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二日目
第6話 嘘つき朝食争奪戦
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カーテンの隙間から陽光が射している。
…朝だ。
シンはぼんやりとテーブルの上を染める白い光の筋を眺めていた。
片づけそびれたたらいと、染め薬の紙袋が転がっている。
今日も誰にも邪魔されない、穏やかな朝だった。
…そう、誰もいない。
何か大事なことを忘れている気がする。
誰もいないということは…家主も、いない。
「…はぁ!?朝!!?」
がたーん、と椅子を蹴倒してシンは飛び起きた。
だだだだだ、と廊下を走る音が響く。
やがてその勢いのまま階段をシンが駆け下りてきた。
が、最後の2段を踏み外して転倒する。
「いったあ…うう、体中痛い…」
昨日の慣れない荷運びで、全身が筋肉痛になっていた。
よろよろと受付カウンターに寄りかかる。
「女将さーん」
カウンターの中で朝の業務準備をしている女将に尋ねる。
「あの人ゆうべ帰ってきた?」
「…あの人っていうのは?」
不愛想な女将は、騒がしい客に迷惑そうな顔で尋ね返す。
「ええとぉ……206号室の人」
一瞬説明に迷って、部屋の番号を告げるシン。
女将はちょっと眉を上げて、それから顎でフロアの一角を示す。
そこは入り口脇の、談話スペース。
壁際に設置された暖炉を囲むように、ソファやスツールが並べられている。
ぱっと見は誰もいないようだが──女将が示したのだから、何かあるはず。
シンがそっと回り込んでみると、誰かがソファの手すりを枕代わりに寝転がっているようだ。
青みがかった髪色は、見たことがある気がする。
…声をかけるべき?
シンは迷いながら恐る恐るソファへと距離を詰めた、その時。
ソファの人物が背をそらせるように頭をめぐらせ、顔だけをこちらを向けた。
不機嫌を隠さない赤い瞳が、シンを射抜く。
「…よお。よく眠れたか?」
声も一段低くなっている。
アロウは一晩、玄関脇のスペースで過ごしたようだ。
「ご、ごめんなさいい…」
言い逃れのしようもない事態に、シンはおとなしく謝るしかなかった。
先に部屋へあがっているように言われ、シンはまた206号室に戻って椅子に座っていた。
怒ってた。
今度こそ絶対怒ってた。
シンはぶるぶる震える。
怒った大人がすることなんて決まってる。
殴られるか、蹴られるか、あるいはもっとひどいこと。
廊下から足音が聞こえてくる。
アロウが戻ってきた。
ばたん、と扉が開く音にシンはびくっと肩をすくませる。
おそるおそる入口の方を見ると…
アロウは山盛りの何かを抱えていた。
…パンだった。
「えっ?」
大皿に、パンが山盛りになっている。
そんな状態のパンを見たことがなくて、シンは目をぱちくりさせる。
足で開けたドアをまた器用に閉めると、荷物を持ったアロウはテーブルにまっすぐ歩いてくる。
パンの皿のほかに別の小さめの皿や、蓋つき鍋に小さめの紙袋などを器用に抱えていた。
テーブルにたどり着くとまず真ん中にパンを持った皿をどんと置く。
そしてその他の荷物は雑に周りに配置していった。
それからカバンを持ってきて椀を取り出し、水差しの水を灌ぐところは昨日と同じ。
「朝飯の準備」
簡潔に説明だけして、アロウは小さい方の皿を手に取る。
そこには、湯気を立てている干し肉やチーズに、カトラリーが添えられていた。
アロウはパンにあらかじめつけられていた切れ目に、フォークを使って干し肉やチーズを挟んでいく。
あたりにはすでに肉やチーズの香ばしいにおいが漂っている。
思わずよだれが出そうな光景だが、シンは頭をぶんぶん振った。
さすがに今の状況で食事を期待するほど楽観的ではない。
…でもおいしそう。
葛藤するシンをよそに、アロウは食卓の準備を進める。
スペースの空いた小さい皿に紙袋の中身をあける。
干されて黒っぽくなった果実や、茶色の固そうな殻付きの木の実。
中にはシンが初めて見るものも多い。
小ぶりな鍋の蓋をアロウが開けると、スパイスの効いたいい匂いが立ち上る。
中身は野菜たっぷりのスープだった。
アロウはそこにスプーンを突っ込み、軽く混ぜると自分の椀にすこしよそう。
