
 中には漆黒の砂粒のような粉が収められていた。
 店主はガラスの小瓶に粉をひとさじ振り入れ、傍らの水差しから少し水を灌ぐ。
 あっというまに、インクのような漆黒の液体が出来上がる。
「布を染めるのに使ったりするものですが…こちらの品でよろしいですか?」
「…うん。たぶん」
 粉だけでは判別がつかなかったが、見たところ今まで使っていたものと同じように見える。
 ぎゅっと手の中の銅貨を握りしめて店主に尋ねる。
「これ、いくら?」
「ひと包みで銅貨6枚です。」
「えっ…!?」
 思わぬ金額にシンは思わず店主を見上げる。
 裏通りの露店よりずっと少ない。
「一般的な流通価格ですよ。…まあ、お得意様にはおまけしていますけどね。」
 店主はいたずらっぽく微笑む。
「これからもうちで買っていただけるなら、という期待込みの価格です。いかがでしょうか?」
 …何か騙されていないだろうか。
 思わずシンはちらっと入り口を振り返る。
 軒先で暇をつぶしている様子のアロウの後ろ姿が見えた。
 昨日アロウと出会ってからというもの、驚くことばかりで頭がついてこない。
「もし不良品だった場合は交換しますので、使いさしを持ってきていただければ大丈夫ですよ」
 シンの迷いを見透かしたように、店主が重ねて言う。
 どきっとしてシンは慌てて返事をする。
「えっと…じゃあそれでお願い、します。」
 何かあったとしても、銅貨は半分以上残る。なんとかできるはずだ。
 手の中の銅貨から、慎重に6枚数えてカウンターに乗せる。
「はい、確かに。」
 大事そうに差し出された銅貨を店主は丁寧に受け取った。
 そして染め粉の入った紙包みに、もうひとつ別の包みを添えて差し出す。
「そうそう。これは新製品の試供品ですのでよかったらどうぞ」
「…シキョウヒン?」
 聞き慣れない言葉に、シンは眉を寄せる。
「試しに使ってみて、よかったら買ってくださいということです。」
 店主が包みを開け、軽く傾ける。
 少し青みがかった、先程の粉より目の細かい粒子がさらさらとこぼれた。
「値段は同じですが、こちらの方が効果は高いのですよ。気が向いたら使ってみてくださいね」
 そう言って、二つの包みを小さな紙袋に入れ、シンに手渡す。
「またのご利用をお待ちしております。」
 美しく整った笑顔に送り出され、シンは店を後にした。


「…終わったか」
 木の扉をそっと開けてシンが外に出ると、アロウがすっと手を差し出した。
「帰るぞ」
 帰りも手を引いていくつもりらしい。
 …別に宿への帰り道くらいわかるのに。
 そんな言葉がのどまで出かかったが、シンは大人しくアロウの手を取った。
 一応買い物ができたのはアロウのおかげなので、ここは差し出されたものは受け取っておく方が面倒が少ない、はず。
 自分でもよくわからない理屈をこねている間に、アロウは軒先を出て歩き出す。
「この後宿に帰ってから、俺は明日の仕事の打ち合わせに行く。」
 雨の中、少し早足に先を進むアロウの声が響く。
「留守番を頼みたいがいいか?」
 アロウは肩ごしにシンを振り返った。
「…留守番?」
「そう。二刻ぐらい帰らない。その間カギを閉めて荷物番をしていてほしいんだが。」
 二刻、というのは結構長い時間だ。
 シンはちょっと考える。
 それは結構なチャンスだった。
「報酬として夕飯をつけるけどどうだ?」
「…やる!!」
 思わず反射的に答えていた。
 今朝のホットドッグのおいしさが口の中に蘇る。
 思わず口元を緩ませるシンを、見下ろすアロウの目は少し柔らかくなっていた。
「じゃあ頼むな」
「任せて!」
 そうして二人は宿への道をたどった。



 アロウが予定通り宿を出ていく。
 シンは部屋の窓からその後ろ姿を眺めた。
 四つ角を曲がってアロウの姿が消えたのを確認して、それでもしばらく眺める。
 戻ってくる様子はない。
 部屋には内カギをかけているし、今だれか来ても足音でわかる。
 …これなら誰にも邪魔されないはずだ。
 シンは部屋の隅からたらいを持ってきてテーブルの上に乗せた。
 部屋の隅にある桶から汲み置きの水を持ってきて注ぎ入れる。
 椅子に上ると、シンは頭を傾けてたらいの水に髪をひたした。
 透明な水が、じんわりと濃い色に染まっていく。
 水を髪にかけては、ぼろ布同然のシャツでふき取る。
 それを何度か繰り返すと、髪から滴っていた濃い色の水滴が透明になった。
 簡単に水気を絞り、身を起こす。
 ふと脇にある窓ガラスを見ると、自分の姿が映っていた。
 にかわのような黒くべったりした髪ではなく、湿ってはいるもののさらさらとした銀色の髪が肩にかかる。
 珍しい髪色だった。
 こんな色をまとって歩いていれば、目立ってしかたない。
 絡まれるくらいならともかく、人買いにでもさらわれたら一巻の終わりだ。
 染め粉は10日もすれば湿気で落ちてしまう。
 路地裏の極貧の生活から抜け出せない理由がこれだった。
 ため息をつき、シンはたらいの水を入れ替える。
 先程買ってきた、使い慣れたドグラの実の包みを入れ、手で混ぜるとすぐに真っ黒の液体になる。
 新しい黒色を、丁寧に髪に刷り込んでいく。
 明日の生活はわからない。
 だけど今日はまだ、大丈夫。
 そっと息をついて、シンは窓の外を眺めた。
 雨は少し、小降りになってきているようだった。
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