スプーンを戻すと、鍋はシンのそばに残した。
そしてカバンを椅子代わりに腰掛けて一言。
「じゃ、食うか」
「ちょっと待って!?」
「なに。食わないの?」
思わず立ち上がったシンを、怪訝そうにアロウが見上げる。
「うっ…食べたいけど!」
「じゃあ食え。話があるなら食べながら聞く。」
そう言って、アロウはパンをひとつ取り上げた。
「ええ…」
困惑するシンをよそに、アロウはパンにかぶりつく。
「冷めるぞ」
そうしてシンにとって気まずい朝食の時間が始まった。
「…ねえ。怒ってないの?留守番ちゃんとできなくて」
ちまちまとパンの隅っこをかじりながらシンは尋ねる。
昨日の夜、シンは留守番を頼まれた。
それなのに、アロウが返ってくるのを待っている間に眠ってしまったのだ。
一晩アロウは布団で眠れず、体も休められていないはずだ。
「え、怒ってるけど。それなりに」
アロウはそう言ってパンを一口かじると、自分の椀のスープをすする。
そしてスプーンを突っ込んだままの鍋を指す。
「それお前の分な。器が足りないから」
「あ、どうも……ねえこれ、あんたにメリットあるの?」
鍋を覗くと、どう見てもアロウの椀の中身より多い。
「うちは1泊めしつきって言っただろ。対価なら昨日銅貨3枚、受け取ってる」
アロウはパンをまた一口かじって言った。
「怒ってるかどうかは食事と関係ない」
「…そういうもん?」
シンの知っている「怒っている」人間は、怒りを理由に約束を反故にしたりする。
「そういうもん。仕事として対価もらってるからな」
アロウは水袋を取り出してひとくち飲み、シンに向き直る。
「お前こそ、馬鹿正直にそんなこと聞く必要あるのか?」
「…え?どういうこと?」
何を言われているのかわからず、シンは素直に聞き返す。
「同情引いて飯くらいだまし取るとか。色々あるだろ」
「……あっその手があったか」
ぱっと顔を上げたシンの目は、狡猾さを取り戻していた。
すかさずアロウはパンの皿を自分の手元に引き寄せる。
「よし、もう朝飯はいらないな」
「わーっうそうそ!ごめんなさい!」
シンは慌てて頭を下げた。
一度味をしめた食事を取り上げられるのは、つらい。
「というか、俺を疑えよ。恋愛詐欺とかだったらどうするんだ」
コロッと態度を変えるシンを横目に眺めつつ、アロウは皿を元の位置に戻す。
「えっ……その仏頂面で?」
シンの口から思わず本音がこぼれた。
アロウの目がすっと細まり、黙ってパンの皿に手をかける。
「あーっ待って待って!」
シンは思わず皿の反対側を掴んで止めた。
「もういいから黙って食え。」
「はぁい…」
不毛な争いになりそうな気配に、二人は会話をあきらめ食事に集中するのだった。
「さて、俺にメリットがあるかって話だが。」
食事を終え、テーブルの上を片付けたあと。
アロウは改めてシンの向かいに腰掛け、話し始める。
「お前はそれなりにはしこいし、機転も利く方だと俺は思う。」
「それは…どうも?」
何の話が始まったのかと、シンは首をかしげる。
それからアロウが告げたのは、シンにとっては想定外な話だった。
「だから俺はお前を"育てて高値で売る"のもありだと思ってる」
「…へ?」
「昨日荷運びの仕事、手伝っただろ。」
「…うん、しんどいけど…」
肩や背中の痛みが蘇ってきてシンはしょんぼりする。
正直に言って、シンにできる仕事は少ない。
「お前みたいなのでも1人いれば俺は早く仕事を終えられる。代わりに俺は仕事のコツとかを教えてやる」
アロウは感情の読めない目でじっとシンを見下ろす。
「それで、売れる価値のある人間になったら、お前を売り飛ばす。」
「なんだよお前、人買いかよ」
嫌悪感をあらわに、シンは鋭い目つきでねめつける。
行き場のない場所で育ったシンの勝手な大人に対する不信感は根深い。
アロウはそれでも涼しい顔だ。
「落ち着け。さっき馬鹿正直だって言ったよな?」
その声は、意外に静かだった。
「それまでに逃げだしても一人で暮らす力を身につければいいだろ。」
「あっ…」
自分一人でできる仕事が見つかれば、もう路地裏に戻らなくても暮らしていける。
シンにとって、これ以上の魅力的な条件はない。
「つまり、これはどっちがうまく儲けるか、騙し合いの勝負だ。…まあ俺の勝ちだろうけどな」
ふふんと自信ありげに笑うアロウに、シンはむかっとする。
ここまで馬鹿にされて、黙ってなんていられない。
「望むところだ!!受けてやる!」
シンは勢いよくそう宣言したのだった。
…朝だ。
シンはぼんやりとテーブルの上を染める白い光の筋を眺めていた。
片づけそびれたたらいと、染め薬の紙袋が転がっている。
今日も誰にも邪魔されない、穏やかな朝だった。
…そう、誰もいない。
何か大事なことを忘れている気がする。
誰もいないということは…家主も、いない。
「…はぁ!?朝!!?」
がたーん、と椅子を蹴倒してシンは飛び起きた。
だだだだだ、と廊下を走る音が響く。
やがてその勢いのまま階段をシンが駆け下りてきた。
が、最後の2段を踏み外して転倒する。
「いったあ…うう、体中痛い…」
昨日の慣れない荷運びで、全身が筋肉痛になっていた。
よろよろと受付カウンターに寄りかかる。
「女将さーん」
カウンターの中で朝の業務準備をしている女将に尋ねる。
「あの人ゆうべ帰ってきた?」
「…あの人っていうのは?」
不愛想な女将は、騒がしい客に迷惑そうな顔で尋ね返す。
「ええとぉ……206号室の人」
一瞬説明に迷って、部屋の番号を告げるシン。
女将はちょっと眉を上げて、それから顎でフロアの一角を示す。
そこは入り口脇の、談話スペース。
壁際に設置された暖炉を囲むように、ソファやスツールが並べられている。
ぱっと見は誰もいないようだが──女将が示したのだから、何かあるはず。
シンがそっと回り込んでみると、誰かがソファの手すりを枕代わりに寝転がっているようだ。
青みがかった髪色は、見たことがある気がする。
…声をかけるべき?
シンは迷いながら恐る恐るソファへと距離を詰めた、その時。
ソファの人物が背をそらせるように頭をめぐらせ、顔だけをこちらを向けた。
不機嫌を隠さない赤い瞳が、シンを射抜く。
「…よお。よく眠れたか?」
声も一段低くなっている。
アロウは一晩、玄関脇のスペースで過ごしたようだ。
「ご、ごめんなさいい…」
言い逃れのしようもない事態に、シンはおとなしく謝るしかなかった。
先に部屋へあがっているように言われ、シンはまた206号室に戻って椅子に座っていた。
怒ってた。
今度こそ絶対怒ってた。
シンはぶるぶる震える。
怒った大人がすることなんて決まってる。
殴られるか、蹴られるか、あるいはもっとひどいこと。
廊下から足音が聞こえてくる。
アロウが戻ってきた。
ばたん、と扉が開く音にシンはびくっと肩をすくませる。
おそるおそる入口の方を見ると…
アロウは山盛りの何かを抱えていた。
…パンだった。
「えっ?」
大皿に、パンが山盛りになっている。
そんな状態のパンを見たことがなくて、シンは目をぱちくりさせる。
足で開けたドアをまた器用に閉めると、荷物を持ったアロウはテーブルにまっすぐ歩いてくる。
パンの皿のほかに別の小さめの皿や、蓋つき鍋に小さめの紙袋などを器用に抱えていた。
テーブルにたどり着くとまず真ん中にパンを持った皿をどんと置く。
そしてその他の荷物は雑に周りに配置していった。
それからカバンを持ってきて椀を取り出し、水差しの水を灌ぐところは昨日と同じ。
「朝飯の準備」
簡潔に説明だけして、アロウは小さい方の皿を手に取る。
そこには、湯気を立てている干し肉やチーズに、カトラリーが添えられていた。
アロウはパンにあらかじめつけられていた切れ目に、フォークを使って干し肉やチーズを挟んでいく。
あたりにはすでに肉やチーズの香ばしいにおいが漂っている。
思わずよだれが出そうな光景だが、シンは頭をぶんぶん振った。
さすがに今の状況で食事を期待するほど楽観的ではない。
…でもおいしそう。
葛藤するシンをよそに、アロウは食卓の準備を進める。
スペースの空いた小さい皿に紙袋の中身をあける。
干されて黒っぽくなった果実や、茶色の固そうな殻付きの木の実。
中にはシンが初めて見るものも多い。
小ぶりな鍋の蓋をアロウが開けると、スパイスの効いたいい匂いが立ち上る。
中身は野菜たっぷりのスープだった。
アロウはそこにスプーンを突っ込み、軽く混ぜると自分の椀にすこしよそう。
スプーンを戻すと、鍋はシンのそばに残した。
そしてカバンを椅子代わりに腰掛けて一言。
「じゃ、食うか」
「ちょっと待って!?」
「なに。食わないの?」
思わず立ち上がったシンを、怪訝そうにアロウが見上げる。
「うっ…食べたいけど!」
「じゃあ食え。話があるなら食べながら聞く。」
そう言って、アロウはパンをひとつ取り上げた。
「ええ…」
困惑するシンをよそに、アロウはパンにかぶりつく。
「冷めるぞ」
そうしてシンにとって気まずい朝食の時間が始まった。
「…ねえ。怒ってないの?留守番ちゃんとできなくて」
ちまちまとパンの隅っこをかじりながらシンは尋ねる。
昨日の夜、シンは留守番を頼まれた。
それなのに、アロウが返ってくるのを待っている間に眠ってしまったのだ。
一晩アロウは布団で眠れず、体も休められていないはずだ。
「え、怒ってるけど。それなりに」
アロウはそう言ってパンを一口かじると、自分の椀のスープをすする。
そしてスプーンを突っ込んだままの鍋を指す。
「それお前の分な。器が足りないから」
「あ、どうも……ねえこれ、あんたにメリットあるの?」
鍋を覗くと、どう見てもアロウの椀の中身より多い。
「うちは1泊めしつきって言っただろ。対価なら昨日銅貨3枚、受け取ってる」
アロウはパンをまた一口かじって言った。
「怒ってるかどうかは食事と関係ない」
「…そういうもん?」
シンの知っている「怒っている」人間は、怒りを理由に約束を反故にしたりする。
「そういうもん。仕事として対価もらってるからな」
アロウは水袋を取り出してひとくち飲み、シンに向き直る。
「お前こそ、馬鹿正直にそんなこと聞く必要あるのか?」
「…え?どういうこと?」
何を言われているのかわからず、シンは素直に聞き返す。
「同情引いて飯くらいだまし取るとか。色々あるだろ」
「……あっその手があったか」
ぱっと顔を上げたシンの目は、狡猾さを取り戻していた。
すかさずアロウはパンの皿を自分の手元に引き寄せる。
「よし、もう朝飯はいらないな」
「わーっうそうそ!ごめんなさい!」
シンは慌てて頭を下げた。
一度味をしめた食事を取り上げられるのは、つらい。
「というか、俺を疑えよ。恋愛詐欺とかだったらどうするんだ」
コロッと態度を変えるシンを横目に眺めつつ、アロウは皿を元の位置に戻す。
「えっ……その仏頂面で?」
シンの口から思わず本音がこぼれた。
アロウの目がすっと細まり、黙ってパンの皿に手をかける。
「あーっ待って待って!」
シンは思わず皿の反対側を掴んで止めた。
「もういいから黙って食え。」
「はぁい…」
不毛な争いになりそうな気配に、二人は会話をあきらめ食事に集中するのだった。
「さて、俺にメリットがあるかって話だが。」
食事を終え、テーブルの上を片付けたあと。
アロウは改めてシンの向かいに腰掛け、話し始める。
「お前はそれなりにはしこいし、機転も利く方だと俺は思う。」
「それは…どうも?」
何の話が始まったのかと、シンは首をかしげる。
それからアロウが告げたのは、シンにとっては想定外な話だった。
「だから俺はお前を"育てて高値で売る"のもありだと思ってる」
「…へ?」
「昨日荷運びの仕事、手伝っただろ。」
「…うん、しんどいけど…」
肩や背中の痛みが蘇ってきてシンはしょんぼりする。
正直に言って、シンにできる仕事は少ない。
「お前みたいなのでも1人いれば俺は早く仕事を終えられる。代わりに俺は仕事のコツとかを教えてやる」
アロウは感情の読めない目でじっとシンを見下ろす。
「それで、売れる価値のある人間になったら、お前を売り飛ばす。」
「なんだよお前、人買いかよ」
嫌悪感をあらわに、シンは鋭い目つきでねめつける。
行き場のない場所で育ったシンの勝手な大人に対する不信感は根深い。
アロウはそれでも涼しい顔だ。
「落ち着け。さっき馬鹿正直だって言ったよな?」
その声は、意外に静かだった。
「それまでに逃げだしても一人で暮らす力を身につければいいだろ。」
「あっ…」
自分一人でできる仕事が見つかれば、もう路地裏に戻らなくても暮らしていける。
シンにとって、これ以上の魅力的な条件はない。
「つまり、これはどっちがうまく儲けるか、騙し合いの勝負だ。…まあ俺の勝ちだろうけどな」
ふふんと自信ありげに笑うアロウに、シンはむかっとする。
ここまで馬鹿にされて、黙ってなんていられない。
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